最後の王・76


共闘に臨む顔ぶれが再び西棟の一室に揃った。
昨日の今頃には、誰がこの混沌を予想しただろう。ハイランドからの独立以来、二百年続いた皇王制を終わらせるという大事は抱えても、それは創世の第一歩、寧ろ希望を交えた心弾む重圧だったのに。
若い赤騎士が駆け込んできた瞬間に、未来を描いた図の一片が崩れ落ちた。マイクロトフには、心の半分を引き千切られたも同じだった。
契約終了後もマチルダに留まるよう懇願し、そのたびに穏やかに拒絶した美貌の傭兵。
分かたれる道を、真に青年が望んでいたなら───そしてそれがより良き人生を彼にもたらすと確信されたなら、失意を殺し、己の存在が彼の枷とならぬよう、再会を祈りながら送り出したかもしれない。
けれど、この離別が互いの意志によるものでないなら別だ。何ものかの手によって捩じ曲げられた運命に、どうしようもなくカミューが従わされているなら別である。
あの感情のない涙を、彼が今でも何処かで流し続けているなら、それを拭い取るために進まねばならない。歪みのすべてを正し、胸を張って彼の横に立つために。

 

「揃いましたな」
最後に入室した青騎士団副長が着席するのを待って、赤騎士団副長が言った。
昨夜は寝台脇に置かれていた長椅子も、今は定位置に戻されている。先々、ここが一同の本拠となると弁えたフリード・Yが、午前のうちに小さな議場風に席を整えておいたのだ。増やされた椅子の一つに深々と座るゲオルグ・プライムが、座の空気を解すように、卓上に置かれた焼き菓子を一欠片、口に放り込んだ。
誰から何を話すか、一同は互いを窺い合う。
昨夜のうちから、ごく自然と進行役を担うようになっていた赤騎士団副長へと同位階者が目を向けた。
「計らずも、政策議会に参席致しました。差し出るつもりはなかったのですが、グランマイヤー様に是非に、と求められまして……不快に思われたら、申し訳ございませぬ」
赤騎士団副長は即座に笑って首を振る。
「とんでもない。議員閣議への同席は、願ってもない展開ですとも」
ゲオルグが首を傾げた。
「……どういう遣り取りだ、これは?」
はあ、と青騎士団副長が説く。
「我がマチルダ騎士団では、白・赤・青の順に序列がさだめられております。議員閣議は、本来騎士の参席は求められておらず、あるとしても白騎士団長というのが通例です」
「つまり、例外中の例外だった訳か」
「はい。しかも、ならば上位序列たる赤騎士団から参席すべきところ、たまたまグランマイヤー様の御傍におりましたものですから……」
ゲオルグは吹き出した。青騎士団副長は、立場上マイクロトフの副官に当たるが、揃いも揃って生真面目で律儀なことだと呆れ混じりに感心したのだ。
「ここに居る人間には、今や上も下もなかろうに」
「ゲオルグ殿の仰せの通りですとも」
同様に苦笑した赤騎士団副長が、目を細めて同位階者を見詰める。
「我らは同じ信念の許に動いているのです。序列など忘れましょう。それより……如何なものでしたか、皇王制廃止に対する議員らの反応は?」
すると漸く表情を綻ばせた男が背を伸ばした。
「それが……少々予想外でした。はじめのうちこそ騒然としなかったとは申しませんが、グランマイヤー様がマイクロトフ様の御意向を説いた後は、大旨すんなりと受け入れられたようで」
「ほう」
ゲオルグは瞬き、ちらとマイクロトフを窺う。
「街は新王への期待で大騒ぎだが……こいつは少々不本意ではないか?」
議員たちの間では軽んじられているのではないか、との揶揄めいた問い掛けにマイクロトフは微笑んだ。
「それだけ彼らに先見の明があり、物事を冷静に判断しているということです」
議員らの反応を己の目で見た騎士が、複雑そうに頷いた。
「先にマイクロトフ様が言われた通り、先代陛下の御在位中から予感されていた事態なのでしょう」
長く世継ぎが誕生しなかったため、王家の断絶という懸念は常に囁かれていた筈だ。マイクロトフが生まれて一時は薄らいだ不安も、完全に消し去れた訳ではない。やむにやまれぬ事情で王の時代が終わるよりは、確固たる意志の許に幕を引いた方が、と議員も考えたのだろう。
「まして、空位の期間が長かったですからな。議員たちの中に、王がなくても国は成り立つという意識があっても不思議はない」
青騎士団・第一隊長が控え目に持論を述べ、賛同するようにマイクロトフも頷いた。
「寧ろ、彼らが重要視するのは皇王制廃止後だろうな」
「それなのですが……」
青騎士団副長は、懐から一枚の紙片を取り出して卓上に広げた。そこには幾つかの名が記されている。
「これは?」
乗り出して見入る同位階者にちらと目を遣り、彼は答えた。
「あなたほど上手くやれたとは思えませんが、わたしなりに注意して議員らを観察しておりました。閣議中、とかくゴルドーの意向を気にしていた議員たちです」
「ゴルドーの───」
「ええ。皇王制廃止案をゴルドーも了承しているのか、何故ゴルドーがこの席に居ないのか……今からでも遅くはないからゴルドーを招くべきではないか、と」
「つまり、議員の中にもゴルドー側の人間がいるということか」
赤騎士団・第一隊長の自問の声に、フリード・Yが仰天した。
「ゴルドー側、って……殿下を亡きものにしようと企む不逞の輩が、ですか?」
それには赤騎士団副長がゆっくりと首を振った。
「そこまではないと思うよ、フリード殿。政策議員は宰相職の管理下にあり、解任権も握られている。いざ事が洩れれば、芋蔓式に己に手が伸びかねない、ゴルドーにとっては危険な駒だ。多少の恩恵を与える見返りに、己に味方するよう手を打っているとしても、殿下の暗殺などという謀事にまでは関わらせられないだろう」
「然様ですな」
赤騎士隊長が同意する。
「良くも悪くも政治家は時勢や気配に聡いものです。今はゴルドーに加担しておいた方が得だと考える議員がいてもおかしくないでしょう」
やれやれ、と青騎士隊長が嘆息した。
「つまりは閣議の流れはゴルドーに筒抜け、議会に奴の代弁者がいるも同然といった状態ですか。で……、如何します?」
誰にともなく投げられた疑問を受け止めたのは赤騎士団副長だ。紙片を自らの手元へ引き寄せ、青騎士団副長、そしてマイクロトフへと目を向けた。
「お任せいただけますでしょうか」
「どうするつもりだ?」
「これ以上、ゴルドーに肩入れ出来ぬ状況を作り出します」
不敵に言い放った後、僅かに頬を緩めた。
「ゴルドーの殿下暗殺を知ると推察される白騎士を抑えるため、カミュー殿が取った策に似ておりますな」
「……出来るのか、そんなことが?」
マイクロトフが目を瞠ると、騎士は穏やかに微笑んだ。彼は末席に座す赤騎士を見遣り、上官の意図を察した若者もまた、慌てて背を正した。
「この者の長兄は議員の一人、しかも在歴が長く、重鎮といった立場にあります。幾度か話したことがありますが、ゴルドーが権を揮う現状を好ましく思っておらず、人間的にも信頼の置ける、日和見主義者の手綱を預けるには最適な人物です」
成程、とゲオルグが頷いた。
「この先、ゴルドーの思惑を閣議に反映させないよう、手を打つのだな」
「はい。ゴルドーの力が議会を左右していることは、彼も薄々気付いておりましょう。実際にどの議員がゴルドー寄りかを前もって伝えておけば、対処もし易いかと」
「……ですね。ゴルドーの顔色を窺うような発言をしたら、「弱みでも握られているのか」くらい言ってやれば良いんです」
それこそ胸がすく、といった面持ちで若い騎士が笑う。青騎士団副長がつられたように破顔した。
「そう言えば……今日の閣議でも言っておられたよ。「政策議会は騎士団とは一線を画した独立組織、いつから白騎士団長の意向なしでは動けぬようになったのか」、と」
「頼もしい人物だな」
マイクロトフが感嘆しながら唸る。
互いに尊重し合うのは大切だが、公正は保たれねばならない。議員たちには、寧ろ「ゴルドーが呼ばれなかった理由」に思い当たって欲しいほどだ。満座の中での発言は、何かとゴルドーに引き摺られる議会の在り方への苦言なのだろう。
「おれやゴルドーが同席する話し合いが開かれたとき、そうした考え方の議員もいるのだと思えば心強い」
それからマイクロトフは赤騎士へと笑み掛けた。
「兄上に宜しく伝えて欲しい。事によると、後の閣議で皇王制廃止後の白騎士団長の権限について沙汰されるかもしれないからな。必要なら、ゴルドーがおれを殺そうと目論んでいると明かしても構わないぞ」
「どのみち退場するゴルドーに多くの権限を与える必要はないですよね。任せてください、ちゃんと「実用的」な方向を目指すように吹き込んでおきますから」
思わぬところで身内が役に立ちそうで嬉しい、そんな明るい、若々しい声が一同の心地を和ませた。
再び青騎士団副長が話し出す。
「以上から、皇王制廃止は一応の賛成を得たと言えましょう。これほど御即位間近になって、という戸惑いは拭えぬものの、新皇王マイクロトフ様の責務を段階的に削減し、最終的に御退位へと繋げるのが最も穏便な流れだと認められているようです」
「まずまず、ですな。ここで揉めては、肝心の案件に向かう時間を取られるところだった」
青騎士隊長が言い、マイクロトフも心から安堵する思いで背凭れに沈んだ。
「まったくだ。やはり、運はこちらに味方しているようだ」
「カミュー殿の不在については如何です?」
この先、午前中に不在だったものへ重苦しい報を伝えねばならない。その前に、比較的手短に済ませられそうなものを、との本能が働いた。フリード・Yが二人の赤騎士に水を向けると、何とも複雑そうな表情が返った。
「首尾良くいったと思う。今頃は青騎士団の方にも、彼が「特務」で城を出たと伝わっているだろう。問題は白騎士団だな、「特務」の部分が落ちるようには仕向けてあるが、どの程度でゴルドーにまで伝わるかが読めない」
「奴がカミュー殿を「己の忠実な手駒」と見るなら、不在を知るのは早そうですな。ゴルドー向けの理由を創作しておいた方が良いかもしれない」
青騎士隊長の言葉に、同位階者は唇を上げた。
「そこは処置済だ。彼が他の村々も見て回りたいと希望したので、案内役に騎士をつけて送り出した───というのが、白騎士団員向けの設定だ」
「……流石に打つ手が早くておられる」
にんまりと笑みながら讃美して、青騎士隊長は腕を組んだ。
「カミュー殿の消失、ワイズメル公の死……ゴルドーが目を回しているうちに、我々は責務をこなしましょう」
「そうだな」
赤騎士団副長が頷く。
そうして、彼が語り、残るものたちが補足していくというかたちで、不在だった三人に向けて午前の遣り取りが繰り返されたのだった。

 

 

 

最初に声を絞ったのは青騎士団副長だった。
「ワイズメル公がゴルドーの協力者……」
「しかも、陛下の死が謀略とは……」
憤慨を通り越して呆然といった口調の赤騎士隊長には、上官が釘を刺した。
「そちらは未だ仮定の域を出ない。これまで得た諸々から描いた、考え得る図式と認識せねばならぬ」
「……とは言っても、非常に座りの良い図式なのは間違いありませんな」
青騎士団副長が深々と考え込みながら呟く。それから思い切ったように顔を上げた。
「マイクロトフ様、例の皇王印偽造の可能性……製作職人をグランマイヤー様にお尋ねしたとき───」
「そう、それだ」
マイクロトフは勢い良く身を乗り出した。言葉を遮ったのに気付いて、すまん、と短く詫びる。
「不思議だと話していたのだ。印を作った職人、知っているならグランマイヤーだと思ったが、こうも即答に近いかたちで末裔の所在を答えられるとは思わなくてな」
それが、と騎士は眉を寄せ、思案しながら返した。
「……はい、それはわたしも感じました。ほんの少し机の引き出しを探られただけで、末裔の名と居所を教えてくださいましたので……。グランマイヤー様は過去に一度、職人の所在を確かめておられたのです」
「どういうことだ?」
情報を整理するようにひとたび考え込み、彼は続けた。
「今現在、執務室にある皇王印……、あれは破損しているらしいのです」
「破損だと?」
「はい。そのため代わる品を作らせようと、グランマイヤー様は職人の末裔に連絡を取ろうとなさっておいでだったのです」
マイクロトフは首を捻った。
「……初耳だ」
───昼間会った職人の妻も、それらしいことは言っていなかったのに。
「居所までは掴んだものの、連絡は取られぬままに終わりました。何故なら……」
青騎士団副長は、真っ直ぐにマイクロトフを見詰めた。
「その矢先に、陛下がお亡くなりになったからです。印章の発注どころではなくなり、そのままうっかり失念してしまっていた……グランマイヤー様は、斯様に仰せでした」
シン、と一同は静まり返った。
またしても嫌な符合だ。点在していた黒い染みが、ゆっくりと一点に集まってくるような。
青騎士隊長がマイクロトフの横顔を窺いながら口を開く。
「我々からも一つ、報告が。この職人、どうやら消された感がありますな」
「何だって? 本当かね?」
一斉に集まる驚愕の瞳に、マイクロトフが強く頷いた。
「教えられた居所を訪ねたのだ。職人は、五年前に物取りに襲われて死んでいる」
「グラスランド侵攻が行われた時期ですな。偽造印を作り、口封じのために殺された……?」
独言気味に呟く赤騎士団副長に、青騎士隊長が言い添えた。
「更に愉快でない符合もありますぞ。職人の事件を担当したのは白騎士で、これがまたあっさりと調査を打ち切ったとか」
一同は驚いたように目を瞠り、次いで苛立たしげに唇を噛む。ゲオルグがむすっと言った。
「成程な。明るくはないが、収穫は収穫だ。どうだ、その担当した騎士は追えそうか?」
「それが……こちらは間の悪いことに、マチルダでは有り触れた名です。どの部隊にも小隊レベルで同名の人間が一人や二人いるため、特定するのは難しい。今なお在籍している保証もない訳ですし」
そちらから辿るのは不可能だ、といった空気が占め、場に微かな落胆が走る。
「陰影から印章を作れるか否か」を確認する筈だったものが、更に焦点をついて「印章を作ったか否か」に達したのに、肝心の人物が失われていた。これは痛手だった。
「……宰相が新しい印を作ろうとしていた時期も気になるな」
ゲオルグがぽつりと言う。
先王の死の直前。これは逆に、偽造の発覚を恐れた敵に先手を打たれたとも考えられる。
製作を依頼しようとした職人は死亡していた。しかも犯人は捕まっていない。家族を訪ねれば、不自然に打ち切られた調査が明らかになる。そこから追求の手が伸びないとも限らない。
座して危険を待つよりは、攻勢の機と考える───謀略者の心理として説明がつく。
「それらしい記録は残っていないのかね? 偽の命令書に使った方の印章を発注した形跡は?」
自団長の言葉に、青騎士隊長は無念げに首を振る。
「残念ながら、そうした書面を残す人物ではなかったようです。が……、もし几帳面な質であっても、依頼した人物が証拠を残さぬよう計らっていたのではないかと思われますな」
そうだな、と赤騎士団副長が息を吐いた。
「だが、それはそれで手掛かりにもなる」
「と言うと?」
瞬いたマイクロトフに瞳を当てて、彼は答えた。
「本当に職人が印を作ったのなら、グランマイヤー様が何も御存知なかったという点が意味を持ちましょう。グランマイヤー様の耳に入らぬところで契約は交わされ、それでも職人は正式の発注と信じた」
「───そうか」
マイクロトフは呆然とした。
「何がしかの確認のためにでも職人が城を訪ねてくれば、まずグランマイヤーに通されるな。そうなっては企みが発覚する。それを防ぐには……」
「はい、殿下。職人が不審に思わぬ程度の立場にある人物が間に挟まれば防げます。無論、これは職人が悪事に加担していると知らなかった場合に限りますが」
「……そうだったと思いたい」
寂しげな寡婦の姿を過らせながらマイクロトフは俯く。彼女のためにも加担していて欲しくないが、しかし利用されて殺されたとなれば、それもまた痛ましい。
「職人は印を作り、口を封じられた……何もかも仮定頼みで心許ないが、やはり単なる偶然とは思えないな。簡単に調べを放棄したというあたりが、特に」
ゲオルグが呟いて、それから一同を眺め回した。
「知らずに利用された場合はさて置き、もし職人が謀略に加担していたなら、それも取っ掛かりにならんか?」
「……と仰いますと?」
「口を封じられぬよう、身を護る何らかの手段を講じていないだろうか」
これには青騎士隊長が首を傾げた。
「どうですかな……細君殿は、それらしいことは何も……」
「他に身内はいないのか?」
「息子殿が一人。職人死亡時にはマチルダにいなかったので、あまり期待は出来かねますが」
ただ、と彼はマイクロトフと視線を合わせた。
「その息子、現在はグリンヒルに居住しているとか」
「グリンヒル───」
一同は、事態の核心たる響きを無意識に復唱する。
長い沈黙の後、背を正したのは赤騎士団副長であった。マイクロトフへと向き直り、深々と一礼した。
「どんなに遅くとも、明日中にはワイズメル公死亡の報が届くでしょう。その前に……グリンヒルへ部下を送るべきかと考えます。お許しいただけましょうか」
「赤騎士団に任せてしまって良いのだろうか」
はい、と騎士は面持ちを硬くした。
「ただ……探ることは多く、それなりの人員を送らねばならないでしょう。素性を隠し、マチルダ騎士と知れぬよう配慮致します」
「ならばその間、赤騎士団の負うつとめを幾つか、青騎士団が引き請けよう」
「しかし、それは……」
浮かんだ躊躇に首を振り、マイクロトフは笑んだ。
「他団のつとめに干渉せず……か? 分かっている。だが今、そんな訓戒は意味を為さない。同じ道を進むもの、我々は一つの輪に連なっているのだから」
「殿下……」
「調整は可能だな?」
振られた青騎士団副長が反射の速さで応じる。
「無論にございます。我が青騎士団、戦なれば果敢に先陣も担いましょう。然れど、情報戦となれば赤騎士団の才には遠く及びませぬ。後方支援に徹するが最善と心得ます」
二人に断言されて感じ入ったように一礼した赤騎士団副長は、表情を引き締めて赤騎士隊長に視線を向けた。
「いけるな?」
「はい、副長」
騎士は胸を張って宣言する。
「あまり人員が多過ぎては、悪目立ちせぬとも限りませぬ。第一部隊、負傷療養中のものを除いた半数ほどを当てれば、充分かと。殿下、グリンヒル入りする前に陛下暗殺の可能性を示唆することをお許しください。さすれば、部下の士気もいっそう高まりますゆえ」
「任せる。ただ、その、グラスランド侵攻の部分は───」
口篭った皇子を温かな眼差しで見詰めつつ、騎士は頷いた。
「心得ております。部下たちに、陰謀とカミュー殿との接点を匂わせるような愚は犯しませぬ。彼を失い難く思うのは同じです、戻る場所は守りましょうぞ」
迫り上がる感謝を噛み締めて、マイクロトフは一度だけ頭を下げた。
一方、若い赤騎士が困惑げに瞬いている。
「あのう……、隊長、おれはどうすれば?」
政策議員の兄に一石を投じよと命じられたばかりである。騎士隊長は、あ、と顔をしかめた。
「おまえは居残りだ。もしものときの連絡係が要る」
「……はあ」
使いっ走りか、との心の声が聞こえそうな顔つきに、ゲオルグが笑い出した。
「事情を知る人員は限られているからな。これから何がどう動くか分からないんだ、貴重な戦力を悪戯に分散することもあるまい」
「ゲオルグ殿の仰る通りだ。留守を頼むぞ、わたしの分まで殿下に御仕えするのだ」
発奮を促すため、やや言い方を改めた上官の言葉に若者は易々と乗せられた。
「最善を尽くします、隊長」
彼らの遣り取りを無言で見守っていた赤騎士団副長が、ふと、これまでになく硬い表情で切り出す。
「それと今ひとつ……事によってはグラスランドに足を伸ばす必要が生じるやもしれませぬ。それにつきましても、許可を賜れましょうか」
「カラヤ、……か?」
ゲオルグに問われて、彼は小さく首肯した。
「陛下とカラヤ族長、ワイズメルが双方の死に関わっていたなら、何らかの共通項がありそうなものです。グリンヒルでの調査で道筋が立たなければ、最悪、カラヤの情報を借りねばなりませぬ」
「だが、危険ではないか?」
マイクロトフが苦しげに言う。
「彼らはカミューに手を貸したのだぞ。マチルダをグラスランド領の敵と見做したからではないか、そんな彼らに正面から当たっては……」
「危険は覚悟の上です、殿下」
赤騎士隊長はきっぱりと一蹴した。揺るぎない意志の力が彼を支えているようだった。
「けれど、真のマチルダはグラスランドに対して二心などないのだと、説いて理解して貰うほかありません」
「無論、現実問題として可能かどうかも分かりませぬ。カラヤの村を訪れるには時も切迫しておりますから。ただ、万一のときの手段として含み置きいただきたいのです」
赤騎士団副長が後を引き取り、頭を垂れた。
───他国に騎士を派遣するには皇王の裁可を要する。忠実に訓戒を守ってきたものとして、それは外せない確認なのだ。マイクロトフを全騎士団員を統治する王に等しい存在と認めて、許可を求めているのだった。
マイクロトフは息をつき、赤騎士隊長を凝視しながら言った。
「分かった。だが、どうか……そのときには、充分に気を付けてくれ」
「それで命を落とされでもしたら、我が団長には大打撃ですぞ」
ぼそりと付け加えた青騎士隊長を、赤騎士隊長は不快半分、苦笑半分といった面持ちで一瞥する。
「厭味な励まし方だな。幸運くらい祈って欲しいのだが」
「祈る必要もないでしょう、無事に果たされるとの確信がありますから」
堪らずといった様子で吹き出す騎士。他の面々も同様だ。そんな中、ひとり深刻な顔を通していたフリード・Yが、不意に、ひどく思い詰めた様子でマイクロトフへと向き直った。
「殿下……暫し御傍を辞すのを許していただけませんか」
「フリード?」
「赤騎士の皆様と共に、グリンヒルに赴きたいと思います」
唐突な発言は一同を驚かせ、戸惑わせた。何事にも皇子第一、これまで命じられても容易く離れようとはしなかった若者の申し出とは思えなかったからだ。
フリード・Yは切々と語り始めた。
「その……、確か赤騎士殿からの知らせでは、公がカラヤの民に襲われたとき、テレーズ様は……お気の毒ながら、その一部始終を御覧になっていた、と……。さぞ傷ついておられると思います。ですから、せめて殿下の名代として、テレーズ様をお見舞い申し上げたいのです」
「フリード……」
マイクロトフは胸を締め付けられるような思いで頷いた。
あの聡明で優しい乙女が、父親の殺される瞬間を目の当たりにした。一個人としては、飛んでいって、慰めの──たいして役に立たないとしても──言葉を掛けたかった。
それを思い出させてくれた従者の気遣いは、余る思案に翻弄されるマイクロトフを感激させた。彼は即座に一同を見回した。
「どうだろう。おれも、そうして欲しいと思うのだが」
戦力云々が沙汰されたばかりだ。量るように窺った騎士たちの顔は、だが誠実に溢れていた。
「異論はございませぬ。ただ……、公が没したと知らせが入る前にフリード殿がマイクロトフ様の傍から消えるというのは、やや周囲の目を引くやもしれませぬな」
青騎士団副長が言えば、同騎士隊長が首を捻る。
「いずれ正式な葬儀参列者がグリンヒルに赴くのだし、行くならそちらに同行した方が自然ではないかね?」
するとフリード・Yは椅子の上で飛び上がった。
「とんでもない! グランマイヤー様が出席なさるなら良いけれど、ゴルドーの可能性があるのでしょう? わたくし、耐えられません」
「ああ……、それがあったか」
視線を泳がせて呟き、それから青騎士隊長は苦笑った。
「侍従殿、正直すぎるぞ。そんなところまで団長を見習わずとも良かろうに」
はあ、と頭を掻く若者に目を細めていた赤騎士団副長が、念を押すようにゆっくりと言う。
「周囲の目を引いたら引いたで、カミュー殿と同様に、適当な留守理由をこじつけよう。では、フリード殿。出立は明朝未明とする。もしグリンヒルより正式な使者が着いた場合、出立を繰り上げることもあるから、そのつもりでいて欲しい」
「は、はい。分かりました」
「君も何かと疲れているだろうが……大丈夫かね?」
同行する騎士隊長の案じる瞳には、フリード・Yも真っ直ぐに答えた。
「皆様の足手纏いにならぬよう、全力でつとめます」
「おまえも騎士らしくなってきたな、フリード」
軽く揶揄したマイクロトフの胸は熱かった。
様々な困難を抱えていても、誰一人として挫けるものはない。個々が己に出来ることを精一杯に果たそうとする姿勢、それが未来のマチルダを支える力なのだと痛感する。
「実に見事だ。これぞ、命を預けられる仲間、戦い甲斐のある戦場だな」
ひっそりとしたゲオルグの賛辞。一同も、心からそう思った。

 

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皆でごにょごにょ調査するあたりは、
ホントはさらりと流してしまいたい……。
けど、ここでの流し書きは
広げた風呂敷に穴を開けるようなものだから、
もう、行くところまで行くしかないッスね(遠い目)
早く青と赤の愛(ぷっ)の行方に漕ぎ着けたい〜。

 

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