『本当にそんなところで寝るつもりなのか?』
そう言って首を捻った男は、それでも求めに応じて一枚の毛布を投げた。
長い腕に絡ませるように受け止めたそれの柔らかな手触りが心地好く、カミューは文字通り、王族たるものの豊かな暮らしぶりを肌で知った。
続きになった浴室で素早く旅の埃を流した。
湯の支度をしたのは皇子である。彼は側に人を置くのを避ける代わりに、身の回りのことは極力自身で行う習慣がついているのだ。
契約上、やむを得ぬ場合を除いて、極力目を離さぬようにと念を押されているから、湯気の立ち込める浴室へと皇子を引っ張り込んでの入浴であった。男はたいそう困惑し、ひたすらカミューから目を背けるようにして壁にへばりついていた。
まじまじと裸体を観賞されるのも不快だが、攫われた乙女もどきに恥じらわれても居心地が悪い。結果、水たまりで羽を濡らす鳥のような入浴とならざるを得なかった。
それにしても、本当に人の出入りがない。
食事が運ばれた後は、夜間の蝋燭を足しに子供が一人来ただけだ。城中で見られる揃いの衣を着た、けれど十を幾つも越えていないような少年。
彼らが「従者」と呼ばれる騎士団の最下位者であるのを、カミューはまだ知らなかったが───
人嫌いなのか、それで他人を寄せ付けないのか。
そう聞いたカミューに、皇子は静かに否定を返した。
国の主となるものは、民を思い、慈しまねばならない。暗殺の危機に直面しているからといって、周囲をすべて疑って掛かっている訳ではない。
型通りの模範的な答えの中に真意らしき響きはなかった。カミューはすぐに気付いたけれど、追求は控えた。
情報は必要だが、深入りは禁物だ。何のために己がここにいるのか、それを忘れてはならない。
風のように舞い下りて、時が来れば消える、ただそれだけの存在でなければならないのだ。
就寝を前に、男は──相変わらず眉を寄せながら──尋ねた。
本当に寝台を使わないのか、それで難はないのか。
『くどい』と答えると、厳つい顔に悲しげな色が浮かんだ。
デュナン湖を追想させるような広い寝台の傍ら、床に腰を落としたカミューは、温かな毛布の内で愛剣を握り締めた。
『おまえもゆっくり休め』などと言いながら横になった皇子が程無く穏やかな寝息を洩らし始める。狙われていることなど忘れ果てているかの如き、それは速やかな寝つきであった。
まったく変わった皇子だ。
たかだか雇われ護衛を相手に、何故そうまで寛容なのか。常に傅かれてきた男が、そうせぬ人間を物珍しく思うのは道理としても、この厚情は行き過ぎではないだろうか。
この立派な王城で、人々に──中に害意を持つものが居るとしても──丁重に遇されながら、それでも彼は満たされぬ何かを抱えているというのだろうか。
「……面白い男だとは思うけれど」
侵入者を逸早く発見するため、開け放ったままにされている厚手のカーテン。その奥に広がる闇を見詰めて、カミューはひっそりと呟いた。
「残念だよ、皇子様───」
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