「───暇だなあ」
新同盟軍・本拠地の城内を行く二人連れ。
大柄な傭兵がげんなりとぼやけば、即座に片割れが睨み付ける。
「不謹慎だぞ、ビクトール」
「だがよー」
くされ縁の相棒フリックに諫められても腑抜けた表情は変わらない。
「おれたちゃ戦ってナンボの傭兵だぞ? こう連日城に留まってちゃ腐ってもくるぜ」
戦線を構えるハイランド王国に、このところ目立った動きらしいものがない。緻密な戦略でも練っているのか、小競り合いめいた戦いすらないのだ。
現在、城で忙しく働いているのは軍師くらいのものだろう。敵のあらゆる策を想定して、ああでもない、こうでもないと頭脳労働に勤しんでいる。
そうなってくると兵士たちにはすべがない。個々に鍛練に精を出し、あるいは本拠地に住み着いた住民たちの生活物資供給──要は、畑仕事だの大工仕事だのである──につとめたり等々、思い思いの時間を過ごしているのである。
さて、戦うことが生活の大半を占めているビクトールらのような男は、この安息を持て余していた。
城の子供たちに剣の稽古をつけても良いのだが、それを申し出ると必ずといっていいほど『遊んで』反撃を食らう。
気の良いフリックは最初のうちは黙ってこの攻撃を受けていたが、一日中隠れんぼだの鬼ごっこに付き合わされるのに閉口し、極力避けるようになっていた。
こんな折にも勤勉な元・騎士団員のように近隣のモンスター狩りに出ることも考えたが、このあたりに生息するモンスターはレベルが低く、運動というには物足りない。よって、『見回り』と称して芸もなく城をうろつき回っているのである。
「こういうとき、無趣味なのはつらいな」
フリックが言えば、
「散歩するにも相手がおまえじゃ、色気がなあ……」
ビクトールが溜め息をつく。相棒はむっとした口調で返した。
「そうか、おれは珍しい体験だけどな。熊と散歩なんて、そうそう出来ない」
「……誰が熊だ」
低く唸ったときだ。
ビクトールは前方を見据えて足を止めた。男の視線の先を同様に眺め遣ったフリックが独言のように洩らす。
「……カミューじゃないか。今日はモンスター狩りに出なかったのか」
だが、ビクトールは答えず名指された端正な青年を凝視したままだ。フリックも気づいて眉を寄せる。
「やけに顔色が悪いな。おまけに足元もふらついているようだし……」
すると相棒はニヤリとほくそ笑んだ。
「そら、おまえ……アレだろうがよ」
「?」
「マイクロトフの野郎と夜通し組んずほぐれつ……励むあまりの寝不足・疲労。加えて腰はガタガタ、ふらつきもするだろうぜ」
フリックは一瞬押し黙った。
マチルダを離反した元・騎士団長二人が、どうやら同性同士ながら想い合っているらしい、というのは同盟軍内で有名な話だ。だが、人の嗜好をとやかく言う無粋な人間が少ない上に、誰もが彼らを好ましく思っているので黙認──あるいは祝福──されている、というのが実体であった。
日頃二人の騎士団長はごく自然に振舞っている。
互いへ向ける親愛はあからさまだけれど、そこに性的なものが感じられることは皆無だ。だからフリックは相棒の台詞に初めて行為を連想して凍ってしまったのだった。
「おまえなあ……そういう下種の勘繰りはよせって」
思わず言うと、ビクトールは破顔した。
「お? 何を考えてるんだろうな? おれはあいつらが夜っぴいて組手訓練に励んでいたんじゃないか、って言ってるんだがなあ?」
嘘つけ、と小さく吐き捨てて首を振る。
「おまえの汚れ切った口から出る言葉じゃ、そうは聞こえない」
「そりゃ悪かったな」
豪快に笑ったビクトールだったが、そこではっとしたように目を見開いた。傭兵たちの少し先にまで進んできていた赤騎士団長が、その場にぐったりと踞ってしまったからだ。
与太話を展開していた男たち、だが行動は早かった。脱兎の勢いで駆け寄るなり、崩れ落ちたカミューを支え起こす。
「カミュー! おい、どうした?
気分でも悪いのか」
「しんどいのは腰か!」
「バカモノ!」
傭兵たちが代わる代わる上げる声にカミューは力なく閉ざしていた目を開く。僅かに潤んだ琥珀の瞳がやけに艶っぽく、その方面には触手が動かない筈の男たちをも狼狽させた。
「ビクトール殿、フリック殿……」
掠れた声で儚げに呼ばれ、俄然奮い立つ傭兵たち。何かと面倒見の良いくされ縁の本性が揺り動かされた瞬間だった。
「何があった? 答えられるか、カミュー」
「待て待て、それより医務室だ。おれが背負っていくから、フリック、カミューを……」
「そ、そうだな」
フリックは慌ててカミューを支え上げ、準備万端で待つ相棒の背にもたれかけさせた。常ならばそこで上がる筈の柔らかな拒否や陳謝もなく、カミューは為されるがままに傭兵の幅広い背に納まる。
平穏だった城内を血相を変えて駆け抜けるビクトール、そして彼に背負われた赤騎士団長に必死に呼び掛けるフリックの姿は、さながら出産間近の妊婦を囲む家族のようだった。
城の一画に用意された医務室。
怒濤の勢いで飛び込んだ一行は、穏和な物腰に高度な医術で信頼を集めるホウアン医師に真摯に迎えられた。
診察が続く間、控えていた傭兵たちは気を揉みながら待ち続けた。突然倒れたカミューを案じる気持ちが約七割、あとの三割は『医師に診られたら、ちょっとヤバいんじゃないかな』という下世話な心配。
良心の人・フリックとしては非常に申し訳ない心配の方向でもあった。
やがて診察を終えた医師に呼ばれ、二人は寝台に横たわるカミューに歩み寄った。青白い頬、上掛けに投げ出された細くなったように見える腕に胸を突かれる。
「くそ、いったいどうしたんだ。マイクロトフの奴は気付かなかったのか?」
幾許かの非難を込めて呻いたフリックだが、ビクトールはそんな彼の肩を揺らすことで諫めた。
「こいつは韜晦することに長けてる。おれたちだって結構カミューと付き合いが深い方だと思うが、気付かなかった。責めるもんじゃねえよ」
「だが……」
不満そうに言い返そうとした相棒を遮るようにしてビクトールはホウアンに向き直った。
「……で? どこが悪いんだ?」
日頃の軽い口調もどこへやら、珍しく重々しく尋ねた男にホウアンは束の間口籠った。
「ええ、……問診して、それからお身体の方も拝見したのですが……」
妙に重い言葉尻に二人は焦れた。必死に耐えていたのだろうが、やはり先に限界を突破したのはビクトールである。
「悪いのか? この際、妊娠だろうが驚かねえよ、言ってくれ!」
「……妊、娠って───どうやって」
極めて常識人であるフリックとしては、案じながらも突っ込まずにはいられない。が、同じく世の理を熟知した医師は聞き流すことにしたようで、柔和な顔をやや曇らせながら小さく答える。
「空腹、と…………」
「空……」
「腹?」
気の抜けた声で交互に復唱し、二人は一気に紅潮した。
「空腹って、腹が減る空腹か?」
「んじゃ何か? こいつは腹を空かせてぶっ倒れたってことか?」
「え、ええ……そのように仰ってます」
恐ろしい勢いで詰め寄られたホウアンは後退りながら続けた。
「何でも、かれこれ六日前の夜から何も食べていらっしゃらないと……」
罪もない医師を詰問する姿勢を取っていたことに気付いた二人は、そこで漸く乗り出すのを止めた。
「取り敢えず、トウタに消化の良さそうなものを用意させましょう。ええ、そうしましょう」
今できる医師のつとめを果たそうとする気構えか、あるいはよほど傭兵たちの勢いに怯えたのか。ホウアンは寝台横を擦り抜けて急いで部屋を出ていった。
残された二人は深々と考え込んだ。最初の驚愕が過ぎた後に残るのは、ただただ疑問ばかりである。
「何でまた……減量でもしてやがったのか、こいつは?」
「減量が必要なのはビクトール、おまえだよな」
「喧しい」
言い合いながらも首を捻る。
赤騎士団長カミュー、類稀なる美貌を持った奇跡の騎士。優美で繊細な体躯は剣士としては寧ろ細身で、そこに減量が要される筈もない。
一応口にはしてみるものの、彼が自ら食を絶ったとは思い難く、ならばやはり何らかの異変が起きたのだと結論づく。傭兵たちは横たわったままの青年を覗き込み、追い詰められた理由を様々に思案した。
「心配事でもあったんじゃないか」
「……だな、有り得るぜ。思い詰めるタチだしな、カミューは」
この、常に穏やかで優しげな仲間が食も通らぬほどの苦悩を抱えているのかと思うと胸が掻き毟られるようだ。二人は既に保護者の気分であった。
突き刺さるような視線を感じたのか、やがてカミューがゆっくりと目を開けた。緩やかに巡る瞳で一同を捉えるなり、弱い笑みを浮かべる。
「ああ……申し訳ありません、ご面倒をお掛けして……」
変わらぬ礼節に首を振った二人が身を屈めて笑い返した。
「気にするな、仲間じゃないか」
「そうそう。それより、どうしたよ? 言えることなら言ってみな、力になるぜ」
すると、堪えていたものが切れたのか、カミューは痛ましく顔を歪めた。再び閉ざされた目蓋が震え、澄んだ涙が一筋伝い落ちる。見慣れぬ涙からそっと目を逸らしてビクトールが重ねて問うた。
「飯を食っていないそうじゃねえか、体調の所為か?」
いえ、と小さく返してカミューは微かに首を振った。
「そういう訳ではないのですが……」
「喉を通らないのか?」
今度はフリックが尋ねる。それには弱い同意が示された。
「心配事があるんだな? おれたちで良ければ聞くぞ」
そこまでくるとカミューは色を失った唇を震わせながら上掛けを引き上げて顔を隠した。耐え切れず零れ続ける涙を見られたくないのだろうと理解した男たちは、更に優しく言い募る。
「一人で悩んでいても良いことはないぞ?」
「マイクロトフと喧嘩でもしたのかよ?」
気を楽にさせようと冗談混じりに言ったビクトールだったのだが、その刹那、上掛けに覆われた身体がはっきりと戦慄いた。
思わず顔を見合わせてからフリックがおずおずと切り出す。
「マイクロトフ、……なのか? 原因は」
「………………」
「いいぜ、言っちまえ。おまえら、睦まじい関係なんだろ? 今更隠さなくてもバレバレだぞ」
「ビクトール、おまえなあ……そういう言い方は……」
「だがよ、こりゃあ痴情の縺れってヤツじゃねえか。こちとら知ってるから照れることなく打ち明けろ、って細やかな気遣いだぜ」
同意すればいいのか、はたまた遮るべきか。フリックが頭を抱えそうになったとき、押し殺したような声が呟いた。
「もう……駄目なのです」
密やかな啜り泣きを伴った一言に二人は強張った。
「もう、マイクロトフはわたしのことなど───」
驚きのあまり暫し固まったビクトールが、かろうじてフリックに笑い掛ける。
「ほ、ほらな。やっぱり痴情の縺れだったじゃねーか」
「馬鹿っ!」
ポカリと相棒の頭に拳の一撃を見舞い、フリックは呆然とした。
青騎士団長マイクロトフ。
誠実に服を着せたような男が、得難い伴侶──同性だけれど──を持った男と密かに羨望されている彼が。
この美しい青年をこうまで嘆かせているうのか。
誇り高き赤騎士団長を儚げな乙女もどきに悲しませているというのか──
言葉もなく見守る男たちの視線の先、カミューは切なげに嗚咽を洩らすばかりであった。
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