愛ゆえの沈黙・5


再びヒソヒソと相談を開始した議員席を、告発の代弁人は静かに見守っている。結論は出し難かろうが、何せミゲル本人が責任を認めているのだ。これ以上の証はあるまい、そんな優位を雄弁に語る眼差しだった。
長い議会の歴史でも、斯くも見識が割れるのは珍しいのだろう。険しい顔の波を、論人席のミゲルが誰よりも不思議そうに眺めていた。
ふと、部隊副官が発言を求める。
「此度の詮議の焦点は、ミゲル隊長の、隊長たる資質の有無と拝しますが」
「その通りです」
目頭を指先で摘まみながら議長が呻いた。
「ならば我々の意見を申し述べても宜しいでしょうかな?」
「それは……」
得たり、とマイクロトフは拳を握った。
指揮官に相応しいか否かを問うなら、配下の騎士に糾すのが一番ではないか。横の赤騎士隊長も強く頷き、面を輝かせる。
即座に代弁人は異議を唱えた。
「あなた方にとっては良き上官であると、そう仰りたいのでしたら無意味です。ロイス騎士にはそうでなかった。だから彼は命を落としたのではありませんか」
しかし副官はワイマンを睨んで声を荒げる。
「貴殿に騎士の何が分かる!」
「なっ……」
絶句した男に彼は畳み掛けた。
「我らは隊長の指揮の許、命を懸けて日々つとめを果たしている。そんな我らの意見を無意味と仰せか?」
「そ……、そうですとも!」
ロイス少年と最後まで向かい合っていたという騎士も唇を震わせる。
「ロイスの死は本当に痛ましいと思うし、わたしも咎を感じずにはいられません。しかし、隊長は部下を死に追い遣るような方ではない。我らはそれを知っております!」
ワイマンは言い返せなかった。議員たちが騎士らに好意的な反応を示していたからだ。一人が代表するかたちで言った。
「……我らとしては、判断材料は多いほどありがたい」
「あのう……発言しても良いですか?」
故人と兵舎にて同室であり、他の騎士よりも日常のロイスに近しかったにも拘らず、これまで緊張からまともに発言出来ずにいた少年騎士である。しかし、仲間の騎士の勢いに励まされたらしく、思い切った口調で切り出した。幼げな顔に心を溶かしたのか、進行係の女性議員が微笑む。
「ええ、どうぞ。あなたはロイスと同期なのよね? 是非、意見を聞かせてくださいな」
相手の年齢に合わせた口調を使ったのは和ませるための気遣いなのだろう。ほっと息をついた少年は真っ直ぐに議員らを見た。
「正騎士になって、最初は少し不安もありました。でも、配属されてすぐに隊長は、『困ったことがあれば何でも言え』と言ってくださったんです。それで皆、凄く気が楽になりました。ロイスも……とても喜んでいたんです」
「ロイスも?」
はい、と少年騎士は自部隊長の背に視線を移す。
「ロイスはミゲル隊長に憧れていたんです。それはもう、士官学校の頃からずっと」
刹那、これまでになく議員らはどよめいた。
「待ってください、士官学校って? 二人は配属先で初めて知り合ったのではないのですか?」
「ええと……その、ぼくは一般受験者ですが、ロイスは士官学校で隊長と一緒だったと聞いてますけど」
少年は、自身の発言が一同を驚かせているのに戸惑った面持ちで首を傾げている。
「でも、歳が……?」
ロックアックス騎士士官学校は三年制が基盤だ。殆どは十二歳で入学し、十五で騎士試験を受ける。指を折る議員にミゲルはぽりぽりと頭を掻いた。
「ああ……おれ、少しばかり卒業が遅れているんで、ロイスとは最後の一年で顔を合わせていたんです」
「───『少し』どころか、在学年数は士官学校記録だ」
忌ま忌ましげにローウェルが唸る。
騎士士官学校には特待制度というものがあり、優れた才を認められた学生は従者過程を免除され、他者よりも一年早く騎士試験が受けられることになっている。また、正騎士に叙位された時点で卒業を認められるが、騎士試験に落ちた場合は籍だけが残るといった宙ぶらりんの状態が続くのだ。
ミゲルは騎士士官学校でも例のない、特待生であり留年生でもあるといった経歴の持ち主だった。
「すると……ミゲル隊長は配属前から先輩・後輩としてロイス騎士と親しく付き合っていたと考えても……?」
初めてもたらされた情報を、ひどく慎重に議員が整理したとき。
メイエ夫人が絶叫した。
「そうよ! あの子はあなたを慕っていた! あなたの部隊に配属されて、とてもとても喜んでいたのに……なのに、あなたはあの子を見殺しにした! ほんの一言、休めと言ってくれればあの子は死ななかったかもしれないのに───あなたがロイスを殺したんです!」
この一撃には居並ぶ騎士らも怯んだ。言葉を失う一同に暫く燃える瞳を当てていたが、すぐに夫人はふらふらと夫に凭れ掛かる。興奮しての発言を、しかし咎める議員はない。誰もが沈痛な面持ちで夫妻を見守るばかりだ。
唇を噛み、知らずマイクロトフは心中でミゲルに叫んでいた。
認めるな、そんな筈がない。
少年の信頼に裏切りで応えるなど、おまえはそんなことの出来る男ではない。
───だが。
「申し訳ありません」
ただ一声だけで、ミゲルは深々と夫妻に頭を下げた。
成り行きを無言で見守っていたカミューの琥珀が、再び時計を掠める。動きに気付いた赤騎士隊長は怪訝そうに眉を寄せた。
「カミュー様?」
「ああ、いや……」
口籠り、彼はしなやかな腕を組んで呟く。
「まずいな、時間が掛かり過ぎている───」
マイクロトフにも、漠然とだが理解できた。
長い会議は徐々に判断力を奪っていくものだ。一度大きな動きが生じれば、無意識のうちに流される。メイエ夫人の痛ましい叫びは議員らの心を貫いたらしく、一同の表情が確実に硬化していた。
不意に議場の扉が開き、赤騎士が一人、顔を覗かせた。慌てて走り寄った従騎士は何事かを囁かれ、救いを求めるように議長を見上げる。
「何か?」
「カミュー様に急ぎの御報告を、と……」
「手短に願いますぞ」
許可を示した議長に一礼し、関心あからさまな第一隊長と青騎士団長には目もくれず、赤騎士は早足でカミューの許へと進んだ。短い耳打ちに頷いたカミューは、ふわりと立ち上がった。
「申し訳ありませんが、一時退席致します」
出し抜けの申し出に議長は困惑した顔を見せたが、拒否する理由もなかった。
驚いたのは騎士たちだ。マイクロトフは歩き出したカミューの腕を鷲掴んだ。
「待て、カミュー。そんな事態ではないぞ」
「その通りです。今、カミュー様に退出なさってしまわれては……」
取り縋らんばかりの勢いの部下に、だがカミューはぴしゃりと命じた。
「引き伸ばせ、ローウェル」
「は?」
「すぐ戻る。その間、裁決が下らぬように時を稼ぐんだ」
「し、しかし」
弁護は認められていない、ミゲルからは真意を引き出せそうにない。勇猛なる第一隊長は焦燥の頂点に達した。そんな男の耳元に、赤騎士団長は低く囁いた。
「最後の手だ。わたしを含めた位階者全員の資質を問え、……分かるな?」
生憎、マイクロトフにはさっぱり分からなかった。しかし赤騎士隊長ははっとして、次第に厳しい表情へと変じていく。
「はい───カミュー様」
押し殺すように呟く男を擦り抜けるカミューに、マイクロトフは再度詰め寄った。
「カミュー……いったい何をしようと言うのだ」
穏やかな笑みを湛えて赤騎士団長は言い捨てた。
「閉じた議場の鍵を取りに行くのさ」
そのまま扉から消えて行く後ろ姿を呆気に取られて見守ったが、すぐにマイクロトフも我に返った。ゆるゆると議員らに向き直る赤騎士隊長を凝視して息を殺す。
既にローウェルには躊躇の気配がなかった。ひとたび力強く息をついた後、屹立したまま声高に言い放つ。
「議員各位に問わせていただきたい」
「な、何ですかな、ローウェル隊長?」
「本件に関わる質疑ならば認めますが……」
一同も、腹を据えたといった男の様子を見取っていたに違いない。困惑しつつ、次々に同意を示していった。
最後の賭だ───相変わらず意図は不明ながら、マイクロトフは無言の声援を贈った。
「御承知の通り、新たな騎士隊長の決定には騎士団中央会議が招集され、既存の騎士隊長・副長・団長すべての信任を問います。その過程を経て叙位されたミゲルが部隊指揮の資質を欠くならば、彼に信任の票を投じた我ら位階者の洞察に著しき遜色があったということになる。洞察力の欠如……これも本件と同義の問題ですな、赤騎士団の位階者全員、解任を求められていると取っても宜しいか?」
これは議場に在る全員にとって恐ろしい一石だった。議員らは無論、夫妻や代弁人、果てはミゲルや三人の赤騎士までもが呆然とローウェルを見詰める。
「ローウェル殿、そんな屁理屈めいたことを……」
泡を食って唸った議員の声に励まされたように代弁人ワイマンが立ち上がった。
「本質を違えておられる。我々が非難しているのは、ミゲル隊長がロイス君の不調を知りながら訓練に臨ませたという点、見殺しにしたも同然という部分ですぞ。つまりは彼の思い遣り、配慮といったものの欠落が───」
「然様、ならば本質を違えてなどいない」
凛然とローウェルは胸を張る。
「部下を見殺しにするような非道な男に隊長職を与えてしまった、いよいよもって我々上位階者の非ではないか」
そこまで話を広げる心積もりなどなかったであろう訴人たちは狼狽え、言葉を失った。
カミュー、とマイクロトフはきつく目を閉じる。
何と鮮やかに、何と大胆に策謀を張り巡らせるのか。
こう言われてしまっては議員らも容易に裁決を下せない。赤騎士団全体を揺るがすような事態は、法議会とて望んでいないのだから。
自失していたミゲルがふらふらと立ち上がった。
「それは……変です」
独言じみた呟きを洩らし、彼は上位騎士隊長を真向から見詰めた。
「これはおれの問題です! どうしてそんな話になるんですか!」
「たわけ!」
一喝に怯んだ隙に追撃が走る。
「騎士団は縦の世界だ。上に立つものは常に下への責任を負っている。おまえが自分を隊長の器でないと認めるのは勝手だ。だが、それが最終判断を下されたカミュー様への裏切りと知っての仕儀か!」
赤騎士団・第十隊長は打たれたように硬直した。

 

 

 

 

 

 

 

「おれは」
長い長い沈黙の後、ミゲルは絞るように呻いた。
「おれは、そんな……」
流石だ、とマイクロトフは胸中で快哉を叫んでいた。
たったあれだけの短い示唆から、赤騎士隊長は議会の流れを塞き止めた。何より、ずっと何事かを隠匿し続けてきたミゲルに痛打を与えたのだ。
若い騎士隊長にとってカミューは絶対の存在だ。
崇拝、そして密やかな思慕。あらゆる誠意を捧げる対象を持ち出されたために、ミゲルは辛うじて守ってきた冷静を崩された。
「隊長……?」
背後から小声で窺う副官や部下の声も届かぬらしい。若者は立ち尽くしたまま、ローウェルに向けた瞳を幼げに揺らす。
「団長を裏切る、なんて……そんなつもりは……」
途切れ途切れに呟き、戦慄く身体を隠そうともしない。一同の見守る先、彼は途方に暮れた子供のように打ち震えるばかりだ。
片やローウェルも汗を滲ませていた。
格別目を掛けている騎士の唯一の弱みを突くのは、彼にしても痛ましく思えてならない。だが、ミゲルが進んで泥を被ろうとしていると察した今、手段を選んでいる余裕はなかった。
「何故、ロイスを止めなかった?」
厳しく続ける。
「確かにおまえは抜けたところも多い。だが、それを埋めて余るものを持っている。部下の命を愛おしむ男と信じたからこそ、カミュー様はおまえに部隊を託されたのだぞ!」
「おれは───」
逐一胸を刺されるようで、今やマイクロトフも顔をしかめずにはいられなかった。
誰よりも大切な人が己によって傷つく、それは耐え難い想像だ。自らの軽率がカミューを苦しめるなら、消えてなくなりたいほどの羞恥を覚える。
だが、その現実にミゲルは直面してしまったのだ。言葉もなく項垂れる若者を、ただマイクロトフは見守るしかすべがない。
「言え、ミゲル」
初めてローウェルは調子を緩めた。慈しむような声音で繰り返す。
「言うがいい。何があった、何を隠している? カミュー様の御期待に恥じぬよう、すべてを明らかにするのがおまえのつとめだ」
一瞬、迷うようにミゲルは視線を彷徨わせた。息を詰めているメイエ夫妻を一瞥し、力なく首を振る。
「おれは……でも、約束を……」
「約束?」
聞き咎めた議長が身を乗り出したときである。
固く閉ざされた議場の扉が開かれた。舞い戻った赤騎士団長が、注視の中で華やかに礼を取る。
「赤騎士団は本件に新たな証言者の喚問を求めます」
混乱し果てた議員一同は、カミューの背後からひょいと湧き出た老人に目を見張った。
「証言者……ですか?」
「遅延をお詫び申し上げる」
短く言ったのは、更に続いて入室した赤騎士団副長ランドだ。荒く息を弾ませ、足をよろめかせる様に、マイクロトフは慌てて駆け寄って手を差し伸べた。
「ああ、これはマイクロトフ様……申し訳ございませぬ」
他団長に支えられるという醜態も、今の彼には頓着出来ないようだ。深い困憊を認めてローウェルも眉を顰た。
ずっと留守にしていた副長が、この場面で現れる。これがカミューの、時間を気にしていた理由なのだと直感する。
「カミュー団長、そちらは?」
議長の問い掛けに、カミューは鮮やかに微笑んだ。
「ロックアックス在住の……医師殿です」

 

突然の闖入者たちを放心気味に見詰めていたミゲルが、力なく椅子に崩れ落ちた。

 

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赤1隊長がクリティカルを放った。
議員たちは囁き合う。
「ほら、彼ですよ」「ああ、例の……」
「彼か、カミュー殿に懸想してるというのは」
「気の毒にねえ……」

追撃に、ミゲリンのHPは赤文字になった。
次回、解決編。
気の毒な騎士隊長の逆襲が、今、始まる。

 

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