行軍がゆるゆると速度を落としたとき、既にフリード・Yの意識は白濁していた。
馬上から振り落とされぬよう、手首に手綱を巻き付けよと勧められたのがどの辺りであったかも覚えていない。
遅れまい、足手纏いになるまいと、必死に馬に鞭を入れたものの、騎士として正規の訓練を受けた訳でもない彼が、三騎士団の中でも殊に騎馬技術に秀でる赤騎士団員を追走するのは至難であった。
ましてや、寝食を擲って、これほど休みなく駆け続けるのも初めてだ。まともに意識を保てたのはマチルダを進む間だけ。抜け道では、足場の不確かさから、一行は僅かに減速したが、そのときには周囲が碌に見えていなかった。
赤騎士らが左右に馬を寄せて落馬に備えていてくれたのにも気付かず、襲い来る魔物を退けているのも知らず、ひたすら手綱に縋り付いていた。城で待つ主君を思いながら───あの皇子ならば、こんなことで音を上げたりしない、そう自らを叱咤しながら。
「大丈夫かね、フリード殿?」
遠くに赤騎士団・第一隊長の声がして、続いて彼は、数人がかりで馬から引き下ろされた。地面に足を伸ばすなり、口元に湿った感触が触れる。水だと悟った刹那、フリード・Yは貪るように喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。
ひりひりと焼ける喉が潤うと、やっと人心地がつき、周りに視線を巡らせるだけの余裕が生じた。居並ぶ騎士たちが案じる面持ちで彼を覗き込んでいた。
「こ、ここは何処です?」
老人もどきに掠れた声で問うと、人波をぬって近付いた騎士隊長が傍らに片膝を折って教えた。
「グリンヒル公都の手前だ。残り半時ほどといったところだろうか。ここで一旦、休息を取る」
それを聞いてフリード・Yは、助け起こす騎士の腕から逃れ出ようともがいた。見れば、そこかしこで寛ぎの準備が始まっている。焦燥が口を吐いた。
「あと少しではありませんか。わたくしは大丈夫です、一刻も早く公都へ───」
「そうもいかないのだよ、フリード殿」
穏やかに首を振って騎士隊長は説いた。
「抜け道の出口でもグリンヒル兵に奇異に見られた。これだけの人数が\まって公都入りすれば、必ず注意を引く。逗留する宿にしても、何箇所かに分けねばならぬゆえ、数名が先行して手配するのだ。我らはここでそれを待つ」
よくよく目を凝らせば、ロックアックスを出たときよりも騎士の数が減っている。そんなことにも気付けなかった己の困憊ぶりが情けなく、フリード・Yは項垂れた。
「足手纏いにならないようにと思いましたのに……」
「なっていないとも」
騎士隊長は薄く笑んだ。
「我々は全力で駆けた。こうして共に公都を望もうとしているではないか、君は良くやった」
「隊長の仰せの通りですよ、フリード殿」
彼を支え起こしている騎士も同意した。
「ここまでとは……正直、驚いています。立派だ」
「でも───」
他の赤騎士たちは、簡易とは言え、小憩のための場作りに励むだけの力を残している。片やフリード・Yは、手足が震えて身じろぎもままならないのである。がっくりと肩が落ちた。
「わたくし、まだまだですね。力不足で恥ずかしいです」
すると赤騎士隊長は吹き出した。
「我らはそのように鍛錬を積んでいるのだ。君にそう思って貰えなければ、立つ瀬がないではないか」
遠回しの励ましが、しみじみとフリード・Yの胸に染み渡る。あてがわれた水筒から今いちど水を啜り、礼を述べながら支える騎士を解いて座り直した。
陽の傾き具合から、昼少し前と思われる。丸一日以上も走り続けていた訳だ。馬たちも、それぞれの騎手から水を与えられ、労苦を犒われている。
涼やかな風が心地好い。グリンヒル公国は緑が多いと言われているが、言葉通り、大小様々な木立ちが点在している。赤騎士団員が休息地としたのは、そうしたうちの一つだった。
一同は騎士装束を着けず、思い思いの衣服に包まれている。中には剣を荷袋に入れたままのものもいた。
グリンヒルは学術主流の国家だ。公都ともなれば、異邦からの来訪者は修学関係が大多数と言える。佩刀したものが\まって行動するのは不自然で、だから極力武器を持つ人員を絞って人目を避けようと心掛けているのである。
上官を囲むように集まって、騎士らは束の間の安息に酔った。携帯の食料を出すものもいる。フリード・Yも勧められたが、とても喉を通りそうになかった。
ややあって、一人が幻のように浮かぶ都を見遣りながら警戒を促した。
「隊長、四騎ほどがこちらに向かってきます」
「何?」
表情を引き締めて立ち上がった男が遠眼鏡で示された方を覗く。が、すぐに緊張は緩んだ。
「どこの部隊騎士だったか……、覚えがある。あれは仲間だ」
果たして、一同と同じように騎士服を着ていないが、それは前にエミリアの護衛として公都へ差し向けられた赤騎士だった。
瞬く間に距離を詰めた騎馬は、後発組の目前で停止した。下馬した男たちが真っ先に騎士隊長を見定めて歩み寄った。
「街で第一部隊騎士を見掛けました。こちらと伺い、馳せ参じた次第です」
「御苦労」
軽く犒い、楽にするよう命じる。配下の騎士も腰を上げて遣り取りが聞こえる位置へと移動し始めた。
「ワイズメル暗殺の知らせ、実に迅速な措置だった。我々は昨日早朝ロックアックスを出たが、その時点でもグリンヒルより正式な知らせは入らなかったからな」
すると騎士は硬い面持ちで頷いた。
「でしょうな。いやもう、公都内は混乱して酷いものです。政府は公主の死を病による突然死と発表しましたから」
「何ですって?」
ようよう立ち上がったフリード・Yが、騎士隊長に並ぶなり、声を上摺らせる。
「暗殺されたのを見た民人もいるのでしょう?」
思いがけない同行者に驚いたふうに目を瞠り、だが騎士は丁寧に説いた。
「だから酷いんだ。慌てて箝口令が敷かれたが、この国の民衆はそうした処遇に慣れていない。人の口に戸は立てられず……それでも話が広まるのを恐れて、兵が徹底的に目撃者を締め上げている。既に複数名が捕縛され、連行されたらしい。今や公都の民は恐々として口を噤むようになっている」
「となると、おまえたちが真実を知り得たのは、ますますありがたかった」
騎士隊長が言うと、四人は困惑げに互いを窺い合った。
「しかし、公都まで足を運んだ第一の目的が果たせぬままなのが心苦しく……。我らのつとめの内容は御存知でしょうか?」
「副長からお聞きした」
そうですか、と騎士は微かに肩を落とす。
先の皇王に進呈されたワインの出所を探るつとめ。公主お抱えの酒商人は限られているだろうし、最初は然して労せず付き止められるものと考えられていたのだ。
「命じられた通り、同一銘柄のワインをワイズメル公に納入した商人を探しましたが、さっぱり浮かびません。とある農園で収穫された葡萄、それも一定の基準を満たした場合のみ生産する品らしく、数年に一度……ほぼ限定に近い状態で作られているところまでは分かりました。けれど、それほど稀少な酒なのに、陛下に贈られた時期の納品が見当たらないのです」
「すると、納めたのは酒商人に限らないのかもしれんな」
「はい。昨日より、あらゆる食料関係の商い人に調査の輪を広げたところです。時ばかり要して、副長の御期待に添えず、まことに申し訳なく……」
そう言って、四人は深々と頭を下げる。赤騎士隊長は顔を上げるように命じた。
「実はな、容易く果たせなかったのには理由があるやもしれぬのだ」
「と仰いますと?」
怪訝そうな問い掛けには応えず、男は腕を組んで街の方を睨んだ。
「おまえたちが出会ったわたしの部下だが、宿の手配に回っている。彼らが戻ってきたら話そう、我々に課せられたのは重大なつとめだ。先ずは一息入れるが良い、これからが正念場ゆえ」
四人は無論、それまで何の説明も与えられていなかった配下の騎士たちも、第一部隊長の厳しく強張った顔を見守るしかなかった。
フリード・Yは、何時の間にか眠り込んでいた。
突然はじまった嵐のような戦い。寝台に入っても眠りは浅く、そこへきての強行軍。疲労に耐えかね、いつしか騎士隊長の言葉に甘えるように身体が横になっていた。
短い周期での熟睡と覚醒を繰り返し、やや意識が浮上したとき、聴覚を刺激する一節が響いた。ゆるゆると目を開くと、公都から合流した騎士と第一隊長とが並んで座して言葉を交わしていた。
「───今は殿下の命に従って城を空けているが……どうしてそんなことを気にする?」
少し尖った声で騎士隊長が言う。肝心な部分を聞き洩らしたが、それがカミューを指すのだとフリード・Yには分かった。
騎士が邪気なく返す。
「我々は、彼を知ってすぐに出立してしまいました。ですが思いがけずこちらでカミュー殿について耳にしたので、今はどうしておられるのか、と……」
「何だと?」
フリード・Yも慌てて身を起こした。いざるように彼らの許へ向かう。同じく、聞き止めた数人が、さりげない仕草で近寄ろうとしていた。
「いえ……直に名が出た訳ではないのですが、容貌その他から間違いないと確信しております。我々も、ほんの少し遠目に拝見しただけですが、彼はそうそう違え取る人物とも思えませんから」
照れたように長々と前置いて、騎士は続けた。
「グリンヒル公都には、マチルダ同様、国営の孤児収容施設があります。ですが、ワイズメル公が国主となられてから予算が削られたとかで、かなり厳しい運営状態だったらしいのです。しかし───」
一月弱ほど前、一人の訪問者が施設の扉を叩き、迎えた施設長に「役立ててくれ」と金の包みを差し出した。
施設長は仰天した。何故なら、相手の出した金は目を疑うような大金だったからだ。
街の富民層が時たま寄付を申し出てくれる御陰で、低予算でも何とか長らえてきた施設だが、それは一個人の善意の寄付には多額すぎた。
警戒する施設長に、旅装束の訪問者は微笑んだ。
『盗んだ金でもなければ、奪った金でもない。本来、弱き民のために使われる金が、たまたま手元に転がり込んできただけ。この先、使う途のない金だから置いていく。親もなく、家すらない幼子たちが、人並みに学び、一人立ちしていけるよう役立てて欲しい』
柔らかな、宥めるような声音に施設長は疑念を捨てた。感謝ばかりで満足に言葉も出ず、そのまま踵を返そうとする人物に慌てて追い縋った。
───このような高き御志、何処のどなたか、せめて名をお聞かせください。
そう懇願したが、旅人は曖昧に微笑むだけだった。ただ、施設長の必死の様相を見て、最後に静かに付け加えたのだった。
『親もなく、帰る家もない……この施設に暮らす幼子と同じ境遇に生きるもの。持たざる痛みに子らが負けぬよう、どうか誠心で見守ってやって欲しい』
騎士は短く瞑目して、再び口を開いた。
「風邪を引いた子供には、卵にほんの少し酒を混ぜて与えると良いらしいですね。酒の買い出しに来た施設の御婦人と店でお会いして、何となく世間話になって……。よくよく聞いてみると、その奇特な人物、カミュー殿の容貌そのままなので驚きました」
「傭兵仕事で得た報酬を、そうして分け与えてこられたのでしょうかねえ。身寄りのない子供たちを思う無私の心、感動して目頭が熱くなりましたよ」
別の一人も笑みながら言う。
騎士隊長とフリード・Yは複雑な思いで目を伏せた。
カミューが置いていったのは、おそらくワイズメルから受け取った金だろう。マチルダの皇子を殺すという契約の許に支払われた報酬。
だが、彼にとって皇子暗殺は契約以前の宿志だった。金など必要としていなかった。
これからマチルダに赴き、宰相から護衛に任ぜられようとする身には、あまり大金を持ち歩くのも不自然に思えたのかもしれない。だから、残していこうと考えたのだろう。
その金は、暗殺契約に使われるのではなく、弱き民を護るために使われるべき金だと判断したから。
寄り添い合う孤児たちに、戻るべき村を焼かれた己の姿を垣間見たから───
「カミュー殿、身寄りがなくておられたのですね。帰る家がないなら、このままロックアックスに住まわれれば良いのに」
四人のうちの一人が何気なく言い、周囲の騎士たちも同感だと言わんばかりに頷き合っている。フリード・Yは泣き笑いのように呟いた。
「本当に。きっとそうなりますとも。わたくしは信じております、ええ……」
声を詰まらせた若者に一同は怪訝そうに視線を集める。はぐらかすように騎士隊長が殊更に明るく声を張った。
「剣技・才知は言うに及ばず、心栄えも優れているとあっては、何としても逃がす訳には行かぬ。彼を騎士団に、我が赤騎士団に迎え入れるべく、後々は心を揃えて励もうぞ」
「それはずるいですよ、隊長殿……」
名目上は青騎士団側に属する人間として、フリード・Yが頬を膨らませる。若者の渋い顔を見た騎士たちは一斉に笑み崩れた。
これより明かされる重大事を前にしての、束の間の和やかなひとときであった。
逗留する宿の手配は、なかなか難儀なものだったらしい。元がそこそこ大所帯のため、押さえねばならない宿の数が多いからだ。
先行した騎士たちは、予め公都内に置かれた全宿の位置を詳細に把握して向かったものの、ここで時間を取られるのは覚悟の上だったので、寧ろ騎士隊長は、配下の騎士にどこまで伝えるかに神経を尖らせていた。
だいぶ日が傾いたあたりから、ちらほらと騎士が戻り始めた。
やがて最後の一人が馬を滑り込ませたところで、騎士隊長は一同を整列させた。先行組を代表して小隊長が進み出る。
「遅くなりまして、申し訳ございません。宿の手配、何とか終了致しました」
最後の騎士を待つ間に、宿の位置と振り分けを記しておいた地図を丁寧に差し出す。
「可能な限り公都全体に散るよう心掛けましたが……やはりどうしても偏りが生じてしまいました」
グリンヒル公都では、公主宮殿が街のほぼ中央に位置しており、更に奥まった場所に著名なニューリーフ学院がある。同院の豊富な蔵書や学術員を訪ねて、各国から人が集まってくるからだろう、地図上の宿の印は学院近くに集中していた。
「致し方なかろう。ともあれ、こちらが大人数で乗り込んだのがあからさまでなければ御の字だ。御苦労だったな」
慰労されて、小隊長は力を抜いた。
「隊長の逗留先は、我々が報告に赴く距離等を考慮して、なるだけ中心となるように致しました。こちら……、宮殿に近い宿を押さえてあります」
図面を指し示しての説明に、騎士隊長は頷いた。
「ただ、一室しか空きがありませんでしたので、フリード殿と相部屋となります。どうぞ御了承ください」
え、とフリード・Yが瞬くと、騎士隊長は唇を引き上げる。
「実際の諜報活動には二人一組で動くが、それでは宿の数が膨大になってしまうので、六から八名ほどで一つの宿を取るようにしてある。君は少々事情が異なるゆえ、わたしと一緒の宿にした訳だが……不満かね?」
「いっ、いいえ、とんでもない! わたくしのようなものと御一緒で、隊長殿の方こそ……あのう、何ぞ粗相をしでかしましたらお許しください」
青騎士団の位階者らとは頻繁に顔を合わせるようになり、勝手も掴めるようになってきたが、赤騎士団には未だそこまで気安い心地になれないフリード・Yだ。
しかも、この赤騎士隊長は容貌も厳しく、皮肉屋の青騎士団・第一隊長には感じ始めた親しみ易さといったものがない。冗談を言う人物にも見えないため、「不満か」と笑み掛けられるなり、即座に否定せねばならない焦燥に駆られたのだった。
畏まってペコリと一礼する様を、赤騎士らは苦笑気味に見守っていた。
「フリード殿、そんなに恐縮せずとも……。隊長は、取って食いやしませんよ」
そんな軽い励ましまで飛んだ。声の方向をじろりと睨む騎士隊長の口元が、だが僅かに綻んでいるのを見て、漸くフリード・Yは力の入り過ぎていた己を知った。
さて、と気持ちを切り替えた赤騎士隊長が一同を眺め回す。
「此度のつとめについて、城で説明しなかったのを疑問に思っているものも多いだろう。始めに言っておく。これは、我がマチルダ皇国にとって耐え難き謀略を白日の許に晒すための戦いだ。各人、心して聞くが良い───」
そうして彼は、はるばるグリンヒルまで訪れることとなった経緯を説き始めたのだった。
現皇太子マイクロトフの命を白騎士団長ゴルドーが狙っている。そこまでは、先に公都入りした四人も、第一部隊騎士も理解していた。
けれど、グリンヒル公主アレク・ワイズメルがゴルドーに加担していたと聞くなり、一同は衝撃のあまり騒然とした。
「しかし、隊長! 殿下は公女殿と───」
「そう、結婚なさる筈だった。舅となるワイズメルを誰が疑うだろう。確かな筋の情報だ、間違いない」
ただ、と付け加える。
「テレーズ公女は謀略には何ら関与しておられない。ワイズメルの手駒として嫁がされようとしていただけという見方で間違いなかろう。それもまたお気の毒ではあるが」
シン、と水を打ったように静まり返る輪の中から、一人がおずおずと挙手した。
「あの、隊長……確かカミュー殿は、ワイズメル公の推薦を受けて殿下の護衛に就任されたのでは……」
それを聞いてフリード・Yは飛び上がりそうになった。赤騎士団の情報収集能力は抜きん出ていると聞いていたが、いったい何処から知ったのか、こんな追求は予想外だ。
しかし、騎士隊長は泰然としたものだった。問い掛けた部下を真っ直ぐに見詰め、淀みなく応じる。
「その通りだ。ただ……、殿下の話では、カミュー殿はワイズメルと直接面識がなかったそうだ。とある貴族が実質的な推薦者で、推薦状に箔をつけるためにワイズメルの名を借りただけらしい」
「然様でしたか」
心からほっとした、といった声音。幾分硬くなっていた周囲の表情も一様に和らいだ。カミューがワイズメルの手駒である疑いなど、一瞬でも持ちたくなかったような面持ちであった。
「ワイズメルが死んだ今、殿下を狙う敵はゴルドーのみに絞られた。しかし、この事実を知る中で、更に忌まわしき企みが掘り起こされたのだ」
ひとたび間を置いて、赤騎士隊長は目を伏せる。
「殿下の御父君、先代マチルダ皇王陛下はワイズメルによって毒殺された可能性が高い」
低い宣言は、先の驚きにもまして騎士たちを愕然とさせた。
騎士隊長は要点を絞り込んで説いた。
カミューの剣の師である「二刀要らず」のゲオルグ・プライムが現在ロックアックス城に逗留中であること。奇しくも彼が握っていた情報が、これまで病死と信じられてきた皇王の死に疑いを投げ掛けたこと。
ワイズメルが暗殺されたのは、あるグラスランド部族長を毒殺したがゆえの報復だった。族長と前皇王の死には非常に似通った点があり、更にワイズメルとゴルドーが組んでいた事実からも、同じ手で皇王も抹殺されたと推測される───
「……副長が我らに酒の出所を探るよう命じられたのは、そのためだったのですか」
四人のうちの一人が呆然と呟くが、それには緩やかに否定が為された。
「そこまでは考えておられなかったようだ。確かに、御健勝だった陛下の突然の死を長く不思議に思われていたようだが……今後、殿下を毒殺から御護りするための配慮の一つ程度に考えておいでだった。副長の御深慮がもたらした偶然と言えよう」
「しかし、隊長。ワイズメルがグラスランドの部族長を毒殺したにしろ、それだけで陛下暗殺に結びつけるのは些か強引に思われるのですが」
一人の騎士が深慮の末に洩らした疑問は、一同の総意であった。そこで赤騎士隊長は第二の札を晒すことを余儀なくされた。
「何故、ワイズメルが部族長を殺したか。ゴルドーとワイズメル、二人にグラスランド侵攻の思惑があったためだ」
「ゴルドーが……グラスランドを?」
そう、と重々しく男は頷く。
「陛下が亡くなる以前、ゴルドーは陛下御名の命令書を偽造して、グラスランド侵攻への足掛かりを作ろうとしていた節がある」
「何ですと?」
またしても動揺が走る。騎士らは互いの、驚愕と憤慨の入り乱れた顔を見回し合った。
「この企みは失敗に終わったが、二度目の計画が進みつつあったのだ。有力部族の指導者を排除する。部族が弱体化したところへ、ゴルドーが殿下を暗殺し、マチルダの全権を手にした上で攻め入る───これが城で我々が立てた陰謀の大まかな筋書きだ」
赤騎士隊長は、カミューの村の件については伏せたまま説明を終えた。
さらりと流された「侵攻への足掛かり」こそが、皇子とカミューを相容れぬ境遇に分けたと知るものはいない。騎士隊長と共に、事実を知る数少ない身であるフリード・Yは、改めてゴルドーとワイズメルへの怒りを募らせるのだった。
長い静寂の後、誰かがポツと言った。
「マイクロトフ殿下は……それを?」
「御存知だ。真相解明の先頭に立っておられる」
「御父上が、よりによって友好同盟国の国主に毒殺されたなど……」
「しかも当時、殿下はニューリーフ学院にて学んでおられたのでしたな。御無念、如何ばかりかと……」
また、背後の騎士からも声が上がる。
「それに、グラスランドと言えばカミュー殿の故国ではないか!」
「他国に攻め入らず───古くからのマチルダの信条を違えるとは……あの方に対しても申し訳なき卑劣な野心だ。ゴルドーめ、許せない」
騎士たちの間にふつふつと怒りが沸いてくるのがフリード・Yにも感じられた。彼らはマイクロトフのため、謀略の海に沈んだ先代皇王のため、そしてカミューの故郷のために、我がことのように猛っている。凄まじい決意の奔流が、広々とした草原に立ち昇るようだった。
先発していた四人の代表が厳しい顔で言う。
「ワイズメルが毒物を送ったという証を見つければ良いのですな?」
「そうだ。これまでおまえたちが行っていた調査を、人員を増やし、更に綿密に、幅を広げて行う。どんな些細な取っ掛かりでも良い、見つけたら徹底的に追うのだ。時が経ち過ぎているため困難なのは承知している。だが、やらねばならぬ。マチルダ騎士の誇りに懸けて」
力強い鼓舞に、騎士たちは一斉に礼を取った。先程までとはまるで違う。顔つきが、見えない敵を追い求める狩人のそれと化していた。
潜伏の長かった一人が、思い出したように切り出す。
「ああ……、一つ留意点を。先程もお話ししましたが、公国はワイズメルの死を病死と偽り、噂が広まらぬよう兵を巡回させています。宿から出歩く際には、剣を持ち歩かない方が良いかもしれません。滞在していて分かりましたが、あの街で武人は非常に目立ちます。これよりワイズメル葬儀参列者も入ってくるでしょうし、公国兵はピリピリしている。下手に難癖をつけられては時間の無駄です」
第一部隊騎士たちは、もっともだと言いたげに頷いた。丸腰で迎える万一の危急にも、乗り切るだけの体術鍛錬は積んでいる。唯一、不安そうな顔になったフリード・Yには、赤騎士隊長が小声で囁いた。
「案ずるな、君を無事に殿下の許へ返すのもわたしのつとめだ。先ずは君の案件に付き合うゆえ、終わったらわたしの訪問先に同行してくれたまえ。二人の方が聞き逃しもなく、より正しい情報を殿下にお届け出来ようから」
騎士隊長の訪問先───死んだ細工職人の息子。テレーズを見舞うという責務のため馬を駆ったフリード・Yにも、何としても同席したい思いがある。
彼は、希望を見越して提案してくれた騎士隊長に深々と頭を垂れた。目を細めて笑う男には、もはや畏怖めいた近寄り難さは感じなかった。
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