それまで与っていた第五部隊の騎士らに晴れがましい祝福を贈られ、新たに配下となる第三部隊からは丁重な礼をもって迎えられ、カミューは着実に部隊の引き継ぎを進めていった。
第五部隊を指揮することとなったのが懇意のローウェルであること、また第三部隊長前任者が全幅の信頼によって彼自身を指名したユルゲンスであることが、ことの運びを円滑に導いている。
この時期に進退を定めたことはユルゲンスの慧眼と言えた。他部隊においても、ほぼ部隊長が総入れ替えに近い状態である。平時でなくば相当の混乱を招いたに違いない。
ミューズ市にて開催される恒例のジョウストン丘上会議に参席するため、各騎士団の長である三名がロックアックスを経つ頃には、ほぼ刷新された指揮体制が行き届いていた。
位階の変動がなかった第一・第二隊長はさておき、第四隊長ニールの荒れようは誰の目にも明らかだった。無理もない。順当にいけば掴んでいた筈の地位を思いがけず横から奪われたのだから。
しかし、珍しいこととは言え、今回のような人事は決して考えられぬ事態という訳ではない。騎士らは決して憐れみで彼を見てはいなかったのだが、当のニールには腫れ物に触れるような扱いが耐え難かった。
───何故、わたしが。
あの若者は確かに晴れがましいはたらきを為している。けれど、日々誠実につとめを果たす己に、たまたま活躍の場が与えられなかっただけではないか。
十も年下の青二才に位階を飛び越えられた無様な男と、誰もが笑っている気がする。
否、笑っているのだ。
だから彼らは票を投じた。あの男に地位を与えることに味方したのだ───
城内に与えられた個室にて、ニールは幾度も吐き気を伴う憤りに苛まれた。
日に日に落ち窪んでいく目に周囲は不穏を覚えたが、ある日を境に彼の態度は一変した。さながらすべてに吹っ切れたように、以前のような誇り高い騎士隊長が蘇ったのである。
その変貌はあまりに唐突で、半ば奇異すら感じさせた。けれど、やがて騎士らは認めた。ニールもまた、剣と誇りに身を捧げた男。つまらぬわだかまりを捨て、カミューの実力を認めるところまで己を昇華させたのであろう、と。
カミューも態度を豹変させた男に戸惑いは隠せなかった。しかし、中央会議で洩らした誹謗を丁寧に陳謝され、今後とも宜しく頼むと笑顔を向けられれば頷くより他にない。
表向き平穏を取り戻した赤騎士団は、団長を欠いた日常を穏やかに過ごし始めていた。
「カミュー!」
廊下で明るく掛けられた声に振り向いたカミューは、溢れんばかりの親愛を浮かべて早足に追いつく友に目を細めた。
所属の異なる彼らが城内で偶然に出会うことは稀だ。この勢いからして、相当探したに違いないと思うと微笑みが洩れる。
一方のマイクロトフは親友が非常に目立つ存在であることに感謝しながら息をついた。赤騎士団が本拠とするロックアックス城西棟でカミューを探そうと思えば、あたりの赤騎士に声を掛ければ大抵返答が貰えた。敢えて注視を払わずとも、何時の間にか人々の目に焼きつく鮮やかな存在感───それが友の姿なのだ。
「どうした、何か用かい?」
礼節から廊下を走るに至らなくても、早足はだいぶきつかったようだ。マイクロトフは暫し息を整えるために肩を揺らしていた。
「今夜は夜勤か?」
「いや……違うけれど」
「じゃあ、うちに来ないか?」
照れたように頭を掻いて、若々しい頬を紅潮させる。
「叔母上のご実家から珍しい果物が届いたんだ。おまえにも是非、と……」
それは、と微笑みかけてからカミューはやや表情を曇らせた。
「……生憎と先約があるんだ」
「そうなのか……?」
みるみる消沈するのを見かねて、宥めるように友人の腕を叩く。
「すまない、マイクロトフ」
「あ……いや、別に謝ることでは……その……」
らしくない口篭もり方に察するところがあった。カミューは笑いながら首を振る。
「おまえ、何か思い違いをしていないか? 先約と言ってもレディではないよ」
「そ、そうなのか?」
マイクロトフは、類稀なる容貌を持つ親友が城下の乙女の陶然とした思慕にさらされていることを知っている。周囲に噂されるほど奔放な質ではないかもしれないが、それでも彼はカミューの周りに複数の乙女を思い浮かべることが出来た。
自分の誘いが乙女との逢瀬に退けられるのは何故かひどく切ないマイクロトフだ。だからこそ、軽く告げられた言葉にぱっと顔を上げた。
「……相当わたしを誤解しているようだね。この忙しい時期に、レディのご機嫌伺いなどしていられないさ」
「ご機嫌……伺い?」
その一節は柔和なカミューにそぐわない気がして、思わず聞き返す。彼は嘆息気味に肩を竦めた。
「つとめだけで手一杯だよ。この上、レディ相手に労力を割きたいとは思わないね」
「…………カミュー……」
まったく妙なことを聞いた、といった風情でマイクロトフは顔をしかめる。口に出た問いはおずおずと心情を量るような調子だった。
「その……女性と会うのは、心を休めるため───ではないのか?」
恋愛経験に乏しい男としては、聞かずにいられないといったところなのだろう。申し訳なさそうな疑問は、だが同時にカミューをも瞬かせた。
「労力などと言ったら、カミュー……課せられたつとめのように聞こえるのだが」
そんなことはない、と言い掛けてカミューは口篭もった。否定し切れぬ自身を悟ったのだ。
無論、付き合いのある乙女との逢瀬を義務だなどと思ったことはない。けれど、こうしてつとめに疲弊した身を押してまで顔を見たいと切望する相手がいないことも事実だった。
まったく突然、思い至りたくもない真実に向き合わせた男に苛立ち、彼はついと顔を背ける。
「大きなお世話だ。親しいレディの一人もいない男には分からないことさ。放っておいてくれ」
「あ、ああ……そうだな、すまない」
子供染みた厭味に懇切丁寧に頭を下げるマイクロトフは、そこでもカミューの意表を衝く。居心地の悪さに耐えかねて早々に話題を切り上げようとした。
「とにかく……すまない。また近々お邪魔するからとお伝えしてくれるか?」
「ああ、わかった」
明るい調子に戻った友に安堵したのか、マイクロトフも微笑みを取り戻した。それからふと思いついたように零す。
「女性でないなら……誰と会うんだ?」
あくまでも優先する約束が気になってたまらないらしい友にカミューは苦笑した。別に隠すわけでもなし、と思い直して口を開く。
「第四騎士隊長ニール殿の屋敷に招かれたんだ」
「第四……?」
ああ、と頷いて続けた。
「少し前、ちょっとした行き違いがあってね。詫びをかねて、ということで晩餐に招待されたのさ」
それからカミューは自身よりも長身の体躯に身を寄せる。突然の密着に、束の間息を殺して強張ったマイクロトフの耳元を甘い声が掠めた。
「正直なところ、これも面倒には違いないのだけれど……すべては穏便に事を済ませるための労力というものだ。という訳で、そろそろ行かなければ……またな、マイクロトフ」
そうして踵を返して遠ざかる親友にマイクロトフは小さく嘆息した。
耳に吹き込まれた吐息は熱かった。その熱に不必要に動揺している我が身を訝しく思う。
「親しいレディの一人もいない、か───」
茫として呟いてみる。
そうした乙女を得たならば、今よりも親友の心を量れるようになるのだろうか。そんなことを思いあぐねながら、若き青騎士は自部隊の詰め所への道を歩き出すのだった。
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