愛が試されるとき・4 ──淫獣の囚われ人──
「ほら、見てみろよカミュー。『騎士の像』だ。ネクローディアから狩ったんだ。珍しい品だそうだぞ、こんなものはロックアックスにはごろごろしていたがなぁ」
朗らかな声が覚醒し掛けていたカミューを呼んだ。
いつ入ってきたのか、マイクロトフが部屋をうろついている。咄嗟に震えが走ったが、その表情を見て息を抜いた。
──────マイクロトフだ。
「あまり昼間寝ていると、夜に眠れなくなるぞ。今日はな、フリード・Y殿やギジム殿たちとティントの坑道に行って来たんだ。みな、あの少年が戻るまでに生活の資金を稼いでおこうという魂胆らしい。おれも人のことは言えないが」
笑いながら彼はカミューのベッドサイドに『騎士の像』を置いた。少しでもカミューの気持ちを引き立てようとする不器用な優しさなのだ。交易所に持っていかずに真っ直ぐここへ持ち帰ったことが、彼の誠実さの現われのようだった。
「マイクロトフ…………、その……」
「ああ、何だ? 身体の調子か────ならば全く問題ない。むしろ前より身が軽くなったような気がする。あの紋章、結局何だったのかわからないが、魔法の使える代物ではないようだ。宿すと体力がアップするというものなのかもしれないな」
「マイクロトフ、そうではない」
彼は両手で顔を覆った。
「────そうではないんだ…………」
「カミュー?」
マイクロトフが屈み込んでその手を外そうとする。が、弱く抗うカミューに無理をしようとはしなかった。
「どうしたんだ、おまえ…………朝からおかしいぞ? まだ怒っているのか?」
「…………違う……」
「そうだ、少し待っていろ。食べ物を貰ってくる。レストランは閉まっているかもしれないが……何か残り物くらいあるだろう」
「マイクロトフ、待ってくれ」
「すぐ戻る。食べながら話そう」
どうやらマイクロトフは朝からカミューが何も口にしていないのを気にしていたのか、呼び止める声を振り切って出て行ってしまった。残されたカミューは追い掛けることも躊躇われて深い溜め息を吐いた。
マイクロトフの心遣いは嬉しい。
昨夜、同じ顔に侮蔑を吐かれ、暴力を振るわれたとあっては尚更強くそう感じる。だが、折角の夜食もおそらく無駄になるだろう予感があった。
空腹を感じていないわけではない。
朝からだけではなく、正確にはマイクロトフが倒れてからずっと、ろくに物が食えなかった。ビクトールらの行為を無駄にしてはと運ばれるトレイに向かっても、結局は大半が密かに処理されていたのである。
マイクロトフの存在の大きさを思い知った。
彼なくては生存本能さえ揺らぐほど、心のすべてが求めている。
眠り続ける男を見詰め、カミューは生まれて初めて神にさえ祈ったのだ。
それなのに────
予想をはるかに上回る悪しき結果に、今度は説明に悩んでいる。
魔に支配されて、意識のないままカミューを犯したなどと知れば舌を噛み切りかねない。マイクロトフはそうした男なのだ。
──────たとえその凌辱で、どれほどカミューが歓喜したとしても。マイクロトフが出て行ってからしばらく考え込んでいたが、その戻りが遅いのに次第に不安を募らせた。レストランが閉まる時間、その言葉の持つ意味に気づき始めたのである。だるい身体をおして窓に歩み寄った。カーテンを開けて、月の位置を確認しようとしたときに扉が開いた。
「待たせたな。ハイ・ヨー殿ときたら、軽くて構わないと言ったのに、いきなり肉まで焼き出して…………おまえには卵雑炊を貰ってきた」
入ってきた男は、テーブルに大きなトレイを置いた。たっぷりした湯気が上がっている。どうやら城の料理人は、上得意である二人の為に腕を振るってくれたらしい。
「こっちへ来たらどうだ? 美味そうだぞ」
男がこだわりなげに言う。誘われるように一歩、二歩と足を踏み出したカミューだったが、ふと足が竦んだ。
トレイには湯気の立つ椀の他に、皿に盛られた骨付きの肉が乗っていた。男がその一つを取り上げたのだ──────それも、無造作に手掴みで。
マイクロトフは確かに礼儀作法に関して優雅とは言い難い男だ。しかし、地位ある騎士として最低限のマナーは弁えている。
白い手袋はたちどころに油に汚れた。
だが、もっと恐ろしかったのはその口元であった。
あるいはそれは、『美味そうに』と表現される食べ方だったかもしれない。けれど手掴んだ肉を、まるで食い破るかのごとく咀嚼する様は、あたかも獰猛な肉食獣そのものである。
口元もべったり油に濡れて光り出した。その油を唇から覗いた舌が忌まわしく舐め取るに至って、カミューは背筋が凍るほどの衝撃を受けた。
慌てて振り返り、改めてカーテンを引く。漆黒の闇に浮かぶ明るい月は、まさに天の中央に位置していた。
「────どうした、食わないのか? 生もいいが、焼いた肉というのも悪くない………………」
しゃぶるように骨を舐めていた男が、続いてバリバリと骨を噛み砕いた。その音は静かな室内にひどく大きく響いた。
「マイクロトフ────」
────ではない、と認めざるを得なかった。それでも呼び掛けずにはいられなかったのだ。思いも空しく、魔物はゆっくりと不吉な笑みを広げていった。
「……何を話そうとしていたのだ、人間?」
嘲笑を込めて淫獣は問う。カミューはびくりと戦いた。
マイクロトフは意識のない間のことは何も覚えていない。だが、この魔物は違うのだ。今し方、彼が魔の存在を打ち明けようとしたことを知っている───「愚かなことを。人ならぬものがその身を使っている、そして昨夜、その魔性に抱かれてよがり泣いた──────とでも?」
「黙れ!」
最初から痛いところを突かれて憤怒に青褪めた。彼の憤りをよそに、淫獣オーランドは次の肉にかぶりついた。
「……感謝して欲しいものだ、あの料理人を殺さず見逃してやったのだから」
陰惨な屠殺を見ているようだった。慕わしい男の唇が浅ましく肉に食らいつく。獲物を引き裂く獰猛なトラのように。
「────まあ、見逃してもやろう。なかなか良い味だ…………」
くっくっと笑って肉を飲み込む淫獣は、もうどうやってもマイクロトフには見えない。飢えた獣という以外、形容のしようがないのだ。
「良い味と言えば…………おまえも相当なものだった。吾を咥え込んで散々鳴いたな」
「い、言うな!」
「しまいには自ら腰を使っておった…………情人には満足させてもらっておらぬようではないか。まったく哀れなことよ」
「やめろ────やめろ!!」
両手で耳を塞いで叫んだ。
淫獣の言葉はいちいち胸を突き刺す糾弾だった。誰よりカミュー自身がそれを呪わしく思っているのだ。
「────マイクロトフの身体だからだ、マイクロトフの匂いだったからだ! でなければ誰が…………っ」
「言い訳か、それも良かろう」
淫獣は淫らな口調で囁いた。はっとしたときには魔物はカミューの目前に迫っていた。口元は肉油に光っており、それよりももっと光る二つの眼はガラス玉のようである。
「────ならば、今宵も良い声で鳴け」
「!!」
油にぬめったくちづけに襲われる直前で、カミューは身を翻した。丸一日たっぷり休養を取ったためか、昨夜よりは動きが軽い。捕らえ直そうとした淫獣の手を掻い潜り、ユーライアを抜いた。
「わたしに触れるな!!」
毅然とした意志だったが、微かに声は震えた。自分が剣を向けている相手がマイクロトフの姿をしていることに吐き気を催す。二度と彼を裏切りたくない。だが、そう思う一方で本気で向かってこられたらどうすればいいのか、不安が過ぎる。おそらく────
マイクロトフを斬ることなど出来はしない。
彼を傷つけるくらいなら自分が切り裂かれる方がましだと感じる。マイクロトフが常日頃言っている言葉は、カミューの決意でもあるのだから。思いに振り回されながらも必死の拒絶を示す彼に、淫獣は面白そうな目を向けた。
「吾を斬ると?」
次第に笑みが大きくなる。
「……吾を斬っても何の得にもならぬぞ。おまえの情人が傷つき、死に至るのみ。手に入れた理想の『器』だが、瀕死となれば捨てるしかあるまい。そうなったら────そう、あのビクトールとかいう男にでも取り憑いてやろう。そうしてまた、おまえを犯すだけのこと」
「────何故だ!」
苦悩に襲われカミューは叫んだ。
これだけ大声で叫んでいれば、外にいる騎士の一人も飛び込んできそうなものだ。誰も反応しないところを見ると、昨夜はあっさり言いくるめられたが、どうやらこの室内はある種の結界に封じられているらしい。
それに思い至り、カミューは口調を静めることを放棄した。
「どうして────何故、わたしを!」
「何故────、だと?」
その問いは、淫獣オーランドの意表を突くものだったらしい。恋人の顔をした魔物は、心底怪訝そうに自問しているようだった。しかし、そのうちに面倒だとばかりに軽く首を振ると、カミューを睨み付けた。
「────くだらぬことだ。四百年ぶりの人肌、しかも具合が良かっただけのこと。つまらぬことを言うと、今宵は楽しませてやらぬぞ」
伸びた手が服を掴もうとする。カミューはまたも寸前でそれをかわした。次には怒りを込めて剣を構え直した────────が。
「……怒らないでくれ、カミュー……──」
不意に柔らかく声が響いた。深く温かな低音、それはマイクロトフの口調。常にカミューの機嫌を思い遣り、その笑顔の為に如何なる苦労も惜しまなかった愛しい男。
「…………マイクロトフ……?」
気が緩んだ。
ほんの僅かに傾いた剣先を潜り抜け、大柄な身体が懐に飛び込んでくる。はっとしたときには遅かった。剣を握る手首を捩じ上げられ、引き寄せられていた。
騙されたのだと悟ると同時に、激しい怒りが身を駆け巡った。
この魔物は人の弱みを知っている。必死に求めるものをちらつかせ、それを利用する────。
怒りは抑え難く膨らみ、締め上げられる痛みにも関わらずユーライアを離せなかった。
「……よいのか、この男がどうなろうと?」
淫靡な声が脅した。
「……おまえが素直にならぬなら、吾はこの大剣を抜いて部屋を出る。そこらの人間を片端から斬り捨てて行く。首を刎ね、内臓を抉り、血肉を啜ってやる。そのうちに誰かが、狂った男の魂を救うなどと理屈をつけ、おまえの情人を殺すことになるであろう。それでも構わぬか、人間よ?」
カミューは驚愕して目の前の男を見詰めた。
「────それとも、この場でおまえが情人にとどめをさすか……?」
淫獣オーランドは笑い続けた。カミューの手は大きく震え出し、ユーライアが壁に擦れて嫌な音を立てた。
「出来るか。おまえは幾度この男に抱かれた? 『器』は誰よりもおまえを想っておる。カミュー、おまえを苦しめるものは許さない、おれが必ず守る、常に心で叫んでおるわ」
「あ────────」
「カミュー、おれの『ただひとりの相手』。おまえと一緒に生きていく。生涯おまえと背中を合わせて戦い抜く、それがおれの騎士の誇り」
「……ああ────」
目を閉じてしまえばマイクロトフの誓いだった。
嘲笑う調子を消して淡々と言葉だけを紡げば、それはいつも恋人が耳に囁いてきた不器用な愛の言葉だった。
「好きだ、カミュー。おまえを一生離さない……おれを殺さないでくれ、おまえの手によって死ぬのは耐えられない…………」────違う。
あいつはそんな懇願などしない。そう叫ぶ理性が何処かにあった。
だが、そこまでだった。
力を失った手からユーライアが落ち、乾いた音を立てた。
「マイクロトフ…………ああ…………」
弱い啜り泣きを洩らすカミューを、淫獣はしばらく無言で見下ろしていた。その表情は優越と嘲りを同時に浮かべていた。
腕の中でなすすべもなく震えている青年を、淫獣はおもむろに張り飛ばした。すでに抗う気力もなく、打たれた頬を押さえもせずにカミューは倒れ込んだ。
魔物はその胸倉を掴んで引き上げると、更に二度、三度と殴打を繰り返し、ほとんど本能的に避けようと上がった右腕を掴む。
「────ッ!!」
声にならない悲鳴が噴き出した。淫獣の手によって力任せに引かれた腕が、肩から外れたのである。カミューは苦痛に歯を食い縛った。
騎士として拷問の訓練も受けている彼は、淫獣が望んでいたほどの反応を見せなかった。額に脂汗を浮かべながらも、うめき声ひとつ洩らさない。
それが気に障ったのか、淫獣は反対の腕を掴んだ。魔性の両手に握られた肘から少し下の辺りに圧力が掛かる。それは次第に右肩の痛みを上回り始め、カミューは逃れようと身じろいだ。
しかし続け様に襲い掛かった激痛がそれを許さなかった。
淫獣の人間離れした凄まじい力が、小枝を折るように左腕を圧し折ったのだ。
「………………!!」
今度は衝撃を殺し切れなかった。解放されると同時に彼は床に転がった。苦痛は吐き気を伴い、のた打ち回って痛みを紛らわせる以外ない。
狂態を見下ろす男の影、すでに霞んでいる目にはマイクロトフの顔しか見えない。
愛する男に与えられた激痛、しかも苦悶する己を冷たく見詰めている二つの眼。肉体の苦痛を凌駕する胸の痛みに全身が冷えた。
淫獣の手が無造作に彼を捕らえた。ほとんど動きのとれぬまま、カミューは必死に身を引いた。魔物は無言で行動を続けた。突き飛ばされた先はベッドだ。カミューは絶望に喘いだ。
昨夜の淫らな仕草とは打って変わった獰猛さで、淫獣は獲物の裸体を暴いていく。荒い動きで左腕に刺激を加えられると掠れた悲鳴が零れた。
「────案ずるな」
しばらくぶりに発せられた声は、薄気味悪いほど優しげであった。
「夜明け前には元に戻してやろう。気づいたであろう、昨夜の傷が残っておらぬことを。 夜の間にどれほどの傷を得ても、おまえの痛みは誰も気づかぬ。おまえの恋しい男でさえ────」
穏やかな声に秘められた残忍さ。
もはや何も答えられないほど困憊していた。
終に全裸に剥かれ、荒々しく脚が開かれる。逞しい腕に抱え上げられた脚の間に割り込んできた獣が、文字通り生きたまま彼を引き裂いた。
何の準備もなく猛った欲望に刺し貫かれても、もう叫ぶことも出来なかった。
覆い被さった獣のくちづけに口腔を蹂躙される。
下肢の激痛は昨夜とは比較にならなかった。今宵、淫獣は彼を悦ばせるつもりがないのだ。反抗した獲物に加える制裁とばかりに、惨いばかりの抽挿を繰り返す。許してくれ、やめてくれ────
しまいには矜持もなく懇願した。
潤む目にはマイクロトフの顔が映る。よくよく見れば、その冷酷な表情にあの朴訥な恋人の面影など一切ないのに、朦朧とする意識にはそこまでの判別が出来ない。
最愛の男の手で破壊されていく、そうした錯覚が脳裏を過ぎっていった。
獣は哀願の欠片も受け入れようとはしなかった。叫びが訴えるたび、むしろ満足を深めていくようであった。
極限まで押し広げられた脚が細かく痙攣する。
さながら断末魔の苦悶を示すカミューに頓着することもなく、己を突き動かす衝動だけに動く獣────「────壊してやる」
舌舐めずりながら呟き、淫獣は追い込みに入った。
「おまえを壊してやるぞ……!!」
「────マイクロトフ────!!」
最後に縋れるのは、その名ひとつだった。
容赦なく揺すぶられながら、意識を失う最後の瞬間までカミューは恋人に救いを求め続けていた。
少々いたたまれない展開となって参りました(死)
この話を作った頃、
非常にS嗜好状態だったので……(斬首)「やるからにはトコトンさね〜〜」
と鼻歌混じりに書き上げた結果がこれとは……
打ち首獄門!!って感じ?さて、未だに青は気づかない……とほほな奴。
ま、最後は大団円ですので平にご容赦。