「は……、発言を要求する!」
両手を長卓に叩きつけて声を張ったのは赤騎士隊長ローウェルだ。驚愕のあまり束の間の放心に陥っていたが、復帰も早い。今なお呆然とするマイクロトフの横、すっくと立ち上がった男を代弁人は冷めた目で一瞥した。
「弁護は放棄された筈ですが?」
「……確認だ! 殺人とまで言い切るからには、それなりの確証があるのでしょうな?」
「勿論」
せせら笑うように一蹴して、代弁人ワイマンは続けた。
「何せ、ロイス騎士が死亡時に剣を交えていた赤騎士殿の証言ですから」
な、と絶句する男に議長が言い添える。
「本日の証言者の一人です、ローウェル隊長。詳細は後程ということで……宜しいか?」
暫し拳を震わせてから、赤騎士隊長は一礼して腰を落とした。憤懣遣る方無いといった面持ちを痛ましげに見遣り、マイクロトフは小声で聞いた。
「こうした場合の証言者は、訴人・論人側双方の干渉を受けぬよう、当日まで議会が身柄を管理・拘束しておく……、だったか?」
「……はい」
一瞬で、見事なまでに苦渋を押し殺して頷く。
「ロイスの鍛練相手が呼ばれるのは当然予想しておりました。ただ……、遺族に何を言ったのかまでは……」
「本人はそうと気付かず、それがミゲルにとっては不利な発言だったという訳だね」
カミューが静かに言った。
少年の葬儀の準備には第十部隊に所属する騎士たちが助力した。これは古来からの慣わしの一つである。近しく生きた仲間の葬送の儀式を整える、それが惜別の礼なのだ。
その中で一人一人が何を言ったかまでは、とても把握しきれない。おそらくは悔やみ言葉に夫妻の琴線に触れる一節があったというところだろう。
訴状に今の一点が記されていなかったのは、衝撃的に詮議を運ぶ戦法だったに違いない。また、問題の核心となった赤騎士の発言内容に触れようとしないのも、当人の口から状況を引き出すことで、より強く確かな印象を与えるための策と考えられる。
「死亡時点で、そのあたりの聞き取りは行わなかったのか?」
マイクロトフが問うと、ローウェルは苦しげに認めた。
「すべきではあったのですが……部下を失って、あれも相当落ち込んでおりました。部隊の騎士らも同じです。葬儀準備もありましたし、せめてロイスを送ってから、と……」
「直後に告発状が提出されるとは予期していなかったからね、後手に回ってしまった」
のんびりとカミューも応じる。
マイクロトフは、何故かこのとき小さな違和感を覚えた。
カミューは聡く、たとえどんなに微かでも疑念を抱けば明らかにするよう努める男だ。そんな彼が、部下の突然の死を医師の報告だけで済ませておくのは不自然な気がしたのである。
だが、少し考えて怪訝を打ち払った。心情的に、第一隊長が述べた部分が胸に納まったのだ。叙位されて僅か一月半あまりの少年騎士の死。衝撃を受けているであろう上官や仲間を直ちに尋問するのは、確かに情に欠けた行為かもしれない、と。
「では……、証言者三名を入れてください」
進行係が言うと、従騎士たちが即座に走った。控えの間の扉を開き、騎士らを迎え入れる。
一人は死んだ少年と同じ年頃の騎士、もう一人は部隊副官、最後の一人が鍛練相手といったところか。議長は三者の名を呼び上げ、従騎士たちに席を用意させた。ミゲルの背後に座った騎士らはいずれも硬い表情で、殊に少年騎士は今にも泣き出しそうな、心細げな顔だった。
先ずは部隊副官が当日の状況を求められ、証言を開始した。訓練が日常的に行われている、ごく有り触れた剣の訓練だったこと、その流れに普段との違いはなかったことなどを伝えたところで議員の一人が口を挟んだ。
「亡くなったロイス騎士は隊長直属の小隊に配備されていたようだが……部隊長指揮下の小隊には隊内の精鋭騎士が揃えられると聞く。叙位されたての若輩騎士が、そんな小隊に属すのは良くあるのだろうか?」
騎士は向けられた疑問に不敵に笑んだ。
「『良く』……は、ございませんな。しかし、我が隊長も同様の待遇を経て現在に至っておいでです。皆無とも申し上げられない」
この発言にはローウェルが渋面を誘われていた。
副官の論述は続く。
通常の訓練は一小隊単位で動くが、指揮官であるミゲルは部隊全体に注意を払わねばならない。よって、訓練概要が確認された後、実際の訓練にて問題の小隊を取り纏めていたのは寧ろ副官であった。
「それでは、あなたにお伺いしたい。ロイス騎士に何か変わった点は感じられたか?」
「たいそう顔色が悪く、何やら苦痛を堪えているようにも見受けられました」
議員の間に動揺が走った。メイエ夫妻は無論、代弁人も息を詰めて、この重要な証言を反芻しているようだった。
「あなたは……それを如何思われたか?」
「訓練に耐えるか、否かという意味ですかな? それでしたら後者です。ロイスはとても訓練に臨めるような様子には見えなかった」
淡々と続ける副官の目は静かにミゲルの背を見詰めていた。彼も詮議の焦点は十分に理解しているのだろう。私情を交えず、敢えて事実を述べているが、それが上官を不利に追い遣るのを感じているらしく、表情は苦しげであった。
「その、……で、ミゲル隊長もそれに気付いておいでだった、と……?」
慎重きわまりない議員の質疑には泰然とした声が応じた。
「気付かれぬ筈がありましょうか、誰もが案じる酷い顔色だったのですからな。隊長は『いけるか』と問われ、ロイスが『はい』と答えた……それが当日、両者に交わされた会話です」
「他には?」
「ございませぬ」
「……それだけ? 誰もが訓練に耐えぬと認めるような状態の、それも十五の少年を……たったそれだけで訓練に向かわせたと?」
「そうです」
明らかなる非難を浮かべた議員らを睨み据え、だが副官騎士は逆に問い返した。
「隊長はロイス本人に判断を委ねられ、ロイスが訓練に臨んだ。それ以上に何が必要ですかな?」
「そ、それは……言葉は悪いけれど、暗黙の強要ではないのですか? ロイスは叙位されたばかりだったのでしょう? 上官に遠慮して休養を言い出せないことも……」
女性議員の一人が言ったが、それには最年少の、ロイスと同期で叙位された騎士が挙手で応えた。
「あの……、ぼく、半月くらい前に風邪気味になったことがあるんです。そのとき、ミゲル隊長はすぐに『休め』と言ってくださいました。ロイスもそのとき傍に居たし……遠慮、というのは……ないと思います」
ぐっと詰まって口を噤む議員から横の少年騎士に視線を移し、副官は小さく笑ったようだった。
「逆を申せば、休養を『強要』することも出来ない。騎士団は学び舎ではないのですから、本人の判断が優先されて然るべきでしょう」
そこでカミューが割り込んだ。
「言いたいことは分かるが……いま少し言葉に配慮するが良い」
不当な罪を着せられようとしている上官を慮るあまり、無意識に故人を責める調子になっている。気付いたのか、副官は遺族に向かって丁寧に頭を下げた。
コホンと咳払いした議長が続けるように命じる。
次に証言に進んだのは、ロイスと最後まで剣を交えていた騎士だった。周囲が少年の異変を知っていたのなら、彼が夫妻に語った言葉も推察可能だ。
果たして、騎士は少年を制止出来なかった己を悔いて夫妻に詫びていたのだった。
「加減は……していたつもりです。幾度も医師を訪ねるよう言いました。ですが……」
普段はおとなしい少年が、まるで別人のように感じられたという。さながら燃え尽きる最後の炎の輝きの如く、彼は一心に剣を振るい続け、そして突然動かなくなった。倒れた少年は既に事切れ、蘇生も受け付けなかった───
以前に聞いたときよりも証言が詳細に渡ったためか、メイエ夫人が泣き崩れた。これ以上具体的な説明は不要と判断したのか、議長が軽く制する。
議場は陰欝な空気に包まれていた。部隊副官の意見はさて置き、やはり休養を命じるのが指揮官のつとめだったのでは───そんな非難が議員の間を行き交っている。
短い沈黙の流れる室内で、カミューはちらと視線を彷徨わせた。瞳の向かう先は議場の奥深く鎮座する大振りの柱時計だ。時を刻む密やかな音が、静まり返った室内に妙に大きく響いている。
不意に代弁人が立ち上がった。
「配慮の欠如……そう捉えても良いのではないでしょうか? その過ちが年若い少年を死に追い遣ったのです。これは隊長殿の指揮官としての資質に問題があったと言わざるを得ません」
「……して、最終的に夫妻の求めは?」
疲れ果てた顔で問うた議員に、ワイマンは敢然と向き直った。
「赤騎士隊長ミゲル殿の騎士団放逐」
居並ぶ騎士らがぎくりと強張るのを見てから低く続ける。
「───と、望まずにはいられぬほどに夫妻の悲嘆は大きい。しかしながら、騎士団という組織にそこまで求めるのは難しいでしょう。よって、隊長職解任が順当なところかと」
そこでもカミューは感心した。またしても戦術行使だ。
先に大を示せば、後の小は霞む。問題にされているのは隊長としての資質なのだから、解任は穏便、且つ順当といった流れに繋がる。代弁人は巧みに力加減を量りつつ、議員の感情に訴えている。
ううむ、と考え込む一同の様子を見たマイクロトフは焦燥を募らせた。知らず、呻きが洩れる。
「風邪引きは気遣ったのに、何故、重篤な相手を……」
独言がローウェルを瞬かせた。彼は間髪入れずに屹立する。
「先に証言がありましたな。ミゲルは新任騎士の体調不良に注意を払っていた。それが何ゆえロイスの不調を軽んじてしまったか、その点を明らかにしていただきたい」
「……そこまで悪いとは思わなかっただけです」
議長の促しを待たず、ミゲルは答えた。
「休みたいなら、言えば良い。言わないなら訓練に参加出来る、そう思った。おれの判断が甘かったんです」
馬鹿な、と唸ってローウェルはどっかりと腰を落とした。折角マイクロトフがこじ開けた細い道を自ら閉ざす若者への憤怒で蒼白になっている。
「資質……資質」
議長がきつく眉を寄せて腕を組む。
「正しい判断を下せなかった、それは資質を欠いているとも言えなくはない。しかし、騎士団位階者のつとめは多岐に及ぶものであるし、この一件だけで結論を出すのは……」
「───当たり前だ」
拳を震わせながらマイクロトフは賛同した。
たった一つを取り上げて、他のすべてを否定するなど許せない。死んだ少年を心から哀れに思うが、その一方でミゲルの才覚は今より後に多くの赤騎士の命を救っていく筈なのだ。
「そのう……これは非常に申し上げにくいが、例えば賠償、というあたりで和解は不可能なのでしょうか……?」
曖昧な裁決前例を残したくないのは議員の総意なのだろう。一人がおずおずと提案したが、途端にメイエ氏が激昂した。
「金の問題ではない! わたしたちは息子を……たった一人の子を亡くしたのですぞ!」
「……おれも無理だと思います。貯えだって、そんなにないし」
控え目にミゲルも応じたが、そこで議員一同はぽかんとした。やがて低い声が言う。
「しかし、その……あなたは……」
───騎士団創設領主の末裔、財力を誇るルーエンハイト家の直系血族者ではないか。
公正を第一とし、一切の権威を取り入れぬ議会の認識において、その台詞はたいそう言い難いものであったようだ。
何を示唆されたのか暫し理解出来なかったふうの若者が、ああ、と顔を上げる。
「これはおれの問題だし、家に頼るつもりはありません。だから金額を呈示されたところで、一生騎士としてつとめ上げても、多分おれには払い切れません」
これには全員が唖然とした。どんな顔をすれば良いのか、といった様子で議員らは顔を引き攣らせている。告発当事者である夫妻までもが目を丸くしてミゲルを凝視していた。
「……ミゲル」
カミューが薄い苦笑を浮かべて首を振った。
「メイエ夫妻は金の問題ではないと仰っている。おまえの意見は意味を為さない」
この日初めて自身に呼び掛けた騎士団長を見遣った若者は、切なげに頷き、すぐに夫妻に向き直った。
「すみません、失礼な発言でした」
何処か緊張が切れてしまったような夫妻が目を伏せる。それを見届けた議長は幾度目かの大きな溜め息をついた。
賠償による和解も不可能、かと言って要求通り解任を決議するには釈然としないものが残る。
過去に扱ってきたのは明白な犯罪ばかりのため、論争の焦点は殆ど刑量と情状酌量に絞られていた。故に日数は要さず、招集された議会は一日で終了するのが慣習なのだ。
裁決は下されねばならない。本日、この席で。
賢明にも隠してはいるが、議員一同の胸中は、疲弊と苛立ちでささくれているに違いなかった。
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