最後の王・10


朝一番の鳥の声を聞くなり、マイクロトフは目を開けた。
視線を巡らせると、寝台の端に寄り掛かった青年の薄茶色の髪が見える。昨夜、最後に目にしたのと同じ姿勢だ。いったい彼は眠れたのだろうか、そんなことを考えながらゆっくりと身を起こすと、途端に掠れ声が囁いた。
「どうした?」
「ああ……すまない、起こしたか」
半身だけもたげた姿勢で、カミューが立ち上がるのを待つ。ずるりと肩から毛布を下げたしどけない姿で、彼は髪を掻き上げた。その瞳が茫と潤んでいるのを見て、マイクロトフは苦笑した。
「……眠そうだな」
「寝込みを襲われたときの心配なら無用だよ。殺気を浴びれば、もう少し爽やかに目覚めるさ」
不機嫌そのものといった口調が呻く。
「それより……何だ、何か気になることでもあったのか? わたしの嗅覚は、特に危険を感じていないんだが」
「いや、その」
マイクロトフは瞬いた。
「朝だから起きただけだが……」
そこで初めて琥珀がぱっちりと開く。寝台脇に立ち尽くしたまま、カミューはまじまじとマイクロトフを凝視した。
「朝だから?」
「そうだ」
「いつもこんなに早起きなのか?」
「そうだ」
マイクロトフは寝台を後にして、洗顔を済ませ、身繕いながら付け加えた。
「青騎士団では朝の訓練がある。一応、団長という立場を与えられているからな、おれも参加している」
「ちょっと待て、そんな話は聞いていない」
荒々しく毛布を敷布に投げつけながらカミューが言う。
「のんびり心ゆくまで寝て、遅めの朝餐というのが王族というものじゃないのか?」
ううむ、とマイクロトフは腕を組み、申し訳なさそうに青年を一瞥した。
「おまえの認識を違えてすまないが、朝の訓練で一汗流し、それから朝食を取るのがおれの習慣だ」
「ならばこの先、毎朝この時間に起床かい?」
その言いようが失意でいっぱいだったので、マイクロトフは吹き出しそうになった。
「おまえは寝ていて構わないぞ」
「……どんな護衛だ」
憮然と唸ってカミューは浴室へと向かった。髪から水を滴らせて戻ってくると、自身の荷物の中身を床に撒く。動き易そうな私服を摘まみ上げ、不満たらたらの面持ちで夜着を脱ぎ捨て、手早く着替えを済ませた。
最後に剣を取り上げると、彼は恨めしそうにマイクロトフを睨んだ。
「雇われている以上は御供するよ、皇子様」
「律儀だな」
「それはおまえの方だろう。騎士団長なんて、所詮は形式だけ───」
言い掛けて、僅かに首を傾げる。
「いや、宰相殿が言っておられたな……名ばかりではないとは、こういう意味か」
そして溜め息。
「あのとき質しておくべきだったよ」
「……すまないな。だが、幼い頃からの慣習なのだ。休むと落ち着かない」
「いつから、だって?」
「十二歳。皇太子が騎士団の訓練に参加するのを認められるのは十二歳からなのだ。そして、グリンヒル遊学後に正式に騎士団長の名を与えられる」
「ああ、そう。勤勉で何よりだよ、皇子様」
カミューは忌ま忌ましさを抑え難い様子で髪を掻き毟った。が、癖のない髪はさらさらと指から零れ落ちるばかりだ。
ひとしきり息を吐いて漸く折り合いをつけた彼は、マイクロトフの目前に屹立した。
そこで初めてマイクロトフは、青年が自らよりもほんの少しだけ背が低いのに気付いた。これは少し意外だった。姿勢が美しいためか、あるいは態度が無遠慮だからか、彼はとても大きく映っていたからだ。
「……何だい?」
食い入るような凝視に、怪訝げにカミューは問う。昨日ちらちらと垣間見せた冷淡と、表情豊かな今の彼はあまりにかけ離れていて、それが酷くマイクロトフを戸惑わせていた。
「い、いや……その、確認だ。おまえはおれの───」
「グリンヒル留学時代の友人。近く王座に就く旧友を思い出し、あわよくば権威と財のおこぼれに与ろうと目論む不逞の輩」
「カミュー……」
「冗談だよ。演じる役割は心得ているし、少なくとも、おまえより巧く立ち回る自信はある」
それよりも、と青年の表情が一変した。
「気になっているんだけれどね、城の人間に護衛の就任が洩れている可能性は? それによって「敵」の出方も変わるだろうし、芝居も無駄になるかもしれない」
マイクロトフは少し考えて首を振った。
「護衛候補の招聘はグランマイヤーが慎重に慎重を期して行った。騎士団の方には洩れぬよう、各地の信頼出来る人物にのみ声を掛け、選出に協力して貰ったという話だ。城に入る際、特に追求を受けなかっただろう?」
「グリンヒル公国で発行してくれた証書を出したら、名も聞かれなかったな。無用心だと感心したよ」
「それは特別の印を押した入城要請証だったからだ。護衛候補として城を訪れるものの素性を騎士団に詮索されぬよう、予め協力者らに手配してあったのだ」
カミューは宰相の手回しの良さに満足して息を吐いたが、依然、表情は硬かった。
「もう一つ。その、朝の何とかに参加するのは青騎士団に属する騎士だけかい?」
「ああ。訓練内容などは各団ごとに異なるからな」
三騎士団は指揮系統が分かれていて、通常の運営は各団に一任されている。騎士団長を頂点とする位階の図を書き記して、マイクロトフは説明した。
「ただ、昨日も言ったように、青と赤の団長……つまり、おれとグランマイヤーだが、正規の騎士叙位を受けている訳ではないから、事実上は副長が団長職を兼任しているようなものだ。白騎士団との大きな違いだな」
「ということは……昨夜の話に戻るが、皇太子殺傷未遂事故を起こした騎士も青騎士団員か」
カミューの瞳は雄弁だった。
形式上、おまけに若年でありながら一団の長として君臨するマイクロトフ。そんな悪意を持たれ易そうな人物の配下に刺客を潜ませるのは「敵」にとって決して難しくはない、そう言いたげだった。
マイクロトフは仄かに笑み、書き殴った騎士団の構成図を握って屑入れに放った。
「おまえ自身の目で見て、判断して欲しい。何なら、一緒に訓練に参加してみたらどうだ?」
「……報酬外の汗は掻きたくないな」
彼は肩を竦め、ふと瞬いた。皇子の手が剣を取り上げたためだ。
それは初めて会ったときに佩刀していたものと形状こそ酷似しているが、柄の部分の彩色が異なる。いわば、双子のような剣だった。ちらと室内を見回した琥珀の目が、長椅子脇に置き去りにされていた別のひとふりに止まる。
「訓練と外出時で剣を使い分けているのかい?」
何気なく洩れた問い掛けにマイクロトフの全身は強張った。甲に血が上るほどきつく鞘を握り締め、低く応じる。
「昨日の剣は皇王家に伝わる品だから……」
「ああ……成程」
カミューは可笑しそうに頷いた。
「王家の宝では、おいそれと血で汚す訳にはいかないか。昨日は事情を弁えぬ物言いをして申し訳ありませんでした、皇太子殿下。でも、もう少し狙われている自覚をした方が良いね。代わりの剣を、ちゃんとフリード・Yに持たせないと」
笑みながらの揶揄を、だがマイクロトフは顔を背けながら聞いた。
───言えなかった。穢れを厭って抜かなかったのではなく、結果を恐れて躊躇った。
ひとたびあの剣を抜いたが最後、自らは殺戮に酔い痴れる獣と化してしまうのだ、とは。
「以後、気を付ける」
俯き加減で呟いた声は、聞き取り難いほど掠れていた。

 

 

 


ロックアックス城の中心部は、主に三つの棟から成っている。王族や政治に携わる要人らが使っているのは東の棟だ。そこから中央棟へと続く渡り廊下を進みながら、マイクロトフは簡単に城内について語った。
「中央の棟が最も造りが大きく、皇王の間や迎賓の間といった公の施設が多く置かれている。騎士の鍛錬場などもここにある。西の棟は……今は主に赤・青騎士たちの兵舎として使われている」
カミューは興味津々といったふうで辺りに目を遣っているが、その眼差しは鋭い。永遠に続くかとも思われる長い石床、枝分かれする廊下の一つ一つをも念入りに吟味している。
「それで、「彼」は何処を根城にしているんだい?」
示唆された人物──表向きには叔父──を描いてマイクロトフの表情が陰る。
「白騎士団長の執務室兼自室が中央棟の最上階にある。皇王執務室の隣だ。実は、白騎士団員の兵舎も中央棟にあってな。赤・青騎士団とは一線を画している」
「……「彼」と城内で行き合うことは多い?」
短く思案する。
「そうでもないな。自ら出向くより、相手を呼び付けるのを好む人だから」
「皇子たる甥でも?」
皮肉げに問われて苦笑した。まあな、と答えると、カミューは肩を竦めた。それこそ、これまで思い描いていた「高貴なる人々の図」である。
抹殺を目論む相手なら、表面だけでもマイクロトフに膝を折り、自身に疑いの目が向けられぬように周囲を偽り続けてこそ画策と言えようものを、そこに考えが及ばないのか、考えていても意地が上回るのか、ゴルドーという男には自らを装う気はないらしい。
「……やっぱり、馬鹿だな」
ボソリと小声で感想を述べたとき、背後からの気配の接近を感じた。殆ど反射のように、愛剣の柄を掴み易い位置に利き手をずらしながらカミューは足を止める。
つられて立ち止まったマイクロトフが、彼の視線を追うように背後を振り返ったが、大柄な体躯に緊張は生じなかった。早足で寄って来るのは一人の騎士で、装束の色彩から青騎士団の所属であるのが見て取れる。
「おはようございます、マイクロトフ様」
二人と幾つも変わらないような年頃の騎士が、満面の笑顔で礼を取る。カミューにも一瞬だけ目を向けたが、おや、といった表情を浮かべただけで誰何はせず、会釈するだけに留めた。
「実は先程、ヤマモト家から急使が着きました。本日、フリード殿は早朝訓練を欠席される旨、お許しいただきたいとのことです」
マイクロトフは小さく頷き、それから目を細めた。
「……どうしたのだ?」
それが、と青騎士は顔を曇らせた。
「ひどい差込みを起こして、枕も上がらぬとか。当人は「参城する」と譫言のように呻いているらしいのですが、見かねた御両親が遣いを寄越したようです」
二人は顔を見合わせた。マイクロトフが腕を組みつつ眉根を寄せる。
「どうしたのだろう……何か悪いものでも口にしたのだろうか」
「私見を述べても宜しいでしょうか、殿下?」
久々に、余所行き口調でカミューが割り込んだ。第三者を意識しての物言いとは分かっていても、落ち着かないものが背を伝うような感を覚えるマイクロトフだ。渋い声で応じる。
「……言ってくれ」
「久しぶりの休息に緊張が緩み、これまでの疲れが出たのではないでしょうか」
すると青騎士も同意顔で首肯した。
「わたくしもそう思います。このところフリード殿は、訓練時に疲れた顔を見せておりましたし」
「そうか……」
マイクロトフは自責に打ちのめされた。体力には自信があるし、少々の多忙は気合いで捩じ伏せてきた。けれど、それに付き合うフリード・Yの疲労が限界に達していたとしても不思議はない。
マイクロトフとしては十分に気遣っていたつもりだが、生真面目な従者は「休め」と言われて休む人間ではないのだ。まるで平然と振舞いながら、着々と疲弊を溜め込んでいたに違いない。
まして最近では皇子に危害が及ばぬようにと、それまでの幾倍も気を張り詰めていた。狙われる当人であるマイクロトフのように開き直ってしまう訳にも行かず、悶々と憂い、体調を悪化させていたのだろう。
「……そんなことに気付かぬとは、おれは不甲斐ない男だ」
皇子の沈痛な声音を聞いて、青騎士は救いを求めてか、カミューを見た。何処の誰かは知らないが、皇子の側に居るからには親しい人なのだろう───そんな眼差しであった。だが、カミューは申し訳なさそうに両手を広げて見せ、マイクロトフの反応を待った。
「すまないが、おれも今朝は休むと副長に伝えてくれ。フリードの見舞いに行って来る」
え、と目を瞠った青騎士を制しながらカミューが言った。
「お言葉ですが、それは上策とは申せません、殿下」
「何?」
「彼の気性を考えれば瞭然です。殿下が出向かれれば、這ってでも共に城へ戻ると言い出しましょう」
青騎士もしみじみ賛同する。
「わたくしもそのように思います、マイクロトフ様」
その光景が目に浮かぶようで、マイクロトフは途方に暮れた。おずおずとカミューを横目で窺い、小声で問うた。
「……では、どうしたら良いのだ、カミュー?」
「ヤマモト家へ使者を送られたら如何でしょう。殿下の御名で、御両親宛に」
「夫妻にか?」
「御見舞いを述べた上で、御子息をゆっくり休ませるように命じられては? フリード・Y殿は殿下にとって不可欠の存在、後々のためにも、先ずは体調を整えるのが至上の役目……そう御両親の口から彼に伝えていただけば宜しいかと」
マイクロトフはぱちぱちと瞬き、次いで感嘆めいた息を洩らした。
成程、それは良い案だ。顔を見せて帰城をせっつくことなく、息子を案じるヤマモト夫妻への配慮を満たし、それでいて「不可欠」と謳うことでフリード・Yの心にも触れる。これ以上ないほどの得策だろう。
マイクロトフは青騎士に向き直った。
「ヤマモト家に、誰か伝令を走らせてくれ」
「宜しければ、わたくしが行って参ります」
騎士はにっこり微笑んだ。片や、興味津々といった視線でちらちらとカミューを窺っている。
見慣れぬ青年であるのも勿論だが、それ以上に、皇子が意見を求めた相手というのが気になるのだ。そして、一瞬のうちに最善と思われる道を考え\め、柔らかに述べてみせた聡明ぶりも。
「マイクロトフ様、あの……こちらの御方は……」
詮索は非礼と弁えていても、どうにも抑え難かったようだ。言ったそばから騎士は恥じ入り、頬を染める。マイクロトフは微笑ましく思いながら答えてやった。
「グリンヒル遊学時代の友人で、カミューと言う。暫くロックアックスに滞在することになった」
「皇王位に就かれる御姿を是非とも拝見したいと思っていたのですが、待ち切れなくて……お誘いいただいたのを幸いに、御言葉に甘えてしまいました」
すらすらとカミューは言って、青騎士に向かって礼を払った。四肢のしなやかさが為せるわざか、さっき騎士が皇子に向けた仕草を模倣しながら、まったく別物の優雅を醸している。艶やかなばかりの笑顔に騎士は陶然と見惚れた。
「さ、然様でしたか……失礼をお許しください。ではマイクロトフ様、わたくしはこれで」
「頼む」
「拝命致します。その、カミュー殿……どうぞロックアックス御滞在を満喫なされますように」
早口で付け加えると、青騎士は急ぎ足で元来た方へと去って行った。完全に姿が見えなくなるのを見計らって、カミューがポツと洩らす。
「……だから言っただろう、労働条件が厳し過ぎると。後で好物でも贈ってやったらどうだい?」
「差込みを起こしているのだぞ、胃に良くないではないか」
「気持ちを言っているのさ。日頃の感謝を直に伝える好機じゃないか」
成程、言われてみれば、普段心に抱いている親愛を乳兄弟に告げる真似などしたことがない。納得顔で頷いてから彼は改めてカミューを横目で見遣った。
「……おれが、即位式前にロックアックスへ来るようおまえに勧めた……のだな?」
周囲を御魔化すための設定が一つ増えてしまった。この調子では、更に増える可能性がある。些か心許ない思いで唸るが、美貌の青年は飄々としたものだ。彼は向き直り、皇子の逞しい胸にそっと片手を当てた。
「少年時代、僅か半年を共に過ごした友人との思い出を愛おしんで、即位を前に呼び寄せる……何とも美しい話じゃないか」
唐突な接触に怯みながらも、同意せざるを得ないマイクロトフだった。
何ひとつ恐れるものなどなかった少年期。その中にカミューがいたら、やはり忘れられぬ思い出となっていたに違いない。
当時、周囲のすべてが輝いていたけれど、その何ものにも増して彼は鮮やかだ。端正な容姿も無論だが、一挙一動に華がある。
これほど目立つ男に、護衛などといった影のつとめは似合わない。学友と偽る策は、自身としては実に気の利いた策だったのだ、そうマイクロトフは痛感していた。
───ただ。

 

「カミュー、あまり「思い出話」を増やさないでくれないか」
「どうして?」
「……すべて覚え抜く自信がない」
情けなくも肩を落とした皇子を見詰める琥珀の双眸。濡れた甘い色に笑みが含まれるまで、然して時間は掛からなかった。
胸に当てられていた手が裏返り、その甲がポンと励ますように胸板を叩く。離れたことで失われた掌の温みが、体躯の奥へと浸透するようだった。
「御多忙な皇子様だからね、少しばかり物覚えが悪くても仕方がないさ。おまえは黙って頷いていれば良い。わたしに任せろ、マイクロトフ」
それは、初めてカミューの口から自身の名が洩れた瞬間だった。「皇子様」と揶揄混じりに呼ぶ響きも決して不快ではないが、やはり何とも言えず親密度が増した気がする。マイクロトフとしては喜ぶべきところだったのだが、前半の言及が引っ掛かった。
「……振り回されている気がする」
やや憮然として呟いたが、朗らかな声に一蹴された。
「生憎、おまえみたいな大男を振り回すほどの怪力は持ち合わせていないよ」

 

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さて。
この話はオリキャラを使わず、とか思っていたのに。
いよいよ騎士団員たちが登場してきます。
恐ろしい数のオリキャラじゃーありませんか(笑)
せめてもの名無し、役職名にて呼称。
それはそれでクドイんだけど。

 

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