最後の王・90


調理場と対峙したまま長らく思案に暮れたカミューが、傍らの女に向けて低く切り出した。
「引き受けておいて今更ですが……、一つ問題がありました、ロウエン殿」
自身の襷の具合を確かめていた女傑が顔をしかめるのを見て、慌てて言い添える。
「十四で故郷を出て、以来、殆どをデュナン湖周辺の国で過ごしてきましたが……いざ考えてみると、何をもってして「グラスランド風」と称すのか、分かりません」
「どういうこと?」
つまり、と彼はロウエンに向き直った。
「こちらに来てから様々な料理を口にしましたが、どれも何かしら似ているのです。グラスランドで見なかった料理は多々ありますが、逆となると……これといって思いつきません」
「でもさ」
意見への不満も隠さず女は唇を尖らせる。
「昨日のアレは───」
「あれは、グラスランド産の香草があったからです。だから目新しく感じられただけで、基本的に料理の基本は同じなのだと思います。特色を出す唯一の手は食材でしょうが、向こうで使われる鳥獣や野菜をマチルダで手に入れるのは難しいでしょうし……」
理路整然と説かれて、今度はロウエンも考え込んだ。
実際、昨日の香草が初めて見る品だったあたりが青年の言葉を裏付けている。グラスランド色を有するレシピを店の品書きにと目論んだものの、食材が揃わないのでは如何んともし難い。初っ端から計画は方向転換を余儀なくされた。
「……まあ、いいよ。とにかく何か新しいレシピを作るのに協力してくれれば。あんた、そういう才能ありそうだしさ」
見ているうちに料理の手法を覚えた、そう青年は言ったが、昨日の味付けは彼自らの勘によるものだ。白紙の状態から──厳密にはロウエンの失敗の上に──味を作り出した感性を信じようと考えたのだった。
はあ、とカミューは神妙に頷いた。棚上の調味料、更には昨夜店で出した料理の残り物の皿を確かめていって、ふと一つに目を止める。
「これは?」
「ええとね、細かく挽いた肉を炒めて、辛味噌で味付けしたやつ。これに豆腐とか茄子を入れるんだ」
「ああ……、そう言えば食べたことがあるような……」
「おれ、結構好きなんだよ。ただ……在り来りだし、どうしたって「食事」なんだよなあ。今みたいに半端に余っても、酒の肴にするにはイマイチだしさ」
束の間、錆色に染まった肉に見入ったカミューは、匙で掬ったそれを一口含んでから幼げに首を傾げた。
「……練った粉で巻いて、蒸してみたらどうでしょう」
「肉饅頭みたいに? それより、焼売風かな」
瞬くロウエンを見詰めながら、艶やかな美貌が楽しげに笑む。
「やはり似た料理があるのですね。わたしの村では栗や豆を潰して入れていましたが。一口大くらいのものを作れば、食事を取るほどではない、でも小腹が空いたというときに手軽に取れるのではないかと思うのですが……」
「ああ、良いかもしれないね。それなら酒の客にも出せる。案外いるんだよね、つまみじゃ物足りない、でも、ちゃんとした一食を頼むほどじゃないって客」
賛同を受けて、カミューは棚から粉を取り、半球状の容器に流し込んで水を加えた。粉を戻す際、小さな瓶に目を止める。
「これは……干した貝ですか?」
調理台に作業用の場所を空けようと残り物の皿を寄せていたロウエンが軽く応じる。
「そう。良いダシが出るけど、この店で一番飲まれるのはワインだから、ちょっと合わないんだよね。そういや、最近あんまり使ってないなあ」
「バターや大蒜を使えば合うのではないでしょうか。それでは……粉の方はわたしがやりますから、ロウエン殿は貝を戻していただけますか」
「戻すって、時間が掛かり過ぎるぜ?」
「……取り敢えず今日は湯戻しで。戻し汁も捨てないでください、何かに使えるでしょうから」
ロウエンは破顔して「了解、了解」などとおどけながら小鍋を火に掛けた。片手間に、二の腕まで晒して粉を練り始めた青年に眺め入り、その手際を観察する。
「……ふぅん。細っこくても男だねえ、握力ってのが違うよ。おれも力がある方だけど、そんなふうにはいかないな」
「そうですか?」
「覚えてないだろうけど、ゴミと寝ていたあんたを、おれが担いで二階まで運んだんだぜ? そのくらい力には自信があったんだけどさ」
光景を思い描きそうになり、カミューは羞恥に頬を赤らめた。
「……今なら、わたしもロウエン殿をお運び出来ると思いますよ。担ぐより、もう少し紳士的な作法で」
するとロウエンはカラカラと笑い声を上げた。
「よせやい。途中で落とされたら堪らないよ。第一、そんなお姫様みたいなの、おれの柄じゃないね」
それから練り上げた粉を覗き込み、眉を寄せる。
「……ちょっと待った。水加減はどのくらい?」
「適当です」
「それじゃ困るって」
「ええと……生地が耳朶くらいの柔らかさになる程度でしょうか。確か、そう教わった気が───」
他愛ない遣り取りが胸を温める。草原の家の厨房で、女や子供たちと戯れるように作業に臨んだ日々が思い出されるからだ。
優しい色合いの生地を平らに伸ばし、適当な大きさの椀を押し当てて丸く繰り抜いていく。物珍しげに見守っていたロウエンが感嘆の息をついた。
「そうか、そうやれば大きさが揃うね。肉饅頭や焼売の皮って、自分で作ったことなかったけど……そうやってるのか」
それにしても、と彼女は思う。
つくづく意外な特技だ。世間では、男子が厨房に立つのを快く思わぬ風潮が少なからずある。
マチルダも同様だ。特に首府都ロックアックスは騎士の膝元だけあって、食事を作るのは女のつとめ、男はどっしり腰を下ろして膳が整うのを待つのが暗黙の了解となっている。
無論、男たちが女を軽視している訳ではない。その証拠に力仕事は率先して行うし、街で重そうな荷物を抱えた婦人を見れば、ごく当たり前のように助力を申し出る。
カミューも女性に対する礼節には厚いようだが、こんなふうに抵抗なく調理場に立つのは、やはり幼少時からの仕込みの賜物だろうと、ロウエンの関心は抑え難く膨らんだ。
「……あのさ」
出来上がった皮に残り物の肉を詰めて形を整えている青年にそっと呼び掛ける。
「あんたのお袋さんって、どんな人?」
「どんな……と仰いますと?」
作業の手を休めぬままカミューは返す。ロウエンは小鍋を揺らして続けた。
「何かさ、不思議なんだよな。グラスランドじゃ、男の子も台所を手伝うのが普通なのかい?」
「……どうでしょう。わたしも他の村のことは良く知らないのですが……」
例えばカラヤは、と考えてカミューは苦笑を洩らした。あの戦士一族は、そういうのを嫌いそうだ。
ロウエンが問いを重ねようとしたとき、二階からレオナが下りてきた。二人が調理場に立っているのを見て、微笑ましげに目を細める。
「早速やってるんだね。何が出来るやら、楽しみだ」
言いながら向かったのは調理場奥の勝手口だ。二人の問い掛けの視線に気付き、振り向きざまに笑う。
「昨夜ロウエンに言われて、今、ちょっと見てみたんだけどね。カミューの居る部屋、ずっと使ってなかったから暖炉の調子が悪いみたいなんだよ。物置に火鉢があったから、一先ずそれを代わりにと思ってさ」
「すみません、でしたらわたしが───」
「ああ、良いよ。少し前に整理して、すぐ出せるところに置いてあるから。そのまま続けて」
言い置いて、レオナは扉から出て行った。見送ったロウエンがカミューに囁く。
「な? 何でもかんでも手際が良いだろ、姐貴は」
本当に、と同意して考え込むカミューだ。
何処まで感付いているのか、それをまったく表に出さない酒場の女将。妹分にすら口を閉ざしたまま、ただカミューに考える時間を与えようとするレオナ。
赤騎士団副長に縁ある人と知ったからには、ここは安息の場と成り得ないと分かっているのに、何故か去り難さに駆られる。体調が万全でないのも勿論だが、何かがカミューを引き止めているのだ。
心に耳を澄ませる暇もなく、言葉通りレオナはすぐに戻ってきた。手には古びた火鉢を下げている。店の卓の間にそれを置き、彼女は状態を確かめ始めた。
そこまで見届けたロウエンが、途切れた会話を思い出して口を開いた。
「美人だろうなあ」
「はい?」
「あんたのお袋さん。ほら、息子は母親に似るって言わない?」
カミューは薄く微笑んだ。
「そんな話を聞いたことがありますが……」
「躾もちゃんとしてて、料理まで仕込んでくれてさ。女として格好良いじゃないか。おまけに美人、ってのは反則だよ」
「顔は……分からないな」
「謙遜するなって」
ドンと小突かれ、カミューは数歩よろめいた。
「いえ、本当に……謙遜とか、そういうのではなくて、知らないのです」
え、とロウエンは目を瞠る。長卓を挟んで屈み込んでいたレオナも、火鉢から調理場へと目を向けた。カミューは肉を詰め終えた包みを丁寧に皿に並べていく。
「実の母は、わたしが赤ん坊だった頃に亡くなりました。この辺りでは珍しいかもしれませんが、行き倒れ……というやつですね。運良く助けられたものの、介抱の甲斐無く、そのまま……。それからわたしは、見付けてくれた人たちの手で育てられました」
皿を蒸し鍋に入れようとしてロウエンと目が合った。珍しく言葉に詰まった様子に、カミューは微笑みを浮かべる。
「……誤解なさらないでください。生さぬ仲の人たちに扱き使われた結果、料理を覚えた訳ではありません。寧ろ逆です。わたしは彼らの役に立ちたくて……頼んで手伝わせて貰っていたのです」
女たちは優しかった。子供は外で遊んでおいで、そう言って笑っていた。
けれど甘い匂いの服に纏わり付くうち、少しずつ応じてくれるようになった。共に暮らしていた子供たちまでが調理場に集まり、皆で大騒ぎしながら鍋を掻き回した───
「父の消息も分かりません。母とわたしを捨てたのか、あるいは母より先に地に還ったのかもしれない。母は言い残せる状態ではなかったそうで、今となっては知る手立てもありません」
「カミュー……」
何時の間にかレオナも調理場と店を隔てる長卓まで進んで来ていた。前と横から見詰められ、下方にしか眼差しを逃す場を持たず、カミューは俯いた。
「生い立ちを語ると、大抵の人間に憐れまれてしまうのですが……実の親を知らずとも、自分を不幸だと思ったことは一度もありません。強がりではなく、本当に。「家族」となってくれた人たちは、心からわたしを慈しんで育ててくれました」
うん、と小さくロウエンが呟いた。
「……分かるよ。あんたを見ていればね」
そうして、くしゃりと顔を歪める。
「子供を育てるって大変なことだよ。自分の子の面倒見るだけでも大事だろうに、そうやって愛情注いでくれるなんて凄いよ。良い人に会えたね、カミュー。グラスランドに残してきちまってるんだろ、たまには会いに帰ってるのかい?」
ツキリ、と胸が痛む。過った嘆きを押し隠したまま、カミューは鍋を火に掛けた。
「もう……いません」
「えっ?」
「亡くなりました。一人になって、それで村を出たんです」
「亡くなったって……家族全員? 流行り病かい?」
今度はレオナが問うた。無闇に干渉する質ではないが、漸く身上を語り始めた青年を見て、やや主義を曲げる気になったのだ。
カミューは緩やかに首を振った。その一瞬だけ、琥珀色の瞳に焔が揺れた。
「殺されたのです。わたしを除いて、残らず全員」
女たちには相当の衝撃だったらしい。暫し言葉も出ず、二人はカミューを凝視し続けた。そのうちに、かろうじてといった様相でロウエンが言う。
「押し込み?」
「……みたいなものですね。たまたま留守にしていたわたしだけが難を逃れました」
もっとも、ゲオルグ・プライムが通り掛からなかったら、嬲り殺しに遭っていただろうが。
胸中で付け加えた彼は、軽い吐き気を覚えた。
「旅の剣士に出会い、その人に連れられて村を出ました。以来、剣の鍛錬を重ねて……それを生きる手段に使ってきたのです」
「傭兵?」
ええ、とカミューは湯気を上げる鍋からレオナへと笑顔を向ける。
「とは言っても、仕事は選びましたね。わたしを鍛えてくれた師には、振るう剣に対する拘りがあったので。非道には手を染めない、著しい不正には手を貸さない……御陰で、懐が潤ったためしはありません。義賊みたいな気質の人だったのです」
「そう……。あんなに大事そうに剣を抱えていたし、それで食べているんだろうとは思ったけど……」
「あの剣は、育ててくれた人たちの形見です。今なら彼らを護れたかもしれないのに、あの頃のわたしには何も出来なかった。それが唯一の無念です」
女たちは目線を交わらせ、しかし言葉を持たなかった。淡々と語る青年の深い喪失感が伝染したかのように、思いが声にならなかったのだ。
───そのとき。
往来側の扉の外に足音が響いた。逸早く気付いたカミューが棚を探る素振りを装って顔を背ける。正確な拍子で三度鳴った扉は、レオナのいらえに合わせて開かれた。
「失礼します、レオナ殿」
きびきびと伸びやかな、実直そうな物言い。恐れていた事態───赤騎士団員の来訪だ。
この時間帯ならばと考えていたカミューは戦いたが、自らの容姿が前とは異なっているのを思い出して、不必要な警戒を滲ませないように己を叱咤した。
レオナが歩み寄る足音から、騎士がその場に留まっていると知れる。ならば距離はあるのだ。薄茶から漆黒に色を変えた髪が、逸らせた横顔を隠してくれるに違いない。
「今日はまた随分と早いんだね、何かあったのかい?」
気さくにレオナが応対すると、騎士は丁重な口調で言った。
「申し訳ありません、隣の区についでがあったものですから……。各区の警備を強化するという話、レオナ殿もお聞き及びでしょうか?」
「昨日、寄り合いがあったからね」
いま一人の騎士が続ける。
「昨日のうちに元締め殿から、手の足りない店の申告を受けましたが……こちらが入っていなかったのを副長が気にしておいでです」
それを聞き止めたロウエンが調理場から声を張った。
「手は足りてるよ。用心棒には、このおれ、ロウエン様が居るって」
はい、と微苦笑を零して騎士は言う。
「それは承知しているのですが……ロウエン殿も、そちらを専門になさっている訳ではありませんでしょうし……」
「何だよ。文句あるのかよ?」
「いえいえ、とんでもない」
言葉だけを取れば剣呑とした会話だが、両者の調子には親愛がある。騎士の声音は笑いを堪えているようだった。
レオナが嘆息混じりに首を振る。
「騎士を回してくれるって話なら、気持ちはありがたいけど取り敢えず遠慮しておくよ。今まで喧嘩騒ぎが起きたことはないし、ここは隣の区にも近いし、どうにでもなるからね」
「はあ……レオナ殿の店ならば、他の店からも助けが飛んで来そうではありますが」
「では、何ぞ不安がありましたら、何時でも仰ってください」
騎士たちは拒絶を前提に考えていたようだ。強いるでもなく、終始礼節を保ちながら会話を切る。
踵を返そうとする足音に、カミューはほっと胸を撫で下ろし掛けたのだが───
おや、という小さな呟きに息が止まった。
「新しく人を雇い入れておいででしたか」
「……まあね、遠縁の子だけど。女二人じゃ危なっかしくても、これなら心強い感じだろう?」
さらりとレオナは答える。こちらに視線が向いているのを感じて、やむなくカミューは顔を背けたまま小さく一礼した。
赤騎士たちも、自団副長と関わりの在る女将の意向を詮索する気はないようで、「そうですね」などと同意を洩らすのみだった。
「では、我々はこれで。夕刻の巡回騎士は立ち寄りません。日に何度もお訪ねしては煩がられるだろうと、副長が案じておられましたので」
「それなんだけどね、副長さんに伝えとくれよ。ただでさえ御役目で大変なんだし、こっちは適当にやっているから、そんなに細かく気を回してくれなくても大丈夫だ、ってさ」
はあ、と騎士は瞬く。
「分かりました、お伝えしてみます。が……、御気性が御気性ですので、結果は保障致しかねますが」
相変わらず笑みを含んだ調子で言い、騎士たちは去って行った。見送ったロウエンがひょいと肩を竦める。
「やれやれ、いつもながらに丁寧な連中だ。あれも性分かね、カミューと良い勝負だわ」
それからふと傍らを一瞥して瞬いた。
「……カミュー、鍋」
「え?」
「湯気が出てないよ、空焚きになってない?」
あっ、と声を上げてカミューは鍋に触れ、即座に身を竦めた。
「熱ッ」
「馬鹿、何やってんだよ! 水かけな、水!」
ロウエンは仰天して青年の腕を掴み、流しへと引っ張る。騎士らを送った場所から一部始終を見ていたレオナが、物言いたげに唇を開き掛け、そのままゆっくりと首を振った。

 

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二次を書くとき、
ゲーム中で使われてる表記に悩むことが。
洋風はともかく、「和」とか「中華」はなあ……
そんな訳で、濁せるだけ濁すようにしております。
ちなみに、ロウエンの食の好みは中華でありました。
てっきり和風だと思っていたので、ちょっと意外。

 

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