愛ゆえの沈黙・3


法議会の議場は、ロックアックス城の敷地内に別棟として設えられている。普段は人の寄りつかぬ一画で、威厳と静寂に満ちた空間だ。
扱う懸案が騎士の犯罪であるだけに、もともと傍聴の席は多くない。よって、荘厳な作りの割には室内自体の印象はこじんまりとした感がある。重犯罪の場合は念のため警護の騎士を置くが、今回はそうした配慮は為されていないため、かろうじて閉塞感は軽減されていた。
出席議員の数は──過去に例はないが──最大で三十を超えるため、彼らに用意される一段高くなった席が部屋の中心で、それを左右に分かれた席が挟むというかたちになっている。
更に議場は二つの控えの間を有しており、一つは拘束を受けた咎人、もう一つは事実確認のため呼ばれる証言者に与えられる。ひっそりと閉ざされた扉の向こうには、既に当事者らが集められ、息を殺して発言の瞬間を待っている筈だった。
開始の刻限よりも早く着席を済ませていた議員は十五名、当初の騎士たちの予想よりも多い。位階者の資質を量るといった審議の内容の困難からか、議長は慎重を期したようである。だがマイクロトフは、聞いた知識でしかないが、私闘殺人の詮議などよりも多い議員の姿に心痛を覚え、ローウェルに至っては陰欝を深めて嘆息を繰り返していた。
論人側に与えられる席にて、上座から赤騎士団長・第一隊長、そして青騎士団長の順に腰を下ろす。ここでのマイクロトフは一傍聴人に過ぎない。審議の行方を囁き合うこともあろうと、ローウェルに上座を譲ったのである。
礼節に厚い男は、しかしそんな気遣いにも謝辞を述べる余裕を失っていた。ややあって入場してきた中年の男女を見るなり、彼はいっそう顔を曇らせた。
三者の席に対面して座す、それは今回の訴人であることを意味する。哀れにも僅か十五年で命を終えた少年の両親は、憔悴も激しく、だが異様に燃え上がる目で騎士らを凝視していた。
「……彼らからしてみれば、ミゲルを弁護するわたしは敵もいいところですな」
「ぼやくな」
いつもと変わらぬ沈着な面のまま、カミューが小声で言う。
「わたしだって複雑だよ。ロイスとて大切な部下の一人だった。正騎士叙位式ではこの手でエンブレムを与えたんだ」
「はあ……申し訳ございません」
分かる、とマイクロトフも項垂れた。
両者の気持ちは痛いほど理解出来る。
仲間が一人失われた。しかも、晴れて騎士になったばかりの少年だった。それだけでも胸が痛むものを、今度はその指揮官が裁かれようとしている。彼らが認め、位階を与えた騎士隊長が。
純然たる犯罪ならいざ知らず、どうあっても釈然としない心地が捨て去れない。第一隊長のぼやきも、カミューの嘆きも、どちらも心底からのものであるだろう。
そこで再び議場の扉が開き、告発者側に一人の男が着席した。何事か夫妻と言葉を交わし、それから悠然と背もたれに沈む。
「……あれは?」
マイクロトフが問うと、ローウェルが低く返した。
「メイエ夫妻の代弁人です。何でも、グリンヒルから招いた弁論技法の教諭とか」
「弁論……技法……」
事件にあたって告発した人物が有る場合、提出した訴状とは別に、改めて事の次第を直接議員に訴える運びになっている。感情的になり得る場合には、代弁人を用いる権利が認められていた。
論述巧みな告発人は、その時点で議員を味方につけると言っても過言ではない。従って、訴えから僅かな日数で、語る技術を生業とする者を招いた夫妻は、本気でミゲルを潰そうとしていると見て良いだろう。
どっぷりと暗くなっている第一隊長をマイクロトフは案じた。ただでさえ当人から弁護に値する情報を得ていない身には些か過ぎた相手だ。不利な戦いにも敢然と立ち向かわねばならないのが騎士とは言え、やや畑違いの今回の任を重く感じても已む無しだった。
雛壇の中央席に座った議長が懐中時計を見遣り、双方に呼び掛ける。
「刻限です。各々方、開始して宜しいでしょうかな?」
代表してカミューと代弁人の男が同意を示すと同時に、控えの間の扉が開かれた。咎人の入室を促したのは幼げな二人の従騎士である。この一画の張り番は持ち回りのため、今日は白騎士団所属の少年が当たったようだ。珍しい詮議に興味を隠せぬ少年の後から、ゆっくりとした足取りでミゲルが顔を覗かせた。
そのまま足を進めた彼は、反射的に騎士側の席に目を向け、そして硬直した。カミューやローウェルが参席するのは当然だが、そこにマイクロトフまで連なるとは予想していなかったからだろう。
自団長への深い敬慕を抱く若者は、その一方で青騎士団長への尊崇を隠さない。彼が騎士として最初に憧れたのはマイクロトフであった。男の同席がミゲルの動揺を誘ったのは明白だ。心情を知るだけに、カミューは幾分眼差しを和らげて、その場に立ち尽くした若者を見守った。
「どうなさった、早く席に着かれよ」
議長に命じられて、初めて我に返ったようにミゲルは歩き出した。議員らと向き合い、左右の傍聴席に挟まれた位置にポツンと設えられた椅子の背を掴み、居心地悪そうに座り込む。ひとたび息を吐いた彼は、最後に真っ直ぐに背を正して顔を上げた。
「では……マチルダ騎士団領、法議会の名に於て詮議を開始する。訴人オルト・メイエ、及びロジーナ・メイエ夫妻、論人は赤騎士団所属、ミゲル第十部隊長。調べの内容はミゲル隊長の指揮官資質の如何について───相違あらば、この場で申し述べるように」
朗々たる響きで議長が宣言し、両者は沈黙をもって肯定を示した。議長の横に座した女性議員が本日の進行係らしい。聡明そうな壮年の彼女は淡々と後を引き取った。
「本件において議会が選出した証言者は赤騎士団・第十部隊より、三名です。詮議に応じて、訴人・論人双方に他なる証言者の喚問を認めますので、その際には控えの従騎士を伝令役に任じていただいても結構です」
ミゲルの入室に従った二名が、かちかちに強張って礼を取る。ちらと目を遣ったのは代弁人の男だけで、カミューは席上の部下に当てた視線を移そうとはしなかった。
「なお、メイエ夫妻は代弁人としてグリンヒル在住のワイマン氏を指名、既に議会はこれを承認しております。ミゲル隊長の弁護には同・赤騎士団所属、ローウェル第一部隊長殿が───」
「待ってください」
進行係の言葉を遮ったのは論人席のミゲルである。唐突な声に瞬いた女史に、彼は凛然と言い放った。
「弁護は要りません。証言も省いて構わない。咎を認めます」
ざわ、と議員席がざわめく。仰天したのはローウェルとマイクロトフだ。特に、激し易い青騎士団長の方は知らぬうちに立ち上がって声を張っていた。
「ミゲル! 何を言っているのだ、それで良い訳がなかろう!」
怒声にも等しい一喝にミゲルはぽかんとした。困ったように眉を寄せ、しかし小さく笑うのを見てマイクロトフは確信した。この年若い赤騎士隊長が何かを心に秘めている、と。
騎士団領の統治者ゴルドーに似た豊かな顎髭を扱いた初老の議長が、困惑げに首を捻り、軽い咳払いをしてから重々しく口を開いた。
「あー……マイクロトフ団長殿。傍聴なさるには何ら問題はありませんが、本件にて、あなた様の発言は認められておりませぬ」
「あ」
まじまじとミゲルを凝視していた彼は、そこで漸く我を取り戻した。慌てて丁寧に一礼する。
「も、申し訳ない……失礼をはたらいた」
くすくすと笑みを零す議員らを横目で眺め、カミューは幾許かの感嘆を覚えた。
単なる傍聴人の立場に過ぎぬとは言え、論人側に席を取るマイクロトフの失言はミゲルの不利益にもなりかねない。だが、様子から見るに、議員一同は悪感情を抱かなかったようだ。厳粛を信条とする議場には珍しいことである。これもマイクロトフという男の不可思議な魅力の一つなのだろう。
ひっそりと感謝の首肯をしたミゲルが議長に向き直った。
「法議会条項には、『論人の権利として、その関係者による弁護を認める』とあります。おれは権利を放棄します」
一度は和み掛けた議員らだったが、この発言を受けて再び小声で論じ合い始めた。ローウェルが頭を抱えて唸っている。
「あの馬鹿、条項を逆手に取るとは……こういうときばかり妙に気の回る奴め、いったい何を考えているのだ」
万事休すといった様相の部下に苦笑して、カミューは挙手で発言を求めた。
「彼の要求通り、我らは弁護資格を放棄致しましょう」
「カミュー様!」
ぎょっと身を竦ませる男には目もくれず、議長を凝視する。
「但し、後者の要求は認められない。位階者の資質を問うた本件は、一騎士隊長の問題に非ず、今後の任官に関わる重要なる懸案です。だからこそ、将来への参考を求めて青騎士団長も参席している。よって、わたしは赤騎士団を代表して、証言者の責務履行、及び発言権の行使を要求します」
整然とした意見が議員らを落ち着かせた。議長が深々と頷きながら応じる。
「本件が非常に繊細な問題であるという点では我らも同感です。そのため議員の数も十分に考慮したつもりですぞ。議会はカミュー赤騎士団長殿の要求を認めます」
ローウェルはほっと胸を撫で下ろすが如き顔つきだった。
上官の意見は、裏を返せば議員への挑発でもある。騎士団に関与せぬ者が、果たして位階者の資質など問えるのか。判断に少しでも隙があれば、即座に異を唱える権利を寄越せ───カミューは遠回しにそう言っているのだ。
だがしかし、持前の柔らかな弁術に韜晦され、真意は巧みに隠匿されたようだ。正当な意見と認めた議員をちらと睨み、夫妻の代弁人だけが憮然としている。
マイクロトフがローウェルを乗り越えるようにして小声で囁いた。
「カミュー、いいのか? 弁護を放棄するなど……」
すると彼は可笑しそうに目を細めて息を吐いた。
「構わないさ。発言権だけ確保しておけば十分だ」
どうやら一人真意を量りかねている男を、赤騎士隊長は羨ましげに凝視する。
青年の遣り口を散々見てきたローウェルだ。所属を違え、目撃者たり得ぬ青騎士団長は、ある意味幸せかもしれない───そんな眼差しで。
「どうだい、ローウェル。これで少しは気も軽くなっただろう? 腰を据えて詮議の成り行きを見定めよう」
「は、はあ……」
何を考えているのか、何処までも超然と構えた上官の傍ら、だが第一隊長はとても賛成とは言えぬ表情だった。
「では、代弁人ワイマン殿。改めて詳細なる告発証言を」
女性議員の求めに男が立ち上がった。与えられた情報をすべて暗記しているのか、書の類は持っていない。これも技法の一つである。記された事項を読み上げるよりも、遥かに強く相手の心情に訴えられるからだ。
男は、ロイス騎士の死亡した状況を事細かに述べた。
少年の所属、死亡の日時、剣技訓練中の不幸だったこと、鍛練相手だった騎士の名など、それは通達書として予め議会や赤騎士団に回された内容を丁寧になぞっていた。
言及は遺体を検分した医師らの宣誓書に及び、少年が剣の事故などではなく、突然死といった状態で死亡に至ったと告げた。そこで議員の一人が口を挟んだ。
「ロイス騎士は以前から何か病を?」
「いいえ」
代弁人は背後の夫妻に痛ましげな視線を向けながら続ける。
「彼は一月半前に正騎士に叙位されたばかりです。騎士試験の際には、健康状態を保証する診断書を提出する決まり……この診断書、及び死亡時の医師団の所見書は赤騎士団側から譲り受けております」
男は議長の前に進み、懐中から取り出した書面を恭しく差し出した。次々と回されていく書類に眉を寄せ、マイクロトフは隣の騎士隊長を窺う。憂鬱げな声が呟いた。
「……提出を求められれば拒めませぬ。事実を曲げる訳には……」
「わ、分かっている。別に非難した訳ではないぞ」
書類の回覧を終えて顔を上げた議員一同は納得した面持ちになっていた。ロイスが一月半前までは健康であったと証明されたのだ。となると、いよいよミゲルの管理責任が焦点となってくる。
「……続きをどうぞ、ワイマン殿」
代弁人の発言は、城からの急報を受けた夫妻の慟哭へと移った。
ロイスはメイエ家直系の、しかも一人息子で、前途に大きな期待を寄せられていた。たった十五で命を摘まれた少年を悼んで狂乱に陥る母の姿が切々と語られ、議員席が沈痛に包まれる。
更に男は、葬儀に足を運んだ赤騎士らに対する夫妻の感謝を口にした。これで夫妻の憎悪が赤騎士団にではなく、ミゲル一人に集中しているのだと明かしたようなものだ。
カミューの瞳が反対席の夫妻に向かう。互いを支え合うように椅子に沈んでいる二人が、視線に気付いたのか、顔を上げた。議場で最初に目を合わせたときはともかく、ミゲル以外の騎士らを見る今の夫妻に怒りめいたものはない。ただ、底の無い悲しみだけが暗い眼差しに揺れていた。
「……上手いな」
ポツと呟くカミューである。
代弁人の言葉は嘘偽りない夫妻の心情かもしれない。だが、巧みな戦術であるのも確かだ。
息子が所属していた騎士団そのものに恨みを匂わせれば感情的に走っていると取られる恐れがある。他の赤騎士を憎んでいない、そう告げることで代弁人は夫妻が冷静を欠いていないと主張しているのだ。
悲嘆の後、幾許かの平静を取り戻した夫妻がミゲルの対処に疑問を抱き、葛藤の果てに訴えに至った経緯を述べ終えたところで、一旦、発言が途切れた。涙を堪えるようにして聞いていた議員の一人が重い口を開く。
「何とお悔み申し上げれば良いか分からない。ですが……本題に入りましょう。正直言って、我々は本件に当惑しております。御夫妻の無念はお察しする、されどロイス騎士の死は突然の体調不良による不幸、そこまで隊長殿に責めを負わせるのは酷なのではありませんか?」
「然様、それに彼の責任を問うなら騎士団に訴えるのが妥当だったのでは……」
別の議員も苦渋混じりに続ける。先に議長が言ったように詮議しにくい案件だと痛感しているのだろう、こちらは些か恨みがましさが滲んでいた。
だが、代弁人はここぞとばかりに胸を張った。
「無論、ロイス騎士本人が体調が優れないのを隠していたなら、隊長殿に罪はない。だから夫妻も恨みの念などなかったのです。葬儀の前日、真相を知るまでは」
「真相?」
「然様」
代弁人ワイマンは席上の赤騎士隊長を睨めつけて、一際大きく言い放った。
「彼は知っていた! ロイス騎士が訓練に耐えぬ体調であると知りながら剣を取らせたのです。訓練の強要によって部下を死に至らしめた……殺人にも等しい大罪ではありませんか!」

 

 

しん、と静まり返った議場すべての視線を集められたミゲルは、膝の上で握った拳に落としていた目を閉じる。
若くして大きな責任を負った肩を、議場の空気が押し潰そうとしているかのようだった。

 

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何気なく流してますが、
現在室内にはオリキャラが22人。
まだまだ増えます。もうヤケ。

 

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