愛ゆえの沈黙


昨夜半から幾度となく目を通した書面から顔を上げ、カミューはひっそりと吐息を洩らした。
そろそろ午前を終える鐘が城内に響く刻限、執務室の窓には輝くばかりの日差しが照り付けている。やや重い目許を指先で押さえれば、いつもは目敏い副官がたちどころに休息を促すところだ。しかし、温厚にして勤勉なる副長ランドは、ここ数日城を空けている。
久々に独りの執務を体験し、彼が普段、如何に巧みに気配を消しているかを痛感するカミューだ。邪魔にならぬよう、空気の如く控え目に振舞い、それでいて必要とあらば確固たる存在を主張する男。信頼する副官は、今は密命に身を投じているのである。
「失礼致します」
礼を取りながら入室したのは赤騎士団・第一部隊長ローウェルだ。不機嫌そうな地顔が、今日は輪を掛けて険しくなっている。
「第一部隊、午前の槍術訓練を終了致しました旨、ご報告申し上げます」
訓練終了後の報告には汗を流してから臨む慣習になっている。柱時計をちらと見遣り、カミューは苦笑した。
「随分と早目に切り上げたようだね」
笑みながら言うと、第一隊長は渋い表情で頭を下げた。
「申し訳ありません。しかし……どうにも訓練になりませぬ」
「やはり動揺はあるかい?」
「それはもう」
自部隊の様子を過らせたのか、男は珍しく深々と溜め息をつく。
「一応は沈着を命じてあるのですが、他の部隊も似たようなものです。第三部隊は弓術訓練を体術訓練に変更しておりましたな」
「憂さ晴らしを兼ねた訓練か。困ったものだ……と言いたいところだが、仕方がない」
カミューはゆるゆると椅子を揺らして背もたれに沈む。
「騎士隊長が法議会に掛けられるなど、そう滅多にあるものじゃないからね。しかし、午後のつとめが疎かに過ぎぬよう、各部隊長に伝達しておかねばならないな」
はい、と沈痛な面持ちで返した男にカミューは目を細めた。
「ローウェル、昼食は?」
「は、いえ……」
「ならば、ここで取るといい」
「……カミュー様」
屈強なる第一隊長は苦しげに眉を寄せ、思い切ったように言った。
「御厚情は嬉しく思いますが、今は食欲が沸きませぬ」
「駄目だよ。これから戦場に向かうのだから、備えはしっかり固めておかなければ」
柔らかな口調ながら反論を許さぬといった厳しさを感じたのか、男は丁寧に一礼する。そこで計ったかのように張り番騎士が扉を叩いた。
「失礼致します、カミュー様」
「ああ、丁度良かった。昼食はここへ、ローウェルの分も一緒に運んで貰えるかい?」
顔を覗かせた若い騎士はにっこりする。
「拝命致します。それから……青騎士団長マイクロトフ様がお見えですが、お通しして宜しいでしょうか?」
カミューは腹心の騎士隊長と顔を見合わせ、それから首肯した。
「構わない。ついでに彼の分も合わせて、三人分の昼食を頼む」
心得たように頷いた張り番騎士が僅かに身を退き、代わりに大柄な男が足早に入室を果たす。その訪いは、気忙しさが勝っているのか、たいそう騒々しいものであった。年長者である赤騎士隊長に軽く礼を払い、彼は直ちに執務机の前へと進んだ。
「呑気に昼食だなどと……カミュー、午後から法議会なのだろう?」
「慌てたところで、どうにもなるものではないさ」
「……悠長なことを。よく落ち着いていられるな」
眉間に刻まれた深い筋、苛立たしげに拳を開閉する様を見て、堪らずカミューは失笑した。
「ミゲルはうちの団員だ。おまえの方こそ、少し落ち着いたらどうだい?」
む、と詰まった男にローウェルが申し訳なげに頭を垂れる。
「マイクロトフ様、あの大たわけを御心に掛けていただくとは……痛み入ります」
心痛半分、忌ま忌ましさ半分といった調子を悟ったマイクロトフは、幾分表情を緩めた。改めてカミューを見詰めて真摯に問う。
「概要は聞いたが、釈然としないことばかりだ。ディクレイも賛同してくれている、おれも傍聴に臨んで構わないか?」
青騎士団副長ディクレイは、机上のつとめを苦手とするマイクロトフの補佐に追われて日々苦闘する人物だ。そんな彼が上官の午後いっぱいの穴を容認する気になるのも、今回の審議の行方を重く受け止めている現れだろう。カミューは肩を竦めて軽く返した。
「副長以上の位階者には法議会を自由に傍聴する権限が与えられているからね、興味があるなら来ればいい。じき食事の用意が整うし、先ずは座ったらどうだい? 『釈然としないこと』とやらも、わたしで分かる範囲ならば答えるよ」

 

 

 

七日前のことである。
赤騎士団の恒常訓練中に一人の騎士が死亡した。
所属は第十部隊、つい一月半前に正騎士に叙位されたばかりの、まだ十五歳の少年だった。
騎士団の訓練は過酷で、例年若干名の死者は出る。しかしこれは三騎士団合わせての数であり、総勢比から見れば極めて少ないと言って良いだろう。騎士に叙位される時点で厳しい選別を潜り抜けた男たちだ。訓練で死亡するのは余程の不運といったところかもしれなかった。
日常的に行われる武術訓練は、大抵は殺傷力に欠ける武具を用いて行われる。よって、死亡事故の発生は実戦形式の騎馬訓練時に集中していた。
今回特筆すべきなのは、これが模擬刀を使った、ごく平素の剣術訓練時だったという点だ。しかも少年は手傷を負った訳ではなく、突然倒れて動かなくなったのである。
後に遺体を検分した医師団にも、毒物投与の痕跡などは認められず、それは突然死としか判断し得ぬものだった。
ところが、少年の葬儀が済んだ日の午後、ロックアックス法議会は一通の告発状を受理した。訴人は少年の両親、対する論人には故人の所属していた第十部隊の指揮官ミゲルの名が記されていたのである。

 

 

 

「……それが分からない。つまりは一種の病死のようなものだろう? なのに何故、部隊長の責任を問うのだ」
「訴状の焦点はね、ミゲルの騎士隊長としての資質を問うというものだ。要は、死に至るほど体調不良だったのにも拘らず訓練に参加させた責を負え───遺族はそう考えているのだろう」
「馬鹿な!」
マイクロトフは唖然とし、すぐに首を振った。
「確かに部隊長たるもの、配下の騎士に対する責任は負わねばならない。だが、子供ではあるまいに、部隊全員、個々人の体調にまで留意し尽くせる訳がない」
「それがね」
膝の上で長い指を組み、カミューは身を乗り出す。
「死んだ騎士はミゲルの直属小隊に配置されていたんだ。まるで目の届かない範囲かと問われると……難しいところだな」
各騎士団の十ある部隊は、指揮の円滑を期して更に幾つかの小隊に分かれている。分割数は部隊長の裁量に任されており、ミゲルの与る第十部隊は八つの小隊で成り立っていた。
各小隊の扱いは横並びで位の上下はないが、唯一、部隊長が直接指揮を執る小隊だけは別格で、特に精鋭を集めるのが慣わしだ。ここに叙位されたばかりの少年騎士を配備したのも、周囲としては怪訝を覚える点なのである。
「言ってみれば、敢えて手元に置いたも同然だ。目を掛けていた、才覚を認めた───理由はどうあれ、そうして見込んだ相手の異変に気付かなかったという部分を責められると痛いね」
赤騎士隊長が控え目に言葉を挟む。
「ミゲルが騎士に叙位された際、わたしはあれを直属小隊に入れましたからな。ごく例外的な仕儀だという感覚がなかったのかもしれませぬ」
「士官学校時代の慣例座学など、まともに聞いていたとは思えないしね」
身も蓋もない同意を示す赤騎士団長を、困ったようにマイクロトフが凝視する。
「だが、いったい騎士隊長の資質とは法議会で詮議されるようなものなのか?」
これにはローウェルが重々しく答えた。
「例えばミゲルに非があるとして、処分等を詮議するなら赤騎士団内における中央会議が順当な筈です。歴然たる犯罪ならばいざ知らず、騎士団を通り越して直接法議会に訴え出た点も、我らにとっては釈然としない部分ですな」

 

 

マチルダでは騎士団が法を司り、罪を犯した領民の詮議を履行する。だが、騎士の犯罪については身内意識の介在を避けるために特別の議会が招集される。それがロックアックス法議会、騎士を裁く場であった。
議会は公正を信条とし、構成員は多岐に渡る。罪の種類、度合いに応じて議長が出席議員とその数を定めるが、私闘殺人や横領・贈収賄といった訓戒上の罪が主な議案となるため、殆どは一日で結審する。即ち、識者や街の実力者といった構成議員の日常に影響しないよう配慮された、飽く迄も臨時の議会なのである。
マイクロトフは、幸いにもと言ったべきか、これに参席したことがなかった。どうあっても欝々とせざるを得ない騎士の犯罪に直面せずに済んでいる身に安堵もしていた。
だから、副長ディクレイが書類の山に埋もれていた議会召集の通達を発掘したときには驚愕したものだ。所属や位階は異なれど、少なからず親交を温めている若者が議場に立たされるのを知り、しかも罪状と思しき点に首を傾げさせられた。
そうして本日、事態を見届けるべく駆け込んできたという訳だった。

 

 

「騎士隊長の資質と一口に言っても、曖昧過ぎて、騎士団とは相容れぬ、謂わば部外者たる法議会議員に判断などつきようがない……そう考えるのが普通でしょう。第一、過去にそんなものが取り沙汰されたなど聞いたこともありません」
憮然と零したローウェルにマイクロトフが心からの同意を示していると、カミューが密やかに唇を綻ばせた。
「前例はあるよ」
「え?」
「百二十年くらい前になるけれどね。『騎士隊長の資質、甚だ芳しからず』といった理由で法議会が招集されている」
「百、……二十年前?」
「お調べになられたのですか?」
呆気に取られる二人に赤騎士団長は穏やかに頷く。
「記録が古くて、詳細が零れ落ちてしまっているから所属も分からないが、たいそう嗜虐的な騎士隊長がいらしたみたいだ。理不尽な体罰に耐え兼ねた部下が集団で法議会に直訴した。騎士団長に訴えなかったのは、問題の隊長の目を恐れて、とある」
「……して、判断は如何なものに?」
「何しろ古い時代だからね。中央広場にて鞭打ち三十、広場というからには騎士たちに公開かな。その後、平騎士に降格。まあ、とても騎士団には留まれなかっただろうね」
憐憫を装うか、笑いを零すか幾許か迷う素振りを見せた後、カミューは後者を選んだ。マイクロトフらも重い息を吐く。
「それではとても参考にならん。別ものだ」
まあね、とカミューは卓上に並べられた料理を優雅に摘んだ。
「当時はまだまだ訓戒も錯綜していたようだし、法議会は騎士にとって一種の駆け込み寺みたいなものだったらしい。今の『教え』のかたちが定まってからは、犯罪らしい犯罪しか裁いたことはないね」
再びマイクロトフは眉を顰た。
「親御殿の心情は理解出来なくもないが、いきなり法議会に乗り込むとは、少し……」
口中で言い淀む。太い腕を組んだ赤騎士隊長が、もっともだと言わんばかりに強く頷いた。
「常道から外れている上、感情的に過ぎています。今更ミゲルを訴えたところで、何を得るとも思えぬのですが」
ふと、マイクロトフは瞬いた。ひどく言い難そうに躊躇してから切り出す。
「賠償、の問題……なのか?」
任務遂行中の死亡に対しては騎士団から慰労金といった形の金が遺族に支払われる。これは訓練中の不幸にも同様だが、その額が必ずしも遺族の失意に見合うとは限らない。
赤騎士隊長ミゲルはロックアックスでも有数の名家の出である。騎士団の払う慰労金だけではおさまらぬといった遺族が、賠償金をもぎ取ろうとするのは十分に考えられる範疇だ。そのために法議会という場を選んで大事にした、とも。
だが、カミューは平静を崩さぬまま言い添えた。
「───あるいは、恨みか」
途端にぎくりとして二人の騎士は目を合わせた。
これもまた、考えられる理由である。訓練中とは言え、我が子を失った親の悲しみが逆恨みという形へ変じる可能性は大きい。
「まったく……ミゲルも隊長就任から間もないうちに苦難に直面したものだね」
「笑い事ではございませんぞ、カミュー様」
終始悠然と言を進める上官に、流石に途方に暮れたような面持ちでローウェルが言い募る。
「当人があれでは、間違いなく詮議は不利に進みます。最低でも解任命令は免れませんぞ」
「あれ、とは?」
身を乗り出してマイクロトフは追求した。
「どういう意味だ、不利になるとは?」
それが、とたちまち男は顔を曇らせた。
「……認めてしまっているのです。部下を死に至らしめたのは自分の責任だと。今日の詮議でも釈明する気がないようで」
「何だと?」
知らず荒ぶる声の先、美貌の赤騎士団長は、聡明に輝く琥珀の瞳を手にしたカップの茶に落としたまま、身じろぎもしなかった。

 

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この話のため、
ちまい設定を幾つか捏造しました。
真書等の後付設定は読んでいないので、
もし、「む?」ってな部分があっても
軽〜く流してやってください。

そして今回最大の遠い目ポイント。
よもやミゲリンの家名を考える日が来ようとわ。

 

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