疑惑の日・2


「事の起こりは六日前でした……」

一応は重病人でないことが確認出来たので、カミューは寝台に半身を起こすことを許されたが、枕を背もたれにして詰まりがちに語る様子は悲愴に溢れていた。
普段の懍とした声音からは想像もつかないほど悄然とした口調。囲むビクトール・フリック、そして戻ってきた医師ホウアンは一斉に身を乗り出して頷く。

 

 

 

二人の騎士団長らは新同盟軍に参加して以来、努めて夕食を共にするよう心掛けていた。朝は起床時間に差があり、昼は何かと忙しく、ゆっくりと向かい合うことが難しかったからだ。
昼間のうちに互いの予定を確認して時間を合わせ、その時刻にマイクロトフがカミューの部屋の扉を叩く。連れ立ってレストランに足を運び、束の間の安らぎを満喫する。
特に戦いに出向くことがなければ、それが彼らの日課となっていたのだった。

 

「な、何だかほのぼのとして微笑ましいな」
「心が洗われるような恋愛模様だぜ」
傭兵たちが無意識に洩らすとカミューは儚げに微笑んだ。マイクロトフとの関係を知られていたことに諦めたのか、敢えて否定もせずに先を続ける。

 

───それは戦乱の中の小さな喜びであり、ささやかな贅沢と言える貴重な時間であった。
六日前、生憎マイクロトフが不在であったために待ち合わせることが叶わなかった。が、多少時間は遅くなっても構わない、彼が部屋を訪ねてくるまで待とうとカミューは考えた。
マイクロトフにとっても夕食を共に取ることは大切な日課となっている筈だし、そのうちに慌てて駆け込んでくるに違いないと思ったからだ。
ところが、レストランが閉まる時間になっても彼は訪れず、待っている間に常備してあるほんの僅かな菓子類を摘んだだけで、まともな食事を取りはぐる羽目に陥った。結局その夜マイクロトフは顔を見せなかったのだ。
そのとき、だがカミューは然程深刻に感じた訳ではなかった。
たまにはそういう日もあるだろう。モンスター狩りで疲れ果て、戻るなり寝入ってしまった、くらいに考えていた。
しかし翌日、顔を合わせたマイクロトフは何処か居心地悪そうな表情で前夜の不義理を詫びたのだ。その上、カミューがまともな食事を取れなかったというのに彼自身はしっかりとレストランで食事をしたという。
これにはやや驚いたものの、日頃誠実な恋人の汗を滲ませての陳謝に首を振った。
戻った時間が遅かったため、先に夕食を済ませて休んでいると考えたのに違いない。思い込みの激しいマイクロトフならばありそうなことだった。
そこでカミューは気を取り直し、改めてその日の夕食の約束を結ぼうとしたのだ。
───だが。
マイクロトフはそこで狼狽したように今宵は予定が入っていることを告げた。思いがけないことに、他の人物と約束をしているのだと。
流石に落胆したが、それでもカミューは微笑んだ。
騎士と交友を望むものは多い。どちらかといえば堅苦しい質の騎士たちではあるが、誇り高く武勇に優れた彼らを好ましく思う人間は大勢いるのだ。
カミューは自らそうした人の輪に入ることがあるが、決して社交的とは言い難いマイクロトフには珍しいことだ。それもこれも、同盟軍の自由な気風が為せるわざであろうと大らかな気分で頷くに留めたのだった。
状況が変化してきたのは直ぐだった。
次の夜も、また次の夜も、さながら避けてでもいるかのようにマイクロトフは夕食同行を断るようになった。
そのたびにすまなそうに縮こまっているので、詰問する訳にもいかず、ただカミューの焦燥は募った。
夜、時間が空くのはたいてい同じ時分だ。レストランに足を運んで、彼が他の誰かと楽しげに食卓を囲んでいるのを見るのは些か寂しい。
ならば時間をずらそうと閉店ぎりぎりに店に入れば、その日の食材が尽きたと言われてしまう。

 

「……意外と要領悪いな、おまえ。なら朝昼たっぷり食えばいいだろうがよ」
ビクトールのもっともな疑問に悲しげな苦笑が浮かぶ。

 

朝は朝で、これまでは早朝訓練を終えたマイクロトフが起こしに来てくれたのに、夕食を一緒にしなくなったあたりからそれも途絶えてしまった。
カミューが自力で寝台を抜け出す頃には同盟軍の要人としてのつとめが待っており、のんびり食事などする暇がないのだ。

 

「朝・昼と時間がないなら、夕飯を誰かに運ばせれば良いじゃないか」
首を捻りながら言ったフリックには毅然とした表情が返された。
「部下をそのように私的に使うことは出来かねます」
「……ああ、そう」

 

カミューも武人、戦場では食えないことも多々ある。マチルダ騎士時代には拷問の一環として食断ちの訓練も受けた身だ。
が、やはり平時にあっての空腹は切ない。

 

「それはそうでしょうねえ……食べられない状況という訳ではないのですし」
しみじみとホウアンが言えば、ビクトールが小声で呟いた。
「っつか、食えばいいんだよ、食えば」

 

マイクロトフの行動への疑念、更には物悲しげな声を上げる腹部を部下たちから隠す心労もあり、気力は萎える一方だった。
そんな上官の憔悴を忠実なる部下たちが見過ごす筈もない。彼らは『我らが敬愛する騎士団長の御心痛の元凶はいずこに』を合い言葉に諜報活動に余念がなく、終に昨夜、カミューは恐れていた事実を突きつけられてしまったのである。

 

 

 

「浮、気……?」
呆気に取られながら傭兵たちは瞬いた。
ここまで何がなしに脱力する告白が続いて、『もう放っておこうかな』などと脳裏を過っていただけに、反応も鋭い。たちまち姿勢を正してごくりと喉を鳴らす。
「マイクロトフが浮気だと?!」
はい、と消え入るような声で同意して、カミューは薄く滲んだ涙を袖口で拭う。
「部下たちの報告によると、連日に渡ってマイクロトフは特定の人物と睦まじくレストランに現れているとか」
「まさか……そんな、……」
思わずフリックが呻いたが、彼は苦しげに首を振った。
「わたしは……わたしは心変わりされたこと以上に、そうして隠し事をされていることがつらいのです。彼にとってわたしは本心を告げる価値もない存在なのかと……」
一気に言って、しくしくと涙に暮れるカミューを一同は呆然と見詰めるばかりだ。そのうちに、ふつふつと込み上げる怒りが彼らを満たす。
「マイクロトフの奴……どういう了見だ!!」
「まったくだ、猪の分際でカミューみたいな美人と宜しくやっていたかと思えば!」
「不実です、あんまりです。その間、カミューさんは食事も取れないほど思い悩んでいたというのに……」
拳を握って口々に非難を叫ぶ───が、納まるのも早かった。個々にマイクロトフを思い描き、首を捻る。
「本当に浮気……なのか?」
「隠し事をするほど器用には見えねえな」
「言われてみれば、そういう甲斐性がありそうには思えませんねえ」
約二名が失礼な見解を口にする中、カミューは力なく項垂れた。
「部下曰く、『見ていて後ろからド突いてやりたいほど幸せそうに目許と口元を緩め、騎士団長の威厳も窺えぬほどデレデレとにやけ切っていた』そうで……」
それを聞くなり男たちの怒りが再燃した。
「あんまりだぞ、マイクロトフ……!」
「カミューに言わないってことは二股か! 畜生、何て贅沢な!」
「……そうなんですか、カミューさん? それでもマイクロトフさんとの関係は続いていたと?」
妙に穏やかな声で聞いたホウアンに傭兵たちはぎくりとする。示唆するところが所謂『夜の営み』であることは瞭然だ。
他の人間に目を向けながら変わらずカミューをも弄んでいるとしたら、マイクロトフはこれまでの認識を外れた外道である。当然、対処とて考慮されねばならない。よって、これは決して興味本位ではない───と言いたげなホウアンであるが、表情が綻んでいるところを見るとあながち信用ならなかった。
核心に触れられてカミューも僅かにたじろいだが、やがて緩やかに首を振った。
「食事を終えたマイクロトフが訪ねてくることはありましたが、……戸口で拒みました。最初は彼が他の人間との約束を優先したことが何となく悔しくて焦らしてやっただけなのですが……、そのうちに空腹で気分が乗らなくなってしまって……」
一同は一瞬沈黙し、それから爆発した。
「……ってことはマイクロトフの奴、やっぱりカミューのことを……」
「犯る気満々だったってことか! とんでもない野郎だ、許せーん!」
「カミューさんに拒まれたとあっては、もう御一方を相手に欲求を満たしているということですか、何て浅ましい!」
「生真面目で誠実な男だと信じていたのに……!」
「まったくだ。見直し……いや、見損なったぞ、マイクロトフ!」
自分のことでもないのに必要以上に熱くなった男たちは額を突き合わせて罵り合う。
「これまで何程カミューに支えられてきたかを忘れて二股とは……何て奴だ」
「殆どの仲間が枯れた生活してるってのに、あいつだけ潤ってるのは納得出来ないぞ」
「いっそのこと、勃たなくなる薬でも盛っちゃいましょうかねえ」
にっこりと不穏な提案を口にした穏和な医師を恐ろしげに一瞥し、傭兵たちは冷や汗を滲ませる。
「そ……、そういう薬があるのか、ホウアン?」
「持続の程合いは様々、お好みのままに処方致します」
「……だ、だがよ。やっぱ男としては慈悲の心で臨みたいぜ。もしマイクロトフが改心したら、そのときカミューが困るしよ」
「ああ……そういう場合もありましたか」
心持ち残念そうに言ったホウアンを見詰める傭兵たちの表情は強張っていた。この医師は敵に回すまい、そう決意することも忘れない。
半ば放置されるかたちで会話から取り残されていたカミューだったが、ふと身を乗り出した。
「ホウアン殿……」
「はい、何でしょう? ビクトールさんはこう仰っていますが、何より一番大事なのは被害者たるカミューさんのご意志ですからねえ。恨みを晴らしたいと仰るなら、喜んで協力致しますとも」
「……楽しそうだな、ホウアン……」
ポツリとフリックが呟く。
「如何です? 不実なマイクロトフさんに、これ以上悪さが出来なくなるよう不能になっていただきましょうか?」
満面の笑顔で詰め寄った医師に、だがカミューはひっそりと首を振った。
「……おや。お優しくていらっしゃる……。駄目ですよ、こういうときはガツンと思い知らせてやらなければ」
我がことのように不満げに訴えるホウアンを食い入るように凝視したカミューは、低く切り出した。
「それよりも、ホウアン殿……世に若返りの秘薬というものはないのでしょうか……」
「は?」
唐突な言葉に男たちは顔を見合わせた。
「おまえは十分に若々しいぞ?」
フリックに続けてビクトールも大きく頷く。
「男にしておくのが勿体無いくらいの美人だし、肌もツヤツヤ、身体の線も色っぽいときてる」
「それとも、腰痛にでも悩まされていらっしゃるとか?」
相変わらずにこやかにホウアンが問うた刹那、カミューは搾り出すように呻いた。
「わたしには若さが必要なのです」
考え込んだ一同はすぐに思い至った。
「つまり、……マイクロトフの今度の相手は年下なのか?」
「……十代です」
つらそうにこっくりと頷く姿を見た男たちの間に更なる慰めの気運が高まった。
「大丈夫だ、カミュー。相手が誰であろうと絶対におまえは負けてない。一時的な気迷いに決まっているさ」
「そうともよ、匂い立つ成熟した大人の色気! おまえのことだ、夜の方だって寝技・絡め技を駆使してマイクロトフを堪能させてやってるんだろう?」
「そうそう、開発されていない未熟な身体にはマイクロトフさんだって無茶出来ないでしょうし……そのうちに物足りなくなりますよ〜」
「───でも」
仲間たちの気遣いに張り詰めていたものが込み上げたらしい。カミューは上掛けに突っ伏して訴えた。
「考えてみれば、わたしは幾年もしないうちに三十路……今でこそ賞賛されている容色とて衰えていくでしょう。身体だって硬くなっていくし、やはり若さには勝てません」
切々とした響き。
既に三十路に突入しているビクトールとホウアン、カミューよりも一年早く三十になるフリックには身につまされるものがあった。
もはや抑えようもなく震え続ける肩にそっと触れたフリックが静かに言う。
「裏切られても、それでもマイクロトフが好きなんだな……」
「どうして直接責めねえんだ。ぶん殴って踏み潰してやればいいのによ」
「無茶を言うものじゃありませんよ、ビクトールさん。面と向かって『心変わりした』などと聞かされたら……それはそれでつらいじゃありませんか」
「それはそうだがよ……」
カミューは薄く笑って顔を上げた。
「もともと世の摂理に反した関係です。マイクロトフが乙女に心奪われる日が来たら、いつでも身を退く覚悟はありました」
「……カミュー、おまえ……」
「何ていじらしい……」
「泣けてきますねえ……」
たちまち貰い泣きしそうな様相が広がる。
「───でも」
そこで美貌の赤騎士団長は暗い瞳を揺らした。
「相手が男では諦め切ることも出来ず……」
感動に咽んでいた一同は思わず息を詰まらせる。
「男?」
「浮気相手は男なのか?!」
「……何て真性な!」
新たなる衝撃に顔色を変える男たちを一瞥し、カミューは虚ろに笑った。
「御察しかもしれませんが、我々の関係はどちらかというとわたしが主導権を取りがちです。男ならば、少なからず自らが先に立って恋人を導きたいという願望があるでしょう。マイクロトフにはそれが面白くなかったのかもしれません」
「まあなあ……男として引っ張られっぱなしってのは確かに……」
「だからこそ、自らが優位に立てる年下の少年を望んだのではないかと思うのです。相手が女性ならばともかく、若い少年では……あまりに惨めで、問い詰める気も起きません」
成程、と納得した上で再び一同は思案した。
カミューの心情は理解出来る。
裏切られ、それでも諦め切れないのは世の摂理に背いてまでも求めた男への強い想いがあるからだ。いっそ若返って再び恋人を取り戻したい願う心を滑稽の一言で終わらせることは出来なかった。
傭兵たちは縋る眼差しでホウアンを見た。
「なあ……ないのか、十代に戻れる薬は」
「そ、そんなものがあったらわたしが使ってますよ」
「だよなあ……」
深々と嘆息したビクトールが、そこで漸く思い出した。
「ところでよ、その相手ってのはいったい誰だ?」
はっとして、残る二人も息を飲む。
「双方合意なら外野がとやかく言えねえが……相手だってマイクロトフにはおまえがいるって知ってるんじゃないか?」
「知っていて関係を持ったなら大事だよな」
「世間一般で言う不倫というアレですかねえ……」

 

流石にそれを暴露するのは憚られるのか、カミューは暫し躊躇して押し黙っていた。しかし追求は続き、終に諦めたような呟きが小さく答えた。

 

 

「…………音職人のコーネル君です」

 

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我が家のホウアン先生、
何故こうも変な人なんだろう……。

 

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