愛が試されるとき・11 ──淫獣の囚われ人──
日没が近づくにつれ、一同は次第に言葉少なになっていった。
得体の知れない魔物との戦いへの緊張、そして闘志。
決して失敗を許されない、たった一度の勝負なのだ。
城の西半分の住人はすべて退去させ、道場へと続く通路には張り番を置くことにした。何があっても朝まで誰も通さぬよう言い含め、未だ残された仲間の安全を図った。
カミューは夜着の上にマイクロトフの騎士服の上着を羽織らされた。少しでも恋人を感じられた方がいいと進言したのはカーンである。
「人の願いというのは、想像を超えた力を持っていますからね」
そう言った彼に、誰も反する言葉を持たなかった。
最後にフリックがユーライアを取り、立ち尽くすカミューの手に触れさせる。初め何の反応も見せなかったが、やがてそれを受け取り、鞘をしっかりと握った。
「おー、流石に生粋の剣士だぜ。扱い方は普段と変わらねえ」
「身体が覚えているんだろうね。さあ、つまんないことに感心してないで、行くよ」
ルックに促されて一同は道場に向かった。
四隅に立っている太い柱の一本に、用意された荒縄でマイクロトフを固定するのはビクトールとフリックの仕事だ。二人は協力して、柱を背に立つ男の身体を拘束していく。
「ちょっときつ過ぎるんじゃないか?」
張り切って縄を締め上げているビクトールに、フリックが慌てた声を上げた。
「いーや、何が起きるかわからねえだろ。このくらいで丁度いい」
「……苦しくないか、マイクロトフ?」
「大丈夫だ。おれが万一にも皆を傷つけぬよう、出来るだけ強く縛っておいてくれ」
「ほらな。さ、しっかり気を入れて頑張るぞ」
ほとんど上体が見えなくなるほど、雁字搦めに縛られたマイクロトフが見詰めているのは、ただカミューだけだ。
ルックに寄り添われるように立っている彼は、やはり虚ろな顔のまま、周囲で何が起きているのか全く関心がないように足元に視線を落としている。
────絶対に助ける。
こんな抜け殻のようなカミューは許さない。
マイクロトフは決意も新たに唇を噛み締めた。
「これでよし……、と」
ビクトールらはそれぞれ別の柱の近くに自らの位置を定めた。マイクロトフの柱と対角を成す一番離れた柱の傍にカーンとルック、そしてカミューが進む。
ほとんど背を押してやらないとまともに歩こうとしないカミューをちらりと眺め、ビクトールが大仰な息を吐いてぼやいた。
「……何かなー……。あいつのああいうの見てると、背中がムズムズするぜ。早いとこ、澄ました顔で笑ってもらいたいもんだ」
「…………おれはカミューに怒ってもらいたい」
マイクロトフが微笑みながら口を開く。
「あー? 何だ、あいつが怒ってるのなんぞ、見たこともねえぞ?」
「おれはいつも怒られてばかりいる。カミューは結構怒りっぽいんだ」
「……それは、あなただけが知っている彼の姿ですね。特別である証拠ですよ」
カーンが苦笑すると、続いてビクトールが揶揄した。
「そうかね。しかし、『怒られたい』ってのはちょっとなあ…………おまえ、自虐趣味でもあるわけか?」
マイクロトフは平然と言い放った。
「怒っているカミューは可愛い」
「……………………………………」
「……………………………………」
「────もう、好きにしたら」
日が沈んでいく。
光と希望は眠りにつき、闇と魔が跋扈する時間が訪れる。
欲望のままに周囲を平らげ、絶望を生む存在が目を醒ます────
「う…………────」
太陽の最後の光が大地を削り、薄暮が城を包んだとき、マイクロトフが微かにうめいた。
「………………来るぞ」
誰からともなく声が上がる。それぞれが武器を握り直し、気を高める。道場にゆるやかな重圧が広がっていく────
「…………愚かなる無力な人間共…………────」
くぐもった言葉がマイクロトフから洩れた。
最初は何の感情も潜まない呟き。だが、すでに彼が青騎士団長でなくなったことは、緩やかに上げられた目線が語っている。
憎々しげに一同を見遣る双眸は、凍てついた刃物のようだった。それが次第に怒りを宿し、ぎらぎらと光り出す。
次には獣の咆哮が迸った。
「愚直にして脆き虫けら共!! 吾を払えると本気で思うか!!!」
高らかな嘲笑が取って代わった。その声に溢れる憎悪、罵り、すべてがマイクロトフとは似ても似つかぬ忌まわしき魔物だった。
話に聞いていたとは言え、この変貌振りはさしも勇猛な戦士たちにもぞっとするものだった。生真面目で直情的、だが正義と誇りに溢れる好ましい青年を知っているだけに、その落差は背筋を凍らせる。
カミューはどれほど驚いただろう。
大切な男の中に、こんな化け物が棲んでいると知った瞬間、どれほどの絶望に襲われたことだろう。
今更のように男たちは許せぬ思いで一杯になった。
「吾は淫獣オーランド、破壊と殺戮を掌る闇の使者。この世の始まりより悠久の時の流れを漂いし吾を、浅ましき人の手で払えるものなら払ってみるがよい、人間!!」
「偉そうに言うんじゃねーよ、一度は封印された分際で!!!」
ビクトールが吐き捨てると、マイクロトフの顔は見る影もない陰惨な笑みを浮かべた。
「吾を封じるのに、幾人の神官が命を落としたか知りたいか、人間よ?」
「知りたかねーよ。だがな、今度も諦めてもらうぜ、おれたちは負けねえ!!」
魔物を挑発するのは策のひとつだ。そうしている間にもカーンは淫獣の魔力を見定め、印を張る準備を進めているのだ。
「……貴様らの企みなど、先刻承知。『器』の目を、耳を通して知らぬことなどない。それでも敢えて抗うか」
「おーよ、てめえが知ってるのは覚悟の上だ。だが、どうだ? どんだけ力があるのか知らねーが、まだ『同化』とやらは不完全なんだろうが! 昼間はコソコソ隠れていやがるくせに」
「面白いところを突いてくるな」
くっくっと淫獣は喉の奥深くで笑う。
「確かに、『器』との同化は未完…………だが、それも時間の問題だ」
高らかに魔物は吠えた。
「この『器』の存在を破壊するのに何が一番効果的か────わかるか」
淫獣はじろりとカミューを見遣る。
「その情人……そやつが吾に跪くこと。身も心も吾に従い、そのすべてを捧げること────それを知れば『器』は壊れる。完全に吾の支配下に落ちる」
「……そのためにカミューを────」
フリックが憎々しげに呟いた。
「『器』の自我の崩壊、それこそが我が望み。吾はこの肉体を独占し、失われし無限の力を取り戻す」
「あんまり人間を見縊るんじゃねえ!! マイクロトフがそう簡単に壊れるもんか!!」
「────どうであろうな」
潜めた笑いを洩らしながら、淫獣はゆっくり舌舐めずる。
「さて、おしゃべりは終わりだ。結界とやらを張る前に、貴様らの血肉を啜ってやろう。吾も、この肉体で存分に戦ってみたいと思っていたところだ────」
刹那、マイクロトフの身体の周りに陽炎が立ち昇ったように見えた。彼を縛りつけた荒縄が、ミシミシと音を立て始める。
人ならば、縄が身体に食い込む痛みに到底耐えられるものではない。だが、淫獣オーランドはものともせずに力を込めてゆく。
「お、おい……まずいんじゃないか?」
仰天してルックを見遣ったビクトールに、しかし少年は答えない。じっと魔物を見詰めたまま、その能力を量ることに集中しているのだ。
猛々しい吠え声とともに最初の荒縄がブツリと弾けた。続いて上体のあちこちで縄が切れていく。
「────……化け物め」
フリックが剣を抜いた。出来れば仲間に武器を向けたくはなかったが、尋常ならざる力を見せられては甘いことも言っていられない。
仁王立ちになったマイクロトフの足元に、千切られた縄がばらばらと落ちた。ほとんど息も乱さずニヤリと笑う男の口元に、対峙する男たちはぞっとした。
「……くそッ、得物もなくてどうやって戦うつもりだ!!」
嘲ったビクトールに、淫獣は肩で笑う。そのまま目線がカミューに向いた。
それまでぼんやり俯いていたカミューは、不意に身体を震わせた。獣の視線に気づいたように、のろのろと顔を上げる。
「────剣をくれ、カミュー!!」
それはこれまでの声とは質が違った。マイクロトフの精悍で意志に溢れる声色だった。ずっと物事に反応しなかったカミューが、その鋭い要求に即座に従った。
「駄目だ!!」
ほとんど同時に叫んで止めようとしたルックよりも一瞬早く、彼は機敏な動きで手にしていた剣を投げていた。防ごうとした仲間の誰一人として間に合わず、ユーライアは弧を描いて淫獣の手に落ちた。
「しまった────」
ビクトールが唸る。
よもやこれほど俊敏にカミューが命令に応じてしまうとは。
予想外だった。こちらの声が聞こえていると喜んだのも束の間、このような危険と表裏を成していたとは。
「────良い子だ……可愛い吾の人形。この連中を始末した後には、たっぷりと褒美をやらねばな……────」
淫獣オーランドはユーライアを抜いて鞘を投げ捨てた。白く輝く剣の肌にねっとりと舌を這わせる。行為のおぞましさに寒気を催しながら、フリックが改めて吐き捨てた。
「……そうやってカミューを縛り続けてきたのか────」
彼が従ってしまったのは無理もない。それほど今の声はマイクロトフそのままだった。何も知らなかったら、別の人格のもたらした言葉とは思えない。
これをやられたら、カミューはひとたまりもなかっただろう。希望と絶望を交互に与えられて、追い詰められていったのだ。
「……許せない、絶対に」
最初に剣を振るったのはフリックだった。
打ち下ろす刃を、淫獣はものともせずに受け止め薙ぎ払う。その隙を突いて斬りかかるビクトールを、返す剣で切り裂いた。男の逞しい腕から血が噴き出す。が、闘魂の塊のような彼は動じない。それよりも、妙な違和感を覚えて、まじまじと敵を睨んだ。
「サボるんじゃないよ、クマ男!」
厳しいルックの叱責にも耳が向かないほど、彼は悩んでいた。────何だろう?
何かがおかしい気がする。これは一体どういうことだろう────躊躇しているビクトールの代わりに再度フリックが斬りつけたが、今度は剣を振り下ろす前に鋭い突きが彼を襲った。危ういところで咄嗟に交わしたフリックは、最初の魔法を唱えた。
相手はマイクロトフの鍛え抜かれた身体だ。多少無理をしても、後でどうにでもなるだろう────
彼は『天雷』を落とした。
激しい轟音とともに、閃光が大柄な身体を直撃する。変わらず仁王立ちになったままの男は、全身からぶすぶすと煙を上げながらも平然と笑っていた。
不意にフリックの視界から敵が消えた。はっとしたときには真横に並んでいた男が、剣を握ったままの拳を振り下ろしていた。
凄まじい一撃に、たまらずフリックは吹き飛んだ。
「カーン、まだかい?」
ルックが見上げると、カーンは苦い表情をしていた。
「……予想以上に秘められた魔力が高い。その上、今の動き────速い。行動範囲が読めない」
「ビクトール! 何考えてるんだよッ。奴の動きを止めろ、絶対に半分からこっちに来させるな!!」
言われなくてもそのつもりだった。獣は攻撃を仕掛けながら、次第に前進しようとしているのだ。ルックはともかく、印を張るために気を高めているカーン、身を守るすべを持たないカミューは、まさに無防備な状態で魔物に身を曝している。何としても近づけるわけにはいかなかった。
ビクトールは淫獣と三人の間に割り込むような形で立ち、改めて剣を構えた。だが、それでもさっきから感じている不快な違和感が消えない。苛々と悩んでいる。
『────おい、ビクトール』
ふと手元から声がした。命を持つ剣、星辰剣である。
「何だよ、取り込み中だ」
『……礼儀を知らぬ大馬鹿者。おまえが気にしているのは奴の剣のことであろう』
「ああ?」
『あの男は右利きではなかったか?』
はたと気づいた。
そうだ、違和感の理由はそれだったのだ。今、マイクロトフの剣は左手に握られている。
「そうか────それで妙だったのか…………」
『愚か者。単に魔物が左利きなだけかも知れんぞ。つまらぬことを気にしていないで、真剣に戦わんか』
陰険な老人のようにぼやく剣の言葉に、ビクトールは苦笑した。
「了解、了解! 頼むぜ、相棒!!!」
『…………気安いぞ』
「……何をぶつぶつ言ってるんだ、ったく────」
淫獣の攻撃であちこち打ったフリックが、怒りながら横に来る。
「真面目に戦え。やっぱり普通じゃないぜ、『天雷』を食らってもびくともしない」
「ふん、強けりゃ燃えるってもんだろ?」
「────違いない」
二人は息を合わせてクロス攻撃を仕掛けた。淫獣は剣を盾にそれを防ぐ。再度背後から斬りつけたが、それも万力のごとき剣に払い返され、二人は床に投げ出された。
「カーン────まだかい?!」
焦りを深めたルックの叫びと、高め続けたカーンの気が迸ったのは同時だった。
鮮やかな光が道場のほぼ半分を覆う。極彩色の見事な文様を組みながら、扇状の結界が道場を割った。
「やった!」
ビクトールが叫んだ。その印はネクロードを封じたものとは形も色合いもかなり異なる。しかし、複雑な色調を埋め込んだそれは、確実に魔物とルックらを分断したのである。
淫獣も一瞬、しまったと言いたげな表情を見せた。二人の戦士の力を侮ったこと、カーンの術技が予想以上に速く展開されたこと、更には『器』の肉体の溢れる強靭な力に酔い痴れて楽しんでいたことで、当初の予定を狂わされたのだ。
しかし、獣はしぶとかった。自らの一瞬の不覚を吠え笑い飛ばした。
「健気な人間共! これで吾を封じたつもりか。して、次は如何する? ここから『器』を引き出すのだったか……? 吾に近づけるか、人間!!!」
痛いところを突いていた。
覚悟はしていたものの、魔獣に操られるマイクロトフは、剣技・腕力ともに常人のそれではない。あの荒縄を筋力だけで引き千切るほどの身体を、どうやって扇状結界から引き出すか。────それはまったく想像出来ない。
「……やるだけやるさ、フリック!」
「ああ!」
まずは淫獣から得物を奪うことが先決だ。マイクロトフの身体は攻撃魔法を宿していない。剣を奪えば勝機は見える────そう思ったとき。
二人の戦士を『天雷』が襲った。
防御していなかった二人は無防備に魔法を受けた。しかも、雷の魔法は単体攻撃魔法のはずなのに、それは同時に行われたのだ。
「く、くそっ…………何なんだ?」
すかさず後方からルックが放った『優しさの流れ』によって即座に傷は癒されたが、燻されて咳き込みながらビクトールが目を丸くする。
「あいつ、紋章を宿してないのに…………」
「────吾の能力の一端を教えて進ぜよう。外部から攻撃魔法を仕掛けても無駄だ。吾はそれを取り込む力を持っておる───こうして放出することも出来る」
「…………へッ、教えるのが好きだねえ。学校の先生にでもなったらどうだい?」
減らず口を叩きながら、それでもビクトールは内心動揺していた。ならば、やはり接近戦でダメージを負わせ、怯んだ隙にマイクロトフの身体を結界から引き出すしかないのだ。
その計算を嘲笑うように淫獣はにんまりした。
「ああ────吾に痛手を負わせようとも無駄だ。吾には回復の術もある」
「…………貴様が陰険な野郎だってことは知ってるさ! そうやってカミューを嬲りものにしてきたってこともな!!」
フリックが怒鳴った。
「なら、回復の術が追い付かないくらいのダメージを食らわせるしかない、ってことだろう?!」
「────出来るか、人間」
嘲笑を上げて淫獣は攻撃を再開する二人に対峙した。
バトル中は切るのが難しい……。
ピッチ上げて、15くらいで完結……を目指します。
しかし年内は無理臭いですね〜。
とりあえず落着まで行ってれば御の字〜。さて、今回はオーちゃんノリノリで間抜け(笑)
まー、そこが彼(?)の持ち味、ってことで。
お人形な赤は、
黒マテリアを探さねばならないそうです(笑)