疑惑の日・4


感動的な告白劇──ではあったのだろうが、店内は冷えた空気で包まれていた。
確かに暗黙の了解に近い状態であったとはいえ、騎士団長らは男同士。本人自らによる堂々宣言とあっては、どう反応したものか迷うところなのだろう。
一方の傭兵たちは、ぽっかりと口を開いている。次第に我を取り戻したフリックが低く唸った。
「……いけしゃあしゃあと言ってくれるじゃないか……」
締め上げられているビクトールを押し退けてマイクロトフに躙り寄る。
「愛しているのはカミューひとり? なら、この状況をどう説明する! カミューが空きっ腹で倒れるまで思い詰めているときに、おまえはコーネルと……」
すると今度はマイクロトフが目を見開き、呆然とした口調で返した。
「カミューが……倒れた……?」
「そうだっ」
相手の力が抜けたのを見定めたビクトールが自身の胸元を掴んだ手を手荒く撥ね除ける。
「カミュー、何故そんな……やはり体調でも悪いのか? だからこのところ拒んでいたのだな、いや、実はそうではないかと朝も起こさずゆっくりと眠らせたつもりだったが……どうしてはっきりと言ってくれなかった?」
半ば独言のように長々と口にする彼に、カミューは戸惑って瞬くばかりだ。
やや事態の把握に苦慮しながらも、傭兵たちは最初の怒りを取り戻すことに成功した。
「誤魔化すんじゃねえ! おまえの罪状はひとつじゃねーぞ。まずはカミューを裏切ったこと、それを正直に告げなかったこと、おまけに……よりによって十をちょいと越しただけの子供に手出しするなど言語道断!」
「ここじゃ何だから外に出よう、おれたちがカミューの代わりにおまえに制裁を下してやる!」
そうまで言われて漸くマイクロトフは我に返ったようだった。カミュー以上に困惑した顔で首を傾げる。
「裏切った……とは、おれがカミューを、ですか……?」
「自覚がないとは、なお悪い! くうっ、おまえがこんな奴だとは思わなかった。悲しいぜ、マイクロトフ」
「し、しかし……」
腕を取り、店の外に連れ出そうとするビクトールにマイクロトフは必死に抗った。
「ま、待ってください。おれには覚えがありません」
「ああもう……それ以上言うならこの場で落雷を食らわせるぞ!」
それは困るとばかりにマイクロトフは口を噤む。未だ無言で立ち尽くしたままのカミューに助けを求めるような視線が送られたとき、軽やかな声が上がった。
「ねえ、お兄さんたち」
コーネルだ。マイクロトフを連行しようとしている傭兵たちは呼ばれて表情を曇らせた。
「ああ、おまえにはすまないと思う。だがよ、これはおまえのためでもあるんだ」
「そうだ。そういうことは、もう少し大人になってからにしような?」
打って変わって柔らかく笑う男たちに可愛らしく小首を傾げ、少年は言い募った。
「でも、ぼく……マイクロトフさんとご飯を食べる約束しているんです。お話はそれからじゃ駄目なんですか?」
ぐ、と言葉に詰まって顔を見合わせる傭兵二人。いたいけな瞳に負けそうになる心を励ましてフリックが言った。
「なあ、コーネル……こんな男に騙されちゃ駄目だ。食事は他の友達と一緒に……な?」
「でも……」
少年は顔を曇らせた。
「マイクロトフさんと一緒がいいな。こんなに好みの合う人は初めてなんだもの」
「好みが───合う……?」
唖然としてフリックが目を見開く。
マイクロトフが純真な少年を誑かしたとばかり思っていたが、コーネルも積極的に応じていたというのか。
言葉も出ない男たちの前で綺麗に笑った年若い音職人は、甘えるようにマイクロトフの袖を掴み、澄んだ声で言い切った。
「やっと見つけた肉好き仲間なんです。毎晩連続で牛丼を一緒に食べてくれるなんて、マイクロトフさんくらいだし……だから、食べ終わってからじゃ駄目ですか?」

 

 

 

 

 

 

長い静寂が過ぎていった。
「…………肉?」
「牛丼……?」
放たれた言葉の中から単語だけを復唱する傭兵たちの思考は凍ってしまっている。
「ええと……肉好き仲間?」
「牛丼を一緒に食べる?」
今度はやや長めの復唱。コーネルはやはり清純そのものの笑顔で頷いた。
「はい。美味しいですよ? 六日前かな、マイクロトフさんとお話しする機会があって……肉料理の話で盛り上がって。今夜は牛丼にするんですって言ったら、マイクロトフさんも食べたい、って……それから毎晩牛丼なんです。同じハイ・ヨーさんが作っていても、毎日微妙に味が違うんですよね。こう……繊細な甘味のまろやかさとか、玉葱の硬さによる舌触りとか、牛丼はとっても奥が深いんです。食べながら色々と批評し合ってみたりして……楽しいですよ」

 

───具体的な説明を感謝する、そう嫌味を言えないのは大人としての立場からだ。
必死に事態の把握に努めた傭兵たちは少しずつ意見を述べてみる。

 

「すると……何か? おまえ、浮気じゃないのか?」
「浮気ですと? カミューほど愛しい人がありながら、誰に心を移すと仰るのか」
「カミューを放っぽり出して連日コーネルとレストランに通っていたのは……牛丼のため?」
「カミューはおれほどは肉料理を好みませんので」
今度は別の意味での怒りが込み上げる二人である。
「……なら、こそこそする必要はないだろう! カミューも誘ってやりゃ済むことだ。でもって、カミューだけ別のものを頼めばいいだろうが!」
「そ、そうだ! これまで毎日一緒に食事していたものが突然別の人間と連れ立つようになれば、カミューだって不安になる!」
ここに至るまでの勢いも手伝い、あくまでもカミュー擁護に努めてしまう、面倒見の良い男たち。
マイクロトフは幾分表情を厳しくした。
「確かに気が咎めなかったと言えば嘘になりますが……常日頃からカミューは『肉ばかりでは身体に悪い。野菜もしっかり、均整の取れた食事を心掛けろ』と言っているので、毎晩牛丼と知れたら止められるだろうと……だから……」
二人は崩壊寸前だった。
いったい何をどう突っ込めばいいのかも分からず、ただ呆気に取られるしかない。救いを求めて見遣った先のカミューは、依然虚ろな表情のままである。
「だが、おまえを不安にさせてしまっていたとは思わなかった。すまない、許してくれカミュー」
覚悟を決めたのか、マイクロトフは深々と頭を下げた。
その光景を見詰めながら傭兵たちは心中思った。

 

───怒れ、カミュー。

 

マイクロトフという男を誤解した自分たちも悪いような気もするし、浮気と思い込んだカミューも悪いような気もする。
だが、多分一番悪いのはマイクロトフだ。
牛丼如きで大の男を三人──と、一応ホウアン──を振り回した彼こそが間違っている筈だ。
カミューが怒ることで、その事実を決定に至らしめることが出来る。
ここで一発殴ってくれれば、『そうかそうか、まあ誤解ってのもあるさ』『これからは気をつけてカミューを大事にしてやれよ』と笑って終わらせることが出来る───のに。

 

 

 

「心変わりした訳では……ないんだね?」
先程の堂々たる熱愛宣言にすべてが押し流されてしまったのか、カミューは瞳を煌めかせながら一歩踏み出した。
「カ、カミュー……そいつはおまえじゃなく、牛丼に心奪われた裏切者だぞ」
ビクトールの小声の指摘も耳に入っていないらしい。二人を擦り抜けてマイクロトフの目前に立った青年は、ただ男の瞳を見詰めて続ける。
「毎日牛丼を食べる姿でわたしを不快にさせないよう……そう気遣ってくれただけなんだね?」
「そうだ。決して怒られるのが怖かったからではないぞ、おまえが肉の摂取過多を案じるのではないかと思ったのだ」
「ならば……誘ってくれなくなった理由は肉だけで、三十路も近いわたしを厭って若いコーネル君に乗り換えた訳ではないんだね……?」
「当たり前だ、カミュー」
威儀を正して胸を張ったマイクロトフは爽やかに笑った。
「おれとて、おまえに一年遅れて三十路ではないか。何を気にしていたんだ、おれはおまえだけを愛している。十年後も二十年後も……たとえ百年経とうと気持ちは変わらないぞ」
「───生きてるか、百年後に」
ぼそりとビクトールが突っ込むが、既に雰囲気に浸り込んでいる騎士団長らには届かなかった。
「……それにしても、一度くらい誘ってくれても良かったのに……」
「だが、カミュー。おまえは前にハイ・ヨー殿の料理勝負の審査員に呼ばれ、牛丼に『1』をつけたと耳にした。おまえの好まぬものを目の前で食すことなど、おれには出来なかったのだ」
「馬鹿だな、マイクロトフ……おまえが六日も続けて食べるほど好きな料理なら、わたしも好きになるよう心掛けるのに……」
「カミュー! 嬉しいぞ、ならば今夜の食事は是非牛丼にしてみてくれ」
「そうだね、おまえと一緒ならば好まぬ料理とて美味に変わるかもしれない」
───空きっ腹で倒れた身にいきなり牛丼は良くないのではないか、とフリックの良心が揺れたが、口にはしなかった。めくるめく愛の世界を作り上げている二人に何を言おうと、今更通じないだろうと理性が訴えたからだ。
「……何だかぼく、御邪魔なのかな……」
悲しげに自問しているコーネルに屈み込み、ビクトールは引き攣った笑いを浮かべた。
「おまえは何も悪くない。おれたちが付き合ってやるから、あっちで牛丼頼もう。な?」
途端に嬉しそうに顔を輝かせる少年を見て、傭兵たちは牛丼たる料理の深淵を感じるのだった。
混乱が一気に大団円に納まったのを見届けた店内の人々は、手に手を取ってテーブルにつく騎士団長たちを温かさ半分、恐ろしさ半分の眼差しで窺っていた。
恋人たちから一番離れた席を取り、フリックは低く唸る。
「……もう嫌だ。おれは金輪際、あいつらに関わらないと決めたぞ」
「そう言うな」
相棒が自身以上に面倒見の良い誠実の人であることを知る男は苦笑いながら首を振る。
「悪気はないんだしよ、二人とも…………多分」
「馬鹿馬鹿しいったらない。ビクトール、あの薬をマイクロトフの牛丼に仕込んでやれ」
おいおい、と破顔して、彼は頬杖をついた。
「言うなって。誤解も解けて元の鞘に納まった、おれたちの暇も潰れた。色々あったが円満解決……いいじゃねえか」
「時々おまえの寛大さが分からなくなるな」
げんなりとぼやいてフリックは嘆息する。
「カミューのために振り上げた拳の置き所がない、ってんなら……後で一勝負するか?」
言いながら引き上げられた剣に不敵な笑みが返った。
「いいな、受けるぜ」
「んじゃ、まずはじっくり牛丼を味わうことに致そうかね?」

 

 

運ばれてきた丼から立ち昇る湯気の遠くには、同じく丼を挟んで幸福そうに見詰め合う恋人たちが在った。
新同盟軍の一日は、斯くも平和に暮れていく。
───そして更に。
ただ一人、事態の集結を知らない新同盟軍の医師が、怪しげな薬物を弄り回しながら微笑む姿に、その夜、医務室を訪れた者たちは次々に踵を返していたという。

 

 

← BEFORE


その他の肉好き仲間(一部抜粋)

ギジム・キバ・ピコ・マクシミリアン・シロ

この方たちを使ったら、
また違った風味になったことでしょう。
しかし抜粋とは言え、この面子。
濃ゆい……。

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