それもまたひとつの選択 2


「ア……ミダ………………?」
聞き間違えたわけではないらしい。ミゲルを囲むようにして居並ぶ騎士隊長らの顔つきは真剣だ。
「え、ええと……アミダでいったい何を……?」
「決まっているだろう。本日の任に就く者を選ぶのだ」
アレンがやれやれといった調子で首を振る。
「おまえの昇進を祝し、まず一番に引かせてやろうという副長のご厚情だぞ? 感謝しろ、ミゲル」
「は、はあ……」
微かな眩暈を覚えつつ、ミゲルは渡された紙片を凝視する。散々重要と仄めかされた任務は、こんな冗談みたいな人選をもって果たされるべきことなのだろうか。
「これは我が赤騎士団における慣習のようなものでな」
ミゲルの困惑を察したらしい第五部隊長グスターが、懇切丁寧に説明し始めた。
「話せば長くなるが、ことは今からおよそ三年前……そう、あれはカミュー様が我が赤騎士団長に就任なされて二ヶ月ほど経った日のことだった……」
「前置きが長いぞ、グスター。それではつとめに間に合わなくなるではないか」
第四部隊長ウォールの指摘に、彼は慌てて頷いた。
「その日、エドがここで蹴躓いてな、屑入れをひっくり返してしまったのだ」
今回の人事でめでたく第九部隊長に昇進したエドは、騎士隊長の中では大雑把で粗忽な質で知られている。だが、自身の失態をむしろ彼は誇らしげに語った。
「そこで何が出てきたと思う? あのカミュー様の流麗な手蹟で、この……この……」
感極まったように身悶えるエドに、嘆息混じりに第八部隊長となったロドリーが続けた。
「カミュー様の書かれたアミダを発見したのだ」
「カミュー団長の……?」
意外に思って瞬くミゲルに、副長ランドが穏やかに告げた。
「昼食のメニューに悩んでおられたらしい。ちなみにグラタンとシチューとミートパイが候補に挙がっていた」
「………………………………」
「あの、何事にも即断即決のカミュー様がアミダだぞ?! わたしは感動のあまり、身体が震えた! 何事にも完璧なカミュー様の、思いがけない人間らしさに触れた気がした。……お決めになられたシチューには二重丸がついていたのだぞ!!」
力の抜ける事実を聞かされて惚けていたミゲルだが、慕わしい騎士団長の新たな一面を知り、胸の奥からほんのり込み上げる温かさに微笑んだ。流石に騎士隊長ともなると、自団長の逸話にも事欠かないようだ。
「……以来、カミュー様に倣うことにした。我ら騎士隊長の間における公正を期する決定事項には、こうしてアミダが登用されることとなったのだ」
「────そろそろ急がねばまずいぞ」
「そうだな、我らが遅れては本末転倒。さ、ミゲル。早いところ気合を入れて場所を選べ」
「ま、待ってください」
詰め寄る騎士隊長らに慌てたミゲルは、どうしても確認しておきたいことを口にしてみた。
「あのう……それで、その任というのは……いったいどのようなものなのです?」
「それは」
その刹那、騎士隊長らに訪れた変化には恐ろしいばかりのものがあった。
アミダという手段はともあれ、それまで彼らの表情には崇高な任務を果たすという自信と誇りが溢れていた。ところがミゲルが問い質した瞬間から、男たちの顔は欠片の緊張感も感じられない締まらないものに成り果てたのだ。
「えーと、えーと……つまり、だ」
「我らが敬愛するカミュー様により良い一日をお送りしていただけるよう尽力する、とでもいうか……」
「我らのカミュー様に健やかなお目覚めをお届けするつとめ、だな」
「まあ、手っ取り早く言えば起床係、だな」

 

────手っ取り早くなくても起床係だろう。

 

心の突っ込みはさて置いて、ミゲルは胸を過ぎる様々な思いを整理するのに必死だった。
赤騎士団は、鳥のような目覚めを果たす男が率いる青騎士団とは異なり、朝の訓練を義務付けられていない。訓練はあくまで個々人の意思に任されており、組織として動くのは大抵午後からの演習に限られる。
赤騎士団長は寝起きが悪い、それはロックアックス城でも幾度も囁かれている噂である。が、いざ戦地などに赴けば、彼はそんな事実など微塵も感じさせずに振舞う。
結果、噂は何事にも完璧な青年を身近に感じようとするあまりに誰かが流す、罪の無い風評だろうというのが一版騎士たちの通説となっていた。
けれど、ミゲルにはカミューと親しく付き合った一時期がある。記憶を掘り返してみれば、確かに噂が事実であると納得出来るような気もした。
第一段階の整理が終わると、次に役割の吟味に取り掛かった。
ずっと入室を許されなかったカミューの私室。そこへ堂々と立ち入ることが許される上に、公然と寝顔を見ることも出来る。
昔、彼の夜着姿を見たことがあるが、細身の肢体にたっぷりした布地がとても扇情的だった。
起こすというからには寝所に近づくわけだし、あわよくばあの感動を再び────などという幸運にも恵まれるかもしれない。

 

いやいや、何を考えているのだ。

 

ミゲルは己の妄想を振り払いながら必死に自制に努めた。
自分はもう、そうした目でカミューを見てはいけないのだ。彼の生涯の伴侶は青騎士団長を勤める男、ただ一人。彼の誠実を知るからこそ、涙を呑んで胸におさめた恋なのに────

 

「……実に感動的な任務だぞ、ミゲル」
そう言って、健気な決意に水を挿したのは第二隊長アレンのうっすらとした笑みだった。
「何事にも隙の無いカミュー団長が無防備にお休みになられる姿など、我らだけに許された特権だ」
「寝惚けたカミュー様の……あ、あ、愛らしさと言ったら……もう…………」
「貴様! 『愛らしい』とは言い過ぎだぞ、カミュー様は小動物ではない! せめて……か、可憐でおられた……くらいにしておけ!!」
「────おちつけ、ランベルト。似たようなものだ……」
「とにかく! 他の騎士たちの与り知らぬカミュー様を我ら騎士隊長が独り占め! これほど素晴らしく、且つ重要なつとめがあろうか?」
「………………………………」

 

頼むから、挑発しないでくれ────

 

心の叫び虚しく、つい先日まで直属の上官であった生真面目なローウェルがぽつりと呟いた。
「……極稀に、抱きついていただけるという特典もついている」
「!!!!!!!!!」
そこでミゲルの忍耐はぷっつりと切れた。湧き出る想いと闘志に駆られ、彼は拳を握り締めた。
「第十部隊長ミゲル、謹んでアミダを引かせていただきます!!!!」
「よし。あ、ペンだ。名前を記載した後、横線を一本入れるのを忘れるなよ?」

 

 

 

赤騎士隊長ミゲルは大概運の強い男だった。
恵まれた境遇、天の与えた才と体躯。唯一恵まれなかったものがあるとしたら、恋愛相手とでもいうべきか。
「……本当に運の良い奴だな、貴様……」
「何故、初めての分際で……」
「わたしなど、これで二十九日連続外れだぞ?」
「自慢になるか、わたしは四ヶ月目に突入している!」
口々にぼやく男たちの輪の中、ミゲルは副長に差し出された紙面を見詰めて戦慄いていた。殴り書いた彼の名前の部分には、几帳面なランドの筆で二重丸が施されている。
出来得る限りに表情は変えず、だがミゲルは心で快哉を叫んでいた。少しでも気を緩めると伸びてしまいそうな鼻の下を気力で堪え、厳粛に一礼する。
「……それでは、これより任に赴きます」
「待て、ミゲル。幾つか留意する点を述べておこう」
第六隊長シュルツが、軽やかに退出しようとする彼を引き止めた。
「カミュー様が起床に他者の手を借りているという事実を広めてはならぬ。この任はあくまで我らだけの胸の内に納め、決して騎士たちには口外せぬように」
誰がこんな美味しい任務を洩らすかと内心思いつつ、ミゲルは慎重に頷いた。
「カミュー様の私室での出来事も、騎士たちには一切洩らしてはならぬ」
そこでミゲルは微かな不安に襲われた。マイクロトフの存在である。
だが、まあ────城下に共に暮らす家もあることだし、まさか城内で事に及ぶこともないだろう。
自らに言い聞かせてから多少口惜しい思いに胸を焦がす彼は、やはり恋する若者だった。
「しかしながら、我らには詳細に報告するように。これは起床係の任に就くものの義務である」
「はあ……」
「まあ、そう堅くなるな」
ランドが温厚に激励した。
「カミュー様が一日を心地良くお過ごしになれるか否かはお目覚めにかかっている。誠実にお起こしすれば、それでおまえのつとめは終わりだ」
「は、はい」
そこでアレンがほくそ笑みながら小声で言った。
「ああ……大事なことを忘れていた。ミゲル、間違っても不埒な真似をしてはならんぞ」
「!!!!!」
全力で押さえ込もうとしていた願望を見透かされてミゲルは一気に紅潮し、思わず手にしていたアミダ書面を握り潰した。
「ア、ア、アレン隊長!! な、何を……」
「そうだな、カミュー様を『初恋の君』と慕うおまえには、やや苦しいつとめとなるやも知れぬ」
一緒になって頷いているローウェルに愕然とする。これほど必死に隠しているのに、いったい何故────
「焦るな、焦るな。分り易い奴だな、まったく」
騎士隊長らは一斉に吹き出した。笑いの発作は容易におさまらない。ミゲルは途方に暮れて呆然と立ち尽くした。
「そうからかうものではない」
苦笑したランドが一同を諌めた。
「気にするな、ミゲル。我らとて同様だ」
「え……?」
ようやく笑いを鎮めた男たちは愛情込めた視線を若い騎士隊長に贈る。
「如何なるときも目が離せない────」
「あの御方のため、どんな苦難にも立ち向かえる」
「あの笑顔をお守りするため、己のすべてを捧げ尽くしたい」
「────これは『恋』に似てはいまいか? ミゲル……」

 

 

温かな笑顔を見せる騎士隊長たちに、ミゲルは長く苦しかった想いが癒されるのを感じた。
そうか────そうなのか。
想いを忠誠に変えるという自分の選択を許された気がして、熱く潤む瞳を悟られまいと俯いた。
「さあ、行け。刻限が近づいている」
ランドが重々しく命じた。
「では、任を果たして参ります」
唇を噛み締めた青年騎士隊長は、男たちの笑みに見送られながら執務室を後にした。

 

 

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途中は阿呆炸裂、
でもちょっぴりシリアスの予感v
ふっ、我ながら暑くて錯乱しているのが
見え隠れしていて、いとをかし。

次で締めます、真面目に!
さあ……何処までさせるかのう。

 

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