愛ゆえの沈黙・6


老人がカミューに付き添われて証言席へと向かう間に、マイクロトフは赤騎士団副長をカミューの席へと誘った。よろよろと腰を下ろした副長ランドは、従騎士が運んできた水を干して汗を拭う。
「危ういところだった」
漸く人心地ついたのか、彼は短く呻いた。
「あの御老人を探しておられたのか?」
マイクロトフが問うと、疲れ果てた首肯が応じる。
「探し当てたのは昨日だったのですが……何しろ証言を渋られましてな。説得を重ね、やっとその気になってくださったはいいが、今度は馬に乗るのは怖いと仰せで。已む無く徒歩で急いだものの、途中で力尽きてしまわれて」
ランドは追加された水を続け様に二杯飲み干した。
「ここまで背負って参ったのです。予期せぬ事態に刻一刻と時は過ぎるし、どうなることかと……途中で巡回の騎士に出会ったので、先触れだけは何とか───」
すると、カミューを呼びに来た赤騎士がその先触れだったのだろう。証言に赴いてくれた老人を赤騎士団を代表して迎えて礼を払う、それが『鍵を取りに行く』という言葉の意味だったのだ。
「それでランド様、医師というのは……?」
どうやら窮地は脱出したらしいが、新たに現れた証言者がどんな手札になるというのか。ローウェルの疑問はマイクロトフの疑問でもある。けれど副長は視線を老人に当てて首を振った。
「おまえも苦労したと見えるな、ローウェル。後はカミュー様にお任せするが良い」
従騎士が用意した椅子にちょこんと乗った老人は、不安そうにカミューを見上げている。それを察してカミューは着席を断わり、彼に付き添うように脇に納まった。椅子の背に軽く手を当てて悠然と議員に向き直る青年は、すべてを開く鍵を手に入れた満足に輝いているようだった。
「医師殿と申されましたか、カミュー団長?」
「ええ。診療所を開いておられたのは十五年ほど前までですが。言い換えた方が良いかもしれませんね、ロイス騎士の主治医とお呼びすべき方です」
ガタン、と音を立ててメイエ夫人が背を正した。
「主治医、ですって……? そんな筈はありません、掛かり付けの医師でしたら───」
「お静かに、奥方殿。まずは話を伺おうではありませんか」
議長の制止に多少の不満は浮かべたが、夫に抱えられた夫人は弱く頷いた。
老人は依然として落ち着かなげにあたりに身じろぎを繰り返しては、傍らの赤騎士団長を窺っている。その様子に、カミューは議員らに進み出た。
「如何でしょう。ここまでの道程にだいぶお疲れの御様子ですし、初めにわたしの方から概要をお話ししても……?」
シン、と静寂を取り戻した議場に異を唱えるものはなかった。

 

 

 

四ヶ月ほど前、街外れに暮らす老人の許へ一人の少年が訪れた。どんな伝を辿ったのか、少年は診察を依頼するために足を運んだのだ。
老人が診療所を閉じて十五年ほど経つ。今は気楽な隠居の身、各地の医学書など取り寄せて読み耽るのが日課となっていた老人は、突然の来訪者に困惑した。けれど思い詰めた眼差しの依頼を無下に断るのも憚られ、結局彼は少年を診たのである。
長く医学を修め、その後も学問だけは欠かさなかった老人には、すぐに分かった。
少年が決して完治せぬ病に冒されていること、そしてその余命が幾許も残されていないであろうこと───じきに十五を迎えると語った彼が、朧げに死を予感していたことも。

 

「何、ですって……?」
今度は夫人ばかりか、メイエ氏も愕然とした。互いを支え合うように乗り出す二人を、カミューは痛ましげに見遣るばかりだった。

 

少年は間近に正騎士叙位試験を控えた従騎士と名乗った。
試験の際、健康を保証する診断書の提出が求められる。少年は、真実を覆い隠した書類を必要としていたのだ。
無論、老人も最初は固辞した。正式文書の虚偽操作は罪にあたり、元・医師としての倫理からも許されない所業だと頑なに拒んだ。
何より、病を得た身で騎士を目指すなど、命を縮めるようなものではないか。孫よりも若い子供を、そんな道に向かわせる助力など断じて出来ない、そう思いもした。
だが、既に死を覚悟した少年の意志は固く、終には老人も応じるより他なかったのだ。
それから少しして、少年は正騎士に叙位された。老人の与えた偽りの診断書が、彼の旅立ちの扉を開いたのだった。

 

 

「この通り、端から見れば楽隠居の身ですが、医師の資格を持つ以上は診断書を作るのも可能ですゆえ、願ったりの相手だったという訳でございます」
老人はくしゃりと顔を歪める。
「御家の主治医など、知己の間柄では書類の偽造など引き受けては貰えませんでしょう? だから何ら関わりのない医師を探してロックアックス中を訪ね歩いて……あの子はわたくしに辿り着いたのですよ」
議員の一人が未だ衝撃を隠せぬ面持ちで首を振る。
「では……ロイス騎士は、騎士試験の時点で既に病んでおり、訓練時に悪化・死亡したと……?」
はあ、と老医師は悲しげに視線を落とした。
「でも、いったい何故? 何故そのような偽りに加担なさったのです。あなたとて、それがどういう意味を持つか十分に御理解なさっておいでだったのに」
「……夢だった、と言われましてな」
老いた目に大粒の涙が溢れ出た。
「小さい頃から騎士になるのが夢だったと……あの子はそう言って泣いたのですよ。なのに、このままでは試験すら受けられず、周りに知られれば士官学校すら辞さねばならない。仲間たちが新しい生活に進むのを独り見送り、いずれ屋敷のベッドで死んでいくのは耐えられない、と……」
「───嘘よ」
メイエ夫人が唇を震わせた。
「嘘ですわ! あの子は何も、わたしたちには何も……!」
「そうとも! 家に帰って来たときも、病んでいる様子などなかった! 親であるわたしたちが気付かぬ筈がない!」
夫も声高に言い放つ。だが、老医師は苦しげに答えた。
「薬で……誤魔化すことは出来ましたのですよ。病状を抑えたいと頼まれて、わたくしはあの子にそれを……」
デュナンでは一般的には用いられない薬だった。あまたの医学書から知識を得た老人が、走り回って手に入れた一種の麻薬だったのだ。
少年の遺体を検分した医師団も、毒物投与の有無こそ調べたが、相手が若年だったのも手伝って、麻薬の類にまでは吟味の手を広げなかった。遺族に配慮して腑分けを行わなかったのも、結果的にはロイスの意志を守る偶然となった訳だ。
室内に沈痛な空気が圧し掛かった。騎士団席にいる位階者らは無論、ミゲルの背後の赤騎士らも項垂れて拳を震わせている。やがて、部隊副官が低く呻いた。
「隊長は……知っておられたのですな」
びくりと竦んだメイエ夫妻から顔を背けるようにしてミゲルは目を閉じる。
「───ああ」
終に訪れた証言の刻を恐れるように、若者は一度だけ小さく息を吐いた。

 

 

 

ミゲルが騎士隊長職に就いて最初の新任騎士を迎えたのは一カ月半前、中に知己の少年がいた。
まだ正騎士に叙位される前、意図的な騎士試験不合格を重ねていたミゲルは、殆ど正騎士と同じ生活を送りながらも籍が残る士官学校に定期的に顔を出さねばならなかった。
餓鬼大将めいた雰囲気がそうさせるのか、彼は年下の少年に懐かれる傾向があり、士官学校の後輩にもたいそう慕われていた。ロイスもそんな中の一人であったのだ。
配属されたばかりで緊張に青ざめる新任騎士らにミゲルは言った。先に少年騎士が述べたように、何でも相談するよう命じたのだ。
そしてロイスは従った───胸に秘め続けた、つらく悲しい事情を自部隊長だけに打ち明けたのである。
かろうじて騎士にはなったが、隠し続ける困難は十分に悟っていたのだろう。少年には間近で味方となってくれる存在がどうしても必要だった。それには部隊を指揮する先輩騎士ほど相応しい男はいない、そうロイスは信じたのだ。
初めは驚き、次に悩み、最後に胸を痛めた。虚偽の書類まで使って騎士になった少年を、ただ除籍処分で退けることは出来なかった。
そうしてミゲルは隠匿の片割れを勤める道を選んだのだ。
部隊編成に私情を挟むのは芳しからぬと知りつつ、目が届き易いように少年を直属の小隊に配置した。ロイスは他の騎士と分け隔てない待遇を望んだが、つとめが及ぼす負担には可能な限り気を配り、そうとは気付かぬように庇いもした。
あるいは、病状の進行が明らかであったなら。
目立った窶れや衰弱が生じたならば、周囲を欺き通すのは不可能だったろう。ミゲルもそれが隠匿の限界と考えていたが、そこは老人の与えた薬が少年に味方した。事実、同じ兵舎に寝起きする同輩たちでさえ、ロイスが病身であるとは疑いもしなかったのだから。
けれど、限界はあったのだ。
若い身体を着々と病魔は蝕んでゆき、やがて薬も効力を失っていった。それでも最後の最後まで他の部隊員が病に気付かなかったのは、ミゲルの配慮も無論だが、少年の気力が並みならぬものだったからに違いない。
あの日、だが終にロイスの命は燃え落ちようとしていた。
周囲に隠せぬほどの衰弱を前に、ミゲルは少年の終焉を予感した。仲間たちに案じられながら毅然と背を正し続ける彼に、死地へと発つ騎士の誇りを見た。
『いけるか』と問うた一言、『はい』と応えた一言。
それは二人の間にしか通じぬ、惜別と感謝の礼だったのである。

 

 

 

 

「しかし……何故そんな無茶を受け入れたのです? あなたが説得すれば、ロイスは騎士団を辞して治療に専念していたかもしれないのに……」
女性議員が言うなり、ミゲルは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「言おうとした! 剣を捨てて、おとなしく養生してれば長生き出来るっていうなら、一度は説得してみたさ! でも、助からない、もって精々半年余りと言われたら……あいつが騎士として終わると決めたなら、叶えてやるしかないじゃないか!」
「た、隊長、落ち着いてください」
耐えに耐えていた感情に爆発されては周囲も堪らない。おろおろと取り縋る部下たちの必死を、だが当の上官は頓着しようとしなかった。
「叙位されたばかりと言っても、あいつも騎士だ。選ばれ、認められた男なんだ。命を懸けて決めた道を誰が止められる? 長いこと夢見て、頑張って……やっと掴んだ騎士の名を捨てて、おとなしく家で死ねなんて、おれには言えなかった!」
「……ミゲル、言葉が過ぎるよ」
間近で怒鳴られ、片耳を手で塞いだカミューが諫めるものの、次にミゲルは彼に向き直った。
「どうして暴いたりなさるんです」
マイクロトフをはじめ、赤騎士団位階者らも目を見張るほど、その口調は硬かった。
「誰にも言わないでくれと、あいつは伏しておれに頼んだ。だから約束したんだ、何があっても他言しないと。あいつが死んだその後も、必ず秘密は守り通すと約束したんです。なのに……どうして暴いたりなさるんですか!」
「御両親にも言うなと頼まれたかい?」
柔らかく言った上官に、ミゲルは息も荒く首肯する。そこでカミューはひっそりと目を伏せた。
「我が子に秘密を抱かれる……しかも、命に関わる秘密だ。メイエ夫妻のお気持ちを考えてはみたかい?」
それは、と束の間ミゲルは口籠った。だが、再び青年を見詰めた瞳は真っ直ぐだった。
「無論です。だからおれは───」
「夫妻の怒りを引き受ける覚悟でいたんだね」
するりとカミューが後を引き取る。呆然としたのはミゲルばかりではなく、訴人席の夫妻も同様だ。
「どういう……ことですの?」
「言葉の通りです」
「───そうか」
知らず独言を洩らしてマイクロトフは立ち上がっていた。発言権を持たぬ彼の声を、だが議員らは制そうとはしなかった。
「子を亡くされた悲しみは甚大だ。だが、憎しみが悲しみを凌駕するときもある。ミゲルを恨み、戦っている間は多少なりとも痛みを忘れられるのではないかと……そう考えたのだな」
それまで完全に呑まれた様子だった夫妻の代弁人がぎくりとした。ひどく言い難そうに、小声を挟む。
「確か葬儀の前日まで夫人は寝込んでおられた、と……」
その日、息子の最後の様子を聞かされるまでの夫妻は失意のあまり腑抜け状態だった。だが、マイクロトフが語ったように、怒りが彼らを立ち上がらせたのだ。それはひどく狂おしい、切り裂かれるような慟哭混じりの力ではあったけれど───
カミューは更に続けた。
「そして今一つ……ロイスは御両親にも病を隠そうとしていた。けれど、この詮議が真実に導かれれば、彼の望みは砕かれてしまう」
硬い面持ちで腕を組んでいた議員が理解したといったふうに頷いた。
「……するとミゲル隊長、あなたは亡くなった騎士との約束を守るために、口を噤んだまま、御夫妻の恨みを被ろうとなさった訳か」
「恨みを被る、ってほど大袈裟なものじゃありませんが」
ポツと答える。
「おれが秘密を共有したことで、御二人を傷つけているのは確かだったし……」
彼は迷い、そして夫妻に対峙した。
「ロイスは一つだけ……自分で決めたことではあるけれど、親に秘密を持ったまま逝くのを苦しく思っていました」
「…………」
「あいつは自分がどれだけ大切に思われているかを知っていた。明日をも知れぬ身で騎士団に籍を置くなど、何があっても許しては貰えない。嘆かせると分かっていて言い出すなんて出来なかった。だから隠すしかなかったんです」
夫人が息子の名を呼びながら突っ伏す。
「……おれが代わりに言えたら良かった。でも、ロイスの決意に負けました。申し訳ありません」
部下の告白を黙して聞いていたカミューが、静かに切り出した。
「何故暴くのか、と聞いたね。御両親に隠し通したかったロイスの気持ちは分かる。彼の意を重んじたおまえの誠意も分かる。でもね、ミゲル。ロイスは御両親に憎しみなど抱いて欲しかっただろうか?」
双方がはっと身を竦ませる。穏やかな声が包み込むように続けた。
「おまえを憎んで、確かに一時的に痛みは忘れられるかもしれない。でも、その後は? おまえを降格させ、一瞬の恨みを晴らして、その後は? 御子息を思うたび、常におまえへの憎悪が過る……憎しみと隣り合わせた記憶の中に生きねばならないロイスは哀れではないか?」
「それは……」
「心から信頼する上官の許で、最後まで騎士として生き抜いた息子───そう御両親に記憶していただく方が、より彼の本意に近かったのではないかとわたしは思う。おまえも御両親も、ロイスにとっては共に大切な存在だった。そんな両者に憎しみが落ちるなど、彼は決して望んでいなかった筈だよ」
深々と頷いた老医師が目許を拭いながら言い添えた。
「片棒を担ぎなさった隊長様が窮地に陥るとは……あの子にも考え及ばなかったのですな。わたくしも、約束は墓場まで持っていく心積もりでおったのですが、隊長様のことはロイスから幾度も聞かされておりましたゆえ、此度の事態に口を開かざるを得なかったのでございます。御両親には何とお詫び申し上げれば良いか……」
「───ロイス」
終に夫人が号泣した。おそらく騎士隊長を糾弾すると決めてからは初めての、交じり気のない惜別の涙であった。
「ああ、そんな」
メイエ氏は妻をいたわるように抱き締め、それから躊躇いがちにミゲルを見詰めた。
「隊長殿、わたしたちは息子の心を何ひとつ知らず、あなたに責任を……解任など求めて……」
「ああ、それは別に良いんです」
ミゲルは苦笑した。
「位階を剥奪されたら、また一から這い上がれば良いと思ってましたし……それが団長や他の位階者を裏切る行為だなんて、言われるまで気付かなかったし……」
「───抜けている」
ローウェルがぼそりと呟いた。
「救いようのない大たわけだ。平騎士への降格処分など受けたら、二度と隊長位など賜れるものか。それくらい常識だろうに」
「……良い機会だ、しっかりと教えておいた方が良いぞ、ローウェル殿」
怒髪天を就くといった様相の第一隊長を、マイクロトフは気の毒に思いつつ低く慰撫した。
法議会議員一同はそれぞれに詮議の行方を噛み締めているようであった。やがて議長が背を正す。
「ミゲル隊長が意図的にロイスを死に至らしめたなら、歴とした罪にあたる。しかし本件はこれに相当するとは言い難く、まして彼が指揮官の資質を欠くとも判断出来ない。如何なものでしょう、メイエ夫妻。この訴状は……」
「破ってください」
提言よりも早く氏が言った。
「どうか破り捨ててください。そしてもし、もし出来るならば、一切をなかったことにしていただきたく───」
「然様ですな」
議員の一人が苦い失笑を洩らす。
「斯くも紛糾した議会の記録を残すのは我らにとっても汚点。詮議の内容そのものも、あまり後世に伝えたいものではない。騎士の資質など、騎士でなければ理解するのは困難です。法議会は飽く迄も騎士団の訓戒に則り、犯罪を裁く場でありたい」
すべての議員が同感の挙手で応えたのを見て、議長が初めて表情を綻ばせた。
「我々騎士団外の人間には、位階者の資質といったものを完全に理解するのは難しい。けれどミゲル隊長、あなたの口の固さは賞賛に値する。これは上に立つものの資質の一つと考えて良いかもしれませんな」

 

 

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病気については色々考えたんですが、
何つっても、魔法で怪我が治る世界だし……。
「何となく不治の病」ってあたりで
納得してやってください。

ともあれ、すべては赤の掌の上でした。
次回、後始末編にて大団円。

 

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