最後の王・87


「それで聞き込みに出掛けちゃったんですか? 公女にはフリード・Y殿ひとりで会え、って?」
昼近くなって漸く目覚めた赤騎士は、昨夜、寝入ってからの顛末を聞くなり顔をしかめた。
彼が眠っているうちに入浴と食事を済ませたフリード・Yが気を利かせて運んだ朝食を頬張りながらなので、発言が今ひとつ聞き取り難い。が、表情で言わんとするところは分かるので、フリード・Yは肩を落として頷いた。
「そうなんです。同行したところで助けにはならないから、と仰って……居てくだされば心強かったのに」
うーん、と騎士は水で咀嚼物を流し込んでから首を傾げた。一理あるかな、と呟いてフリード・Yを手招く。寄った耳元に小声が囁いた。
「ここだけの話、うちの隊長は礼儀作法には厳しいけれど、社交の席には向かない人だと思いませんか? 一緒に居ても、テレーズ公女に怖がられるんじゃないかな」
一瞬ぽかんとして、フリード・Yは吹き出した。公女に尋問めいた対面をせねばならないと朝から緊張していたのに、一気に力が抜けるようだった。
「あ、あなた、そんな……」
くすくすと笑いながら身を引くと、若い騎士は至って真面目な顔で続けた。
「だから、ここだけの話ですよ。カミュー殿みたいに、場の雰囲気を和らげる人なら別だろうけど……」
そこまで言って、はっと眉を寄せる。
「……っと。あんまりあの人の話はしない方が良いかな」
フリード・Yは緩やかに首を振った。眼鏡の奥の瞳に微笑みが浮かぶ。
「不思議な方です。一緒に過ごしたのはたかだか半月程なのに、そういう気がしません。あの方には多くを教わりました。殿下が無事に即位されることだけを願っていた日々が嘘のようです。今は本当に、生きて、戦っているのだという実感があります。あの方は、殿下だけではなく、わたくしをも変えてくださった───」
「……風、と誰かが言ってたな」
ポツと言葉が差し挟まれる。
「ゴルドーに対して腹立ちを感じていても、おれたち騎士は忠誠の誓いを立てているから、正面から立ち向かうなんて考えられなかった。あの人が来て、殿下が初めて騎士を頼ってくれて……それで何もかも変わった。腐った空気を吹き飛ばす風みたいだと、誰かがカミュー殿を称していましたよ」
二人は束の間、今は隔たれてしまった青年を思って黙した。やがて、どちらからともなく眼差しを合わせる。
「この一歩一歩が、あの半月あまりの日々に立ち戻り、そこから別の道に進むためのものと信じます」
粛々とフリード・Yが言えば、
「うちの団では、既にあの人の親衛隊が出来そうな勢いだから、戻って来て貰わないと困るんですよね」
若者も、食べ零しで汚れた口元を拭いながら微笑む。ちらと据え付けの置き時計を窺って、彼は進言した。
「そろそろ出た方が良いんじゃないですか? 運良く一発で面会が叶えば、今日のうちにも公都を出られるかもしれないし」
「そうですね。お手数ですが、宜しくお願い致します」
「……は?」
ぱっちりと開かれた瞳に、フリード・Yはにっこりした。
「あなたに同行していただくようにと隊長殿に勧められました。覚悟は決めたつもりですが、やはり一人よりは二人の方が心強いですしね」
呆然としたのは一瞬だ。たちまち騎士は狼狽え始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください。おれが宮殿に? 隊長の代わりに一緒に行くんですか?」
「はい、どうぞ宜しく」
「……風呂も入ってないんですけど」
「湯殿を使えるのは昼まででしたが、御主人に頼んで、お湯を抜くのを少し待っていただきました。急いでください、着替えは持っておられますよね? なければ、わたくしの服をお貸ししますが……?」
冗談でもなければ、翻意の可能性もない。そう悟った若者は、にこやかな従者の顔に唖然としつつ、それでも荷袋から出した衣類を小脇に抱えて部屋から飛び出そうとした。
───だが。
開け放った扉の向こうに立つ影があり、鉢合わせの格好になって、慌てて後退する。それは、早く湯を使えと急かしに来た宿の人間ではない。すらりとした若い女だった。
彼女も相当に驚いたようだ。胸元を抑えて、なかなか声が出ない。騎士の肩越しから首を伸ばしたフリード・Yも同じく、息が止まるほどの驚愕に目を瞠った。
「エミリア殿!」
呼び名を聞いて、若者も訪問者の身上を知る。
「……って、テレーズ公女の侍女の?」
きらりと光る眼鏡を擦り上げて、女は背を正した。
「ええ、そう。「公女の侍女の」、エミリアと申します。吃驚したわ、扉が自然に開くんですもの。それもひどく乱暴に」
「……すみません。急いでいたもので」
素直に頭を下げた若者を見て、エミリアは表情を緩めた。素早く室内を窺い、目を細める。
「隊長様は御留守ですのね、あなたはフリードさんの護衛の代理かしら?」
「はあ……そんなところです」
「戦争でもして来られたみたいな出立ちですけど、お怪我を? 大丈夫ですの?」
若者は自身の破れた服を一瞥し、慌てて上着を脱いで部屋の隅に放った。脇に抱えていた着替えの中から内着を広げ、穴の開いた内着の上に重ねて羽織って息をつく。
「……この通り、問題ありません。宜しければ中へどうぞ、部屋の扉は開けておきますから」
うら若き女性に対しての騎士の礼節は徹底している。相手に無用な警戒を与えぬよう、対談時には密室にならぬよう心掛けよと教えられているのだ。
エミリアは一瞬、意図を量りかねたように瞬いた。が、すぐに含み笑いを零して首を振る。
「紳士的な御配慮、感謝します。でも……それは受けられません。万一にも人目に付いては不都合があるんですもの」
そう言うと、彼女は背後を気にする素振りを見せた。同行者が居る、とまでは二人にも分かったが、エミリアに促されて扉のうちに踏み入った、たっぷりした外套を纏い、長い掛け物で頭部を覆った人物の正体までは予期出来なかった。
エミリアが後ろ手に扉を閉めた音を合図に、その人物は顔を覆った布を取り去った。そして、若者たちに向けて丁寧に、この上もなく優雅に頭を下げた。
半ば放心して声も出ないフリード・Yの腕を騎士が小突く。
「……お知り合いですか?」
ぱくぱくと唇を開閉し続ける彼の代わりに、エミリアが毅然と答えた。
「グリンヒル公国・第一公女殿下、テレーズ・ワイズメル様です」

 

 

 

ごく一般の旅人用に設けられた宿には高貴な来客を迎える備えは当然ない。最初の驚きも薄れぬまま、若者たちは頭を突き合わせ、この不測の事態に臨む手立てを思案した。
昨夜、若者が眠った長椅子は粗末な木製、硬くて座り心地も悪そうだ。と言って、淑女中の淑女を寝台に座らせる訳にも行かない。敷物になるものを探して長椅子を使って貰うしかあるまいと、結局は結論付いた。
ところが、引き出しを掻き回してもそれらしい品は見当たらない。困り果てたフリード・Yが振り向いたときには、乙女たちは椅子に腰掛けようとしていた。已む無く彼は、寝台の足元、テレーズらに向かい合わせる位置に座り、騎士も文机用の椅子を持ってきて腰を落ち着けたのだった。
暗褐色の外套の下にテレーズが着けていたのは喪色の衣だ。けれど公女は、以前フリード・Yが会ったときとは少し様変わりしている。
絞り込んだ袖、膝下までの丈のスカート。無駄のない、動き易そうな装束は、深窓の姫君だった過去を捨て、国主として政務を執ろうというテレーズの決意の現れのようでもあった。
フリード・Yが「お茶を」と呟きながら腰を浮かせ掛けたが、これはエミリアに止められた。
「気を遣わないでくださいな。それより、急に御邪魔してごめんなさい」
「い、いいえ、そんなことは……」
訪ねようとした相手だった。心の準備もしたつもりだった。だが、実際にテレーズを目にすると何と言えば良いのか悩めるフリード・Yだ。
初めて彼女と会ったのは一年前。主君の妃となる人、そう紹介された公女は、美しく穏やかで、控え目でありながら聡明な、非の打ちどころない乙女だった。周囲に政略結婚の見方はあったけれど、この女性なら、と心からの祝福が沸いた。
あれから時が過ぎ、程なくマチルダ皇王の正妃として迎える筈だった人は、記憶の中の面影よりも二回りも小さくなってしまったかのようだ。容色を損なうほどとは言えないが、隠し切れない疲れや窶れがテレーズを包んでいる。
眼差しはフリード・Yに向けられず、膝の上に重ねた白い手へと落ちている。固く引き結ばれた唇は色を失い、微かに震えているようにも見えた。
細い肩が痛まし過ぎて、フリード・Yには掛ける言葉が見つからない。それを見て、代わりとばかりに赤騎士がテレーズに向けて威儀を正した。
「御父君の御逝去、お悔やみ申し上げます。あのう……、あまり思い詰めて身体を壊さないようになさってください」
お決まりの弔意に躊躇がちに添えられた一節を聞いて、公女は顔を上げ、ほんの僅かに微笑みを滲ませる。次いで騎士はエミリアに視線を当てた。
「御二人はお忍びでいらしたんですよね、大丈夫なんですか?」
気詰まりな沈黙が破られ、会話が始ったことにエミリアもほっとした様子を隠さなかった。緊張を解いて目許を緩める。
「それは警護のことかしら? だったら心配無用よ、今も扉の外に待機していますもの」
え、と騎士は弾かれたように戸口を睨んだ。
「凄いな、完全に気配を消せるのか……。公女殿下には専任の剣士が付いていると聞きましたが、その人ですか?」
「さすがに詳しいのね。ええ、そう」
エミリアは薄く笑う。
「グリンヒル兵士で彼を知らないものはないわ。こっそり宮殿を出て来ても、ここにテレーズ様がいらっしゃると教えながら歩くようなものだから、付かず離れず……今日は特に身を潜めて護ってくれているの」
「……そうまでして抜け出すなんて、大胆な姫君ですね」
真正直な感想を述べる騎士には邪気がない。エミリアの気持ちはいっそう柔らかくなった。
「昨日訪ねてくださったとき、隊長様は「ついで仕事があるから、その間は公都に留まる」と仰ったわ。お仕事はいつ終わるか分からないし、行き違いになるのだけは避けたかった。それも、内々でお話するためには宮殿を抜け出すしかなかったんです」
「でも、往来には警邏の兵がいるでしょう?」
「夜より昼間の方が警邏巡回も少ないわ。今は時が経つほどに外出が困難になる、……分かるでしょう?」
───分かる。葬儀が近付くにつれ、テレーズの身辺が立て込むだろうことは。
騎士は黙しているフリード・Yを窺い見る。ずるずると椅子ごと近寄って、低い詰問口調で言った。
「……フリード殿、何してるんですか」
「え、あの……」
「こっちから足を運ぶ手間が省けたじゃないですか。例の件を頼んでみたらどうです?」
確かに一人では心細かった。若者が場を和ませてくれているのも認める───が。
「わ、わたくし、あなたのように肝が座っていないんです」
「図太くなきゃ、つとめなんて果たせませんよ」
コソコソと揉める声を聞き止めたエミリアが、小首を傾げながら割り込んだ。
「そちらでも何か御用がありましたの?」
口篭っていると、密やかな吐息が洩れる。
「そう……。でも、テレーズ様のお話を先に聞いてくださらない? とてもとても大事なことなの。だからこうして人目を忍んで……」
「ええ、はい、ごもっともです。わたくしの方は後で結構です、どうかお気になさらずに」
苦しいことを後回しにするのは人の性だ、そんな言い訳を全身から絞り出すマチルダ皇太子の従者。片や騎士は、やれやれといった面持ちで椅子を元の位置に戻していった。
二人が姿勢を改めるのを見届けて、初めて公女が口を開いた。
「マイクロトフ様からの御言葉、確かに承りました。お詫びせねばなりません、昨日いらしてくださったときにお迎えすべきでしたのに……」
「とんでもございません、今は何かと立て込んでいらっしゃるでしょうし───」
公女に頭を下げられ、慌てて首を振ったフリード・Yだが、すぐにはっとした。テレーズの瞳には、涙の膜が広がろうとしている。
「到着なさったという知らせはエミリアから受けていました。でも……あなた方が通された部屋まで行けなかった。わたしには、マイクロトフ様の御傍に仕える方々の顔を目にする勇気がなかったのです」
若者たちは虚を衝かれて顔を見合わせた。途切れた言葉の先を待つ間にも、テレーズの肩は震え出し、蒼白だった顔が苦しげに歪んでいく。
「あの……テレーズ様?」
フリード・Yが呼び掛けたが、彼女はゆるりと首を振って、潤んだ瞳を上げた。
「このまま息を潜めて、時が過ぎ行くのを待ちたいとさえ思いました。でも……何があろうと誠意を約す、あの方はそう言ってくださった。その御心から目を背け、恥じたままでは生きられません。これからお話しすることをマイクロトフ様に伝えてください。そして、どう償えば良いのか、答えをいただけたらと思います」
テレーズは真っ直ぐに顔を上げたまま、静かに涙を落とした。喪色に弾けた小さな銀粒が儚く砕ける。そこで彼女は目を閉じて、掠れ声で弱く宣した。
「わたしの父、アレク・ワイズメルは、マチルダ皇王家転覆の企みに関与しておりました。父に代わり、グリンヒル公国を代表して、心からの謝罪をマチルダの民に捧げます」

 

 

 

その日、グリンヒル公主ワイズメルは、輿入れ目前の娘と最後の観劇に出掛けた。
いつものように公女に同行しようとした護衛を退けたのも、演目の中身が「身分の違いによって破滅していく恋人たち」だったのも、ワイズメルが、娘と護衛の眼差しに交わされる甘い熱に薄々気付いていて、釘を刺そうと試みたからだったかもしれない。
帰り道、馬車は複数の人影に囲まれた。近衛兵は瞬時に打ち倒され、父娘は馬車から引き擦り出された。跪かされた二人の前に屹立したのは、襲撃者の首格、テレーズと然して変わらぬ年頃の娘であった。
「カラヤ族の誇りにおいて、罪びとを裁きに来た」と娘は言った。そこでテレーズは、信じ難い諸々を耳にしたのである。
カラヤの名には聞き覚えがあった。数月前、父がグラスランドから招いた人物が束ねる部族の名。
文化交流目的で数週ほど宮殿に留まり、その後、国許へ戻って行った────それまでテレーズが抱いていた認識は、一変させられることになったのだ。
滞在中、父が族長に薬を盛り続け、終にはその命を奪ったのだと。
指導者を毒殺された部族民たちは、辛苦の末に薬を用意した人物を突き止め、ワイズメルの企てとの言質を得たのだと。
喉元に突き付けられた戦士の半月刀に竦んだか、あるいはカラヤ族の詳細を極めた追求に諦めたのか、ワイズメルは一切を否定しなかった。
諾として認めて、許しを請うた。そんな父の姿は──たとえ政略結婚の駒として利用されようとしていても、父を愛していたテレーズにさえ──見るに耐えぬほど卑屈に映った。
ルシアと名乗ったカラヤの娘は言った。
命が惜しいか。
我が父は最後まで誇りを捨てなかった。招かれた国で毒を盛られるとは疑いもせず、死の瞬間まで毅然と目を見開いていた。
カラヤの民は裏切りと恥辱を忘れない、何があろうとおまえだけは許さない。
もはや形振り構わずといった様相で、ワイズメルは命請いに終始した。そのとき、破れた袋から落ちる砂のように洩れた一言が───独りで立てた計画ではない、マチルダと組んでのものだったという一言が、テレーズを凍り付かせた。
寧ろ自身は協力しただけ、策の主軸を担っているのはマチルダだ。自らだけが責めを負うのは不当に過ぎる。
そんな責任転嫁に走った男を、ルシアは冷然と見下ろし、ふと問いを改めた。
薬の処方者の言に拠れば、五年前にも同じ毒物を用意したという。それをどうしたか吐けと厳しく迫ったのである。
ワイズメルは恐々と応じた。マチルダに送った。白騎士団長に頼まれて、酒に仕込んで送ったのだと───

 

フリード・Yが呆然と呻いた。
主命に従い、暗殺時の遣り取りを聞き出すのがつとめだったが、よもや公女の方から進んで仔細が明かされようとは。
ごくりと喉を鳴らしたのを促しと取ったのか、テレーズは両手を強く握り合わせた。

 

ルシアは追求を重ねたが、それ以上は果たせなかった。ワイズメルは完全に恐慌を来しており、満足に呂律も回らない状態と化していたからだ。 
父の最期は見届けられなかった。恐怖のあまりテレーズは、目を開いていられなかったのだ。
縊られた家畜のような喘ぎが途切れて、ようよう視線を向けたときには感情が麻痺していた。ワイズメルの首には赤黒く締められた跡があり、ルシアという娘が手にする鞭が父の息を止めたのだと悟った。
続いてカラヤの民たちは、テレーズをルシアの目前に引き出した。武器を手に、冷たく見詰める異邦の民と対峙して尚、テレーズは国主の娘であった。
少しだけ時間をください、彼女はそう懇願した。
父の罪業は疑いようもない。これだけはっきりと本人が語った委細を覆せるとは思わない。けれど自らの手で、自らの目で、それを確かめたかったのだ。
すべてを終えたら、公表する。国名をもって、カラヤへの謝意を示す。
「死んだ父親の恥を晒すか」と嘲笑するルシアに、テレーズは凛然と言い放った。
たとえ父の名に傷をつけることになっても、罪は罪として公にする。それが公主亡き今、国を統べるもののつとめだ、と。
ルシアは長いこと無言でテレーズを見詰め、やがて部族民を連れて去って行ったのだった。

 

 

「……どうしてカラヤは意向を曲げたんだろう」
若者が呟けば、フリード・Yがしみじみと返す。
「テレーズ様の誠意が通じたんですよ、きっと」
すると公女は弱く笑みながら首を振った。
「それだけではないと思います。ルシアさんは、武器も持たない相手を殺せる人ではなかったのでしょう」
「え、でも公主は───」
言い差す若者の足を、フリード・Yは慌てて踏み付けた。目聡く気付いたエミリアが溜め息をつく。
「アレク様とテレーズ様とでは事情が違うわ。テレーズ様も手に掛けるつもりだったんでしょうけど……それが出来ないくらいに誇り高かったのよ、テレーズ様が仰ったように」
だって、と眼鏡を擦り上げて続ける。
「国主を襲えば、マチルダやティント・サウスウィンドウあたりがグリンヒルに肩入れして攻めてくる可能性もある訳でしょう? そこを考えない筈はないわ。でも、彼女は堂々と「カラヤ」と名乗った。戦う覚悟があったのよ、生粋の戦士なんだわ。だからわたしもテレーズ様の御意見に賛成です」
成程、と若者たちは納得を示した。ルシアの心情は、力なきものに武力を向けない騎士の教えに相通じる矜持なのだろう。
とは言え、気丈で誠実な申し出がルシアの胸を衝いたのも事実に相違ない。二人は柔和に見える公女の芯の強さに改めて感じ入った。
「……わたしは死ぬ訳にはいかなかったんです。カラヤ族のこともあるけれど、マチルダと与していると語った父の真実を知らねばならなかったから」
再びポツとテレーズが切り出す。
「父は「白騎士団長」と呼んでいました。でも、前にマイクロトフ様に伺ったことがあります。御父様と団長様は心から信頼し合っている、自分が王になったときにも同じように信頼する人に隣に居て欲しい、と。だから父が言ったのは、亡き皇王様に仕えた御方ではないと思います」
テレーズの言葉に、マチルダ組は憎々しげに頷いた。
「同じように考えておりました、テレーズ様」
「腹立しいことに心当たりはありますからね。現白騎士団長ゴルドーでしょう?」
女たちが意外そうに瞬く。フリード・Yは若者と目線を交わし、意を決して切り出した。
「ゴルドーが、マチルダの全権を奪取しようと動いているのは知っております。現在、殿下以下、わたくしたちは陰謀を暴くために尽力しているのです。わたくしは殿下の弔意をお伝えするために公都に参りました。けれど……これは申し上げ難いのですが、他にもマチルダ騎士の皆様が、陰謀の証を得るために公都内で調査を行わせていただいております」
公女は唇を震わせる。
「ならばマイクロトフ様は、父が企みの一翼を担っていたと御存知なのですね? それでも「親愛は変わらぬ」と仰ってくださった……?」
「殿下はそうした御方です」
フリード・Yは誇らかに胸を張る。主君の懐の深さに公女たちが感じ入る様は、長年仕えてきた従者にとっては例えようもない満悦だ。
結局は、あの皇子の人柄が事態を動かしている。嘆きの公女に自ら口を開かせるまでに、マイクロトフの光は強く温かいのである。
暫し公女は押し黙っていたが、再び顔を上げた。
「では……これまでのことは一先ず置いて、聞いてください」

 

国が一定の繁栄を築いたとき、更に栄華を極めるには、他国の領土を奪うのが手近な策である。
ワイズメルとゴルドーの交流は、かれこれ十年近くにも及んでいたが、二人の友好はこうした意見の一致に基づいたものであったようだ。
片やグリンヒルは、財力に劣るため、他国を切り取るどころではない。けれどマチルダは繁栄の絶頂にあり、且つ強大な軍事力も有している。北の大国ハルモニアを後ろ盾に持つハイランドと事を構えるのは危険だが、蛮族の住まう草原なら───いつしか二人は野望を共有する同志となった。
ただ、マチルダには「他国に攻め入らず」の信条が根付いている。皇王家の始祖マティスから続く、無欲で愚かな志だ。代々の王は頑にこれを守り、富と軍事力を遊ばせてきた。打破するには、皇王家そのものが邪魔になる。そうして二人は動き始めた。
友好関係にあるグリンヒルの国主は、マチルダの中枢の目を眩ませる最大の力だ。ワイズメルの一つ目の役割は、娘をマチルダ皇太子に嫁がせることだった。
ゴルドーがマチルダの全権を掌握するには皇王家の断絶が絶対条件となるが、長く皇王制を通してきた国だけに、大きな揺らぎは否めない。そのとき正妃が存在すれば、彼女を王に立てる動きが出るかもしれない。テレーズを場凌ぎの王位に就け、ゴルドーとワイズメル、二人で国政を操ろうとしたのである。
同時に、彼らはグラスランドへと触手を伸ばした。有力部族長を葬り、弱体化させておいた上で、皇子暗殺の罪をカラヤに着せ、報復を口実に攻め込もうと企てた───

 

「ちょ……っと、待ってください。公女殿下は、どうしてそこまで……?」
そこまで来て、堪らずといった顔つきで若者が乗り出した。
テレーズの語った経緯は、マイクロトフ以下が立てた仮定そのものだ。あまりに具体的で淀みなく、ワイズメルの死に際の述懐から推測したものでは有り得なかった。
公女は静かな瞳を若い騎士に向けた。
「書状です」
「書状?」
「あれからずっと、父の部屋や執務室を調べ続けました。そこで見付けたのです、父とゴルドー団長の遣り取りを」
今度こそ若者たちは声が出なかった。正しく自失とはこうした状態を言うのだろう。テレーズは尚も続けた。
「恐ろしい企てを共有しながら、父は何処かでゴルドー団長を信じていませんでした。いえ……、父の疑心が強かったのかもしれません。読み終えたら焼くようにと指示されていたにも拘らず、書状を残していたのです」
騎士とは皇王家に忠節を尽くすもの。ましてゴルドーは、血縁はないにしろ、現皇太子の叔父にあたる男だ。
主筋を平然と屠ろうとするゴルドーに、ワイズメルは加担しつつも警戒を捨て切れなかったのだろう。事が成ったときに切り捨てられぬよう、裏切られぬよう───切り札を残していた訳だ。
「エミリアにも協力して貰って、二人で読み解きました。遣り取りの片側だけなので多少は想像も入っていますが、大筋では間違っていないと思います」
「……物証だ」
騎士が呆然と洩らす。フリード・Yは知らず立ち上がっていた。
「そ、その書状! 今、お持ちでいらっしゃいますか? 何卒わたくしたちにお貸しください、テレーズ様!」
「そうして差し上げたいのですが……」
従者の勢いに戦きながら、テレーズは救いを求めるように傍らを一瞥する。頷いて、エミリアが代弁した。
「今はお渡し出来ないの」
「何故です? 直筆の密書、それも陰謀の内訳を記した品なら、一気にゴルドーを追い込める。わたくしたちばかりではない、マイクロトフ殿下が心底から欲されてきた罪の証なのです!」
涙目になって訴えるフリード・Yを、エミリアは苦笑を交えて宥めに掛かる。
「落ち着いて聞いて。あの書状がマチルダやマイクロトフ様にとってどんな意味を持つかは分かっています。渡さないと言っているのではないの、ただ……あれはグリンヒルにも唯一無二の情報源なのよ」
「……と仰いますと?」
「アレク様はゴルドー団長と組んでいた。とは言っても、カラヤ族長を招く文を送ったり、食卓に毒を盛ったり……そうした細々としたことを直接実行なさったとは思えない。アレク様の手足となった家臣がいる筈なのよ。書状に記載された内容とアレク様や家臣たちの行動を照らし合わせて、グリンヒル内の膿を一掃しなくてはならないの」
そこでエミリアは溜め息をついた。
「とても厳重に隠してあったんです。テレーズ様が見付けられて、二人で雑事の合間をぬって読み進めて……何とか概要を把握したのは一昨夜だったわ。つまりね、まだ写しを取り終えていないんです。物が物だけに誰にでも頼める作業じゃないし、信頼して任せられる人間に限って山ほど懸案を抱えているんですもの」
「な、成程……そういう事情ですか……」
「───持って来ていただければ写すのを手伝ったのに」
騎士の唐突な言葉にエミリアは瞬き、笑みを深めた。
「そうね、でも隊長様は他にお仕事があると仰っていたから。アレク様の御葬儀さえ終われば一段落つきます。だから少しだけ時間をくださいな」
どうする、と言いたげに騎士はフリード・Yを窺う。短い思案の末、彼はエミリアを凝視した。
「皇王即位日までに間違いなくお貸しいただけますでしょうか。即位と同時にマイクロトフ様は白騎士団長の解任権を得られますので」
証拠を突き付け、解任権を駆使して断罪する。言わんとするところを察した侍女は、決然と頷いた。
「充分よ。一刻でも早くお届け出来るように努めます」
テレーズも深々と頭を下げる。
「必ず御心に添います、そうテレーズが言っていたとお伝えしてください」
「テレーズ様、宜しいのですね? その文が公に出るということは───」
「……父の罪業はデュナン中に知れますね。ええ、分かっています。ルシアさんにも約束しました、わたしはグリンヒル公主代行として責務を果たすだけです」
「代行」とは銘打ったものの、今やテレーズは国の頂に立っているも同然だ。もともと彼女の人格や気高さをグリンヒルの民は熱狂的に指示していた。
父の汚名を越えて彼女は行くだろう。望まれて立つ、汚れなき王道を。
「……公女殿下、少し確認させて貰っても良いですか」
若き赤騎士が控え目に口を挟んだ。
「ゴルドーからの書状、五年前の毒について触れた部分はなかったんですか?」
「ありません。多分、公式の書簡に紛れ込ませた文だったのだと思いますが……炙り出しになっていて、状態は良くありませんでした。だから古いものは捨ててしまったのではないかと……」
「ごく最近の遣り取りを残すだけでも安全は保証されるから、か」
自問するように眉を寄せた後、彼は躊躇を振り切るように首を振った。
「事件の夜のこと、もう少し聞いても構いませんか?」
今にも倒れそうな様相で、それでも気強く語り終えた公女への気遣い。声音には、蒸し返してしまうことへの陳謝があった。
テレーズは穏やかに眼差しを細める。
「ええ、勿論。お答え出来ることは何でもお答えします」
それでは、とばかりに騎士は姿勢を改めた。
「薬を処方した人物が酒に毒を仕込むところまで行ったのかどうか、ワイズメル公は口にしていましたか?」
「いいえ、そこまで詳しくは……。ルシアさんも質さなかったし……」
「ワイズメル公がワイン造りに直接関わることは? 間に人を通さず、職人からワインを手に入れる経路を持っていましたか?」
テレーズはいよいよ困惑を深めたように眉を寄せる。
「……わたしの知る限り、そうしたことはなかったように思います。父は滅多に宮殿の外に出る人ではありませんでしたし」
「ということは、まだ完全に線が切れた訳じゃない」
独言めいた呟きにフリード・Yが向き直った。説明を請う眼差しに気付いて騎士は説く。
「まだ陛下毒殺についての立証が残っていますよ。薬の処方者を突き止めないと何とも言えないけれど……そいつがワイズメル公に酒の手配から仕込みまでを一任されていたら、絶ち切れだ。二人とも故人では、たとえゴルドーを詮議の場に引き擦り出しても、関わりを立証出来ない」
「立証なら、ワイズメル公の言葉を聞いておられたテレーズ様が───」
いる、と勢いで言い掛けたフリード・Yは、慌てて口を閉ざした。それは彼女に証言者として裁きの場に立てと言うも同じだ。あまりにも惨い仕儀だろう。
けれど、そんなフリード・Yの頓着をテレーズは悲しげな微笑みで往なした。
「お話するのは厭いません、覚悟は出来ていますから。でも、父はあの場でゴルドー団長の名を出した訳ではありませんから……」
すると騎士も忌ま忌ましげに頷く。
「シラを切るのは得意ですよ、奴は。それは自分じゃないと言い張られたら、追求の手がない」
「でも、例の印章が───」
フリード・Yが急いで言ったが、騎士は一蹴した。
「それだって、暗殺そのものの証にはなりません。何としても、酒か毒絡みの証拠が必要なんだ」
そこでエミリアが思案しながら口を開く。
「宮殿の出入りには記録が残るわ。暗殺用の毒物を処方するような後ろ暗い人物が、堂々とアレク様を訪ねていたとは思えない。やっぱり間に立って動いた人間はいるんじゃないかしら」
「ですよね、おれもそう思います。隊長たちは、その「誰か」のことも探しているんです」
「お酒関係の商人は調べて……いるわよね、当然」
四者とも、この場における推測に行き詰まりを覚えて黙した。やがて顔を上げたフリード・Yが、重々しく言った。
「とにかく、わたくしは隊長殿に委細を御報告した後、一度マチルダに戻ります。テレーズ様には、おつらいでしょうに包み隠さず話していただき、伏して御礼を申し上げたい気持ちです。テレーズ様の御心、わたくしフリード・ヤマモトが確かに殿下にお伝え致しますので」
「……ありがとう。どうぞ宜しくお願いします」
「待って。と言うことは、隊長様は残られるのね?」
このエミリアの問いには、騎士が苦笑する。
「酒と毒関係の流れを掴むまでは戻らない、くらいの覚悟はしていそうですね」
テレーズは微かに頷いた。侍女を見遣って、柔らかく進言する。
「エミリア、あなたも大変だとは思いますが……隊長様には出来るだけの御助力を」
「心得ておりますわ、テレーズ様」
にっこり応じて、勇ましき公女の侍女は、若者二人へと視線を戻した。
「……と、隊長様にお伝えしてね。以後、テレーズ様の代理として、微力ながら皆様の御手伝いをさせていただきます」

 

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そこはかとなく頼りない凹凹コンビ、
濡れ手に粟っぽい収穫の巻でした。

 

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