「責任を認めているだと?」
うん、と軽く応じたカミューは食後の茶の芳香を楽しむように鼻先を湯気に翳す。
「ローウェルが尋問した限りでは、そう言っているね。今日も詮議で同じように申し述べるつもりらしい」
「釈明しないつもりだと? 馬鹿な!」
青騎士団長は両手を卓上に叩き付けた。
「それに! 法議会も法議会だ、そんな告発をすんなり受理するのは不自然ではないか。騎士団内で処理されるべき問題だと判断出来るだろうものを」
愛すべき伴侶の爆発を黙して見守っていたカミューが柔らかく割り込む。
「死んだ騎士はロイス、姓はメイエと言う」
「ほう、姓を名乗っているのか」
特に感ずるところもないといった反応である。横から口を出して良いものかと思案顔の部下を一瞥してからカミューは弱く嘆息した。
「そちらに反応するよりも、団史の方を思い出してくれ。マチルダ騎士団創設時の領主騎士の名の一つじゃないか、ロイスは由緒正しき家名を継ぐ騎士だったんだ」
騎士団は、かつて近隣の領主騎士がハイランド王国からの防衛を唱えて結成した一団である。その際、中核となった七人の領主の名を混じえて『マチルダ』の呼称がつけられた。もともとこの地方では『姓』の概念がなかったが、騎士団創設の功績を遺すため、領主の子孫は彼らの名を姓として用いるようになったのだ。
その後、各地からの移民が根差して、姓を名乗る者も増えていったが、今も騎士団領民の間では『正当なる姓を持つ家』は領主の直系血族たる七家と認識されている。死んだ少年は、そうした並ならぬ血統を背景にしていたのだった。
もっとも、騎士団は『出自を問わず』と謳う組織である。特に同名の団員でも重なって齟齬でも来さぬ限り、姓を用いる必要性は少ない。よって、入団時に提出する身上書にこそ記載はあっても、団員名簿には名のみが記されることとなっていた。カミューにしても、少年の出自に意識を払ったのは今回の事態に陥って初めてといったところだったのである。
漸く納得したように顔を上げたものの、マイクロトフの表情は晴れぬままだ。
「───で? それが何か……?」
「ここ数十年、経済的には没落気味にあるが、今もメイエがロックアックスにおける有力な名家であるのは事実だ。当然、法議会議員名簿にも傍系にあたる人物の名がある」
マイクロトフは更に首を捻った。
「だが、議会では公正を期して、関係者の招集は避けるといった約定がある筈だぞ?」
傍らから控え目にローウェルが言葉を挟んだ。
「その通りです。しかしそれは飽く迄も詮議の場そのものについての取り決め……訴えの受理には禁止規定がありません」
今回の場合、騎士の両親は葬儀に訪れた親族に訴状を手渡ししたらしい。議員にあたるその人物も、内容が今一つ法議会に沿わぬものであるとは承知していた筈だ。それでも、実際に当人は詮議に加わらない訳だし、受理する行為自体には何ら問題は生じない。血脈の情も手伝って、結局は受け入れたのだろう。
説明を聞いたマイクロトフは、一瞬の考慮の後、今度は憤然と吐き出した。
「とどのつまり、ごり押しか」
「結果として、訴えは審議の範疇と判断された訳だが、そう言えなくもない」
「訴状を受理してしまった以上、議会は招集されねばならない」
「そう」
「……家か? 家柄が問題なのか。遺族が有力者だったから、だから議会は動くのか?」
するとローウェルが驚いたように目を見張った。日頃、権威とか欲得といった定規でものを見るのが苦手な青騎士団長なだけに、行き着いた結論が意外だったのだろう。
「いえ……マイクロトフ様。そのあたりは除いてお考えになっても宜しいかと。メイエは確かに名家ですが、それを申すならミゲルは更に上を行きます。あれもまた、騎士団創設領主の直系───このロックアックスでルーエンハイトの一族以上に力を持つ家名はありません」
カミューが可笑しげに言い添えた。
「当人を見ていると、ぽっかり忘れてしまうけれどね。そうなんだ、議会は出自など考慮しない。騎士団同様、峻厳かつ公明正大に、退けるに足るものは退けるし、逆に、どんな名家の御曹司だろうと議場に引き摺り出すよ」
ミゲルの一族はマチルダ騎士団領の歴史の中でも所謂『勝ち組』に位置する。優れた人材に恵まれたとでも言うのか、学問に芸術、果ては商いに至るまで多くの成功者を出して、他の設立領主らとも一線を画していた。
騎士団では先の白騎士団長が極最近の関係者だが、彼はミゲルの叔父にあたる。更に、現在の当主であるミゲルの長兄は商工会と学術協会の監事、及び法議会の副議長といった具合だ。他にも数々の著名人を抱え、名声、財力共に一族の盤石は揺らがない。
「ちなみに、長兄殿は縁戚者という理由から自動的に詮議の面子から外れたが……見事なまでにあっけらかんとしたものだったらしい。『非があれば容赦なく断罪せよ』と一閃して、かえって議長殿を困惑させたそうだよ」
「そうか……」
マイクロトフは複雑な表情で黙り込んだ。家名が意味を為さない、それは彼が望む公正ではあったが、親族にすら庇って貰えぬ今の若者の立場がひどく切なく思えたのである。
「賠償を求めるにせよ、処罰を求めているにせよ、どちらにしてもミゲル本人が非を認めていては、遺族の思う通りに事が運んでも仕方がないな」
淡々と述べた青年に終に男は忍耐を断ち切った。
「カミュー……何をそんなに落ち着き払っている? 子を亡くされた親御殿のつらい胸のうちは察して余りある。だが、それではミゲルは逆恨みの犠牲になるようなものではないか」
「それがね……、部下の体調不良を知っていたなら、微妙に話は変わってくる。逆恨みとばかりも言えなくなるんだ、マイクロトフ」
まして、と彼は補足した。
まして叙位されたばかりの少年だ。気を張り、何かと無理を押すのは目に見えている。それを把握し切れなかったなら、確かに部下を与る位階者として資質を欠くと誹謗されても無理からぬかもしれない。
絶句したマイクロトフは救いを求めるようにローウェルに目を向けた。年若い赤騎士隊長へのカミューの親愛は疑うべくもない。が、これまでのところ彼は一切の私情を交えず、冷徹に事実を口にするばかりだ。取り付く島さえ見つからず、困惑し果てた挙げ句の視線だった。
「───斯様な目で御覧にならないでください。わたしとて胃の腑を痛めているのです。このようなときにランド様は留守になさっておられますし……」
「すると、弁護にはローウェル殿が?」
はい、と疲れたように頷いて第一隊長は肩を落とす。
「しかしながら、問題とされているのが『資質』ときては……お分かりいただけますでしょう、あれはああいう男です。何をどう弁護したものか」
上位階者が同席しているのも忘れた様子で乱暴に髪を掻き毟り、顔をしかめた。
「ただでさえ礼節はそこそこ、下手をすれば並以下です。答弁を想像しただけでも頭が痛い」
「う、うむ……」
「資質とは目に見えぬもの、武功のように明白に並べられるものではありません。御存じかもしれませんが、あれを騎士隊長に押したのはわたしです。新任者を選出する中央会議の場では多くを語る必要はありませんでした。騎士同士なら、こうしたものは感覚的に通じますからな」
「……道理だ」
「しかし、いざ言葉にするとなると……上に立つだけの度量があるとか、下っ端に好かれる侠気に富むとか、そんな手札で議員を納得させられるとは思えません」
「た、確かに……」
非常に困難な戦いを課せられた男に同情が募る。マイクロトフは逐一しみじみと相槌を打った。
「まったく同感だぞ、ローウェル殿。それは我ら騎士にしか察せられぬものだ。共に日々を過ごしてこそ、初めて理解し得る才覚だろうに」
他団に属するマイクロトフの目から見ても、若い赤騎士は十分に位階の器に納まる人物と思われる。正騎士叙位からの歳月は長くはないが、他者を抑えて部隊長の任を与えられたのは頭抜けた力量を認められたからに他ならない。それも、騎士団史上最年少で騎士隊長位を得たカミューに劣らぬほどの才覚を。
「せめてもう少し事情を明かせば良いものを、先程申し上げた文言を繰り返すだけで、脅そうが宥めようがビクともしません」
「固い信念を持っているというのも、上に立つものの資質に値するかもしれないね」
茶化すように言った上官をローウェルが恨めしげに見遣った。会話が中断したのを幸いに、ずっと気になっていた一点を問うマイクロトフだ。
「カミュー、おまえはミゲルを直接尋問しなかったのか?」
探るような男の眼差しに笑み返し、カミューはあっさり答えた。
「したとも。通達が届いた直後……三日前になるか」
議会召集の通達が下ると同時に論人の身柄は議会の管理下に置かれ、弁護を担当する者以外との接見は容易には叶わなくなる。よって、カミューが直接話を聞く機会はミゲルに指揮権の一時剥奪を言い渡す束の間だけだった。
「そ、それで?」
「申し訳ありません」
「何?」
「煩わせてしまって申し訳ありません、だそうだ。わたしには強制的に議会参加が命じられるからね。それと……弁護の手間をローウェルにも詫びてもいたのかな」
それ以外は口を噤んだのだと知り、マイクロトフは困惑を増した。
ミゲルはカミューを尊崇することに命を懸けているような若者だ。そんな彼が、カミューの問い掛けにさえ応じない。ゆっくりと不快な暗雲が広がるような心地であった。その場には同席していなかったらしいローウェルもまた、痛みを堪えるかのように唇を噛む。
「あの、底無しの大たわけ者が……」
独言じみた呟きが心中を物語っていた。胸苦しさはマイクロトフも同じだ。
本当にミゲルの落ち度なのか。だから潔く責任を認めているのか。そうだとしても、それは法議会まで開いて裁かれねばならないほどの罪なのか。
人である以上、すべてに万能では有り得ない。
にも拘らず、訓戒に背いた恥ずべき咎人と同じ席で裁決を仰ぐほどの大罪なのだろうか───
俯いて沈黙してしまった二人を交互に見詰める青年は、しかし相変わらず泰然としたものだ。事態を憂う素振りも見せず、やがて刻限を確かめる。
「そう薄暗くなるな、二人とも。そろそろ時間だ、行こう」
「しかし、カミュー……」
「赤騎士団の筆頭隊長に青騎士団長。こんなにも案じて貰えて、たわけにしては果報に過ぎるよ」
赤騎士団長はこの日初めて見せる艶やかな笑顔で立ち上がった。
「わたしは自分を信じている。資質を問われるような騎士隊長は任じていない、それくらいには自分の目を信用しているさ」
「カミュー様……」
縋るような部下を眺め遣り、彼は明るく付け加えた。
「言っただろう、ローウェル? これから戦場に向かうのだと。おまえも今少し自分を信じるがいい。……弁護の困難は認めるけれど、ね」
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