公主宮殿に近い宿の一室。
設えられた寝台に崩れるように腰を落としたフリード・Yは、未だ興奮覚め遣らず、湯殿に誘われたのにも気付かぬほどだった。
そんな若者の夢心地を、我がもののように思った赤騎士隊長は、ひとり静かに部屋を出て行った。湯殿は夜通し解放していると帳場の主人が語っていたからだ。
フリード・Yは、アルバートとの邂逅によって明らかになった事実を紙面に残そうと思い立った。
ロックアックスに戻るときは一人だ。エミリアには数日の滞在を約したものの、おそらく騎士の調査は終わるまい。赤騎士隊長は諜報の指揮を執るため公都に留まる。新たに掴んだ情報を皇子たちに伝える際、横で補足してはくれないのである。
五年前、現在の白騎士団・第三隊長が細工職人に皇王印の製作を依頼した。「不注意から壊した印章」を、そうと知られぬうちに擦り替えるために。破損の発覚を恐れ、内密に済ませたいと語った相手に同情した職人は依頼を受けた。斯くて謀略者は皇王印を手に入れ、生き証人となる職人の口を封じた───。
きゅ、とフリード・Yは唇を噛む。職人の息子の思い詰めた顔が過ったのだ。
『他に何も望みません。父の覚書が役に立つなら使ってください。どうか真相を暴いてください。ぼくは知りたい。父の死の上に進んだ企みというものを、何としても知らずにはいられない───』
「……わたくしもそう考えます、アルバート殿」
ひっそりと呼び掛けて作業に戻る。
実際に細工職人を手に掛けた人物は不明だが、現・第三白騎士隊長が揉み消しを謀ったのは確実だろう。皇王印の入手、その後の始末を一任されていたのかもしれない。
フリード・Yは残念ながらこの騎士を知らなかったが、宿への道すがら赤騎士隊長が語ったところに拠れば、「碌な男ではない」らしい。
剣腕にはなかなかのものを持っているが、勇猛というよりも残忍さが際立つ男。白騎士団員には珍しく、頻繁に訓練場に足を運ぶけれど、各下の相手を執拗にいたぶる様は虐待さながらで、不快に耐えない。以前、たまたま目にしてしまった部下が抑え切れず零していたのを、赤騎士隊長は覚えていたのだった。
この第三隊長がゴルドー配下──騎士は一応、すべて白騎士団長の配下と言えるのだが──であるとの証が立てば、一気に核心に迫る。赤騎士隊長が言ったように、終に切れる前のトカゲの尾を掴んだ訳だ。後はこの尾が切れぬよう細心を払いながら、包囲を狭めれば良い。
フリード・Yは考える。
ゴルドーは気付いているだろうか、自らの首に縄が掛かったのだと。足元に破滅が忍び寄っていると。
何を置いても手に入れたいものはあるだろう。けれどそのために捨ててはならない誇りさえも擲った。もはやゴルドーには、断罪の日が待つだけだ。
「まだ起きていたのかね」
穏やかに呼び掛けたのは、湯殿から戻ってきた赤騎士隊長だ。文机に向かうフリード・Yの手元を肩越しに覗き込み、目許を緩める。
「……報告の覚書か」
「はい。わたくし一人でお伝えするには心許くて……こうしておけば、洩らす恐れがないかと考えまして」
「良き心掛けだが、頼むから落としてくれるな。漸く掴んだ鍵ゆえな」
手布で髪を掻き回す男の口調も軽い。謀略の仮定が立った日から待ち望んだ証を手にいれたのだから、常の厳しさが解けるのも道理だとフリード・Yは思った。
「君も湯を使ってきたらどうだね、疲れが取れるぞ」
「はあ……実を申しますと、湯殿まで行く力も出ません。変ですね、アルバート殿をお訪ねするまでは、疲れていても動けないことはなかったのに」
ふっと騎士隊長は苦笑する。
「気が抜けたのだろう。忘れていた疲労が、任務遂行後に一気に押し寄せる───良くあることだ、もう休みたまえ。昼までは湯が張ってあるそうだから、目が覚めたら使うと良い」
温かな言葉に、訳もなく目の奥が熱くなるフリード・Yだ。
こんなふうに涙脆くなっているのは、自らが思う以上に疲れているからだろうか。同時に、一つ前進した安堵が成せる気弱なのかもしれなかった。
「隊長殿、明日からはどうすれば……? マチルダからの葬儀列席者はいつ頃着くでしょうか」
問われた騎士は指を折りながら考え、息をついた。
「騎士の知らせから逆算すれば、ワイズメルが殺されたのはカミュー殿が消えた日前後と思われる。暗殺を隠す画策で同盟各国への報が遅れた……とは言え、あまり葬儀が遅れても周囲に疑念を抱かせるから、我らが発った翌日あたりには正式な使者がロックアックス入りしたのではないかと思う」
「一日かけて誰が参席するかの相談と準備があって、次の明け方に出立したとして……そうなると、明日の夜になりますか」
「それは騎士団の軍事的行軍の速度だな。ゴルドーなりグランマイヤー宰相殿が同行した場合、もう少し時間が掛かるだろう」
「すると明後日頃、ですか……」
知らず視線を落とした若者に騎士隊長は微笑んだ。
「気持ちは分かる。わたしも同じだ、その覚書を一刻も早く殿下に見せて差し上げたいからな。だが、その間にテレーズ公女に拝謁出来る可能性も皆無ではないのだから、焦らずに身体を休めて帰路に備えるが良い」
はあ、と頷いてから慌てて顔を上げる。
「あの、隊長殿は明日からどうなさるのです?」
「無論、いま一方のつとめに入る。酒の出所探しだ」
御手伝いを、と言い出す前に彼は続けた。
「エミリア殿に殿下の御言葉を伝えた時点で君のつとめは終わった。後は我ら赤騎士に課せられたつとめだ」
「でも……どのみち公都に居るのですから、その間だけでも手伝わせてください。たいして御役に立たないかもしれませんが……」
「君は殿下に似ている」
赤騎士隊長は穏やかに諭す。
「何かしていないと不安に陥るクチだな。そうした人間は、多少経験に勝ったものが気遣わねば、それこそ倒れるまで無理を重ねる。わたしは殿下から君をお預かりしたのだ。万全の状態でロックアックスに戻すのがつとめだと昼にも言った、……忘れたかね?」
そのままフリード・Yの腕を取って立ち上がらせ、寝台へと押し遣った。とすんと敷布に腰を落としたフリード・Yは、泣き笑いの表情を浮かべるしかなかった。
騎士隊長も自らの寝台へと進み、傍にある窓のカーテンを引く。
「戻るときには誰か一人、護衛に付けよう。君と合いそうな、あまり歳の開きのない───」
そう言い差したとき、ノックもなく唐突に扉が開いた。反射のように、騎士は寝台脇から剣を取り上げる。今までとは打って変わって鋭さを増した瞳を戸口に向けた男は、次の刹那、剣の柄に掛けた手を緩めた。
身じろぎも出来ぬままだったフリード・Yが我に返って声を上げる。
「あ、あなたは……!」
闖入者は赤騎士隊長配下の若者だった。満身創痍といった有り様で、開いた扉に凭れるようにずるずると崩れ落ちていく。間に合わせのように乱暴に巻いた包帯のあちこちに鮮血が滲む姿は、見るも痛ましい。
寝台に剣を放り投げた騎士隊長を追うように、フリード・Yも足腰の疲労を忘れて駆け寄った。二人がかりで若者を支えて室内に運び入れ、寝台に横たわらせた。ふわりとした感触に迎えられた若者は、漸く人心地ついたように自嘲した。
「すみません、着いたと思ったら気が抜けちゃって……」
それを聞いた騎士隊長は、「どうだ」と言わんばかりにフリード・Yを一瞥する。
「……良くある、と言っただろう?」
はあ、と応じつつフリード・Yは若い騎士の負傷に意識を奪われていた。
「ああ、ひどい怪我を……」
「見掛けはアレかもしれないけど、たいした傷じゃありませんよ」
気丈な発言ではあるが、その「見掛け」が問題なのだ。フリード・Yは、見ているだけで貧血を起こしそうだった。
「ちょっと待ってください、じっとして動かないで」
寝台の端に座って、宿した水魔法の力を解放すると、若者の息遣いは、たちどころに穏やかを増していった。慈悲の輝きが完全に退くや否や、彼はひょっこり半身をもたげて、確かめるように自身を撫で探り、次いで破顔した。
「……傷が消えた。回復魔法って、初めて受けましたよ。凄いんだな……、礼を言います」
「いえ、そんな」
率直な謝辞が面映く、フリード・Yは頬を染めたが、片や騎士隊長は渋い表情だ。「治ったのなら、いつまでもわたしのベッドに寝ているんじゃない」などと毒づいている。既に男が如何なる人物なのかを把握したフリード・Yには、血だらけの部下を見て受けた衝撃や、回復への安堵を紛らわせているのだと察せられた。
一方、自隊長の叱責には慣れている──らしい──赤騎士は、飄々とフリード・Yの横に座り直し、不要になった血染めの包帯を解いて床に落とし始めた。顔つきには、目的を遂げた自負めいたものもちらついていた。
「使う配分を間違えたみたいなんですよね」
「は?」
「抜け道には魔物が多いから、札を持っていけと副長に言われたんです。ちょっと遠慮気味に貰ってきたら、足りなかった。最後の最後に「ドレミの精」の集団に遭っちゃって、逃げるのが一瞬遅れて……畜生、コブが出来てる。何なんだ、あの攻撃は」
回復魔法で癒し切れなかった後頭部を擦りながら若者は唸る。と同時に、冷ややかな上官の視線に気付いて急いで言い募った。
「好きで魔物に後ろを見せたんじゃありません。副長の命令だったんです、とにかく先へ進むのが第一だ、って」
赤騎士隊長は嘆息しながら文机の椅子を持ち寄り、部下の向かいに腰を下ろす。
「……もう良い、本題の方も先へ進めないか。伝令で来たのだろう、副長は何と仰せだったのだ」
最後の包帯が床に落ちた。生じた布の小山から上官へと視線を移した若者は、真っ直ぐに背を正した。
「報告します。例の酒が皇王陛下の許へ贈られた時期は五年前とのこと」
「五年前だと?」
「はい、これまでは飲まれた直前───四年前と考えられてきましたよね、その認識を修正して調べ直せとの命令です」
二人は虚を衝かれ、まじまじと若者を凝視する。彼はしかし、構わず続けた。
「ここ最近、おそらく公都内で薬物を扱う人物が殺されている筈です。医術関係か、商人か、どういった立場の人間かは不明ながら、そいつが処方した毒が酒に入れられたとの話です」
ぽかんと聞いていたフリード・Yが、そこでやっと気を取り直した。
「ど、どうしてそのような……? ロックアックスにおいでの副長殿が、何処からそんな情報を入手されたのでしょう」
「時間がないからと詳細は説いて貰えなかったので、おれもさっぱり……。でも、一年の差は大きいし、この学術都市で起きた殺害事件なら、余程の隠蔽が行われていない限り、辿り着けそうですよね」
意見を求められた騎士隊長も、思案の末に同意する。
「……そうだな。盲点だった、陛下が召された直前に贈られた品だとばかり思い込んでいた。一年の違いは諜報にとって致命的な差だ。毒物の処方者とやらも、最近起きた事件なら民の記憶も新しく、情報を集め易いだろう」
つまり、とフリード・Yは首を傾げながら呟いた。
「これでいよいよ陛下毒殺は「可能性」ではなくなったのですね? 不思議です、御殿医が見落されるなんて」
言葉にするほど、不快な想像が頭をもたげる。医師たちが口を閉ざしたのはゴルドーに加担していたからではないか、含んでしまった毒に苦しむ王を、何ら手を打たず見捨てたのではないか───
おそらく城の皇子にも過っているだろう疑念に吐き気すら覚えるフリード・Yに、若者は静かに言った。
「どんな伝の情報かはともかく、毒殺が確実となったなら、副長たちが放っておきませんよ。今頃は調べに入っているんじゃないかな」
「……だな」
騎士隊長は強く頷き、表情を引き締めた。
「我らには我らのつとめがある。この件、一刻も早く部下たちにも知らせよう」
言いながら立ち上がるのを見て、若い騎士は腰を浮かした。
「あ、隊長。それなんですが……」
「この上おまえに公都中を走り回れとは言わぬ。わたしが伝えて来るから、コブを冷やして休んでいるが良い」
「いえ、そうじゃなくて……手配済です」
「何?」
意外そうに向き直る上官を上目で見上げながら説く。
「都に入ってすぐに、運良く小隊長に会えたんです。それでこちらの宿を教えて貰いました。おれの見てくれがあんなだったし、巡回のグリンヒル兵に見咎められたらまずいと、応急手当てをしてくれたんです」
無造作に巻かれた包帯に合点がいった面持ちで騎士隊長は続きを促した。
「報告の順序が前後するとは思ったけど、持ってきた情報の中身から、少しでも早く全員に行き渡った方が良いと考えました。それで、小隊長に話を……。伝言式を採って、今夜中には公都中の赤騎士が知るように手を打ってくれています」
最後に彼は、恐る恐る付け加える。
「……なので、もしかしたら隊長が最後の方かな。すみません、街門からここまで来る間に、三度もグリンヒル兵に捕まったんです。血だらけでも目につくけど、大層な包帯も目立ちますよね」
ポリポリと頭を掻いた拍子にコブに触れてしまい、顔をしかめながら若者は身を縮める。「伝令で持参した報は、場の第一指揮官に」という大原則を曲げたことへの叱責を恐れているのだ。だが、騎士隊長は暫し無言で若者を見詰めるのみだった。
「兵の追求はどうやって逃れた? いや……、先程の姿では、抜け道を出て入国税を払う際、街門も、すんなり通れなかったのではないか?」
やがて洩れた問い掛けには、若者は首を捻った。
「いいえ、それほどでも……。抜け道の番兵は薬をくれました。馬を止めている暇がなかったから使ってませんが。公都の入り口では「医者を呼ぶ」、街の中では「医者まで送る」と言われたけど、振り切りました」
「よく振り切れましたねえ」
感嘆半分、呆れ半分でフリード・Yが言うと、朗らかな笑顔が向き直った。
「おれの都入り理由は「身内の危篤」、加えて「一刻を争う」ですから。引き留めた所為で死に目に遭えなかった、なんてことになったら後味が悪いとばかりに、離して貰えましたよ」
「はあ……成程……」
「それに、命令とは言え、魔物から逃げた。悔しいのを我慢していたら、「泣くな」と慰められましたよ」
そこまで来て騎士隊長の威厳は崩れた。部下から顔を背けて吹き出し、取り繕うように咳払いした。
「傷という演出材料に助けられたな。まあ良い。他の騎士たちに先に報を伝えたのは懸命な判断だった」
ほっとしたように息をつき、次には再び背を伸ばす若者だ。
「もう一つあるんです。これはフリード殿に」
「わたくしに?」
ええ、とそれまでの軽い調子を消し去って、彼はじっとフリード・Yに瞳を当てた。
「もうテレーズ公女には会われましたか?」
「いえ……、でも、殿下の弔意は侍女のエミリア殿にお伝えしました。御本人にお会い出来るとは、もともと思っておりませんでしたので」
「会って貰わなくてはなりません」
予期せぬ一言に戸惑っていると、若者は妙に重い声音で言い募った。
「公女に面会して、ワイズメル殺害の場における詳細を聞き出せ───それがフリード殿への指示です」
「何ですって? テレーズ様に……ですって?」
寝台から飛び上がるほど驚いて、知らず声が上擦る。これには赤騎士隊長も穏やかならぬ反応を示した。
「どういうことだ?」
「思い出してください。ワイズメルはテレーズ公女と一緒に、観劇の帰り道で襲われました。幸い公女は事無きを得たけれど、間近でワイズメルが死ぬのを見ていた───」
「ええ、お気の毒です。さぞ恐ろしかったでしょうに……」
「そのとき、襲撃者とワイズメル、あるいは公女との間に何らかの会話が交わされたらしいんです。その内容を聞き出せとの命令です」
「会話……?」
二人は無意識に復唱する。先に抑え切れなくなったのはフリード・Yだった。
「わたくしが? テレーズ様に、思い出すのも恐ろしい体験を語るように請えと? 無理です、そんな惨い……癒えぬ傷を抉じ開けるようなものではありませんか!」
「分かってますよ、それくらい!」
声を荒げたフリード・Yに劣らぬ勢いで騎士は叫び返した。
「おれだって聞いたときにはそう思った。でも、考えてみてください。殿下が同じ気持ちでない筈がありますか? 命じるからには、きっとそれだけの理由があるんです。殿下はあなただから命じたんだ。自分が感じている痛みを分かる人だから……だからフリード殿に頼んでいるんですよ!」
叩き付けるように言われ、フリード・Yは硬直する。その両肩を掴み締めて───騎士は手に力を込めた。
「殿下は言ってましたよね。何があってもテレーズ公女への親愛は変わらない。分かるでしょう、それほど好ましく思う人を苦しめてでも得なければならない情報なんだ。他の誰でもない、フリード殿を信じて役目を託したんですよ。拒めますか? そんなことは出来ないと退けますか」
ふるふると震えながら若者を見返していたフリード・Yは、ふと、相手の衣服に視線を移した。
破れ目から覗く肌の損傷は回復魔法によって消えている。けれど布地についた血の跡は夥しい。此度の伝令の任のため、自らと同じ年頃の騎士が払った代償に思い至った途端、恥じ入る心地が広がった。がっくりと項垂れて、小声で言う。
「……取り乱しました、申し訳ありません。やります、やってみます。わたくしの力の及ぶ限り」
ほっとした面持ちで若者は肩に置いた手を離した。掌を見詰めながら呟く。
「殿下に、今みたいに肩に手を乗せられたんです。頼むぞ、と。独りで休みなく馬を走らせるのに不安があった訳じゃないけれど、不思議と力が沸きました。おれがやらなきゃ、って思った」
「分かります。わたくしも力が沸きました。ありがとう……」
遣り取りを見守っていた赤騎士隊長もまた、詰めていた息を吐き出した。
「城の方も動きが激しくなってきたようだな。他に変わったことはあったか?」
「ええと……そうだ、ワイズメルの葬儀にはグランマイヤー宰相が出られるみたいですね。おれは昨日夜半にロックアックスを出ましたが、明ける頃には、うちの第八部隊の小隊随行で出立すると聞きました」
「ゴルドーという訳にはいかなかったか」
「この時期にロックアックスを離れるのはまずいと思ったんじゃないですかね。保身には妙に気が回るらしいから」
忌ま忌ましそうに言い、若者は更に考え込んだ。
「あとは……あの人が城を出て、どの村に向かったのか、推測が煩いくらいかな」
「村、か。騎士が同行していると偽ったが、事情は洩れていまいな?」
「大丈夫だと思います。今はもう、つとめの配分が滅茶苦茶なんです。どの騎士が城にいないかなんて気にしている状態じゃありませんから」
そうか、と満足げに応じた後、騎士隊長は口調を改めた。
「おまえはこの後を如何様に命じられた?」
「フリード殿がつとめを終えたら、一緒に戻って来いと言われました」
「葬儀に参列するのが宰相殿なら、鉢合わせても特に問題ないか……。フリード殿、明日にでも再度公主宮殿に赴きたまえ。エミリア殿の配慮に添うつもりでいたが、事情が変わった。あの件もある、早い方が良い」
「あの件?」
聞き止めた若者が瞬くのを見て、フリード・Yは懐に納めていた紙片を取り出した。許可を窺うように騎士隊長を一瞥し、首肯を受けて騎士に差し向ける。
「例の、細工職人の息子さんを訪ねました。報告のため、委細を\めてみたんです」
どれどれ、と言いたげな様相で紙片を手にした若者は、次の瞬間、目を瞠った。
「これって……!」
「無論、当人に突き付けたところで、知らぬ存ぜぬで通すだろうが」
騎士隊長が堅い声で言う。
「今は、仮定でなくなっただけでも充分な成果だ。第三隊長の動きに留意するだけでも違ってくるだろう」
「第二隊長もゴルドー配下だったらしいけれど、第三隊長まで……」
「いっそ、白騎士団員すべてをそうと考えておいた方が良いやもしれぬ。まったく……、後々の掃除が大変だ」
若い赤騎士は紙片を元通り丁寧に折り畳んでフリード・Yに戻した。心からの慰労が眼差しに浮かんでいた。
「やりましたね、フリード殿。きっと殿下も喜びますよ」
「まだ一つ、大きなつとめが残っておりますけれどね。わたくしも、あなたに倣って最善を尽くします」
不意に思いついて立ち上がる。
「そう言えば……食事も取っていらっしゃらないんでしょう? 宿の主人に頼んで何か作っていただきましょうか」
「いえ、それより……」
騎士は素早く室内を見回し、中央に置いてある長椅子へと向かった。
「この宿、もう部屋が空いてないんですよね。これ、貸りても良いですか?」
答えを待たず、転げるように椅子に身を投げ出す。自分の寝台を使ってくれとフリード・Yが言おうとしたときには、寝息が上がっていた。あまりの寝付きの早さに困惑して見遣った先では、騎士隊長が箪笥から予備の上掛けを取り出しながら苦笑している。
「発ったのは昨夜半と言ったか……多少は札に助けられたにしろ、なかなかのものだったな。寝かせてやれ、フリード殿。こういうときには食事よりも睡眠だ。朝、目が覚めたら精のつきそうなものでも取るよう面倒を見てやってくれまいか」
え、とフリード・Yは問い返した。
「わたくしが、……ですか? 隊長殿はどちらかへ行ってしまわれるのですか?」
「昨日の今日だ、もう君を蔑ろにするグリンヒル兵は居まい。何なら、こいつを一緒に連れて行くと良い。これでも一応は名家の子息なのだ。必要に迫られれば、そこそこ折り目正しく振舞うだろう」
最後に彼は穏やかに微笑んだ。
「此度与えられた君のつとめに、わたしが力になれるとは思えない。だから諜報活動に入る。隊長職を与る身として、傷だらけになってまで報をもたらした部下の尽力に報いるには、それしか思い当たらないのでな」
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