愛が試されるとき・12 ──淫獣の囚われ人──


 

目の前で展開する死闘を凝視しながら、カーンがルックに耳打ちした。
「彼らだけに任せるわけにいかない。ここから支援出来ないだろうか?」
「……攻撃魔法が取り込まれるんじゃね。防御魔法を使おう」
「ならば『土の守護神』を」
カーンは続け様に『大地の紋章』を唱えた。みるみる二人の防御力がアップする。
「おう、ありがてえ!!」
ビクトールが怒鳴って淫獣に斬り付けるが、明らかに力で押されている。同盟軍屈指の戦力である二人が、さながら赤子のようにあしらわれているのである。
次第に淫獣は剣だけではなく、拳や足を使うようになっていた。まるで自らが得た肉体の持つ力の限界を試すかのような攻撃。まったく予期しない方向から飛んでくる殴打や蹴りに、二人はあちこち痛めつけられている。
「────見てられないね」
憮然と呟いたルックが、幾度目かの回復魔法を唱えた。
「……ぼくは『蒼い門』、『流水』、『風』」
「わたしが『破魔』、『大地』、『雷』────」
「攻撃魔法が取り込まれるなら、もっと回復に重点を置くべきだったかもね」
ちらりと戦況に目を戻した少年は、またも面倒臭そうに『優しさの流れ』を唱えた。ぼろぼろになっていた二人が精気を蘇らせる。だが、淫獣が回復の術を持っているのでは堂々巡りだ。強力な攻撃魔法が無効では、淫獣の動きを止めることも出来ない。
ルックの苛立ちを察したカーンが提案した。
「……『破魔』の魔法はどうだろう? アンデッドなら効果があるかもしれない」
「どうかな────やるだけやってみるかな。こっちに戻ってきたときのために、『守りの天がい』をかけてからにしてよ」
「わかった」
彼は少年の指示に従った。まず、『守りの天がい』を敷き、それから得意の『破魔』を唱える。彼から飛び立った凡字の文様が正確にマイクロトフの身体を包囲し、衝撃を与えた。それでも、淫獣は微かに顔をしかめただけだった。
「駄目か────どうやら奴自身も、ある種の結界を持っているようだね」
「結界を……?」
「存在そのものの周囲にめぐらされる類の、ね。魔物と人間の合体によって、特殊な能力が生じているみたいだ。こんなモンスターは見たことがないだろう?」
「確かに────属性があるようでもないしな……」
「困ったね」
淡々と事実を指摘するルックに、ビクトールが喚いた。
「おいこら、ルック!! 何が『万一の時には縄で引っ張れ』だ!! こいつはただの牛じゃねーじゃねえかよ!!!」
「────猛牛並みだな」
ぺっと血反吐を吐いたフリックが同意する。
劣勢の只中にあっても、そんな軽口を忘れない二人に諦めの色はない。最後まで希望を捨てずに立ち向かう連中だったからこそ、文句を言いながら協力してきたルックである。
少年は苦笑しながら返した。
「まあ、つべこべ言わずに頑張りなよ。こっちも色々考えているんだから」
「……言われなくてもやるけどよ、ったく…………何だってよりによってマイクロトフなんかに取り憑いたんだ。始末に負えねーぞ」
「ただでさえ馬鹿力なのが倍増だ」
淫獣はそれを聞くなりほくそ笑んだ。
「……吾が得た最高の『器』、そして────最高の情人。邪魔はさせぬ」
目にも止まらぬ速さの剣が、寸前でかわしたフリックの体勢を崩す。そこへ激しい蹴りが飛んできて、懐を直撃した。
「ぐッ……────」
フリックの口から大量の血が飛び散った。あるいは内臓を痛めたのか、思わず腹部を押さえて蹲った彼を、容赦なく淫獣が踏み付けた。
「────野郎ッッッ」
背後から飛び掛ったビクトールだが、振り向きざまの拳の一撃を浴びて、弾き飛ばされた。淫獣はフリックの右手首を踏みつけたまま、朗らかに言った。
「なかなか楽しめたぞ、人間にしては健気に戦ったものだ。だが、もう飽いた。終わりにしよう」
ダメージから立ち直れずにいるフリックの喉元に、冷たい剣先が押し当てられた。ルックが再び回復魔法を施したが、手首を踏む足は磐石の重みをもって解放を許さない。ビクトールもまた、相棒の喉に当てられた剣に身動きが取れなくなった。
「────さあ、如何なる死を望む? あっさり首を落とすが良いか、腹を裂いて中身を取り出すか?」
「…………どっちも辞退するぜ」
血塗れた唇でフリックがうめく。
「そう────貴様の喉首を裂いたところで、『器』の意識を呼んでやるとしよう。あるいは狂うやもしれぬなあ…………」
楽しげに笑った淫獣の言葉に、ビクトールははっとした。
「マイクロトフ!」
彼は声を限りに叫んだ。
「マイクロトフ、戦え! これ以上、奴に好きにさせるな! カミューを救うんだろ!!!」
淫獣は侮蔑を込めてビクトールを見る。
「無駄なことを。『器』には何も聞こえぬ、何も見えぬ。吾が拘束を解いてやらねば……────」
言いさして、ふとぎょっとしたように淫獣は口を閉ざした。その右手がのろのろと上がっていく。
最初、新たな技を繰り出すのかと息を殺したビクトールだった。だが、その手が剣を握る左手を掴もうとしているのを見て、喜色に輝いた。
「そうだ! マイクロトフ、おまえの誇りに賭けて戦うんだっっ」
「な、何だと…………?」
初めて魔物の顔に動揺が走った。信じられないものを見る目つきで、己が左手を掴む右手を凝視する。
「今だよ、フリック!」
ルックの声に励まされ、フリックは全身をバネにして獣の拘束から逃れた。そのまま転がって距離を取り、痛めつけられた右腕を擦る。
「……どういうことだ、これは?」
彼の疑問にビクトールが得意げに吠えた。
「愛の奇跡、ってヤツだな! 今だ、フリック。奴を止めるぞ!!」
「あ、ああ!」
「────恥ずかしい台詞を言うよ、あのクマ」
ルックがぽつりと呟いた。
再度クロス攻撃を仕掛けた二人を迎え撃とうとした淫獣だが、右手に捕まれたままの剣は思うように動かない。攻撃はまさに魔物を捉えた。
「お、おのれ!!」
初めてダメージを食らったオーランドは、直ちに回復の術を施した。怒りに形相が変わっている。
それでもまだ、獣の力は二人の戦士を上回る。押し止めようとする右手ごと振り回される剣は、相変わらず二人を寄せ付けず、逆に傷つけるばかりだ。
「マイクロトフ、頑張れ!!」
蹴り倒されたビクトールが、頭上に落ちてくる剣の向こう、男の右手に向かって怒鳴る。途端に振り下ろす剣の速度が鈍る。確実にマイクロトフの意思がそうさせているのだ。
「ビクトール、左だ! 左腕を狙え! 剣を落とさせるんだ!」
「おうよ、わかってるって!!」
こうなったら破れかぶれだ────ビクトールもまた拳を使って男の左腕を殴打する。が、さすがに淫獣はびくともしない。逆に勢いをつけた肘打ちを食らって吹っ飛んでいく。
「……何とか出来ないものだろうか。このままでは勝負がつかない。彼らもよくやっているが、動きが鈍くなってきている────」
カーンが不安そうにルックを見た。少年も頷く。
「もう少し……もう少しマイクロトフが自分の身体を使えればなあ。言ってもしょうがないけどね」
「ああ、彼は善戦している。あれだけの魔力を秘めた魔物は見たことがない。その支配を振り切って意思を示すなど、考えられない」
「────あんたが呼んでやれたらいいんだけどね…………」
ルックは大きな人形のように立ち尽くす背後のカミューを残念そうに見遣った。カーンははっとして提案した。
「……彼を前に出したらどうだろう?」
「何だって?」
「少なくとも、確実にマイクロトフさんの視界に入るところまで」
「馬鹿。第一、言ってたじゃないか。マイクロトフには何も見えない、聞こえないって」
「しかし、ああやって魔物に抵抗している。まるで意思がないわけではない。あるいは見えるかもしれない」
「…………危険だよ」
「奴はカミューさんを殺したいわけじゃない。意のままにしたいだけだ。危険というなら、今はあの二人の方がよほど危険だ」
ルックが目を向けると、またも血反吐を吐いて倒れ込むビクトールがいた。
「……回復にも限度がある。疲労は確実に蓄積している。魔法を必要とする時間がどんどん短くなっているのは気づいているだろう、あなたも」
────わかっていた。
回復魔法も無限ではない。魔力に秀でたルックだからこそ数多く使える魔法だが、手持ちの回復魔法も粗方消費している。フリックが風の魔法を持っているが、あの有り様では術を唱える暇もなさそうだ。
そして何より、傷は癒せても体力的な衰えは癒せない。魔物がどういう種の回復の術を持ち合わせているとしても、やはり先に限界が来るのは生身の人間であるこちらだろう。
「────カミュー、行くよ」
少年は背後を振り返ってカミューを呼んだ。虚ろな視線は戦況を通り越したまま。腕を取られた彼は一歩を踏み出す。
「……まだ『守りの天がい』は活きている。結界の外にいれば、淫獣の暴力は手出しが出来ない」
「…………そう願いたいね」
二人はゆっくりとカミューの歩調に合わせて結界を目指し始めた。
最初に気づいたのはオーランドだった。マイクロトフの顔をした魔物は、顔中に淫らな歓喜を浮かべた。
「────吾の贄…………────」
「バッ、バカ!! ルック、カミューを引っ張ってくる奴があるか!!」
怒鳴るビクトールに、高らかな声が応じる。
「あんたらに任せておいたら朝が来ちゃうよ」
それから彼は淫獣を睨み据えて叫んだ。
「マイクロトフ! 何やってるのさ?! さっさとそいつを追い出して、あんたの手でカミューを抱き締めてみたら?!」
はたと魔物が瞬く。右手が再び応えるように剣をもぎ取ろうと動き出したのだ。
「こ、この……────」
ここへきて、オーランドははっきりと感じた。『器』である青年の強固な意思が、自らの拘束を振り切って駆け出そうとしているのを。憤激に染まった顔で、魔獣は吠えた。
「────図に乗るな、愚かで無力な人の分際で!! 追い出されるのは貴様の方だ!!!」
淫獣は凄まじい勢いで右手を蹴り上げた。傍で見ている男たちには、魔物が自らを傷つけ始めたようにしか見えない。幾度目かの蹴りで流石に力を弱めた右手が、ふわりと宙に舞った。獣は躊躇なく、その掌の中心にユーライアを向けた。
「消えろ、人間!!!」
白刃がざっくりと右掌を串刺しにした。びくりと強張った右手は剣に突き刺されたまま力を失い、指が弱々しく垂れ下がる。
「小賢しい真似を…………」
マイクロトフとの精神下での戦いは、二人の戦士との肉弾戦以上に淫獣を消耗させたらしい。ぜいぜいと肩で息をついていることから見ても明らかだ。
「く、くそ…………駄目か……」
初めてフリックが絶望のうめきを洩らした。
オーランドが剣を引き抜くと、鮮血を迸らせた右手は芯を失ったようにだらりと身体の横に落ちた。
淫獣はゆっくり身体の向きを変える。一歩、また一歩と結界の縁に向かって歩み出す。その前には、呆然と立ち尽くすルックらがいた。
「────カミュー」
魔物の口から穏やかな声がした。聞いているだけならマイクロトフと変わらない、優しげで温かな声だった。
「ここへ来い、カミュー……────」
命令というにはあまりに甘美で慕わしげな響き。
だが、その顔に浮かぶ狡猾さは魔物のもの。
もう騙されることもなくカーンとルックはカミューを背後に庇おうとした。
けれど、またも一瞬早くカミューは歩を進めていた。止めようとカーンが手を伸ばした刹那、淫獣から『破魔』が発せられた。三人を包む『守りの天がい』が受け止め、衝撃は起こらない。カーンはのろのろしたカミューに追い付き、その腕を掴もうとした。
「…………動くな、人間」
淫獣が鋭く言う。
「今一度、同じ技を食らうか?」
ルックはぎくりとした。
迂闊だった、目の前で見たというのに────
淫獣はただ一度受けた『天雷』を二つに分けて落とした。ならば一度の『破魔』を二度に分けて使うことも出来るのだ。
『守りの天がい』はただ一度だけ有効な防御魔法だ。二度目はない。改めてかけ直さなければ次の『破魔』は防げない。
無念そうに顔を歪めるルックに獣は笑った。
「────気づいたようだな。貴様たちが防御魔法を唱える前に、吾は攻撃を加えることが出来る。動くな、雑魚共が」
「…………それでもやる、と言ったらどうなるのさ? あんたの力なんて知ったことじゃないけど、今のところ受けた魔法を使って返すことしか出来ないようだね。『破魔』だって何度も分ければ威力が減る。結界の外にいるぼくらをどうやって倒すっての?」
「────吾の可愛い人形は、大きな攻撃魔法を持っておる」
「………………!!」
その言葉に男たちは凍りついた。

────赤騎士団長が生まれ持つ力、すべてを焼き尽くし消滅させる『烈火の紋章』────

「バカな…………カミューにそれをさせるってのか?」
「この────クサレ外道の恥知らず!!!」
フリックとビクトールが同時に口を開いた。淫獣は平然と続けた。
「この結界は良く出来ておる。人間の作ったものにしては上出来だ」
「……褒めてもらって光栄だよ、化け物め」
カーンが苦々しく吐き捨てる。
「────だが、唯一弱点があるな。術者が死ねば、結界は消える」
「………………くそっ」
「吾が得た最高の伴侶────さあ、ここへ来るがいい、カミュー……」

 

 

 ← 戻る                          →  続く   


オーちゃんが青にシンクロしてきてます。
青語録を引用しているのが証拠(苦笑)
しかし本当にバトル中は
切りどころが難しい……。
それにしても最終話書かなきゃ…。

次回サブタイトルは
オーちゃんの純情
ご期待下さい!(超嘘)

 

戻る