それもまたひとつの選択


爽やかな朝だった。
小窓から差し込む光に薄く開いた目を射られ、赤騎士ミゲルは顔をしかめた。続いてはっとして、一気に寝台に起き上がる。

今日は特別の朝なのだ。

騎士として叙位されて3年あまり、ずっとこの日を夢見てきた。無為に過ごした従騎士時代を埋めるため、決意を形に為すために。
ひとたび走り出してからは日々は順調に流れ、彼は所属する赤騎士団第一部隊でも栄え抜きの騎士として名を挙げた。振るう剣は戦地に輝き、その存在は部隊の宝となったのだ。
そして昨日────
ミゲルは終に望みを叶えた。
赤騎士団・騎士隊長の地位を得たのである。

 

騎士団においてもっとも昇進が困難であると言われているのが、騎士隊長への道である。
数ある騎士を束ねるこの地位は、僅か十人に与えられるものだ。それに対して騎士の数は多い。昇進・降格共に頻々と行われる騎士団とは言え、ひとたび騎士隊長に任ぜられる者の一騎士への降格は皆無と言っていい。よって、この地位は該当者の戦没、あるいは除隊以外に滅多に空席が生じないのである。
今回、空きが出来たのは、第八部隊長だった人物がマチルダを去ったからだった。彼は元はグリンヒル市の人間だったのだが、商いをしていた実父が他界して、残された老母と店を守るために泣く泣く除隊を決意したのであった。
かくして赤騎士団要人たちは中央会議と呼ばれる議会を召集し、新たな騎士隊長の人選に入った。
まず、各部隊長が『これは』と思われる騎士を推薦する。それから各人の武功、騎士としての礼節や指揮官としての能力を照らし合わせ、最終的な決議は騎士団長の裁可に一任される────それが議会の通例と騎士たちは認識している。
だが、今回は少しばかり様相が異なったらしい。本来会議の行方は外部に一切洩れないものだし、ミゲルも自部隊長が耳打ちしてくれなかったら、生涯それを知ることはなかっただろう。
議会進行役を勤める副長ランドが議事の確認を宣言するなり、第一部隊長ローウェルがミゲルを推薦した。通常ならば幾人かの名前が列挙されるところ、ミゲルの名を聞いた他の部隊長らは一斉に頷き、直ちに信任論議に入ったという。
彼の唯一の難は若さと騎士叙位からの期間の短さであったが、そこは赤騎士団、頂点に立つ騎士団長が騎士隊長に任ぜられたのは僅か十七才の時である。前例としてはこの上もない見本があるわけだ。
満場一致でミゲルの騎士隊長就任は可決され、最後に騎士団長の是非を伺うべく騎士たちの視線は一点に寄せられた。
────赤騎士団長カミューは目を伏せ、満足そうに微笑んでいたという。
それをこっそりとローウェルから聞かされたとき、ミゲルは滲む涙を必死に堪えた。

 

あの人は────
きっと喜んでくれた筈だ。
ひっそりと今も胸に棲んでいる切ないばかりの片恋を、忠誠と化して捧げること。
その結果、自分が地位を昇ることを────

 

恋はただ苦しかった。
いっそ忘れられたらと幾度も思った。
それでも────忘れるどころか日々鮮やかに目前にある人を心は追い掛ける。
カミューが騎士となった自分に距離を置いたのはすぐに分った。
かつては入室を許された彼の自室の扉も閉ざされて久しい。それは自らを恋い慕う部下を遠ざけるというよりは、むしろミゲルの心情を思い遣っての振る舞いであったのだろう。
ただの一騎士としての扱いを超えないことでミゲルの想いが冷えるのを待ったのかもしれないし、彼の真の忠誠の行方を見定めようとしたのかもしれない。
いずれにしても、従騎士時代とは確実に隔たれた関係に甘んじながら、ミゲルはカミューを見詰め続けた。万にひとつも有り得ないとわかっていながら、その目が自分に向けられたなら、どれほど幸福だろうと儚い夢を抱き締めて。

 

────これでやっと近づける。

 

ミゲルは大きく伸びをしながら考えた。
騎士隊長にはロックアックス城内に個室が与えられる。副長以上に許された居住も可能な自室とまではいかないが、十把一絡げの騎士兵舎とは一線を引いた待遇に、自分が一歩進んだのを実感した。
騎士隊長ともなれば、日常において団長と接する機会は格段に増える。一騎士には敷居の高い団長執務室も出入り自由だ。
ミゲルはこみ上げる笑いを抑えられず、終に吹き出した。

 

まったく、どうかしている。

 

誰もが羨望する地位を得たことよりも、自分はカミューに近寄る理由を得たことが嬉しいらしい。
あの艶やかな微笑みを、心を見透かすような琥珀の瞳を間近に感じること。どうやら昇進への感激は、その次に来るようなのだ。

 

────自分は結構一途かもしれない。

 

苦笑しながら着替えを済ませ、最後に鏡で自身の姿を確かめた。見返してくるのは長身で均整の取れた凛々しい青年騎士だ。
目を閉じれば昨日の儀式がくっきりと蘇った。
居並ぶ赤騎士が厳粛に見守る中、跪くミゲルが両手で捧げ持つ剣。その鞘に静かに乗せられた、純白の手袋に包まれたしなやかな手。
剣士としてはあまりに優しい手の甲に、誓詞とともにくちづけた至福のとき────

自分を見詰める騎士団長を、見返すことが出来なかった。剣を捧げる忠誠の儀式は騎士に叙位されたときと然程変わるわけではないのに、あのときとは明らかに何かが違う。
顔を伏せていても、カミューがどんな表情で自分を見ているか、分るような気がした。
遠い誓いを真摯に守り抜き、とうとう足元にまで辿り着いた自分を、満足げな笑みをもって見詰めていたに違いない────

 

たとえどんな形であっても。
ミゲルの恋は終わったわけではないのだ。
激情に胸を焦がすことは許されず、だが密やかに燻る灯火は誰にも吹き消すことは出来ない。
そうした想いを選んだことに悔いはないし、今となってはただカミューの傍に在ることだけがすべてだ。彼に近しい地位を得た以上、前にも増して誠実に尽くそう。彼に捧げた剣に恥じることのないよう、見事につとめを果たしながら生きよう────

 

ゆっくりと開いた瞳には穏やかな決意が漲っていた。
ミゲルは静かに息を吐き、剣を携えて新たな生活に足を踏み出した。

 

 

 

 

昨日、騎士隊長就任の儀を終えた後、彼は副長ランドに呼び止められた。
騎士隊長以上の任に就くものは早朝会議を義務付けられている。よって第十部隊を与る身となったミゲルも参席するように、との簡単な指示であった。
指定された時間より早めに騎士団長執務室に向かったが、張り番の赤騎士の言葉を聞いて青ざめた。
「おはようございます、ミゲル隊長。皆様すでにお集まりです」
「お、おれが最後か……? 時間を違えただろうか」
「いいえ」
ミゲルとあまり年の変わらぬ赤騎士は、羨望を込めた笑顔で首を振る。
「お早いくらいです。どうぞ、お気になさいませんよう」
「そ、そうか……」
ほっとしながらも新参の自分が最後というのは初っ端からまずかったかもしれない。明日はもっと早く出ようと心に誓いながら、彼は開かれた扉に踏み込み姿勢を正した。
「第十部隊長ミゲル、入ります!」
「ご苦労、ミゲル」
赤騎士団副長の声が労う。一斉に集まる視線に緊張しながら、彼は礼を取って進み出した。真っ先に視線の向かった室内最奥に位置する机にカミューの姿はない。やや失望を覚えたミゲルだったが、これは騎士団長を迎える前に済ますべき打ち合わせなのだろうと自らを諌めた。
「昨夜はよく眠れたか?」
室内左端に置かれた副長の机に集まっていた騎士隊長たちから温かな声が掛かる。
「はい、ありがとうございます」
「どうだ、第十部隊の連中は?」
「昨夜、歓迎の宴を催してくれました」
「それは良かった」
ミゲルが従騎士時代に問題児として白騎士団から放逐され、最初に所属したのがこの第十部隊だった。当時はとにかく傍若無人に振舞っていたミゲルなので、これは非常に気まずい配置だったのだが、意外にも騎士たちは彼を喜んで迎え、その成長を祝ってくれたのだった。
「酒は残っていないだろうな?」
揶揄する第二隊長アレンに笑み返し、軽く肩を竦めた。
「騎士隊長には朝のつとめがある、と部下の側から気を遣われました。程々に切り上げたので、つとめに支障はないつもりです」
「────よろしい」
第一部隊長ローウェルが無骨な顔に満面の笑みを浮かべた。
「改めて祝辞を贈ろう。ミゲル、今後の働きにはカミュー様の期待が掛かっていることを忘れるな」
はっと背を伸ばしたミゲルに副長が続ける。
「中央会議での沙汰を洩らすのは本意ではないが……ミゲル、このたびのおまえの隊長就任を、カミュー様はとてもお喜びだ」
「カミュー団長が……」
「おまえはお応えせねばならぬ。誠心誠意つとめに励み、我らと共にあの御方をお支え申し上げ、赤騎士団の要とならねばならん」
────言われるまでもないことだ。だが、自分よりも遥かに長い時間カミューと過ごしてきた男たちの言には胸に迫る重い響きがある。
「……心して責を果たします」
「さて────ミゲル。こうして我らが集まっているのは他でもない、我が赤騎士団騎士隊長には日々重要な任務がある」
本題に入った第三部隊長エルガーの言葉にミゲルは改めて緊張した。
「……とても大切なつとめだ。だからこそ、地位あるものだけに任されている」
「おまえも晴れて部隊を与るようになった以上、任務に携る資格を得たというわけだ」
「責あるつとめを果たす光栄を肝に銘ずるがいい」
「は、はい」
次第に湧き上がる高揚に胸を弾ませ、ミゲルは拳を握り締めた。

 

────どれほど重い任務であろうと、見事つとめてみせる。
それが自分に期待してくれたローウェル以下、先輩騎士隊長への誠意であり、ひいてはカミューへの答えなのだから。

 

僅かに紅潮した頬を引き締めたミゲルに、副長ランドの穏やかな笑みが投げられる。
「それでは、ミゲル。これを────」
卓上でひらりと舞った一枚の書面に、ミゲルは眉を寄せた。よく見えなかったのだ。
「ほら、もっと傍へ寄らんか」
可笑しそうに言う第九部隊長エドに、戸惑いながら足を踏み出す。男たちの輪に立ち混じり、改めて凝視した紙片には、無数の線が引かれていた。
「我が赤騎士団に毎朝生じる重要任務にあたる者を決めるには、公正を期さねばならぬ」
「あ、あの……これは────?」
「見て分らんか」
苦笑するローウェルの奥で、副長は穏やかに口を開いた。

 

「────アミダだ」

 

 

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 シリアス調に始まるほど
後半が阿呆になるという我がサイトの法則を
最初に指摘したのは誰だったか……
あ、自分だったかな??(笑)

しかし、これは真面目に締めます。
例え途中、どんなに阿呆くさくても。

というわけで、続きます。
終に主役を張ったミゲリン、
頼むから頑張ってくれ〜〜
真面目に終わるように(他力本願)

 

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