最後の王・7


「……皇子様だったとはね」
皇国宰相が退出した後、薄めの唇が独言気味に呟いた。それから彼は顔を上げ、マイクロトフと視線を合わせる。
「それで? わたしは如何様な咎めを受けるのでしょう?」
「咎め、だと?」
これまでと何ら変わらぬ笑顔でありながら、声音には挑発的な響きが潜んでいた。カミューはフリード・Yをちらと見遣る。
「従者殿が喚き立てていたのも道理です、とんだ無礼をはたらいていたのですから。どうすれば宜しいのでしょう? 足元に這ってお詫び致しましょうか」
そこでフリード・Yが憮然と呻いた。
「……あなた、反省なんて少しもしていないでしょう」
「ええ、まあ」
カミューは鼻先で笑った。
「間違ったことを口にしたつもりはありませんが。けれど、それが通らない相手がいるのも事実です。こうして使用人になった以上、わたしには罰せられる理由が生じたと言えましょう」
「カミュー……カミュー」
マイクロトフは辟易としたように嘆息し、相手の端正な面差しを見詰めた。
「もう止めろ、グランマイヤーはいない。おれの前では、その妙に遜った態度は止めてくれ。喋り方もごく普通に……そう、最初に会ったときのような砕けた口調が望ましい」
「殿下!」
従者が本日何度目になるか分からない裏声を上げたが、片やカミューは虚を衝かれて首を傾げている。だからマイクロトフは辛抱強く続けねばならなかった。
「この先、周囲の者たちにはおまえのことを学友とでも紹介するつもりでいる。おれのことは名前か、さっきのように「おまえ」とでも呼んでくれ。敬語も使うな。友人なら、その方が自然だろう?」
「……友人?」
琥珀が幼げに瞬く。量るように皇子に見入り、それから仄かに口元を歪めた。
「つまりは、従者殿の御不快を煽るような態度と物言いで過ごせと仰せですか?」
そこで隣を見遣れば、成程、若者は今にも卒倒しそうなほど真っ赤に顔を染め、怒気のあまりか、抱いた木箱をカタカタと言わせている。この二人が歩み寄ってくれないと胃が軋みそうだ───マイクロトフは嘆息した。
「……御命令なら、従いましょう」
くす、と小さく笑みを零しながらカミューは肩を竦めた。
途端に、折り目正しく腰掛けていた姿勢を崩し、ふわりと背凭れに腕を伸ばす。緊張を解いた四肢はこの上もなく優雅で、そのまま王族と言っても違和感がないほどだ。
「それで? 学友説は良いけれどね、ロックアックスの外で学んだことがあるのかい?」
フリード・Yがぷるぷると戦慄く。順応が早過ぎる、などと幽鬼のように小声で唸っているが、マイクロトフは構わずに答えた。
「十三歳の時、半年だけグリンヒルのニューリーフ学院に居た」
「一人で?」
「フリードが一緒だった。だが、他にマチルダの人間はいなかったと思う。その頃におまえと知り合ったことにしても不自然はないだろう」
「……四年も前、半年だけ親しかった学友が、即位前に突然現れるのは十分不自然だと思うけれど」
やれやれ、と首を振って彼は髪を掻き上げた。剣を扱うにしては細く白い指先を、薄茶の髪がさらりと滑り抜ける。午後の暮れ行く日差しが注し込める室内では、それは黄金の輝きを放っていた。
「だいたい、何だってまた半年なんだ? 遊学と言ったら、もう少し腰を据えて臨むものじゃないのか?」
それにはフリード・Yが俯き、押し殺すように応じた。
「御父君が亡くなられて……殿下は学問を切り上げて国に戻られたんですよ」
その短い説明は言葉にならぬ様々を秘めていた。
前皇王の死はマイクロトフの幼年期の終焉でもあった。
己の立場に何の疑問も抱かず、ただ無心に、伸びやかに過ごしていた日々。
急使の到来を受け、駆け戻った故郷は既に喪の色に染まり、強く頼もしかった父は冷えた骸と化していて、久々に会った息子に笑み掛けることもなかった。
皇王は突然の病で、知らせを走らせるいとまもなく死に至ったのだと侍医は言った。どんなに急いだところで、死に目には遭えなかっただろう、とも。
けれど長い間、マイクロトフの胸は自責に苛まれた。学問に名高いグリンヒル公国への遊学は王族の常であったけれど、父が死に瀕していた瞬間に、将来役立つかも分からぬ古文書の解読に首を捻り、あるいは学院の仲間たちと談笑し、そうして呑気に過ごしていた自身への耐え難い憤りがあったのだ。
直後から始まったゴルドーの王家に対する蔑ろを思えば、父王の存命中にも予兆はあったかもしれない。もし傍に居たなら、聡明な父から何らかの警告が与えられ、心の備えも叶ったかもしれないのに。
一つを思い起こせば、それはすべての痛みに繋がる。表情を硬くした皇子をカミューは無言で見守っていたが、暫くしてポツリと言った。
「……得意な学科は?」
「え?」
「学友なら、それくらい知っておかないと変だろう?」
巧みに思案の矛先を摺り変えられたのに気付かぬまま、マイクロトフは腕を組む。
「グリンヒルではあまり一般的な学問ではないのだが……戦術起案が好きだった。それから、用兵学も」
「……物騒な皇子様だ」
青年の苦笑を見て、もう一つ得意としていたものは言えなくなった。人体学───どこを狙えば致命傷となるのか、殺さずに戦闘力だけを奪えるのか。騎士には不可欠の知識だが、皇子には少々不似合いだ。
「まあ、いいさ。マチルダの皇太子殿下は幼少より物騒な学問に興味がおありだった、と口を合わせておくとしよう。ただ、一つ問題がある。わたしはグリンヒルの街を良く知らないんだ。そのあたりは、そちらで気遣ってくれるとありがたいな」
フリード・Yは怪訝そうに眉を寄せた。
「グリンヒルの御出身ではないのですか? ワイズメル公主様の御推薦と聞きましたが?」
今度はカミューが困ったように首を傾げる。
「直接知っているのは公主の家臣かな。領内で狐狩り中、魔物に襲われているところへ行き合わせたんだ。成り行きで助けて、持て成されて……で、マチルダで良い仕事があると紹介されたのさ」
「公主様とは面識がない? それじゃ、推薦状は……?」
声音の疑念を感じ取ったカミューは不快そうに顔をしかめた。
「その方が箔が付くとでも考えて、家臣殿が計らってくれたんじゃないか? わたしは別に出自を騙ってはいないよ、身上書にもちゃんとグラスランド出と書いてある」
理路整然と説かれた事実はフリード・Yに新たな衝撃をもたらした。暫し呆気に取られ、彼は切れ切れに呟いた。
「グラスランド……グラスランドですって?」
そして終には立ち上がって叫ぶ。
「あの、他国への襲撃や略奪が横行する野蛮な地の出身ですって!?」
「……フリード」
マイクロトフが低く窘めたが、ここに至るまでの憤懣もあってか、従者は止まらなかった。
「グラスランドでは傭兵稼業が数少ない生業と聞いてます、金で正義を左右するような蛮族に信用など置けません! グランマイヤー様が身上書を読み違えられたのです、そうに決まって───」
「やめないか、フリード・ヤマモト!」
それは命じることに慣れた者の厳しき一閃。
打たれたように竦む従者を、マイクロトフは睨み据えながら言い募った。
「おまえとて、祖を辿れば東南ラダトの出ではないか。マチルダは常に移民を歓迎してきたのだ。これからも、人を出自で量るような国であってはならない。おまえにはそうした心を持って欲しくないし、そんな物言いをするのも聞きたくない。でなければ、もうおまえを傍には置けない」
「で、殿下……」
叱責の中身よりも、退けられるかもしれないといった恐れの方が大きかった。フリード・Yには皇子の傍にいる人生が当たり前で、それ以外の道など考えたこともなかったのだ。
皇子が、この新しい側仕えを重んじているのは、物珍しさからだとばかり思っていた。城の誰からも与えられぬ馴れ馴れしさが新鮮で、気に入ったのだろう、と。
それがフリード・Yの小さな嫉妬を煽り、最初から感じていた不安も相俟って爆発してしまった訳だが、よもやこれほどの怒りを蒙るとは意想外であった。
険しい顔で睨みを利かせる皇子と、蒼白になって震える従者とを交互に見遣ったカミューが、ふうと息を吐く。
「……そこまでだよ、皇子様。従者殿がひっくり返りそうじゃないか」
「カミュー」
黒い双眸が今度はカミューに真っ直ぐに注ぐ。
「おまえの故国が侮辱されたのだぞ」
「別に……本当のことじゃないか。彼のグラスランド認識は大まかには間違っていないよ。多くの民が武力で糧を得ているのは事実だ。隊商を襲うものもあれば、わたしのように武力を売るものもいる。その行動を蛮族と謗られようが、事実だから痛くも痒くもないさ」
ただ、と彼は寛いだ姿勢を僅かに正した。
「グラスランドでは部族内の結束は固く、たとえ血の繋がりがなくても、親族間における謀殺などは考えるだけでも死に値する大罪だ。実に野蛮きわまりないね」
そのような卑劣と隣り合わせている人間から蛮族と非難されるいわれはない───カミューの苦言はもっともで、フリード・Yは項垂れるしかなかった。
「だが、まあ……それくらいで「傍に置けない」は言い過ぎだよ。長年おまえに忠義一途だったんだろう? それだけ案じているんじゃないか、そういう家臣は大切にすべきだ」
マイクロトフも驚いたが、フリード・Yはそれ以上だった。これだけ雑言を吐いた身が庇われるとは思ってもみなかったのだ。
「カミュー……殿」
初めて見る相手のように、そろそろと呼び掛ける。返ったのは穏やかな笑顔、フリード・Yの中に膨れ上がっていた負の感情を払拭するに足る、静かな眼差しであった。
「わたくしに……腹を立てていらっしゃらないのですか?」
「何故?」
「往来で……また、これまで、たいそう不愉快に思われるだろう態度で接してきてしまいましたのに」
ああ、と彼は苦笑する。
「無礼をはたらく人間は叱責する、それが王族に仕える者のつとめなのだろう? わたしには良く分からないけれど」
あっさりと、だが柔らかに往なされたフリード・Yの胸には、逆に恥じ入る心地が込み上げていた。自身でも気付かぬうちに、皇子の威を我がものとして振舞っていたらしいと思い知ったのだ。
どれほど皇子大事が根底にあったとしても、それが他者を下に見て良い道理になろう筈もない。
「申し訳ありません……無礼だったのはわたくしの方です、カミュー殿」
彼は悔恨と失意のあまり、眼鏡の奥の瞳を潤ませた。
「許していただけるとは思いませんが、心からお詫び致します」
「……堅苦しい男だね」
真面目な口調で洩らし、次にカミューは微笑んだ。
「御主人様と良い勝負だな。これからは仕事仲間だ、親しくして貰えると嬉しいよ」
「───そうしてくれると、おれも嬉しい」
小声でマイクロトフも本音を呟く。
許しが与えられたのを知った従者は、顔を輝かせながら、おずおずとカミューに手を差し出した。その表情からは、抱いていた筈の反感が綺麗に消え失せている。
やれやれとマイクロトフは胸を撫で下ろした。
どうやら側近対立は避けられたようだ。この先、間近でいがみ合われては堪らない。この和解は実に歓迎すべきものである。
主君のこれまでにない厳しい叱責が堪えたのも確かだが、フリード・Yは素直な気質の人間なのだ。悄然としたところへ優しい言葉を掛けられては、嫌悪を抱き続けるのも難しかろう。
マチルダの王位継承者は、日頃から教え諭されているように、対峙した相手の印象をしっかりと脳裏に刻み止めた。
───この新しい側仕えの青年は、人の懐柔に殊更巧みであるらしい。

 

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ヤマモト君、あっさり陥落。
パラレルでも赤の男殺しパワー(←違う)は不変。
にしても。
何だかんだと気配りの青。
アンタ誰、って感じですな〜我が家では。

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