INTERVAL /18


街道の村に着いたのは、完全に日も変わった頃だった。
村の入り手、先触れに走っていた青騎士が戻ってくる。騎士隊長がゲオルグを、そして焦燥を浮かべて辺りを見回していたマイクロトフを振り返った。
「お待たせしました。宿が取れたので、御案内申し上げる」
マイクロトフが気忙しく何事か言おうとするのを見て、彼はゆるりと首を振る。
「団長……いま何時だとお思いか。人を訪ねる刻限はとうに過ぎておりますぞ」
慌てて天を見上げ、マイクロトフは脱力した。
その通りだ。ロックアックスを出てからというもの、ひたすら駆けに駆けた。食事に割く時間も惜しみ、馬上で携行食を流し込みながらの強行軍だった。
人員を極力絞って行軍速度を増そうと、礼拝堂まで一緒だった第一部隊騎士の大半を城に返したが、それでも辿り着いた村に灯る火はごく僅かである。
「……そうだな、ここで急いでも詮無いな。おまえたちにも無理をさせてしまった。夜が明けたら侍医長を訪ねる、それまでゆっくり休んでくれ」
同行を果たした青騎士らが疲れ切った面持ちなのに初めて気付き、丁寧に礼を取る。皇子の労いを受けた男たちは恐縮したように頭を下げていた。
手配された宿は、以前、査察の帰路にも使った宿だった。王位継承者が休むに相応しいだけの部屋を持つのはその宿だけなので、当然の成り行きだったろう。けれど今のマイクロトフには、やや苦しい処遇だ。
あの夜と同じ───カミューを腕に包み、甘い声を聞いた部屋。窓を覆うカーテンの色、そこに佇む人の柔らかな瞳の幻影が胸に突き刺さる。
上着を脱ぎ捨てて窓辺に立てば、あのときのように庭先を騎士たちが徘徊している。「ゆっくり休め」とマイクロトフは口にしたが、彼らは長時間の疾走の果てに、なお交替で夜通し主君の眠りを護るのがつとめなのである。
騎士隊長が深夜の訪問を強行しないのは、何も作法を気遣ったからばかりではない。時の許す限り訓練に参加し、鍛えていると言っても、マイクロトフは騎士ほどの苦行に慣れている訳ではない。ここ数日続いた領内の往復、心労による疲弊が彼を潰してしまわぬよう、騎士隊長は暗に配慮しているのである。
騎士たちの献身と配慮が骨身に染みる。何としても彼らの心に報いねばならないとマイクロトフは我が身に言い聞かせた。
「それじゃ、おれは行くぞ」
隣の部屋を用意されたゲオルグが、一通り安全を確認してから呼び掛けた。
「ちゃんと眠れよ、皇子。今は───」
「焦っても仕方がない、……ですね?」
「分かってきたじゃないか」
「必要なときに食って寝る、それが騎士に求められる資質ですから」
騎士隊長に教えられた言葉を思い出しながら言うと、戸口に立ち止まってゲオルグは破顔した。
「良い心掛けだ。それだけの図太さがあれば無敵だな、皇子」
剣士を見送った後、マイクロトフは寝台に腰を下ろした。それから上着の内胸を探り、折り畳んだ紙片を取り出す。
手に入れた日より肌身離さず持ち歩いている夢の形見、流麗な文字──裏返しの──に綴られた一節だけが、マイクロトフを支えているのだ。
そこに彼の人が居るかのように紙面にくちづける。
「……おれもだ、カミュー」
愛している、彼が残した言葉を胸の奥でなぞりながら。

 

 



自身の部屋に戻ったゲオルグは、宿の主人が運んだ寝酒を啜りながら、窓の外、警備に佇む騎士たちを見下ろしていた。
即位を控えた皇太子が内密で首府都を離れる。どれほど当人が望もうと、思い留まらせるのが周囲に仕えるもののつとめだったろう。
けれど、最初に応じた赤騎士団副長、ずっと皇子と行動を共にしてきた青騎士団・第一隊長も、この決意に異を唱えようとはしなかった。
朝のうちに、城を辞した元侍医長の生家の所在を確かめた赤騎士団副長は、皇子に随行して礼拝堂へ向かう準備をしていた青騎士隊長を捕まえ、前夜の遣り取りを端的に説いた。無言で聞き入っていた男は、最後に上位者から元侍医長の居所を記した覚書を渡されても表情ひとつ変えず、何事も問い返すことなく、言葉少なに了承を示しただけだった。
不思議なものだとゲオルグ・プライムは思う。
いま皇子の周りに集う騎士たちは掛け値なしに優れた人材だ。指示を下す副長らは無論、それを受けるものたちも盲従に留まらず、自ら判断し、状況を見極める力を持っている。
そんな男たちが、皇太子の意思に引き擦られているようにもゲオルグには見えた。大いなる力に巻き込まれ、その意思の向く方へとひた走る。それを、彼らは何ものにも替え難い至福として受け入れている感がある。
年若く未熟な主君を盛り立てようと試みながら、その実、主君の熱に焼かれている。己に鞭打ち、主君の目指すところへ進む我が身に至上の高揚を見出している。
約束された王座、与えられる栄誉を擲つと決めた主君に、変わらず捧げられる忠義。ゲオルグには、白騎士団長の皇子に対する憎しみの根源が分かる気がした。
彼は、大切なところを吐き違えたのだ。先王や皇子が周囲に愛され尊ばれる現実を、流れる血によるものと錯誤した。その裏で両者が如何ほどの尽力を払っているかには目を伏せて、ただ皇王家の血を羨んだ。
羨望はやがて膨らみ、持たざる身への憎悪となった。王と両輪と称される白騎士団長の名に価値を覚えなくなった。彼もまた、目に見えぬものに狂わされた、哀れで弱き人間なのだろう。
どれほど経ったか、ひっそりと扉が鳴った。
顔を覗かせたのは青騎士隊長だ。入室もせず扉口で立ち尽くすのを訝しく思いながら歩み寄ると、男は小さく会釈した。
「どうした、休まないのか」
それが、と騎士は苦笑する。
「殿下が城を空けたとゴルドー一派に悟られぬためにも、遅くとも明日……いえ、今日のうちに戻らねばなりません。あまり猶予はない」
「にも拘らず、叩き起こしてでも侍医長を訪ねないのは、皇子の体調を気遣ってのことか」
「それも然りながら……どのみち空振りに終わる予感がありましたので」
ゲオルグはたちまち表情を険しくした。騎士隊長の顔には恐れていた結果──既に侍医長からは話が聞けない、という──が現れていたのである。
「酒場で少々聞き取りを行ってみました」
壁を隔てて休む皇子には聞こえようもなかったが、声音は低かった。
「殺されていたのか」
「微妙なところですな。城を辞して生家に戻った後、体調を崩し、そのまま……といった感じだったようで。職務を退いた時点で老齢に差し掛かっていましたし、噂を聞いた限りでは殺害された感は薄いかと」
成程、とゲオルグは腕を組んだ。
「……徒労に終わったか。皇子は落胆するだろう」
「とは言え、それを無駄とは思わぬ御仁ですから」
騎士は穏やかに目を細める。これについてはゲオルグも同意せざるを得なかった。
「それにしても、やけにあっさり目的を遂げてしまったな」
「皇王家お抱えの医師の長ともなれば村の名士、だからこそ容易く消息が聞けたのでしょうが……少々気になる点がないでもありません。侍医長は遅くに結婚して、奥方には先立たれたものの、娘が一人いたらしい。嫁ぎ先はミューズとの境にある村だそうです。無論、村人たちには侍医長の家族関係についても質すつもりでいましたが……」
そこで騎士は一呼吸入れた。
「それこそ先を争って語ってくれました。あれは少しばかり引っ掛かりますな」
ふむ、とゲオルグは思案に暮れる。
名士の娘の嫁ぎ先なら、知るものが居てもおかしくない。しかし、余程の噂好きならともかく、寄ってたかって聞かれる前から語り出すというのも妙な話だ。それではまるで、「誰かが訪ねてくるのを予見していた老医師が、死ぬ前に手を打っておいた」かのようではないか───

 

「……これから件の村まで足を伸ばしてみます」
青騎士隊長は再度口を開いた。
「不在中の諸々については部下に申し渡しました。副長にも、斯様にお伝えいただけますか」
「待て、一人で行く気か?」
「一人の方が身軽なので」
軽く笑って騎士は続ける。
「やはり時間的な難があります。長々と殿下を不在にしておくのはまずい。まもなく国賓を迎える今、人員を割けないという現実問題もありますが。夜が明け次第、殿下と部下を連れてロックアックスにお戻りください。侍医長の件は、一先ず自然死としておいた方が良いかと。他殺の確証がない以上、事態を複雑に考慮する余裕は殿下にはないと思われますので」
黙してそこまで聞いていたゲオルグは、ふっと力を抜いた。
「皇子に内緒で発つのは、連れて行けと言われるのを避けるためか」
「……そんなところです。あの方は自らの目と耳で情報を集めたいと願っておいでだ。不本意ながら、あの勢いで迫られると弱い。という訳で、夜逃げもどきの出立を決行致します」
堪らず吹き出す剣士の目前、青騎士隊長は力強い礼を払った。
「おそらくこれが、現時点で成せる最後の行動となるでしょう。ここまで来て、空手で戻る気になれないのはわたしとて同じです。故に、直感に従ってみようかと」
「分かった、道中の無事と成果を祈っている。それとな、出来れば早めに戻ってくれないか。あの皇子の勢いには、おれも引き擦られそうで困っている」
「……善処します。留守の間、我が主君を宜しくお願い申し上げる」
揶揄めいた笑みを残して、男は静かに踵を返した。

 

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という訳で、イヤミ君は一旦離脱します。

 

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