最後の王・94


取っ掛かりに悩んでいるふうだった騎士が、眦を決する。気が進まない顔で、それでもカミューの向かいの椅子にゆっくりと座した。
「貴様は……国内の村を見聞するため、騎士を伴って城を出たと耳にした」
意外に聞こえる言葉を、だがカミューは事も無げに頷いて流す。
この先、現状を吟味しながら脚本を組み上げていかねばならない。修正や変更は瞬時に行わねばならず、これには細心が要される。
しかし、彼の才覚をもってすれば造作もない。全霊を傾けて思索に応じるのは、剣術と等しく、カミューの得意とする分野の一つであった。
どうやら皇子とその周囲は「離反」を伏せることにしたらしい。当然と言えば当然だろう、他に手段はなかっただろうから。
「貴様、ゴルドー様に言ったそうだな。自分の行動には何らかの意味がある───皇子たちに疑いを持たせぬため、時にはゴルドー様に対抗する動きを取ることもある、と」
成程、あの密談の遣り取りまで知っているなら、男が皇子暗殺計画に多少なりとも加担しているのは間違いない。カミューは黙したまま、次なる言葉が紡がれるのを待った。
「……そのためゴルドー様は、身動きが取れずに苛立っておいでだ。本当に契約は続行中だと言うのか」
「勿論です。だからこうして出てきたではありませんか」
艶然と笑んでみせると、騎士は微かに眉根を寄せた。暫し考え込むように視線を逸らせ、次に戻った瞳には険があった。
「では改めて聞こう。我が団の第二隊長が行方を絶った。消えた当日、貴様は彼の自室を訪ねた……そう証言するものが在る。何ぞ書状を渡したそうだな」
「…………」
「ゴルドー様から頼まれた件について記した文だと貴様は口にし、張り番はそのまま受け入れた。だが、そんなものがあろう筈がない。どの騎士がゴルドー様の真意を受けている人間か、貴様には知りようがなかったのだからな。わざわざ彼を選んで訪ねる理由は、貴様にはなかった」
断じるように言い退けて、男は明快な敵意を纏った。
「貴様からの文を得て程なく、第二隊長は消えた。先ずはそれから説明して貰おう」
カミューは柔和な表情の裏で考える。
ただ粗暴なだけかと思えば、なかなか冷静な男である。彼もまた、筋道を組み上げるのに神経を注いでいるらしい。
その一方で、ボロも出している。
第二隊長が暗殺計画に加担していたという事実を、勢いで吐露した自身に気付いていない。カミューが知るのは、第二隊長がグラスランド侵攻の実行犯だという事実であり、そちらについて確たる証を掴んでいた訳ではなかったのに。
カミューはふわりと笑った。
「成程、あなたはゴルドー様の信が厚くていらっしゃるようだ。御位階は?」
この問い掛けには男も虚を衝かれ、怪訝そうに零す。
「……第三部隊長だ、それがどうした」
自らが殺した騎士隊長より一つ下。カミューは図式に情報を書き入れた。
ひっそりと吐息を洩らし、殊更にゆっくりと語り出す。
「言葉を選ばれる必要はありません、察しておいでなのでしょう? わたしが第二隊長を亡きものにしたと。その通りです。彼はあの日、わたしが殺しました」
白騎士は、ひゅっと息を呑んだ。様々なる想像を巡らせていたにしろ、その結末は模糊とした懸念にとどまっていたのだろう。敵意は再びの警戒へと転じ、動き易さを求めてか、椅子と卓の距離を広げている。
そんな様子をちらと窺い、カミューは卓上で両手の指先を合わせた。
「……とは言え、理由がなかった訳ではありません。聞いていただけるなら、お話ししますが?」
挑発の目線を向けると、騎士はたちまち乗った。上目でカミューを睨みながら、尊大かつ横柄に吐き捨てる。
「言え。次第によっては、ゴルドー様に代わって貴様の息の根を止めてやる」
───出来るなら、と心中で嘲ってカミューは背を正した。
恐ろしい速度で回る思考が、既に脚本の導入部を完成させていた。
「第二隊長はあなた同様、これまでゴルドー様の忠実な部下として動いてきた人間。ゴルドー様は無論、あなたもそれを疑っておられなかったのでしょうが……人の心は状況によって幾らでも変わるものです」
どういうことだと言いたげな面持ち。騎士はきつく唇を引き結んで続きを待つ。
「わたしはゴルドー様との契約を伏せるため、皇子と周りの騎士に味方するかの如く振舞っていました。暗殺を防ぎ、ゴルドー様を除こうと躍起になっている彼らには、表向きはグランマイヤー宰相に雇われた護衛となっているわたしを疑う理由は何もない。そうして着々と立場を固め、そこそこの信頼も勝ち取りました」
自らに与えられるようになった眼差しを過らせたとき、微かに胸が疼いた。が、構わず彼は言葉を接いだ。
「これは想像になりますが……おそらく、そんな流れを見ているうちに、彼は危機感を覚えるようになったのでしょう」
「危機感、……だと?」
はい、と軽く頷く。
「このままゴルドー様に従っていても大丈夫か、という恐れです。以前の皇子は騎士団に距離を取っていました。けれど、今は違う。赤・青両団を味方に取り込み、ゴルドー様に対抗する勢力を得つつあった───」
「貴様がそう仕向けたのではないのか」
図星されたものの、カミューは平然と嘯いた。
「とんでもない。宰相が、騎士団外から護衛を招かねばならなかったという現実が皇子の意向を曲げたのです。ただでさえ、この時期ですからね。ゴルドー様が如何に憎み疎んでも、両団員を\めて戦地に送り込んで「始末」することは出来ない。皇子には、千載一遇の蜂起の機会だったのです」
「…………」
「わたしが、なまじ時間を掛けたのが一因だったのは否めません。第二隊長は、先にゴルドー様が失脚するのではないかと恐れたのです。何と言っても、皇子には絶対の勝札がありましたから」
「勝札……? 不敬罪を言っているのか」
騎士は鼻で笑った。
「使う気なら、もっと早く使ったろう。皇子にとってゴルドー様は叔父に当たる御方だ。愚直なほど公徳心に厚い皇子が、血縁にはないにしろ、尊属に当たる人間に罪を負わせられようか」
「随分と甘く考えておいでだったのですね」
「何?」
「その「叔父」に幾度も殺されようとしてきたのですよ? いつまでも忍耐が続くと思われますか? もし本人がそうするつもりであっても、周囲の騎士たちはどうでしょう? 何も即位式まで待ちの戦法を守る必要はない、こちらから打って出ても良いのではないか───そう皇子に囁き掛けるとは、まるでお考えにならなかったのですか?」
ぐっと詰まって騎士は黙り込んだ。反応を慎重に窺いつつ、カミューは再び口を開いた。
「……そうした懸念に敏感だったのです、第二隊長は。彼はこっそりわたしに文を寄越しました。寝返りの可能性の有無を探る文です」
「なっ……」
騎士から絶句めいた呻きが洩れる。
「彼も、わたしがゴルドー様の指示の許に動いているのは知っていたのでしょう?」
大きな衝撃によって一瞬だけ思考する力を奪われた騎士は、放たれた諜報の網に気付かなかった。呆然といった様相で首肯するのを確認した上で、カミューは脚本の頁を一つ進めた。
「内密に、早急に会って話をしたいと望まれました。そこで、ともあれ話だけは聞いてみようと、待ち合わせの場を指定した書状を届けた。以上が、部屋を訪ねた経緯です」
「…………」
「その日の夕刻、城の西の森で、具体的な計画が語られました。わたしとゴルドー様の間に交わされた契約は皇子たちに知られていない。このまま伏せ続けて、共に皇子の側に回ろう───そう言ってきたのです。寝返りの土産として自らの知る事実……つまり、ゴルドー様にとって不利となる証言を果たせば受け入れられる。これまで加担してきた罪も、お人好しの皇子は情に縋れば丸め込めるだろう。少々厄介な騎士団員らへの取り成しはわたしに頼む、との話でした」
「……馬鹿な」
ようようといった顔で白騎士団・第三隊長は呻いた。次いで激情が押し寄せたらしい。椅子を倒して立ち上がり、剣の柄に手を掛けた。
「戯言を! 古くからゴルドー様に忠実に仕えてきた彼が、今になって寝返りなど謀るものか!」
憐れむように眼差しを細めてカミューは首を振る。
「信じておいでだったのですね……。けれど、彼の方はどうだったでしょう?」
「どういう意味だ」
「彼はあなたをどう思っていたでしょう。同じように仕える者たちの中で、誰が一番ゴルドー様の信を重く受けているか───それは、後々のために考えずにはいられないものなのでは?」
甘い声音でゆっくりと、呪文のように忍び込ませる囁き。
「先程あなたは「格別目を掛けていただいている」と仰っておいででしたね。第二隊長もそれを感じていた、ひいては自らへの処遇との差に不満を抱いていた、そうは思われませんか……?」
「……っ、ゴルドー様は我らを平等に重用してくださっている」
「彼がそう考えていなかったと、確信を持って言い切れますか? 今は自分の方が上位、けれど明日は? ゴルドー様が全権を掌握されたその後は? そうした疑念に捕われたとしたら……?」
視線を彷徨わせる男を覗くようにしてカミューは微笑んだ。
「人は誰でも我が身が可愛い。己を護るためには幾らでも感覚を研ぎ澄ませられます。安全で、利になる匂いは簡単に嗅ぎ分けられる───」

 

騎士隊長は、かなり長いこと押し黙っていた。
やがて、重い動きで椅子を戻して座り直す。カミューの呪法が男を縛った瞬間だった。
「そんな訳で……、わたしが答えを留保していると、終には脅しに転じました。了承せぬなら、護衛ではなく刺客だったと皇子らに暴露する、と。まあ、この脅しはあまり意味を持ちません。ゴルドー様の許に居た騎士とわたし、皇子たちがどちらを信用するかは瞭然ですから。とは言え、ほんの僅かでも繋がりを感付かせるなというのが、ゴルドー様に与えられた注文でしたからね。御心に添うには、第二隊長の口を塞ぐしかなかったのです」
脚本を次章に進める前に、カミューは一旦言葉を切った。ここからが正念場だ。万が一にも失敗は許されぬ、大事な局面である。
「……が、そこで予期せぬ事態に見舞われました。すぐにゴルドー様に報告するつもりでしたが、一先ず亡骸を隠すために火魔法で焼いているところを赤騎士団員に見られてしまったのです」
「何……だと?」
もはや深く考える力を失ったのか、男は虚ろに顔を上げる。
「ああ、御心配なく。ゴルドー様との関係は知られていません。騎士は偶然、森に入るわたしを見掛けて、案内しようと追ってきたのです。妙な親切心の御陰で、せっかく順調に運んでいた計画に大打撃を受けてしまったのは悔やまれますが」

 

───あのとき、立ち竦んでいた若者を殺してしまえば、今はなかった。こうまで悩み苦しむ日々も訪れず、いずれ「目的」を達していたかもしれない。
けれど、知ることもなかったのだ。
自らの中、あの皇子がどれほど大きな存在となっていたか。彼を取り巻く人々を、どれほど慕わしく思い始めていたか。
良かったと心から思う。あの赤騎士を殺せなかった自分は何より己に正直だった───。

 

「白騎士隊長ともあろう人物を殺したとなれば大事です。どれほど重用されていても、詮議に掛けられるでしょう。下手に拘束されて、その間に皇子が即位してしまったら、契約どころではなくなる。已む無く、ひとたび姿を眩ませるしかなかったのです」
でも、と小さく彼は苦笑した。
「皇子たちも事実を伏せるしかなかったでしょうが、「視察に出た」とは随分と苦しい説でしたね。どんな「学友」が、騎士を引き連れて村を検分するというのだか……。ゴルドー様がそんな身上は信じていないと察した上での、一種の牽制のつもりだったのかもしれませんが」
「……言われてみれば、我々も貴様の不在理由を然程労せず入手した。耳に入るよう仕向けられていたのか……」
言い差して、白騎士団・第三隊長は表情を改めた。
「すると貴様は、身を隠して、今なお皇子を殺す機を窺っていたと言い張るのだな」
ええ、と肩を竦める。
「ここに転がり込んだのは偶然ですが、なかなか良い隠れ場でした。皇子らも、よもや赤騎士団副長の息の掛かった店に潜んでいるとは思わないでしょう。それに、ここのレディたちは呆れるほど人が好い。「訳有り」と決め込んで、わたしの素性を碌に質そうともしませんし」
初めて男は微笑めいたものを見せた。
「……どうだかな、大方その顔と口とで誑したのだろうが。貴様、「レディ」というのは口癖か。娼婦をつかまえて何をふざけた台詞を、と思ったが」
カミューは、不快を顔に出さぬために全霊を注ぎ込まねばならなかった。こんな男に、あの優しい女たちについて論じられたくない。往なし目的の首肯を一つ与え、やや身を乗り出した。
「受けたからには果たす、それが契約。策を立て直すためには時間が要ったのです」
「……解せんな」
最初のうちよりだいぶ警戒を緩ませた調子で男は首を捻る。
「第二隊長は我が身可愛さに寝返りを企てたと言う。貴様はどうなのだ? 傭兵は、殊更敏感に機を見る。裏切りや寝返りは茶飯事、金や事情次第で主人をあっさり変える、とかく道義とは無縁の存在だ。そんな傭兵である貴様が、第二隊長の誘いに乗らなかったのは何故だ。計画が頓挫し、ひとたびは退いておきながら、何ゆえ契約を遵守しようとする?」
───意外と鋭いところを衝いてくる、とカミューは思った。
だが、もう手のうちだ。男はカミューの描いた図式の上で踊っているに過ぎない。
「……実を言いますと、わたしはワイズメル公に前金しか頂戴していないのですよ。残金は暗殺遂行後に受け取る手筈になっていたので」
金の話を持ち出した途端、白騎士は蔑みの色を浮かべた。所詮はそれか、そんな心の声が聞こえてきそうだ。
都合が良い。適度に相手を優位に立たせてやれば、侮りが更に深慮を失わせる。
「生憎だったな、ワイズメル公は死んだぞ。もう金は得られない」
「……らしいですね。まったくもって、晴天の霹靂です」
「残金をゴルドー様に支払わせようとでも考えたのか」
「そうしていただければありがたいけれど、少し違いますね」
さらりと言って、背凭れに片腕を預けて姿勢を崩す。
「先程あなたが語られた傭兵論……、確かにそういう輩は多い。ですが、目先の小金に飛び付く愚か者と一緒にされるのは心外です。わたしは、いま少し長い目で物事を見ておりますので」
「……?」
「傭兵稼業は信用商いでもあるのですよ、隊長殿。一つの仕事を完璧に勤め上げれば次へと繋がる。今のわたしのように「裏」の仕事は特に……自らを売り込むより、専属になったり、紹介で仕事を繋いだ方が、手っ取り早くて齟齬も少ない。逆に、中途で契約を投げ出したと噂が広まりでもすれば、この道で食い繋いでいけなくなります。裏の世界は、あらゆる国に通じているものですからね」
彼はにっこりした。
「あなた方とは違って、わたしには護ってくれる組織がありません。行動は己に直接跳ね返ってくるのです。ここは一つ、残金を諦める代わりに、ゴルドー様に恩を売っておく方が得策と、わたしの算盤は弾き出したのですよ」
「恩を売る、だと? 貴様、ゴルドー様に向かって、厚顔にも───」
「あの方は野心に溢れておいでだ」
再び荒ぶる男の声を遮り、カミューは言う。
「マチルダの全権を掌握しても、その野心に制限はないでしょう。わたしのような人間を必要とする事態が必ずや訪れる。そのとき「仕事」を優先的に回していただきたい、という話です」
「斯様な役目、わたしが───」
「そんな汚れ仕事をなさる御立場ではなくなるのでは?」
騎士は虚を衝かれたように瞬いた。
「ゴルドー様は、今の赤・青騎士団の位階者すべてを放逐するつもりだと言っておいででした。両団どちらかの筆頭に、あなたが立たれる可能性もあるのでは?」
「わたしが騎士団長に、……だと?」
それは御し難い魅惑であったようだ。瞳に陶然とした色が走り、何とか自制に努めようとする葛藤が窺えた。
「ゴルドー様がどれほどあなたを頼みにしていても、立場が変われば命じられないこともあるでしょう。そうした仕事にわたしを使うと約束してくださるなら、このまま契約を果たします───そのようにゴルドー様に伝えていただきたいのです」

 

 

沈黙が下りた。
騎士は果然、思案に暮れて眉を寄せている。
それでも陥落は早かった。やがて彼は、何とも不如意そうな顔でカミューを凝視した。
「……伝えてみよう。ゴルドー様が貴様の申し出を如何様に取られるかは保証しないが」
ええ、とカミューは唇の端を上げる。
策の大枠は成った。ここ一番の勝負所が訪れたのである。
「今ひとつ。誠の証に、ゴルドー様の御望み通りの幕引きを用意致しましょう、とも伝えていただけますか」
「何だ、それは」
「以前、お話ししたときに出た話です。皇子暗殺は、即位式の場で決行します」
束の間、騎士はぽかんとした。すぐに我に返って拳で卓を叩く。
「馬鹿か、貴様。式典中の礼拝堂内は密室に等しく、何処から狙おうと逃げ場は無い。しかも、警備の主軸が青騎士団になってしまっているではないか」
「無論、分かっています。わたしも彼らの作った警備案書を見ましたから」
淡々と返して、カミューは笑みを消した。
「ゴルドー様が二名の部下を伴って壇上に昇る場面がありますね、騎士の忠誠の儀とやらを行うために。その瞬間に皇子を襲いますから、巧くわたしを拘束してください。ゴルドー様は、「新皇王暗殺犯を取り押さえた英雄」という役柄を望んでいらした。あのときは割に合わない危険な舞台だとお断りしたけれど、今後を考えれば、そのくらいの演出は受けても良いと思うようになりました。詮議の権限さえ白騎士団が握れば……そんな話をなさっておいででした、そのように御計らいください」
無論、と低音で付け加える。
「裏切られれば、抵抗させていただきますが。ゴルドー様の命令で皇子を狙った、衆人環視の中でそう叫べば、ゴルドー様も難しい立場に追い込まれましょう」
「……脅す気か」
「とんでもない。わたしを切り捨てようとなさった場合の保険です。以前の御言葉通り、護ってくださるのなら、実直に契約を果たしますとも」
騎士は尚も反意を捨てられぬらしい。首を捻り、むっつりと言う。
「礼拝堂は既に決斎臨み、人の出入りを禁じている。式典当日まで何人も内部に立ち入れぬ」
それも知っている、とカミューは胸のうちで答えた。計画に難があるとしたら、それが唯一絶対なのである。
「参席者は特に念入りに吟味されるぞ。そのような場に、どうやって潜り込むというのだ」
「……ゴルドー様の御力をもってすれば、必ず手はある筈です。労を払うだけの旨味はあるのですから、何とか手立てを講じてくださるでしょう」
騎士はまたもや考えに沈み、最後に大きく嘆息した。
「貴様、皇子の学友を騙ったからには、歳も大差ないだろう」
「確か一つ上でしたね」
「その若さで、よくもそこまで計算高く生きられるものだ」

 

───そうさせたのは、あなたがかつて王と呼んだ男だ。
あなたと同じ、マチルダ騎士を名乗ったものたちだ。
胸中に溢れた思いには、もはや恨みの熱はなく、冷えた諦念が混じっていた。

 

「真の狙いを知らなかったにしろ、皇子、それに赤や青の騎士共は心底貴様に入れ込んでいたと見えたがな。騙し抜いて、良心の欠片も疼かぬか」
「……良心に捕われたがゆえに命を落とした傭兵は幾人もいます」
は、と初めて騎士は破顔した。笑うほどに本性が剥き出しになる類の人間であるらしい。笑顔は、目を背けたいほどの残忍さを放っていた。
ふと、意思に反して言葉が洩れた。
「皇子たちに……何か変化はあったでしょうか?」
「貴様が消えて、か? さあな、こちらも第二隊長捜索に追われていたし、特に留意していた訳ではないが……変わったようには見えんな。何を目論んでいるのだか、コソコソと動き回っているようだが」
「…………」
男は揶揄めいた口調で付け加えた。
「何だ、貴様。落胆しているように見えるとでも言って欲しかったのか?」
「……言った筈です、感傷を交えていては傭兵の仕事などつとまりません」
過った愛惜を払い除けて、カミューは表情を引き締めた。
「ともかく……そうした事情から、咄嗟に城を出ざるを得なかったので、残らず荷を置いてきてしまいました。手持ちの金もありませんし、今暫くはここに留まるつもりです」
「わたしとの接点を女将たちに知られたぞ。もはや安全な隠れ家とは言えまい」
接点、と聞いた途端に耐え難い嫌悪が込み上げる。だが、表向きは柔和を取り繕った。
「問題ありません。そのために、あなたと敵対するような「芝居」まで見せておいたのですから。後は適当に丸め込みます」
「その良く回る舌で、か」
含み笑って騎士は頷く。
「それから、これはお願いなのですが……ゴルドー様からの返答は、続行・中止の如何に拘らず、あなたに直接届けていただきたいのです」
「わたしに使い走りをせよと言うか」
「わたしの本当の不在理由を、この区を担当する赤騎士が知っているかどうか……。おそらく末端の騎士に対しては、あなたが聞き止められたのと同じ説で通しているのではないかと思われます」
これに関しては白騎士隊長も異論を持たぬようであった。
「……となれば、不用意に外に出る訳にはいかない。顔を知る人間と鉢合わせれば、幾ら髪色を変えたところで見顕される恐れがあります。今はもう、どれだけ細心を払っても足りません。と言って、ゴルドー様の忠臣の中で、わたしが知っているのは、あなた御一人です。他の人間が伝えに来た言葉には信用が置けません」
深慮の後、渋々といった同意が窺えた。
「……やむを得ぬ。ゴルドー様も、そう望まれるだろうしな。で、どうやって連絡を取るのだ。流石に店を訪ねるのはまずかろう」
「わたしが居るのは、店の裏庭から見て二階の左端の部屋。日が変わる頃───店が最も立て込む時間か、あるいは早朝、女将たちが寝静まった頃合に、窓に小石を続けて二度投げてください。それを合図に、裏庭に下ります」
「裏庭より二階の左端、小石を二度、だな」
記憶のための復唱を口中で呟くや否や、白騎士は対話の打ち切りを決したように立ち上がろうとした。カミューは男から目を逸らせ、低く呼び掛ける。
「今後、あのレディには近付かない方が良いと思いますよ」
「何?」
「本気で好いておられるならともかく、拝見した限り、そうは見受けられませんでしたが」
私事への追求は心地好いものではなかったろうが、それでも騎士は椅子の背に片手を乗せて応じ始めた。
「わたしは、普通の情交では満たされぬのだ。屈辱に歪む女の顔、怯え竦む様に血が騒ぐ。ただ、簡単に従う女では面白味がない。あの淫売は濡れ鼠のように震えながら、常に心のうちに反抗心を持っていた。だから贔屓にしてやったのだ。本気で好く、だと? 誰が娼館の女などに……」
つまりは特殊な嗜好に染まり切っている訳だ。生業であっても、こんな男に目を付けられた娘は不運としか言いようがない。カミューは小さく息をついた。
「ならば金輪際、彼女と関わるべきではありません。色街に通い詰める騎士なら他にもいるでしょうが、あなたのように地位ある人間が、つまらぬ街娼に執着していると噂になるのは如何なものでしょう? 更に上を望める身なのですから、接する相手も選ぶべきです」
巧みに優越をくすぐると、納得の表情が浮かんでいった。だが、まんまと欺かれそうになった羞恥混じりの恨みの気配は消えない。結局のところ、娘に報復出来ぬまま逃してしまったことが引っ掛かっているのだろう。
「あの淫売に思い知らせてやれぬのは腹立たしい」
「だったら時をお待ちなさい。そう長くはない、ゴルドー様が全権を握られるまで。そうなれば、あなたがロックアックスの何処で何をなさろうと、咎めるものはいなくなります」
「……今だとて、わたしを咎められる人間はない」
「そうでしょうか?」
カミューはきらりと瞳を光らせる。
「閨でどれだけ娼婦をいたぶろうと、所詮は私事、密事です。が……、店主や雇い人を斬ったのは少しやり過ぎましたね。私闘で他者を傷つけるなと訓戒で禁じられているのでは? 赤騎士が巡回に来て、これを知ったらどうなります?」
「赤騎士団員に何が出来るものか」
間髪入れず言い返したものの、顔つきに微かな不安がちらついた。カミューは深淵なる笑みを広げた。
「お忘れですか、今の赤騎士団は皇子と直結しているのですよ? 勢いに任せて、街人相手に傷害事件を起こしたと知れば、皇子は直ちに動くでしょう。ゴルドー様の許に捩じ込まれたらどうするのです。ゴルドー様はあなたを守ってくださるかもしれませんが、この大事な時期に面倒事を起こすとは、と心証を損なわれるかもしれませんよ」
うっと息を詰めて白騎士は頬を引き攣らせた。
不思議だ、と不意にカミューは思った。
ゴルドーと直接「話」を──皇子たちの前での空々しい演技ではなく──したのは一度だけである。そのとき感じた印象は、目的のためなら誰であろうと容赦なく切り捨てる男といったものだった。
なのに、この男はゴルドーの庇護に一片の懸念も持っていない。カミューが呈示した「騎士団長」という餌を前にして、主君の心証は気になるらしいが、問題が揉み消されるという点については完全に信じ込んでいると見える。
この騎士は、ゴルドーにとってそれほど特別な存在なのか。絶対に切り捨てられないと確信するほどのはたらきを成してきた過去があるとでもいうのか───
物思いは、椅子に座り直した男の動きに遮られた。やや悔しげに、じろりとカミューを一瞥しながら騎士は問うた。
「……わたしに、どうせよと?」
「騎士が巡回に訪れるより先に、斬ったものたちに詫びて来られては如何です?」
「虫螻共に頭を下げろと言うのか!」
「その「虫螻」が、あなたの命運に影を落とすかもしれないのですよ? 頭を下げることで誇りが傷つくと言われるなら、位階を極められた後に報復なされば良いではありませんか」
男は考え込み、少しして、注意せねば見落とすほど小さく首肯した。浮かぬ顔、億劫そうな所作で再度立ち上がり、呼吸を整える。
「大事の前だ、……やむを得ぬか」
「御心中はともかく、陳謝が受け入れられねば意味がありません。頭に血が昇って剣を抜いてしまった、今は心から遺憾に思っている。この後は一切店に出入りしない、彼女からも手を引く───せめてこのくらいは言ってください。ついでに、後で見舞いの品を贈るとでも約束なされば、穏便に納められるのではないでしょうか」
詫びの文言例を並べるごとに、不本意そうに唇を震わせる白騎士。どうにも信用ならない、とカミューは嘆息した。
幸い、赤騎士が巡回に訪れる刻限には間がある。彼は静かに立ち上がった。
「……外出するのは気が進まないけれど、店まで御一緒しましょう。レディたちにも、この件を赤騎士に洩らさぬよう、釘を刺さねばなりませんしね。そちらはわたしがお引き受けします」
騎士が意図を忘れて傲然を振り翳しそうになったときには割って入る。店主や用心棒が、取り敢えず事を秘めようという心情になるまで、何とか誘導を果たさねばならない。
最大の難敵は、娼館に向かったレオナとロウエンだ。
彼女たちは白騎士の「改心」を一蹴するだろう。カミューと男の「繋がり」にも関心を持っているに違いない。
大事な連絡係となった男。歪んだ性情には心底から唾棄を覚えるが、一先ず今は護らねばならない存在となってしまった。ここから店までの道程で、ある程度説得力のある筋書きを、またしても捏造せねばならない。

 

のろのろと扉へと向かおうとする白騎士団・第三隊長。その背を見据えたカミューは、衣服の襟を立て、可能な限り顔を隠した。
レオナ、そしてロウエン。偽りなき親愛を捧ぐ女たちにも、真なる決意を見定めさせぬために。

 

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オフ本に引き続き、
よく喋る赤の巻でした。
どーも私は、
いけしゃあしゃあと大嘘ぶっこく赤が好きらしい(笑)

 

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