磨き抜かれた石床に乾いた靴音が響く。
普段ならば複数の街人が憩う堂内も、今日は静まり返っていて、いよいよ式典が間近に迫った現実を感じさせるようだった。
「この打ち合わせを最後に、礼拝堂は閉ざされます。民はおろか、宰相殿でさえ堂内部には立ち入れなくなる。一種の潔斎期間ですな」
青騎士団・第一隊長の説明を聞いてゲオルグ・プライムは頷いた。鋭い視線が慎重に四方を窺っている。
「青騎士団が式典警備を主導することになりましたので、我々と入れ替えに第二部隊騎士が内部の最終点検を行います。以後、建物は封鎖。あらゆる出入りを禁じる訳です」
「すると中に残るのは……」
「マカイ司祭長、他に十二名の司祭──見習いも含めて、ですが──計十三名になりますな」
本堂の奥には司祭たちの居室がある。彼らはここで寝起きしているのだ。特に身の回りを世話する使用人は置かれていない。若い見習い司祭が代任しているのである。
「完全な孤立状態になるのか?」
「司祭長のみ、外部との接触を許されています。各扉外に終日体制で張り番騎士が付くため、それを通すかたちになりますが。この時期ばかりは司祭長が国の第一権威者ですな。求められれば、王位継承者や宰相殿であってもここまで足を運ばねばならない」
祭事の前、司祭職の人間が礼拝堂に篭るという慣習が、いつから確立したかは分からないが───そう騎士隊長は言い添える。ゲオルグは納得顔で息をついた。
「ともかく、それなら祭事妨害を目論む輩がいても、侵入は難しいな」
「式典当日、入場の査証を突破するだけの気概があれば別ですが」
どれ、とゲオルグは騎士が手にする日程書、並びに警備案書を譲り受けた。ざっと眺めた後、傍らに視線を移す。
「司祭長が訓辞を読み上げ、王冠と剣を新王に授ける、……か。書面の記述だけではピンとこないな」
「実際に御覧いただければと思います」
式典の当事者───皇太子マイクロトフが微笑めば、青騎士隊長も同意顔で続ける。
「もともと今日は殿下のための最終模擬演習のようなものです。儀式の流れを御覧になって、我らが見落としている穴がないかを検分していただければありがたい」
ふむ、とゲオルグは首を捻って、次いでニヤリとした。
「警備の穴か。見つけ出すのは難しそうだな」
僅か数日の交流だが、上位騎士たちが並ならぬ炯眼を駆使してつとめに臨んでいるのをゲオルグは感じていた。今更、部外者に指摘されるような穴があろう筈はない。
それでも騎士隊長の顔は真剣そのものだった。
彼は恐れているのだ。唯一無二の願いに捉われた青年が、騎士の知識や経験を越えて迫り来るのを。ゲオルグに求められているのは、量り難い脅威の排除なのである。
「……っと、待てよ。皇子中心の模擬演習というからには、白騎士団長も来るのか?」
堂内にいるのは、いつものようにマイクロトフに従う青騎士団・第一部隊の騎士のみだ。各小隊から抜擢された精鋭中の精鋭は、四方に散って扉や窓枠の具合を確かめている。マイクロトフは苦笑気味に首を振った。
「最初の打ち合わせに顔を出して以来、「多忙につき欠席」で通しています。儀式中の役割は然程複雑なものではないので、司祭長マカイも諦めているようですね」
名が出た刹那、奥の扉から当人が現れた。到着を知らせてから少しばかり間があった。一行の前に立つなり、マカイは低く頭を垂れた。
「お待たせして申し訳ございません。ちょうど若い司祭らの式典服が届いたものですから、具合を確かめておりまして」
それから彼は、思い詰めたような顔を上げてマイクロトフを凝視した。
「ワイズメル公御逝去の報、真に残念でなりません。よもやこの時期に御婚儀が中止になるなど……司祭一同、胸を痛めております」
「ああ、いや……」
即位と結婚、二つの儀式を執り行う栄誉に恵まれたマカイがどれほど高揚していたかを知るマイクロトフとしては、やや気まずい遣り取りだ。適当に流してしまうのも躊躇われ、同じように項垂れるしかなかった。
「これも巡り合わせだろう。今はただ、誠心で即位の儀に臨もうと考えている」
ええ、とマカイは泣き笑いを浮かべる。
「縁がございますならば、いずれテレーズ様を正妃にお迎えする日も参りましょう。どうぞ殿下、御気を落とされませぬように」
これには強張った苦笑を返すほかないマイクロトフだ。輿入れの裏事情を知るゲオルグもまた、複雑そうに顔を逸らしている。
軽く咳払いして気分を改め、マイクロトフは言った。
「実はな、マカイ。この後もつとめが押しているのだ。あまり時間が取れないのだが……」
マカイは瞬き、それからにっこりした。
「殿下は式典の進行を既に完璧に把握しておいでです。改めて御進言申し上げる旨もございませんし、そのような事情でしたら───」
無理をせずとも良い、と言われる前に慌てて言葉を挟む。
「いや、実はまだ少し自信がないのだ。予定通り、一連の流れを復習っておきたい」
新たな「護衛」に見せるためとは知らず、マカイは生真面目な皇子の姿勢に感じ入ったようだった。
「では、こちらへ……。他の皆様は、お掛けになってお待ちください」
マイクロトフを伴ってマカイが祭壇脇の扉へと向かう。すかさず巡らされた騎士隊長の視線に気付いた数名の青騎士が、忍びやかに皇子を追って扉を潜っていった。
城から同行した青騎士団員のうち、三割ほどは建物の外に待たされ、不審者の有無に目を光らせている。しかし、害意を持つものが既に礼拝堂内に潜んでいた場合に備えて、皇子を孤立させる訳にはいかないのである。
続いて青騎士隊長は部隊副官を手招いた。急ぎ歩み寄って背を正した部下に淡々と問う。
「儀式の流れは頭に入っているな?」
「はい、隊長。通達で知らされた程度ではありますが」
「ゲオルグ殿に儀式の全体図をお見せする。ゴルドー役を勤めろ」
副官は目を丸くした。
「わたくしが、……ですか?」
「白騎士団長が新皇王に忠誠を誓う場面は外せない。生憎、当人は御多忙中につき欠席だ。代役が要る」
「はあ……、拝命致します」
同意しつつも、怨敵の代わりを勤めることには喜べないのだろう。副官は渋々といった面持ちであった。
「要綱によると、ゴルドーに随従する騎士は二人となっている。そいつも適当に割り当てろ」
「心得ました」
副官は、祭壇の左脇へと向かいながら近くにいた青騎士を呼び寄せた。応じた二人も、説明を受けた途端、複雑そうな表情になる。あまりにも正直な反応を目にしたゲオルグは、苦笑を零さずにはいられなかった。
「……それにしても、幾ら役割が軽易と言っても、「多忙で欠席」が罷り通るとはな。そんなものなのか?」
「そんなものでしょう。式典における白騎士団長の役目は、新皇王にマチルダの全騎士を代表して忠誠を誓うだけですから。この儀礼の作法は騎士が最初に学ぶもの、繰り返して確認せねばならない所作ではない。よって、つとめを優先するというのは正当な言い分に聞こえるのです」
それに、と騎士隊長は陰に篭った笑みを滲ませた。
「本日、白騎士団長殿が多忙なのは事実でしょう。朝方から白騎士が騒がしかった。どうやら第二隊長の行方を気にし始めたらしい」
ゲオルグは瞬き、ははあ、と首肯する。
「……あいつが「消した」騎士か」
「ええ。騎士隊長ともあろう者が無断でつとめを放棄していると他団に知られたくないのでしょう、大々的な捜索には至っていないが、うちや赤騎士団の下っ端に見掛けなかったか探りを入れているようです。「彼」に続いて、貴重な手駒が消えたとあっては、ゴルドーも心中穏やかではいられないと見える」
その通りだ、とゲオルグは思った。
味方と信じてきたものが周囲から零れ落ちていく。今やゴルドーは疑心暗鬼で碌に身動きも取れなくなっているだろう。それは作朝の様子を見ても分かる。
あの男に、真の意味での味方はいるのだろうか。どれほど権威で己を飾り立てても、仮初めの光に跪く人の心は移ろい易いと、知らぬまま今日まで来てしまったのか。
いずれにしろ、主君の器には程遠い。剣を捧げるには足らぬ相手だとゲオルグは断じた。
「どれ、御言葉に甘えて座らせて貰うか」
青騎士隊長に呼び掛けて、彼は前から十列目ほどの長椅子を選んで腰を下ろした。堂内前部がほぼ見渡せる場所だ。左右に設えられた石段によって祭壇と床は繋がっている。下りた両側に扉があり、先は控えの間や司祭らの居住の場といったものに続いているのだと騎士隊長は説いた。
すべてが対称に造られた建物は、重々しい中にも繊細さがちらついていて、眺め入るゲオルグの感嘆を誘う。
しかし、見惚れてばかりもしていられない。この短い滞在の中で、あらゆる可能性を吟味せねばならないのだから。
彼は再び日程表へと目を落とした。
「国王の即位なんてものは、そう頻繁に目にするものじゃないが……この進行表を見た限り、随分と簡単な式に思えるな」
ゲオルグの座った長椅子脇に立ち尽していた青騎士隊長が、ああ、と笑みながら同意した。
「かもしれませんな。と言っても、わたしも他国の式典事情に詳しい訳ではありませんが。おそらく、マチルダ皇王家の成り立ちが関与しているのではないかと。ただ……、当日は音楽も入りますし、紙面から受ける印象とは若干変わってくるでしょう」
目線で着席を促された騎士は、ゲオルグより一つ後列の椅子の端に浅く腰掛けた。いざ事が起きたとき、並んで座っていたのでは内側の人間が出遅れる。それを考慮して列を違えたのだ。ゲオルグは、抜かりのない騎士の警戒ぶりに満足して含み笑った。
「御存知の通り、マチルダはハイランドの支配から独立を果たした国家です。民に蜂起を呼び掛け、戦の陣頭指揮を執ったのが、現在は聖人と称されるマティス……あちらの絵図の人物ですな」
堂内正面、祭壇に恭しく掲げられた絵を見詰めてゲオルグは頷く。今は皇太子のものとなった大剣を手に、民を従えて進む指導者。マイクロトフを知るものが一度は過らせる感慨を、ゲオルグもまた抱いた。
───似ている。顔かたちなどではなく、全体的な雰囲気といったもの、もしかするとそれは魂の輝きと呼ばれるようなものかもしれない。
困難と対峙しながら屈せず、雄々しく前だけを望もうとする姿勢。現皇太子マイクロトフから感じる強く激しい光が、絵図の中の指導者にもあった。
「初代皇王となったのはマティスの長子ですが、実のところ王制など考えてもいなかったというのが通説です。領内からハイランド勢力を除くのが第一で、他のことは考える暇もなかったというのが近いのではないかと」
ただ、と騎士は目を細めて絵図を見遣る。
「主力軍を退けたとは言え、依然として領内に残存敵兵力は多く、これを完全に排除するには、全領民を\め上げる確固たる力の象徴が必要だった。民の求めに応じて、王が誕生した訳です」
そうして険しい山岳を背にして街が築かれることになった。やがて国の首府都となるロックアックスも、この頃は削れた山肌を晒す地でしかなかったのだ。
城もなければ、聖堂もない。人々が集まり、戦乱を乗り切る策を沙汰した広場が、最初の即位式の舞台となった。
「……が、未だ戦の最中、畏こまった儀式をのんびり行う余裕はなかったようで、マティスが遺した剣と冠……これも頭部用の防具か何かを加工した「それらしく見える」程度の品だったらしいが、その二点を受けるだけという、実に手短なものだったそうです。二代目以降、多少は体裁を整えたものの、やはり簡素感は拭えぬ儀式かと」
そこで祭壇下、片側の扉が開いた。
まず、分厚い書を手にしたマカイが現れ、しずしずと壇上へと昇っていく。少し置いて扉から現れた二名を見た途端ゲオルグは目を見張った。
片方は皇王家の剣ダンスニーを、今ひとりは王冠の代用か、サークレットと呼ばれる防具を手にしている。ゲオルグを驚かせたのは二人の装束だ。くるぶしまで隠れるローブを着用しているのはマカイも同様だが、続いた彼らは目深にフードを被り、それこそ顔も見えないような姿だったのである。
ゲオルグの戸惑いを悟った背後の騎士隊長が小声で囁いた。
「あの二人も司祭です。ついでに反対側の扉も御覧いただきたい」
言われて見遣った扉では、壇上へと進む司祭の列が生じていた。その何れもが、同じ装束で覆われている。ゲオルグらの位置からは、多少の体格差だけが相手を見分ける唯一の手段であった。
「おいおい……まさかあれが本番用の衣装なのか?」
「御気持ちは分かります、我らも同じ思いゆえ」
嘆息気味に騎士は応じた。
「しかし、祭事の決め事とあっては致し方ない。あの場に立つ司祭は国民の代表、故に可能な限り「個」を出さぬよう、装束で姿かたちを隠すのが慣例なのだそうで」
「とは言ってもなあ……」
ただでさえ厳粛な儀式だ、司祭一同は俯きがちに動いている。そこへフードを着用されては、完全に顔が見えない。ふんだんに布を使ったローブの内には、巧くすれば武器を忍ばせることも可能だろう。
「摺り替わっても分からんぞ、あれでは」
言い差して、ゲオルグは腕を組んで考えた。
「……そうか、礼拝堂の封鎖は司祭の摺り替わりを防ぐのにも役立つ訳だ」
「ええ。仰るように、あの装束は警備する側の泣き所と言えるでしょう。侵入者が司祭に成り替わらぬように対処するのは基本です。ただ……」
騎士隊長は厳しい面持ちで続ける。
「たとえ百の刺客の侵入を防いでも、司祭の中に悪意を持つものがいれば、すべては水泡に帰してしまう。護る側は、初めから不利な立ち場に置かれているのは否めませんな」
ゲオルグが壇上に並んだ顔の見えない司祭たちを睨み据えたとき、マカイらが使った方の扉からマイクロトフが登場した。着衣の上に、長く尾を引く濃紺のマントを着けているが、これは訓練用として持ち込まれた品で、当日着用する衣装は式典五日前に城に届けられることになっていた。
壇上に皇子を迎え、マカイは中央にある台座に書を置いた。その足元にマイクロトフが片膝を折り、低く頭を垂れる。儀式の始まりであった。
片手を皇子の頭上に掲げ、いま一方の手を台座の書に乗せて、マカイが新皇王に向ける訓辞を述べ始める。
言い回しが古めかしく、意味の量り辛い箇所が多々あるが、滔々とした調子は否応なく厳粛な心地を掻き立てる。神妙な顔で聞き入るゲオルグに騎士隊長が耳打ちした。
「進行のおおよそは最初の即位式を踏襲しています。いま司祭長が説いているのは、武勇・賢知・礼節・至誠、王にとって不可欠となる四つの資質……これらを失せず、民と共に生きよと薫陶している訳です」
ふむ、とゲオルグは感嘆の視線をちらと投げる。
「詳しいな。実に興味深い、その調子でどんどん講義してくれ」
すると青騎士隊長は苦笑した。
「わたしの知識など机上の付焼刃に過ぎませんが。何しろ前回の即位式は二十年以上も昔……現役の騎士で、儀式に立ち合ったものは皆無に近い」
「付焼刃だろうが、刃が付いているなら良いさ。続けてくれ」
はあ、と騎士は壇上の司祭長と皇子を見比べながら口を開いた。
「初代皇王の即位の儀を執り行ったのは、今ひとりの英雄アルダの長子と言われています。後にロックアックス城が築かれ、マティスとアルダを聖人と称すようになったときより、祭事を取り仕切る司祭職が置かれるようになりました。その際、司祭の人数は即位の儀を踏まえて定められたそうです」
「何か意味があるのか?」
「司祭長はアルダの長子の役割、つまり儀式のすべてを司ります。冠と剣を持つのは初代皇王の弟たち、残る十名は対ハイランド蜂起の呼び掛けに最初に応じた村の長たちに準じているらしい」
騎士が潜めた声で説く間に、マカイの訓辞口述は終了した。
壇上左手に控えていた二人のうち、ダンスニーを持った人物が粛々と進み出て、マカイへと捧げ渡す。柄を握った彼は、鞘入りの大剣をマイクロトフの右肩に当てた。左の肩にも同じようにして、最後に恭しく剣の向きを変える。受け取ったマイクロトフは、掴んだ大剣の先を床に付け、なおも目を閉じて頭を垂れ続けた。
次いでもう一人の司祭がサークレットを差し出した。マカイの手でそれが授けられたと同時に、マイクロトフは立ち上がった。
王位継承者の証となるダンスニーを持った状態で頭上に冠を戴く───これによって王位は継承されたことになる。
「皇子が丸腰でいる時間があるのか……。剣を持つ司祭が「敵」に通じていたら、まるで無防備に身を晒すことになるな」
「仰る通りです」
認めて、しかし騎士は言い添えた。
「……が、一応その線は除いて考えても良いかと。あの司祭は、次の司祭長の地位が確実視されている人物です。身の破滅と引き換えに殿下を襲うような……、ゴルドーに取り込まれるだけの負の要素は、ここまで調べた限り、ありません」
部外者が真っ先に過らせる程度の懸念は解消済みか、とゲオルグは苦笑する。
壇上では、反対側に控えていた司祭たちが列を組み、一ずつ皇子の許へと歩み始めていた。足元に跪いた相手の頭部に、マイクロトフがゆっくりと右掌を翳す。
「新王が、国内の村々の代表に加護を約束する儀式です」
二人目、三人目と司祭は続き、マイクロトフは同じ所作を繰り返す。順調な流れかと思われたが、六人目の司祭が踏み出すと同時に小さくよろめいた。不自然な動きを見逃さなかった騎士たちは咄嗟に剣を掴み、ゲオルグと青騎士隊長も腰を浮かし掛けた。
「もっ……申し訳ございません!」
周囲の緊張を感じたのか、司祭は悲鳴のような声を上げ、慌ててフードを捲り上げた。まだ若い、紅潮し切った顔が現れる。そのまま彼は崩れるように両膝を折った。
呆気に取られるマイクロトフの横で、マカイが低く嘆息し、同様に深く一礼する。
「お許しください、殿下。今日まで平服にて修練して参りましたゆえ、未だ長いローブの裾捌きに慣れていないのです」
「踏んだのか」
ぷっと吹き出して、マイクロトフは若い司祭に立つよう促した。
「転ばなくて何よりだ。そうか、裾捌きか。おれも、今よりも長いマントを着けるらしいから、他人事ではないな」
そろそろと立ち上がった司祭は、粗相をしでかした自身を見詰める皇子の穏やかな眼差しにぽかんと見入り、次いで周囲の仲間たちから上がった忍び笑いにいっそう頬を染めた。
「お互い、当日までに慣れるように努めよう。同時に、失敗ったときに誤魔化すだけの演技力も身に付けておいた方が良さそうだな」
「は、はあ……精進致します」
頭を掻きながら反射的に返した後、司祭は我に返ったように丁重な礼を取った。一瞬だけ張り詰めた空気は、幻であったかのように和やかなそれへと変じている。祭壇の下に詰める騎士たちは力を抜き、それを合図に儀式が再開された。
「……不思議な男だな」
浮かせた腰を椅子に落ち着けるなり、ゲオルグ・プライムは背後の騎士へと囁き掛けた。
「王者の覇気はある。時々ではあるが、猛々しさも感じる。だが……何より温かい。今のとて、計算した言動ではないだろうに、これであの司祭は生涯を通じて心からの忠節を捧げる意思を固めたろう」
「我らが剣の主人はそうした方なのです」
青騎士隊長は目を細めて壇上の皇子を見詰め、静かに続けた。
「……だが、それも「彼」との出会いがあればこそです。我らも同様、「彼」がいなければそうと知る機会もなかったかもしれない。殿下が己に相応しい生き方を選ばれたのは、欠けていた半身を見つけたから───己のすべてを委ねられる存在を得たからに相違ありません」
「…………」
「マティスは独立の英雄なれど、一人では成し遂げ得なかった。つまりはそういうことです」
分かる、とゲオルグは思った。
長い付き合いではないが、彼はマイクロトフという人間を徐々に理解しつつある。良くも悪くも一本気。立場上、抑えようと努めているのは窺えるものの、思い込みが激しく、感情に正直な男だ。
真っ直ぐであるがゆえに暗部と相容れない。正面から立ち向かおうとするあまりに深い傷を負いかねない男、マイクロトフはそうした人間なのだろう。
それらを理解し、影から支える存在───カミューがマイクロトフにとってそんな存在になると、短い交流の中で騎士たちは感じ取った。そう捉え得るだけの親愛が、二人の間にあったのだ。
もっとも、当事者マイクロトフからすると、カミューはそれ以上の相手であったようだが。臆面もなく恋情を零していた姿を過らせるなり、微笑まずにはいられないゲオルグだった。
十名の司祭すべてが役割を終えて下がると、白騎士団長役に扮した青騎士が二人の部下を従えて左階段から壇上に上がった。
皇子の目前に進んだ騎士は、すらりと抜刀して片膝を折る。両手で捧げ持った白刃にマイクロトフが右手を乗せ、騎士はその甲へと唇を寄せた。騎士の忠誠の儀である。
「ゴルドーが剣を抜くのか」
腕を組んで唸るゲオルグに騎士は頷いた。
「……とは言え、これも脅威と見るには今ひとつ弱いですな。あの男の狙いがマチルダの全権掌握なら、衆人監視の中で、まして自らの手で殿下を葬れよう筈がありません。ひとたび式典が始まれば、礼拝堂の各扉には騎士が張り付いている。ゴルドーに限らず、刺客にとっては退路を絶たれた舞台となる訳です」
そこで青騎士隊長は言葉を切り、殊更に低めた声で強調した。
「───命を捨てる覚悟でなければ、式典中の襲撃は行い得ない」
ゲオルグは短く瞑目し、弱く息を吐く。
「……どうやら、おまえさんとは意見が合うようだ」
「光栄です」
短く応じて、男は付け加えた。
「最大の問題は、「彼」が既に儀式の概要を把握済だという点です。現在の警備案は副長方が思案を重ねて捻出したもの、知られたからとて、今更大きな変更を加えるのは難しい。と言って、無策という訳にもいかない」
「確かに。何らかの手立てを講じねばならんな」
「そのように考えます」
ゴルドー役の青騎士が立ち上がって剣を納めるのに合わせて、マイクロトフが列席者側へ向き直った。
それから彼は、三人の騎士を従えて右階段から祭壇を降りて中央に向かった。起立した列席者らに見守られて通路を進み、開け放たれた正面扉から第十九代マチルダ皇王として民衆に最初の姿を見せる───以上で、即位儀式の終了である。
正面扉まで辿り着いたところで、マイクロトフは大きく息を吐いて振り返った。騎士三名を軽く犒い、足早にゲオルグらのところまで戻って、成果を仰ぐ少年の面持ちで問うた。
「これが一連の流れですが……何か気付かれる点はありましたか?」
まあな、とゲオルグは微笑んで、立ち上がりながらマイクロトフの肩を叩いた。
「それなりに、といったところだ。これからゆっくりと吟味させて貰う。ときに皇子、つかぬことを聞くが、皇王の葬儀はここで行うのか?」
唐突に縁起の悪い話題を持ち出され、青騎士隊長は困惑げに眉を寄せる。が、マイクロトフは背を正したまま丁寧に答えた。
「はい。葬儀の後、司祭らの手によって城の西にある皇王家の墓へと運ばれます」
ふむ、と考え込んだゲオルグは、ふと思い至ったようにマイクロトフを促した。
「これで終わったのなら、次だ。急ごう」
「少しお待ちいただきたい、マントを置いてきますので」
言うなり、マイクロトフはずんずんと歩き出した。司祭にでも命じて片付けさせれば良いものを、そうしないのは、身の回りの雑事を自身でこなしてきた習慣からだ。権威に甘んじない皇子の背を、ゲオルグは好ましさをもって見送った。
マイクロトフがマカイに呼び掛けながら祭壇脇の扉の向こうに消えるのを待って、彼は青騎士隊長を一瞥した。
「悪いが、待っていてくれ。少し確かめたいことがある」
そのまま祭壇へと進むと、彼は壇上のマカイを手招いた。命じられたように待機していた騎士隊長は、ゲオルグと言葉を交わすうちに司祭長が戸惑ったように瞬くのを見た。やがて戻ってきたゲオルグに小声で問う。
「……皇王葬儀に関して気になる点でも?」
「勘繰りに過ぎんかもしれんが、一応……な」
思案に暮れた表情で短く返した男は、それ以上を口にしようとはしなかった。
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