最後の王・97


急逝した国主の葬儀を終えたグリンヒル公都は、一応の落ち着きを取り戻しつつある。
街中の半旗も目に見えて減った。しきたりから消されていた街灯に明かりが入り、夜、外で食事を取るものの数も戻り始めて───
移ろいやすい民の心は、既に亡き公主を離れていた。
テレーズ・ワイズメル。隣国へ嫁ぐ日を目前にして、別なる人生を与えられた公主の一粒種。
数奇な巡り合わせに翻弄されようとも、必ずや正しき道を進むと期待される次代のグリンヒル指導者へと、民の関心は向かっているのだ。
公主宮殿に程近い宿屋の食堂でも、人々の話題はテレーズ一色だ。彼女の聡明、そして優しさを称える声が、引きも切らず上がってる。
けれど、そんな明るい騒然も、二階の一室には無縁であった。然程広くない室内にびっしりと並んだ顔は何れも暗い。息苦しさから誰かが窓を開けたが、吹き込む風も陰鬱は散らせない。部屋の借主である赤騎士団・第一隊長と、彼が率いる赤騎士らは、重大なる局面を迎えていたのである。
公都に滞在するようになってからというもの、騎士たちは、折に触れては騎士隊長の部屋を訪ねてきた。宿の主人もこれには怪訝を抱いたらしい。連日のように違う人間が客室を出入りするのだから無理もなかった。
ただ、部屋の借主はたいそう礼儀正しく、おまけに金払いが良かった。彼を訪ねてくる男たちも、騒ぎ一つ起こすでもない。いつしか主人は、この不思議な訪問に頓着しないと決めたようだった。
それでも今宵の来客の多さには、少なからず驚かされたに違いない。もっとも、彼は次々に現れる男を迎えただけなので、最終的な部屋の様相を見れば、更なる驚愕に見舞われただろうが。
寝台は壁に立て掛けられて、机や椅子は廊下に追い遣られた。身を縮め、隙間なく床に座り込んでも、騎士は一室に納まり切らなかった。このため、残りの面々は近場の酒場や食堂で待機している。
彼らに与えられたつとめは、先代マチルダ皇王を死に至らしめた毒物をワイズメルに提供した人物の特定だ。
グリンヒル入りしたときには雲を掴むような困難な任務と思われたが、程なく、ワイズメルによるグラスランド・カラヤ族長の毒殺という新情報が届いた。しかも、カラヤ族は毒物提供者を割り出し、報復も済ませたという。
事が、他国の王や部族長の暗殺ともなれば、露見の危険を減らすためにも、関わる人員を極力絞るだろう。となれば、カラヤの民が殺した人物こそが、マチルダ皇王暗殺時にも毒を用意したと考えて良さそうだ。
ここ数ヶ月の間にグリンヒルの政府要人で死亡した者はいない。つまり、毒物提供者は宮殿の外にいたということになる。
この人物とワイズメルが直接相対す間柄であったなら、共に故人だ、もはや手の打ちようがない。騎士らは一縷の望みに縋った。両者を繋ぐ第三の人物が必ずや存在する、そう自らに言い聞かせ続けた。
先ず、カラヤ族の報復を受けた人物を探すところから始まった諜報は、予想に反して困難を極めた。「学術都市で起きる殺傷事件は少なかろう」という認識に誤りがあったからだ。
公都グリンヒルには豊富な書物や知識を求めて、様々な国から人が集まる。言ってみれば人種の坩堝で、そこには諍い沙汰が多々起きた。
引き換え、公国が持つ武力や調査力は、他国とは比較にならないほど脆弱なのだ。かろうじて治安維持の体裁を保っている、それが公都の現状だったのである。
外から見ているだけでは分からないものだ───うんざりするほどの事件記録を前に赤騎士隊長は零し、部下たちもまた、暗澹に呑まれそうな自身を叱咤した。
学問のための滞在費が嵩んでの強奪殺人、痴情の縺れ等々、目指すものから遠い事件を消しては、引っ掛かりのある案件を精査する。
地味な作業の連続に耐え忍び、彼らは終に、的を二つにまで絞り込んだのだった。

 

張り詰めた緊張の中、赤騎士隊長が言った。
「薬屋と学者、か」
はい、と一人が応じる。
「薬品店の主人宅を訪ねるグリンヒル軍司令が幾度も目撃されております」
いま一人も声を張った。
「学者の方ですが……、内務大臣と親しい関係にあったようです。こちらも、互いの家を行き来していたとの証言を得ました」
騎士隊長は、事件を伝える複数の公報の中から問題の二件を取り上げ、再読した。
「いずれも刃物で殺されているな。薬屋の方は家屋に火を放たれ、妻子が焼け死んでいる」
「焼き討ちは、報復の手段として珍しいものではないのでは?」
「確かにな。だが……何か釈然としない」
部下の意見に頷きつつも、騎士隊長の表情は厳しいままだ。
テレーズが語ったカラヤの民は、誇り高き武人であった。戦中ならばさて置き、女子供を焼き殺す非情とは結び付け難い。まして、風によっては類焼の可能性とてあったのだ。家人のみならず、無関係な住民まで巻き込むだろうか。
上官の思案を察した一人が控え目に発言した。
「カラヤ族長の意とは別に、逸った者が、結果を考えずに火を放ってしまったということも有り得るのでは?」
これには別の騎士が首を振る。
「テレーズ殿下襲撃時の遣り取りからも、カラヤの民が族長に絶対的に従っているのが分かる。族長の許可なく、焼き討ちなど行われまい」
「同感です。そしてその族長は、公女との短い対面で暗殺を思いとどまった冷静な人物です。火付けを認めるとは考えづらい」
「しかし、隊長。薬品を扱う商人ですぞ? 毒を入手するのに、これ以上の身上がありましょうか」
年嵩の騎士が気勢を吐いた。一斉に集まる視線に後押しされるように説き始める。
「軍司令と繋がりがあった点も気になります。ワイズメルはゴルドーと手を組み、いずれはグラスランドに攻め入ろうとしていたのでしょう? 軍を与る人間が関与する可能性は高い」
「確かに……」
賛同が広がる中、部隊副官を勤める騎士が慎重に問いを挟んだ。
「軍司令に持病は? 薬を求めて商人を訪ねていたというのは考えられないか?」
「ございませぬ、最初に確認致しました。それに、一軍の司令官ともなれば、商人の方から足を運ぶのが普通でございましょう」
「……だな」
副官は溜め息をついて、額に滲んだ汗を拭った。人いきれで、室内はたいそう暑いのだ。
「今ひとり、内務大臣は国事一般を取り仕切る役職。責務は多種多様で、同じ大臣職の中でも取り分け多忙と聞きます。まともにつとめていれば、陰謀になど加わっている暇があるかどうか……」
「親交ある相手が学者というのも、何やら畑違いですな」
「と言って、商人の方だという確証もありませんぞ」
───堂々巡りだ。
思い思いに言い合う部下たちを一望し、騎士隊長が大きく肩で息をついた。
「死者とグリンヒル要人、両者の交友を掴んだところまでは上々だが……そう簡単に決着とはいかぬものだな」
厳しい面持ちが暗い窓の外に向かう。遠くマチルダで待つ皇子を過らせて、彼はきつく目を閉じた。
「我々にはもう時間がない。軍司令、内務大臣……獲物と定めたからには、何としてでも陛下毒殺の内訳を吐かせねばならぬ。如何に非合法な手を使っても、だ」
「心得ております、隊長」
召集が掛けられたときより、騎士たちは覚悟していた。
公主の死後、未だ混乱が収束したとは言えぬ宮殿。目星をつけた人物との対談が、すんなり実現するとは到底思えなかったからである。
何と言っても、こちらの目的は「尋問」なのだ。テレーズの手を煩わせるつもりはなかった。当たりをつけた人物宅へ直接乗り込む、それが騎士たちの最終目的だったのだ。
たとえ絞め上げても口を割らせる。一同は悲愴な決意で集まった。だが───

 

「して、隊長。どちらを……?」
「いっそ両方とも攻めた方が良いのでは?」
「だが、軍司令に大臣ともなれば、自宅警備に置かれた人員は少なくなかろう。対して、こちらは多いとは言えぬ数。それを更に二分しては……力で押し入るには不利だ。下手に長引いてグリンヒル兵が出てきては、国家間の問題になってしまう」
部隊副官の冷静な指摘に、堪らずといった様相で一人が叫んだ。
「初めから国家間の問題ではございませぬか! マチルダは国主を謀殺されたのですぞ!」
即座に騎士隊長が一閃した。
「思慮を欠いてはならぬ。忘れたか、不必要に事を荒立てない……マイクロトフ殿下の御意思だ」
激昂した騎士ははっとして、唇を噛んで項垂れる。それを見届けた後、赤騎士隊長が低く言った。
「おまえたちの意見はどれも正しい。時間をくれ、少しの間だ」
「隊長……」
部下たちは粛然として、思案に沈み行く上官を見守った。
標的を絞り込めない。
けれど人員を二手に分けることも難しい。
正しく岐路だ。この判断が運命を左右しかねない。
室内の熱気と、圧し掛かる重圧とで、ともすると霞みそうになる意識を励ましながら、騎士隊長は考え抜いた。建国の聖人、マティスとアルダに祈りさえした。
やがて、恐ろしい沈黙を裂いて洩れた答えは───

 

「……総員、これより内務大臣宅へ向かう」
ひとたび口にした言葉を反芻しながら、彼は部下を一望した。
「確かに、商人と軍司令の関係は気になる。だが……、国政を与る要人と学者、一見したところ陰謀とは無縁の取り合わせに、より強い引っ掛かりを感じてならない」
騎士たちは水を打ったような静寂をもって上官の言葉に聞き入っている。
「学者の死を伝える公報では、その功績と人格が絶賛されていた。ならば何故、彼は殺された? 妬みか、金銭絡みか。グリンヒルの捜査当局とて盲目ではなかろう、その程度の線ならば、既に下手人を捕えていても良さそうなものだ」
そこで騎士隊長は真っ直ぐに顔を上げた。
「何よりわたしは、殺傷が妻子にまで及んだという点において、薬商人殺しはカラヤの犯行ではないと考える。内務大臣だ、そちらにわたしの首級を賭ける」
───不意に。
戸口でパチパチと軽い拍手が鳴った。呼気すら抑えていた一同が仰天して見遣った先に居たのは、グリンヒル公女の信も厚い主席侍女、エミリアだ。
騎士たちの一糸乱れぬ注視を浴びたエミリアは、だが驚いた顔も見せず、優雅に膝を曲げて一礼した。
「こんばんは、皆様。ごめんなさいね、一応ノックはしたのですけど……お話に熱が入っていらしたのね、気付いていただけなかったものですから、無作法は承知で勝手に開けてしまいました」
それから申し訳なさそうに苦笑する。
「開けたついでに、少しお話も聞かせていただきました。お詫びします」
「エ、ミリア……殿……」
赤騎士隊長は、彼にしては珍しく、声が掠れるのを止められなかった。
「これは、その……よくお越しいただいた、と申し上げたいところだが……」
「ええ、お部屋が一杯ですわね。失礼致します、……踏んでしまったらごめんなさい」
狼狽える隊長に構わず、扉を閉めて歩を進め始めたエミリアに、騎士たちは慌てて道を開けようと試みた。とは言え、最初からぎゅうぎゅう詰めだったため、宣言通りエミリアの尖った靴の踵に踏まれた不運な騎士も何名か出たが。
苦労して騎士隊長の隣まで辿り着いた彼女は、ふうと息をついて微笑んだ。
「回りくどい御挨拶は省かせていただきます。大切な用で参りましたの……と言っても、少しだけ先を越されてしまったみたいですけど」
「エミリア殿……?」
妙齢の女性に間近に寄られて、やや退き気味だった騎士の顔が引き締まる。エミリアには、笑みとは裏腹の深刻が窺えたのだ。
「良い勘をしておいでですわ、隊長様。いいえ、良い御判断と申し上げた方が良いかしら。大臣の家に行かれるのでしたら、御一緒させていただきます」
「何ですって?」
ざわめく男たちをにこやかに眺め回して、次いでエミリアは笑みを消した。
「隊長様には前にもお話ししましたわね。今、グリンヒルの中枢は滅茶苦茶です。認めるのは情けないけれど、大臣をはじめとする官吏の中で、真に国を思い、身を粉にして働く者は半数ほどしかおりません。残りの半分は……無能なだけならまだしも、賄賂を貰って私腹を肥やしたり、これまた役に立たない親族を役職につけるため奔走したり、碌でもない人ばかり。テレーズ様も、もっと早く気付いていればと、それは悔いておいでです」
はあ、と困惑混じりの合の手を入れつつ、騎士隊長は続きを促した。
「アレク様の御葬儀を執り行われる一方で、テレーズ様は腐敗の打開にも着手なさいました。政府要人について、素行、交友関係、不当な金銭の流れがあるかどうか───信頼出来る官吏の手を使って調べ始めましたの。それはもう、大忙しでしたわ」
なまめいた溜め息を一つ零して、ふとエミリアは小脇に携えていた包みを騎士に差し出す。
「そうそう、先ずはこれを……。例の、ゴルドー団長からアレク様に宛てた陰謀入りの密書です。写しは取り終えました、原本の方をお渡ししますわね」
慌てて受け取りながら騎士隊長は深々と礼を取った。
「助かります。少なくとも、これで一つは確実にゴルドーを攻められる。多忙のところを、本当に───」
「重要なのはここからですのよ、隊長様」
エミリアは、相変わらず相手の反応に構っていられぬふうに、強引に話を引き戻した。
「皆様のお話にも出ていましたけど、内務大臣と、アレク様より二日ほど早く殺された学者、正しくは歴史学者ですが、両者には親交がありました。ただ……件の学者は、公に伝えられたような人格者ではなかったんです」
「……と、言われると?」
「彼は六年ほど前からニューリーフ学院で教鞭を取っていましたが、就任した直後から学院長の悩みの種でしたの。学院の財を私物化してしまう、という理由からです。院には貴重な書物などがありますでしょ? それを持ち出しては、他の書物や何やらと物々交換しちゃったりする人間だったんです」
「酷いなあ……、公私混同も良いところですね」
部屋の隅から思わずといった調子で上がる声に、エミリアは眉を寄せる。
「でしょう? でも、内務大臣のツテで学院入りした人物だから、院長も強くは出られなかったの。在職中に彼が学院から持ち出した品は、十や二十じゃ足らないそうです。それって、「要人の交友関係上、相応しからぬ人物」に該当しますわよね? だから、詳しく目を通してみたんです。損害額を弾き出して、学者の身元保証人でもある内務大臣に弁済していただこうと思って───学院から持ち出された品の目録を」
そこでひとたび言葉を切って、エミリアは、きりりと騎士隊長を見上げた。
「隊長様、御存知でしたかしら。ニューリーフ学院では、医学・薬学の探究を目的として、各国の珍しい動植物も多数扱われておりますの。中には薬として実用化された草花もあるけれど、恐ろしい毒物として保管されているものも少なくありません」
まさか、と一同は息を呑んだ。束の間、彫像のように身を固くした侍女から、天雷にも等しい言葉が洩れた。
「ここに一つの研究報告があります。南国の、とある地でのみ取れる草の茎から抽出した液体ですが……無色・無臭、実験動物が躊躇なく口にした点から、おそらく無味であると想像されます。同地では古くは熱病に効く薬草と呼ばれていたけれど、今は殆ど生息が確認されなくなっているそうです。薬学的な見地から、これを兎に摂取させてみたところ、「熱病の薬」的な効用が現れるどころか、翌日には死亡してしまった。更に小分けにして与えてみると、兎は徐々に衰弱し、最後にはやはり死にました」
ぎくりと四肢を強張らせて騎士隊長は声を張った。
「エミリア殿、それは……!」
ええ、と眼鏡の奥の瞳が煌めく。
「研究用に保管してあった草が紛失したのは五年前。皇王様にワインが贈られたという時期に相当致しますわね」
騎士は頷き、深々と眉根を寄せた。エミリアの言は続く。
「死んだ学者は歴史学専門。でも、学院で行われた実験の報告書は誰にでも閲覧出来ます」
「……草の「効用」を知る機会があった訳ですな」
第一部隊副官の確認には苦悩を隠さぬ首肯が応じた。
「学生に比べ、教員は容易く資料に近付けます。保管方法が甘すぎたのは否めないけれど、後の祭り。ただ……何と言っても持ち出されたのは毒物ですし、流石に問題になりました。けれど彼は、然して重大事でもなかろうといった顔で、さらりと陳謝したそうです」
そこでエミリアは一旦言葉を切り、目を伏せた。
「……自宅の屋根裏に巣を作ったネズミを駆除する薬物を探していたところ、たまたまその草を知ったので、つい、……と」
「なっ……」
もはや容易く怒りの言葉も出ない。赤騎士一同、頬を張られたような衝撃であった。
「我らの王を非業の死に追い遣りながら、何という……!」
「陛下殺害に使った残りをカラヤ族長に……か。カラヤの無念は我らの無念、せめて一太刀、我らにも振るわせて欲しかった……!」
ポツポツと上がり始めた憤怒の呻きが一通り過ぎ行くのをエミリアは俯きがちに待った。
「……学院長も、このときばかりは内務大臣に訴え出たそうです。「注意はしておく、内密かつ穏便に済ませ」───それが答え。大臣は領内に葡萄畑を持っていて、ワインを作っています。特に良く出来た年だけ、銘をつけて懇意にしている幾つかの店に卸すの。稀少な品として、結構な値がつくらしいですわ。アレク様に献上する分は、店を通っていないから、納入記録が残りません。そのうちの一つに毒が仕込まれたのではないでしょうか。皇王様に贈られたワインの瓶が残っていれば、決定的な証拠の品になると思うのだけれど……」
これには無念そうな否定が為された。
「毒物投与は認められなかったゆえ、処分されているだろう」
どうして侍医長は見落としてしまったのか、と恨めしく思う騎士隊長だ。
気を取り直した面持ちでエミリアが口を開いた。
「一方、カラヤ族長をお招きした一件では、族長の衣食一切を任された中心的存在でした。カラヤの襲撃を伏せ、アレク様を「病死」で通そうと一番熱心だったのも、今にして思えば彼です。学者とアレク様が殺されてからというもの、落ち着かない様子が端でも感じられますわ」
「確定、ですな……」
何処からともなく放心したような声が上がった。
どの顔にも喜色はない。あるのは寧ろ脱力の気配だ。あまりにも漠としていた獲物の頭を掴んだ歓喜は、遅れて訪れるものなのかもしれない。
不意に騎士隊長の膝が揺らぎ、どっかと壁に凭れ込んだ。片手で顔を覆い、振り絞るように呻きを洩らす。
「エミリア殿……どれほど感謝しても足りない。わたしは貴女に救われた」
あら、と瞬いて首を傾げるエミリアだ。
「隊長様は正しい方を選んでおいででしたわ」
「単なる勘に過ぎなかった。相対したこともないカラヤ新族長の、想像でしかない人柄だけが判断材料という、苦渋の消去法だったのだ! 一刻の猶予もない中、過てば取り返しのつかぬ選択。決めてなお、不安で胸が潰れそうな……そんなわたしを、貴女は救ってくれた。本当に感謝します」
濡れた声音で言いながら、騎士はエミリアの手を取り、握り締める。上官の広い肩の戦慄きに気付いた部下たちも、次々と──床に座っているので、なかなか思うに任せなかったが──礼の姿勢を取っていった。
「……マチルダ騎士の皆様。わたしはテレーズ様の名代として、そしてグリンヒルの民として、先代公主が貴国に対して行った非道を償う責務を負っているのです。頭を上げてくださいませ、こちらの方こそ幾度お詫びしても足りないくらいですのに」
のろのろと、だが従順に応じた男たちを一望してから彼女は続けた。
「カラヤの方々がどうやって学者を探り当てたのかは分かりませんが、彼に行き着いたということは、内務大臣との繋がりも掴んでいたと思います。カラヤの民にとって最大の標的はアレク・ワイズメル公。学者、大臣と続けて殺せば、どういった意味の殺人か……つまり、報復であると警戒させるようなもの───」
「だから内務大臣を後回しにした、そのように御考えなのですね?」
部隊副官の問い掛けに、エミリアは柔らかく頷く。
「ルシア族長は、御自身で真実を見定めた上でカラヤに謝罪するというテレーズ様の意を受け入れてくださった。だから、大臣暗殺は行われず、現在に至るのでしょう」
「毒殺に関与した証人を殺す訳にいかなかった、……か」
「はい。ルシアさんの思慮深い御判断は、皆様方の助けにもなりそうですわね」
一同は感慨を込めて首肯した。
やっと───本当にやっと、仮定が実を結んだのだ。
決意だけを頼りに公都へと降り立った日からの尽力に、天は微笑み掛けてくれた。
物的な証拠は手に入れられなかったけれど、これだけ条件が揃えば大臣を追い込める。学者と公主の死がカラヤの報復と察して怯える今なら、証言を引き出すことも可能だろう。
再び熱の戻り始めた室内に、軽やかな声が響いた。
「問題の人物は、アレク様の御葬儀の後から体調不良を理由に出仕もせず、自宅に引き篭っているそうです。訪問には都合が良かったですわね。さ、参りましょう」
言い置いて、さっさと歩き出そうとする。騎士隊長が慌てて呼び止めた。
「待たれよ。本気で我らと共に大臣宅に赴かれるつもりか?」
「ええ、そう申し上げましたでしょ? 捕り物に立ち合うなんて、初めて。久々に胸が躍ります」
あっけらかんとした物言いには、唖然とするばかりの騎士一同だ。言葉を失っている上官の代わりに、一人が恐る恐る手を挙げて女の視線を誘った。
「あー……エミリア殿。憚りながら、それは如何なものかと」
別なる声も続く。
「仮にも相手は一国の大臣職に就く人物……。本来なら、正式に対談を申し入れるのが筋です。然れど我らには時間がない。正規の手順を踏んでいる余裕はありません。と言って、屋敷を訪ねたところで素直に応じるとも思えない。事によっては、強硬手段に打って出る必要も───」
必死に訴える男を暫し見詰め、エミリアはくすくすと笑い出した。
「……殴り込みにでも行かれるみたい」
「似たようなものです」
むっつりと騎士隊長は言い、次いで一つ咳払う。
「更に我らには「連行」という責務も生じる。グリンヒルとて、……たとえテレーズ公女殿の口添えがあろうと、要職に就く者を簡単には渡せまい。故に我らは、内務大臣を略取して、マチルダへ連れ帰る所存です。貴女が勇敢なのは存じているが、斯様な場に同行していただく訳にはゆかぬ。どうか宮殿に戻られよ」
笑みながら聞いていた公女の側近は、ひっそりと首を振った。
「そうね、大臣を強引に連れて行かれては……騒ぎにもなるでしょうね。グリンヒル内で尋問して、それからお渡しするのが正規の手順ですものね」
「その通りです。非合法を強行する我らと行動を共にしてはならない。国家の威信よりも、マチルダを優先したと評されかねないのだから」
騎士隊長は重々しく締めたが、エミリアは今いちど首を振り、煌めく瞳で男を凝視した。
「お気遣いは無用ですわ、隊長様。殴り込みにもなりません。だってわたし、テレーズ様から通行証を預かっているんですもの」
「通行証?」
困惑して瞬く一同の前で、彼女は上着の懐から一通の封書を取り出した。これ見よがしに掲げながら宣言する。
「……罷免状。あれこれ調べている間に、彼が贈収賄にも関わっていた事実を掴みましたの。本日零時をもって、内務大臣は解任されます。グリンヒル政府とは無縁の人間になりますから、遠慮なく連れて行ってくださいな。「カラヤ族から保護してやる」とでも言えば、寧ろ進んで付いて行くんじゃないかしら。ゴルドー団長の裁判にも役立つと思いますわ」
騎士らは呆け、得意気に胸を反らす女を凝視するばかりだ。
「エミリア殿、貴女は……貴女という方は……」
とうとう緊張の糸が切れ、騎士隊長が笑い出した。つられて部下たちも吹き出す。彼らがエミリアへと注ぐ眼差しは、勝利の女神を見るそれであった。
「よくぞ貴女という味方を得られたものだ。我らは本当に運が良い。貴女が男性なら、是非にと騎士団に誘うものを」
「光栄ですわ、隊長様」
澄まし顔で応じて、グリンヒルの戦女神は語調を改めた。
「いつ、ゴルドー団長を裁かれますの?」
「マイクロトフ殿下は即位と同時に白騎士団長の解任権を得られます。陰謀の解明は置いても、取り敢えず解任だけは……という話をしていたが、こうなると話が変わってきそうだ。殿下の御性情からして、即位式に集まった人々の前でゴルドーを糾弾する、くらいのことは言い出されるやもしれぬ」
「あら、大変」
ポンと手を打ち、エミリアは小首を傾げた。
「だったら、大急ぎで日程の調整をしなくては……」
「エミリア殿?」
「御即位の式典、グリンヒルからは外務大臣が出席することになって、先日グランマイヤー様と一緒に出立致しましたけれど……此度の陰謀に関しては、わたしがテレーズ様から全権を託されておりますの。裁判ともなれば、証言しなくてはなりませんでしょ?」
確かに、と騎士隊長は考え込む。テレーズやエミリアから陰謀の破片を数多く得た。ゴルドーを追求する席には不可欠の証人だが───
「宜しいのか、斯様な時期にテレーズ殿の許を離れ、国を空けられても?」
「つとめですもの」
さらりとした答え。
「喪明けと共に、テレーズ様は国の頂に立たれます。そのときには、これまでとは全く違った体制が敷かれますわ。もう、大枠は出来ておりますの」
「……行動がお早い」
「こういうのって勢いが大事なのね、動くときは一気です。ニューリーフ学院の政治学者の助言を要れた、官位の呼称や役割、人事もすべて刷新された新しいグリンヒル政府が誕生します。わたしも、微力ながら新体制の枠に入れていただいておりますの。テレーズ様への忠誠は変わりませんが、これまでの御役目は終わり。裁判の席には、新体制発足後に賜る職名で臨ませていただきますわね。「侍女」を名乗るより、その方が証言に重みが出るでしょうから」
グリンヒル公女の懐刀は、最後に毅然と背を正した。
「お仕事の中身も色々と整理されますが、ほぼ現在の内務大臣と同じ役職と考えていただければ良いでしょう。第一政務長官───それがわたしの新しい肩書きです。これからも懇意にしていただければ幸いですわ、マチルダ騎士団の皆様」

 

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グリンヒル代表・エミリア女史。
場の誰よりも漢らしいのは
気のせい……じゃあ無さげな……。

この話における「良く喋る三傑」ったら、
赤・エミリア女史・イヤミ君かと思われますが、
次回はそのイヤミ君の帰還です。
うるさくなるぞー(笑)

 

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