短い沈黙の後、医務室は狂乱に陥った。
「コーネル? コーネルだって?!」
「十代……って、ありゃお子様じゃねえか!」
「若いどころじゃありませんよ、犯罪じゃないですか、犯罪!」
騒然と身を捩り、男たちは荒れ狂う。
「いたいけな子供を相手に……信じられないぞ!」
「第一、入るのかよ!」
「ビクトールさん! 下世話な勘繰りはなしですよ〜!」
「た、確かにコーネルなら手取り足取り……うわあああっ、考えたくないぞマイクロトフ〜!」
「気難しい顔をしてやがるくせに、美青年に飽き足らず美少年趣味もあったのか! 稀に見る意外性だぜ、マイクロトフ!」
「トウタ! トウタを近づけないようにしなければ……あああ、裏切られた気持ちでいっぱいですよ、マイクロトフさん!」
のたうち回る三人を悲しげに見詰めたまま、カミューは小さく鼻を啜った。男たちが呼吸困難によって黙ったところで弱く言う。
「……コーネル君とは幾度か話をしたことがあるのですが、純真で可憐で、それは無垢な少年でした。わたしのように世間擦れしておらず、未だ真っ白な素材……これから幾らでも好みの色に染め上げることが出来ます」
ううむ、と同意したものか否か悩bでいる男たちに更に続ける。
「コーネル君を選んだ、そうはっきり言ってくれれば……わたしとて未練がましく追い縋る真似はしません。けれど、言わないうちは彼も迷っているのかと無様にも期待してしまうのです」
「カミュー……」
男たちは不条理に息巻いた。
こんなにも聡明で美しく寛大な青年が、子供を騙して(いるとしか思えない)弄ぶ不埒な変態(としか思えない)男を一途に思って涙する。このようなことがあって良いものか。
───否。
普段ならば赤騎士連中の仕事だろうが、敵は腐っても騎士の頂点に立つ男、牙を向けることは流石に躊躇われる筈。
ならば天誅を下すのは自分たちしかいない、そう決意した傭兵たちはすっくと立ち上がる。
「マイクロトフの今日の予定は?」
「……青騎士団を率いて、いつものモンスター狩りに出ています。そろそろ戻ると思いますが……」
困惑げに瞬きながらカミューが答えると、二人は目を合わせる。
「連日、連れ立ってレストランに来るんだったな。そろそろ夕飯時だ、現場を押さえて締め上げる」
「コーネルには罪はねえ。もしあいつが求めたにしろ、そこを諫めるのが大人のつとめってもんだろうがよ」
「皆の迷惑にならないようにマイクロトフだけ外へ引き摺り出して、カミューの無念を突きつけてやろう」
「それでいいか、カミュー? お節介かもしれねえが……ここまで聞いて黙っちゃいられねえよ。おまえさえ許すなら、一発殴らにゃ気が済まねえ」
情熱的に言い募る男たちの横でホウアンがしょんぼりしている。彼は医師というつとめがら、長々と医務室を空ける訳にはいかないのだ。
そのうちに彼は机の奥をごそごそと漁り、小さな紙包みを取り出した。傭兵たちに差し出しながらにっこりする。
「もしものときにはお役立てください。今宵一夜がマイクロトフさんにとって虚しきものとなるでしょう」
「あ、ありがとよ……」
ビクトールが怪しげな薬を恐々と受け取る間にカミューが寝台から抜け出た。気付いたフリックが訝しげに眉を顰る。
「カミュー?」
「……ご一緒させてください」
弱いながらも凛然とした口調だった。
「わたしもこの目で見れば吹っ切れます。本当ならばわただけで行けば良いのでしょうが……恥ずかしながら一人で事実を確かめるのが怖いのです」
苦悩のこもった最後の言が男たちを奮い立たせる。
「任せろ! 行くぜフリック!」
「ああ!」
「頑張ってくださいよ、皆さん〜」
間にカミューを挟むようにして歩き出す傭兵たちを、医師が手を振って送り出す。
さながら戦場に向かう家族を見送るが如き激励の視線は、それでも必死に含み笑いを堪えているようであった。
本拠地内のレストランの主人ハイ・ヨーに頼んで、人目につき難い場に身を潜めた三人の男たち。
考えれば考えるほど怒り心頭の傭兵が気分の悪そうなカミューを気遣うように覗き込んでいる。
「おい、大丈夫か? そんなに緊張するなよ、カミュー」
「い、いえ……」
「おれたちがついている。気を楽にしろ」
世話焼きのご婦人のように左右から言い募る二人だが、カミューは弱く首を振った。
「暫く何も食べていないので……どうも料理の匂いが胸にきて……」
妊産婦じみた仕種で腹部を擦っている。
そこは胸ではなく腹だろう───そうした突っ込みを飲み込んだのは、彼の腹から響く音が聞こえてしまったフリックの優しさであった。
そう言えば、用意した粥を忘れていた。仰天するあまり、食事を勧めるどころではなくなってしまったからだ。
今頃は冷え切った粥をホウアンが『勿体ないですねえ、食べ物を粗末にするものじゃありませんよ〜』などと言いながら物悲しく咀嚼しているのかもしれない。
「なーに、決着がついてスッとしたら幾らでも食えばいいさ。自棄食いなら付き合うぜ、カミュー」
「……そうですね……」
切なげに返す表情にフリックは慌てて相棒の脇腹を突いた。
「こうも拗れた事態の決着がどういうことか分かってるのか、おまえ」
「ああ、だからカミューがすっきりさっぱりマイクロトフと切れるってことだろ?」
「分かっているなら言うなよ、カミューにはつらい結末じゃないか」
まあな、と男は肩を竦める。
「だがよ、不実な恋人を追い掛けるよりはマシだろうが。カミューなら男だろうが女だろうが選り取り見取り……これから幾らでも第二の春を楽しめるぜ」
「そうは言うが……」
ひそひそとカミューの背後で遣り取りしていた二人だが、そのうちに著しく竦んだ背中に目標の到来を知った。
情報通り、マイクロトフは傍らに清楚な美少年コーネルを伴っている。確かに赤騎士が述べたように心持ち表情も緩んでいた。
一見した限りでは熱々の恋人模様というほどの雰囲気ではないが、他者よりも幾分マイクロトフとの付き合いが深かった傭兵たちには彼の高揚が読み取れる。
「マイクロトフ……見たくなかったぜ……」
恨めしげにフリックが呻き、
「信じていたのによ……」
それまで散々罵ったことを封印してビクトールが嘆く。
ただ一人、カミューは潤む瞳で無言のまま男を凝視していた。が、ゆっくりと首を振って静かに立ち上がる。
「……幸せそうですね。これで漸くわたしも……」
ポツと呟いて歩を進め出した。慌てて後を追ったビクトールらは、途中カミューを追い越して着席寸前の男に厳しく呼び掛けた。
「おう、マイクロトフ! 話がある、ちっとばかしツラ貸せ」
「コーネル、おまえには悪いが……どうしても今、言ってやらなきゃならないことがあるんだ」
突然現れて語調も荒く言い放つ仲間たちに束の間呆け、それから二人の背後に控えたカミューに気付くなりマイクロトフは顔色を変えた。
「カ、カミュー?! おまえ、どうしてここに……約束はしなかった筈だが……」
狼狽し切った反応は男たちを逆上させるばかりだった。他の皆様の迷惑にならぬよう、という計画を吹っ飛ばしたビクトールが彼の襟首を掴んだ。
「てめえ! 言いたいことはそれだけかよ? この数日、カミューが何程思い悩んでいたか……その間におまえはコーネルとのんびり飯など食っていた、その罪は重いぞ!」
「っ……ビクトール殿、苦し…………」
力自慢の男が全力で締め上げれば息も止まる。目を回しながら紅潮する男からひっそりと目を伏せ、カミューは悲しげに言った。
「もういい、やめてください、ビクトール殿」
「何を言ってやがる! こういうふざけた奴は、だな……」
「責めたところでマイクロトフの心が戻る訳ではありませんし」
弱い、だが慈しみに満ちた言葉にビクトールは顔を歪め、忌ま忌ましげにマイクロトフを睨んだ後に手を離した。
「ああ、そうだな。こんな奴、おまえの方から切り捨ててやれ。何なら今日からおれがおまえとお付き合いしてやる」
吐き捨てた言葉に誰よりも激しく応じたのはマイクロトフだった。
「なっ……ビクトール殿?! お付き合い、とは……いったい……」
「だからよ」
ケッと鼻息も荒く男は答える。
「今日からおれがカミューの恋人になってやる、ってことだ」
「!!!」
今度はマイクロトフがビクトールの襟首を締め上げる番だった。負けず劣らず怪力の青騎士団長は血相を変えて傭兵を揺さぶった。
「何を言われる! カミューはおれの……おれのこの世で唯一の大切な相手、たとえビクトール殿であろうと渡す訳にはいきません!」
「あー?」
やや呼吸を詰まらせながらビクトールはじろりとマイクロトフを見据える。
「ふざけるな! よりによって年端もいかない子供と二股かけた不届き野郎が……あっちも欲しいがこっちも惜しい、か? 冗談じゃねえ、ごうつくばりの婆さんか、おまえは!」
もはや周囲を憚るどころか大音響で怒鳴る男は、潔く身を退こうと決めたらしいカミューに反して往生際の悪いマイクロトフに完全にキレてしまっていた。
同様に憤りながらも、多少は理性が勝るフリックが宥めすかすように割って入る。
「よせ、コーネルが見てるじゃないか」
「止めないでください、フリック殿!」
悲痛に絶叫したマイクロトフは改めてビクトールをぶんぶんと揺らした。
「おれは婆さんではない! 第一、二股とは何のことです! おれが愛しているのは今も、これからもカミューひとり……他の人間など入る余地はこれっぽちもありません!」
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