最後の王・68


長かった一日が終わろうかという頃、東棟の居室に面々が戻ってきた。いずれも疲れ切った面持ちである。追跡は果たし得なかったのだ。
騒動が広がるのを恐れ、居室前面の庭に人を入れぬよう手を打ってあったのが、結局は裏目に出た。通常であっても歩哨の数が十分とは言えぬ区画ではあるけれど、カミューが窓から飛んだ直後に、せめて一人か二人でも応援に馳せ参じる騎士があれば、何とか取り押さえる機もあったかもしれないのに。
騎士らの痛恨は、部屋にて迎えた皇子の堅い表情を見て広がるばかりだ。最も肩を落として小さくなっているのは、自部隊長と共に庭影に待機していた若い赤騎士である。
彼は、部屋の窓を望む右手に潜んでいた。窓の左、中央棟へと続く側に陣取った第一隊長と、窓を挟んで対面する位置に居たのだ。
これは、中央棟付近側の方が人の出入りが頻繁なため、騎士隊長職の威光を使って接近者を退けるためだった。また、万一のときには左右からカミューを挟み込めるという思惑もあった。
敏捷に飛び降りてきた青年は、迷わず若者の方へ向かってきた。自らの背後に古い通用門があったのを思い出した若者は、即座に相手の意図する逃亡経路を悟った。
青年の後ろを騎士隊長が追って来ているのが見えた。ほんの少しでも足止め出来れば、上官が追い付いてくれる。二人とも回復魔法札を持っているのだから、斬られても、燃やされても、死ななければ何とかなる───覚悟を胸に、剣を抜こうとした。
しかし、間合いに入る直前に、カミューは紋章を発動させた。若者の身を包むでもない、ごく小規模の、それでいて眩しく輝く真紅の炎。朧な月明かりと建物の窓から洩れる僅かな光に慣れていた瞳は、炸裂した炎によって幻惑された。その隙に、カミューは脇を摺り抜けてしまったのである。
すぐに気を取り直して、隣に並んだ自部隊長と一緒に追ったが、追跡を再開して程無く、カミューは通用門へと辿り着いてしまった。
番を負っている筈の白騎士団員はまたしても不在で、施錠を解くのに手古摺る様子もなかった。するりと門を開けて脱する様を見て、騎士たちは呆然とした。張り番の怠慢、無防備な鍵、すべてカミューの計算の範疇だったと悟ったからだ。
無論、二人は躊躇なく門の外へ飛び出した。鬱蒼と生い茂る草の中、遠ざかり行く人影に何としても追い付こうとした。だが、ここでも予想外の落とし穴が待っていた。
草を踏み締める若者の足が突如として宙に浮いた。足場を失い、掠れた悲鳴を上げながら落下する部下を、これまた驚愕した騎士隊長が慌てて支え止めた。高い丈の草に覆われて見えなかったが、そこは小さな崖状に地面が削れていたのだ。
それほど大きな段差があった訳ではない。けれど、足場が不案内で、月明かりだけが頼りとあっては、慎重にならざるを得ない。自然、追う足は全速とは行かなくなり、終にはカミューを見失ってしまったのだった。
一方、少し遅れて棟を出た青騎士隊長は、正面門へと駆けた。青年が通用門から外へ出たとしても、最終的に街へと向かう道筋は、正門からの一本路に通じているからだ。
赤騎士たちが背後から追い立てるなら、カミューは追跡を撒こうと試みるだろう。その間に先回りして、街中に入る手前で抑えられれば───それが男の目算だった。
だが、これも叶わなかった。
城から礼拝堂を経て住宅区が始まるまでの路は、夜間はあまり人通りもないため、街灯も然程多くはない。闇に紛れてしまったのか、結局カミューの姿は発見出来なかった。
やがて街の入り口で、息を切らす赤騎士らと合流したとき、彼は追跡の失敗を認めたのだった。
最後に部屋を出た副長たちは、廊下を行くうち出会った自団騎士に手当たり次第に声を掛けた。状況を伏せたまま、カミューの捜索を命じたのだ。
「火急の案件で是非にも意見を求めたいが、城内に見当たらぬようだ。城下まで捜しに出向くので、助力するように」───そんな苦しい命令に、だが騎士らは嬉々として従った。
総勢三十名ほどを引き連れて正門からの道を進んだ副長らであったが、戻ってきた騎士隊長たちを見て、既にカミューが街中への潜伏を果たしてしまったと知り、それ以上の追尾を諦めた。住宅区に入る前ならいざ知らず、入った後の捜索には人員的にとても足りないと考えたからである。
無駄足を踏ませた部下たちには、「こう大袈裟にしては疎まれそうだ、やはり城で待つとしよう」と、自身らでも頭の痛くなるような理由を捻り出して解散させ、揃って皇子の待つ部屋へと戻ってきたのだった。

 

 

 

「すみません、おれが何とか足止め出来ていれば……」
それぞれ事情を述べ合った後、若い騎士がしょんぼりと言えば、
「仕事熱心な通用門番担当には、是非とも礼をしたいものだ。居たところで役に立ったとも思えないが、転がった石くらいの障害物にはなっただろうに」
厭味たらたらに青騎士隊長が続ける。
「あの通用門の鍵……壊れていたんですね。わたくし、全然気付きませんでした」
フリード・Yが項垂れ、
「鍵が掛からぬことも、外の足場が悪いことも、予め検分していたのかもしれない」
重苦しい調子で呟きながら赤騎士隊長が腕を組む。その上官もまた、低くぼやいた。
「ここへ来ての城外脱出は予期していなかった」
青騎士団副長が嘆息しつつ頷く。
「逃げるなら目的が知れた時点で、としか思いませんでしたな。緻密なのか大胆なのか、無謀な賭けだったのか。それすら判断に迷います」
「いずれにしろ、彼のような相手に後手に回っては不利としか言いようがない。どうしたものでしょうかな」
戻るなり、部屋の真中で頭を突き合わせて討論し始め、息を吐いては首を振る男たち。寝台に腰を下ろして見守っていたマイクロトフが、初めて口を開いた。
「疲れただろう、座ってはどうだ?」
一同は虚を衝かれて皇子へと向き直る。相変わらず面差しは陰っているが、今のマイクロトフには不可思議な落ち着きが漂い、それが彼らを当惑させた。
暫し互いを窺い合った後、代表するように赤騎士団副長が進み出た。
「随行には及ばずとの御意向に反した上に、事態を混迷させてしまいました。お詫びのしようもございませぬ」
混迷、と口中で復唱し、マイクロトフは仄かに笑んだ。
「……そうでもない。踏み込んで来てくれたのには感謝している」
「は?」
「おれが甘かった。説得出来ると思い込んでいたのだ」
静かな笑顔が、逆に深い苦悩を思わせ、一同の胸を裂く。
「剣を抜いて向かってこられても……おそらくおれには何も出来なかった。だから感謝している、この通りだ」
深々と頭を下げるマイクロトフに困惑し、つらそうに首を振る一同だ。マイクロトフは不意に顔を上げ、大きく一つ息を吐いた。続いて現れたのは、それまでの堅さとは幾許か異なる、厳しい決意の表情だった。
「だが……まだ終わりではない」
「マイクロトフ殿下?」
「カミューは「次に会うとき」と言っていた。次があるのだ。まだ完全に道が絶たれた訳ではない。おれは諦めない、絶対に」

 

その執着は、もはや恋情などといった甘く優しい感情を越えていた。
カミューの喪失は、己の魂半分をもぎ取られるに等しい。彼無くして未来は有り得ないのだ。
自らに流れる血をカミューが厭うなら、余さず絞ってやりたいとさえマイクロトフは思う。
だが、本当に彼は復讐の果てに安楽を得られるのか。感情の揺らぎも見せずに流した涙、あれこそがカミューの心ではないのか。
だから諦めない。絶対に諦められない。何としても取り戻さねばならないのだ。

 

「父上の汚名を晴らし、戻ってきて貰わねばならない。そのためには、過ぎたことを反芻する余裕はなさそうだ」
「殿下……」
フリード・Yがぱっと顔を輝かせた。
「その意気です、殿下! このフリード・ヤマモト、命を懸けて御手伝いさせていただきます!」
目映いあまりの皇子の決意に、ふむ、と男たちは首を傾げた。この先の話は長くなりそうだと踏み、誰からともなく動き出して長椅子を寝台へと運ぶ。
二本の椅子を、皇子の前に向き合うように並べ、所属ごとに分かれて腰を下ろした。フリード・Yもまた、空いた青騎士隊長の横に躊躇いがちに座り込んだ。
即席の討議場が設えられるや否や、一同は皇子に一礼した。
「同じ心にございます、マイクロトフ様。何としても縺れた糸を解く手立てを探しましょうぞ」
励ますように青騎士団副長が言い、その向かいで考え込んでいた赤騎士団副長がフリード・Yを一瞥した。
「何か書くものはあるかね? 問題を整理しながら論じ合った方が良さそうだ」
「は、はい。お待ちを」
若い従者は急いで控えの間に飛び込み、部屋替え以来置き去りにされたままだった筆記用具を片手に戻ってきた。
ありがとう、と軽く謝辞を述べて赤騎士団副長は膝上に紙を広げる。隣の騎士隊長に持たせたインク壷に羽筆の先を浸し、ゆっくりと切り出した。
「先ずは、カミュー殿の素性だ。ワイズメル公からの推薦を受けて、護衛として殿下の御傍に付いた。もともとこれは、グランマイヤー宰相からワイズメル公に護衛となる人物の推挙が求められていたため……で、良かったかね?」
問われたフリード・Yは、申し訳なさそうに頷いた。
「はい。騎士の皆様に任じられるべきところではあったのでしょうが、何処にゴルドーの手のものが潜んでいるか分からず、やむを得ず外部より護衛を、と……」
騎士を信じ切れずに外へと助力を求めた宰相。だが、その判断に非を覚えるものは無い。当時の彼とすれば、当然の心情だっただろう。現在、宰相から寄せられる信頼を知る騎士たちは、その点について意見しようとはしなかった。
「カミュー殿はワイズメル公と直接の面識はなかったと言っているが……これは如何なものでしょうな」
赤騎士隊長が首を捻り、一同も思案する。
「貴族の何某かを助けて目に止まったと言うが、それを信じるなら、何某とやらはワイズメル公がマチルダに送る人物を探しているのを知っていたことになる」
「そうした人物の選出を命じられていたとも考えられますな」
「だが、彼はゴルドーに雇われた刺客であるとも語った。そうだな?」
確認された若い騎士は、上位階者と同じ椅子を温め、居心地悪そうに隅に寄っていたが、すかさず大きく首肯した。
「そうです。会話を最初から聴いた訳じゃありませんが、間違いありません。あの人、ゴルドーは自分を信用し切っている、って言ってましたから」
皇子はもっと信じている───あのとき続いた言葉を思い出した若者は、皇子と目線を合わせぬよう、俯かずにはいられなかった。
「如何にゴルドーとて、護衛としてマチルダに来たカミュー殿を、斯様な短期間に雇い直すことは出来まい。やはり、最初から刺客として潜入したのだろうな。これはゴルドーとグリンヒル内の何者かが癒着していなければ難しい。そう見るのが妥当だな」
先刻、青騎士隊長が描いた図式を指示して、赤騎士団副長は考え込む。
「しかし、関係を暴くのは困難だ。推薦状はワイズメル公の御名、当のカミュー殿が消えた今、「間に立った貴族とは誰か」と公に直接質さぬ限り、人物は見えぬ」
「……貴族など存在せず、結託しているのがワイズメル公御本人の可能性も皆無ではありませんからな」
青騎士隊長が補足すると、一同にどんよりと徒労感が忍び寄った。気を取り直したふうに切り出したのはマイクロトフだ。
「今となっては、ゴルドーの陰謀を暴くよりも、おれが即位した方が早そうな気がする。白騎士団長職を解任した後、詮議に掛ければ、グリンヒル内の協力者も知れるだろう」
あっけらかんと言って退けた皇子に苦笑して、青騎士団副長が言った。
「それはまあ……。然様ですな、ここで止まっても致し方ありません。先に進みましょう」
同位階者に笑みながら促された赤騎士は、紙面に書き連ねた事実関係の横に「保留」の文字を添えた。
「さて、カミュー殿の消失だが……部下たちに何と説いたものか。いや、それ以前にグランマイヤー様には事情を明かすべきであろうか?」
意見を求めた視線に、真っ先に応じたのは同団の第一隊長である。
「伏せた方が宜しいかと思われます。ただでさえ皇王制の廃止という重大事に対処なさろうというときに、斯様な懸念を増されるのは……」
「わたくしも、出来ればそうしていただけたらと思います。御自ら手配した護衛が、実はゴルドーに握られていたなど、どれほど御自分を責められるか……」
フリード・Yが切々と続ける。他の男たちもまったく同意見であった。
「部下たちに明かすのも賛同致しかねますな。ゴルドーの刺客だったこと、別なる目的があったこと、どちらにしても衝撃は免れない。彼への親愛が大きい分、立ち直りは容易ではないでしょう」
淡々と青騎士隊長が意を述べる。間を置かず、賛同の輪が広がっていった。
事情を知る人間が少ないほど、動くのは難しくなると誰もが理解している。それを考慮した上で事実を伏せるのは先々を考えてのことである。
総勢の心は一つなのだ。
行き違いが正される日───マイクロトフが望むように、再びカミューが戻ってくる日のために内密は極力守られるべきである、と。
「白騎士団・第二隊長の件はどうすれば良い?」
マイクロトフが問うと、騎士らは一様に考え始めた。やがて青騎士団副長がポツと呟く。
「これは騎士である以前に、人として良心が痛まぬでもないのですが……」
「言ってくれ」
「……はい。彼の亡骸は既に火魔法によって荼毘に付されております。カミュー殿は「失踪」を狙ったのだと思われますが、一先ずはそれで通した方が良いのではないかと」
暗い面持ちで同位階者が頷く。
「あの男には妻子があります。理由はどうあれ、殺害されたと家族が知れば、今度はカミュー殿が仇として恨まれましょう。事実を隠蔽する是非は置いても、こんな不毛な憎しみの応酬など、絶てるものなら絶った方が良い」
再び青騎士団副長が言った。
「最終的な判断は、他の諸々が落ち着いてからでも遅くはないでしょう。密談に応じたからには、第二隊長が周囲に行き先を告げていたとも思えません。カミュー殿の言を信じるならば、彼はゴルドーに加担する人物。となれば、我らに捜索が命じられることもないでしょうし、現時点では黙殺が最良かと」
両者の見解に異を覚えるものはない。賛成の首肯を見定めた後、赤騎士団副長が小さく続けた。
「いずれにせよ、戦時下であっても非戦闘民の虐殺は訓戒が禁じております。侵攻の事実が公になれば、詮議の上、最大で死罪適用。結果は同じ───と考えるのも気は重いのですが……」
「確かに「命令に従っただけ」と抗弁したとあっては後味も悪いが、ここはもう、折り合いをつけるしかないでしょうな」
そこで若い赤騎士が小首を傾げて乗り出して、自団副長の横顔を窺った。
「実際、どうなんですか? 訓戒で禁じられている行為を上から命じられた場合、従ったら罪に問われるんですか?」
こら、と第一隊長が部下を小突いたものの、続いて生真面目に答え始めた。
「そんな前例はないから分からぬ。仮にあったとしたら、命じた側も問題になるだろうな」
「でも、隊長。その命令って……」
王が、と言い出し切れずに若者が口篭る。マイクロトフは苦笑気味に笑んだ。
「構わん。今は父上のことは置いて、忌憚ない意見を聞かせてくれ」
赤騎士隊長は眉を寄せ、深々と一礼する。
「騎士団員及び皇国宰相に内密で他国侵略を進めるだけでも常軌を逸している上、非武装民の鏖殺を含むとあっては……仮に陛下の下知だったとして、先の白騎士団長が異を唱えないのは解せません」
そうだな、と赤騎士団副長が両手の指先を合わせて思案の仕草を見せた。
「御二方の御人格その他を鑑みても、陰謀がはたらいたとしか思えぬ。遂行した騎士たちは踊らされたのだろう」
「……となれば、「法規に捉われず騎士を動かせるのはマチルダの統治者たる皇王陛下のみ」という前提が崩れますな。踊らされたにしろ、訓戒に背いた実行騎士は処罰に該当しそうだ」
ぴしりと言い放った青騎士隊長を困惑気味に見遣り、溜め息混じりに上官は頷いた。
「哀れと言えなくもないが、な」
しかしそこで、若い騎士が憤然と胸を張る。
「同情する必要なんてないですよ。だってそいつら、斬った村人の数を自慢し合っていたんですから」
「何だと?」
マイクロトフ以下、全員が目を剥いた。注視を浴びて騎士は瞬く。
「……報告してませんでしたか?」
「初耳だ」
「おれ、会話を聞き取れるギリギリの場所に居たんです。カミュー殿は終始落ち着いて喋っていたけど、最後に第二隊長が命乞いして……、そのとき初めて声を荒げたんです。女子供や赤ん坊を殺した挙げ句、その数を誇り合っていた奴に、どうして情けを掛けなきゃならないんだ、って」
「…………」
「戦で、倒した敵兵の数を誇るならまだ分かります。でも、そうじゃない。無力な人間を殺して、だけどそれが命令で、どうしようもなかったとして……胸を痛めたり、丁重に埋葬したり、そういう姿を見たなら、あの人の恨みだってあそこまで深くならなかったんじゃないかと思うのに」
半ば独言気味に洩れた後半を聞いて、副長たちは顔を見合わせていた。
「あの言葉は……そうした意味だったのか」
───村に攻め入ったのがあなた方のような騎士だったなら。
主君への忠節とは別に、自身の確固たる信念を尊ぶ姿勢があれば、たとえ命令に従わざるを得なかったとしても、死者の前で頭を垂れただろうものを。
乱暴に髪を掻き毟りながら、礼節も何処へやら、青騎士隊長が吐き捨てた。
「本気で腹が立ってきたぞ。よりによって、そんな連中を選んで送り出すとはな」
「まったくです。ゴルドーにも劣らぬ陰険ぶりですね、わたくしも我慢なりません」
同じく、鼻息荒くフリード・Yが続けたが、次の瞬間、一斉に自らへと集まった視線にぽかんとした。
「……え? あの、……何か?」
「陛下でも先代団長でもない、第三の人物───」
自失めいた調子で赤騎士団副長が零す。刹那で理解したフリード・Yは椅子から飛び上がりそうになった。
「……って、まさかゴルドーが?」
やや表情を引き締めた青騎士隊長が割り込む。
「しかし、これまでゴルドーがグラスランドへの色気を匂わせたことがありましたか?」
「ない。少なくとも、表向きにはなかったが」
尚も考えに沈みながら赤騎士団副長は言う。
「当時は白騎士団副長……王族に連なる品行方正な騎士で、先代団長からの信頼も厚かった。実働騎士らに直接命令を与えられる立場にも───なかったとは言えない」
「皇王陛下と騎士団長と、御二方の名を騙ったと……?」
「無論、可能性として……ではあるが」
「確証もないのに、妙に腑に落ちてしまうあたりが困りものですな」
ふう、と息を吐いて青騎士隊長が首を振る。ちらと赤騎士を一瞥した。
「命令書がどうの、という会話をしていたのだろう? 誰から提示されたとは答えなかったのか?」
「ええと」
若者は両手で頭を抱え込んで記憶を探った。
「陛下から白騎士団長、それから指揮官が実働騎士を選んで……と言っていたかな……」
「指揮官というのも死亡済か。惜しいな、第二隊長が生きていれば……」
実際に命令書を騎士らに与えた人物が割れれば、そこから陰謀を紐解くことが出来たかもしれない。最後の当事者を失ってしまった失意は小さくなかった。
「陛下の出されたという命令書、現物は残って───いないか、やはり」
赤騎士隊長が微かな希望とばかりに洩らしたが、当人ですら望み薄なのは感じていた。その上官が、覚書で真っ黒になった紙面に尚もペンを走らせながら呟く。
「命令書には陛下の御署名と皇王印があった。署名は筆跡を真似れば何とかなるだろうが、問題は皇王印だ」
マイクロトフが腕を組んで乗り出した。
「印は皇王執務室に厳重に保管してある。おれも実物を見たのは数度だけだ、父上の執務を見聞させていただいたとき」
「机の上に放置してあるような品ではありませんからな、陰謀を企てた人物にしても、「ちょっと拝借」という訳にはいかないでしょう」
青騎士隊長の言葉に同意してからマイクロトフは言い募った。
「偽造の線は考えられないか?」
「第二隊長は「特殊な技術を使った品だから偽造は無理」とか言ってましたけど」
「そうなのだ、そこが問題なのだよ」
部下の指摘に眉を寄せる赤騎士団副長を、向かいの同位階者が上目で窺う。
「あの品が何処で作られたものか、御存知ではありませぬか?」
「そこまでは……。何か気になることでも?」
青騎士団副長は考えながらゆっくりと説いた。
「一国の主たる御方の印章ゆえに、格別念の入った細工が施された……ならば、その技術なりを遺した型のようなものが残っていないかと思いまして」
「しかし、何と言っても古い時代から使われてきた印ですからな。それに、重要な品なればこそ偽造を恐れ、製作過程が知れるようなものは破棄されているのではないかと」
やや否定的な見方を示した直後、彼は目を瞠った。
「……いや、そうか。そうした技術を伝えられた職人なら、印影から本体を作り上げることも───」
「そうです、可能かもしれませぬぞ!」
僅かな取っ掛かりではあるが、小さな希望の火がちらついたようで、男たちは一斉に表情を輝かせた。
「わたくし、思いますに……ひょっとしてグランマイヤー様なら、印の製作職人を御存知ではないでしょうか」
「そうだな、グランマイヤーは知っているかもしれない」
強いマイクロトフの賛意に青騎士団副長は拳を握った。
「早急に───いえ、明けてすぐにも、わたしからお聞きしてみます。うむ、くれぐれも何を探っているのか悟られぬように心掛けねば」
青騎士団副長が自身に向けて念を押すのを微笑ましげに見詰め、マイクロトフは小さく頭を下げるのだった。
「それにしても……」
目頭を指で押さえて呟く男の膝の上、記された覚書は複数枚に達していた。脇、正面からと紙面を覗き込んだ面々も嘆息を堪え切れなかった。
「……悲観しても詮無きだが、道は険しい」
「亀の歩みが如き進捗ですな」
言葉を選べ、と同位階者を諌め掛けた赤騎士隊長だが、あまりにも同感だったために声にならない。代わりに上官を凝視した。
「方向さえ定まれば、事情を明かさず部下に働いて貰うことも叶いましょうが、現在の段階で、この数で動くには限界があります。多くを求めて肝心な部分を洩らしては取り返しがつかなくなりましょう。この際、優先度の高いもののみ手を付けては?」
そうだな、と赤騎士団副長は頷いた。それからふと視線を泳がせ、最後に部屋の置き時計に目を止める。
「……殿下。ワイズメル公への親書が───」
「え?」
「公と公女殿に、皇王制廃止の展望をお知らせせねば」
あ、と瞬いたマイクロトフは片掌を拳で打った。
「そうだ。しまった、それもあったのだったな……」
意向のみを伝えるワイズメル宛の書状はともかく、テレーズ宛に送る文の内容にはカミューの意見を求めるつもりだった。何処までも青年に頼っていた自身を思い返し、自嘲と共に痛みを蘇らせるマイクロトフだ。
「しかし、これもまた微妙な部分ですな」
青騎士隊長が空を仰ぎ、一同は戸惑いがちに目を細める。
「殿下を亡き者にして、マチルダの全権を手中に納める、それがゴルドーの目論みだった。殿下の皇王制廃止案は奴の狙いにも通じます。吉凶どちらに転ぶか、微妙なところだ」
「だが、議員閣議の懸案となった時点で伏せようがない。無論、不用意に話を広めぬよう手を打つ必要はあろうが、ここでゴルドーの出方まで推測する余裕がない」
「ええ。不安要素として述べてみただけです」
さらりと言い退けて、彼は押し黙った。一応は留意点として覚書に書き記されたものの、これまた負の要因が加わっただけで、総勢の気鬱を進ませるばかりであった。
「……とにかく、夜明けには使者を出立させねばなりませぬ。マイクロトフ様、既にこのような刻限ですし、中座は気が進まれぬでしょうが、文の方を……」
青騎士団副長がおずおずと促す。気の毒そうな口調になったのは、皇子が深刻な表情で頭を抱えていたからだ。見かねた様子で、赤騎士団副長が進言した。
「殿下さえ宜しければ、公への書状はわたしが代筆致しますが」
「えっ?」
「意向を伝え述べるだけですし、殿下の御手に拠らずとも支障はないかと。殿下はテレーズ様宛の文に専念していただければ……」
残念ながら皇子が机作業を得手としていないのを、騎士らは漠然と察している。自らやると雄々しく宣言したまでは良いが、それは恐ろしい労力を伴う行為だろう、と。故に、想像を裏付けるような焦燥を浮かべているマイクロトフに、控え目な援助の手が差し出されたのだった。
マイクロトフとしても、言い出した以上はやり遂げねばとは思うのだが、ここで席を外すのも耐え難い。無力な己を認めて、厚意に甘えることにした。
「すまない、恩に着る。宜しく頼む」
膝に額が付きそうな勢いで礼を取る彼に、騎士は苦笑して首を振った。
「では、もう少しだけ続けましょう。どれを優先に据えるか、絞らねば」
おもむろに、赤騎士が恐々と手を挙げる。
「あのう……すみません。重要かどうか分かりませんが、もう一つ思い出したことが……」
「馬鹿者、情報を小出しにするな」
直属上官だけあって、赤騎士隊長は容赦ない。厳しい叱責を、青騎士団副長が穏やかに往なす。
「まあ、そう言わずとも……。我々とて事態に一杯いっぱいなのだ。若く、ましてこんな重大事の目撃者となってしまった彼が動揺しても無理はない。思い出してくれるだけでも良しとせねば」
肩を持ってくれた他団の位階者にありがたそうに一礼してから、若者は切り出した。
「第二隊長が「騎士隊長を騎士団本拠で殺して只で済むか」と脅しを掛けたんです。そうしたらカミュー殿、これからちょっとした騒ぎが起きて有耶無耶になる、って言い返してました」
「ちょっとした騒ぎ……どころではないがな、既に」
軽く呟き、青騎士隊長が目を閉じる。
「騒ぎ、か。部隊長が消える以上の……?」
「何事だろう。彼はゴルドーも殺す気だったようだが、その事か?」
「いえ、副長。捜索が始まる頃にはゴルドーが死んで、次に……そのう、殿下が……なので、マチルダはそれどころじゃなくなる、と言ってましたから……」
流石に皇子暗殺の部分は濁されたが、一同には図式が見えた。騒動を畳み掛け、白騎士の消失を覆ってしまおうというカミューの目算が。
「すると最初の「騒ぎ」は全くの別口か。カミュー殿が今まで通り城に居ても問題とならぬ事件……。弱った、見当もつかぬな」
常より温厚で知られる赤騎士団副長も、初めて苛立たしげに唇を噛んだ。終にはバサリと紙面を振り、開き直ったように天井を仰ぐ。
「駄目だ、留意点が多過ぎる。逐一気に止めていては、まるで進まぬ。少なくとも殿下の御命に関わる騒ぎでないなら、起きてから考えるしかない」
「……どうにも容易ではないな」
マイクロトフが弱く独言を洩らす。成ろうことなら放り出したいような心地だろうに、堪えて共闘の意志を示してくれる一同がありがたく、そして切なかった。
副官として半月あまりを過ごした青騎士団副長が、そんな皇子を見詰めて微笑んだ。
「容易ではない事態を乗り切った暁には、並ならぬ充足が得られましょう。騎士はそうしてつとめを果たすものですぞ、マイクロトフ様」
「そうだな。困難が人を強くすると信じたい」
両者の遣り取りを満足そうに見届けた赤騎士団副長が、仕切り直しとばかりに一同を眺め遣った。
「話を戻す。最も優先されるべきは、いずれの点だろう?」
真摯な熟考。沈黙は奇妙なまでに長かった。
やがて青騎士隊長が半身を起こして座り直しながら言う。
「皆様、言い出しづらそうですので、わたしが……。第一は、カミュー殿です」
淡々と語る男の顔を、全員が凍り付いたように凝視した。
「彼は殿下の意向……皇王位より退かれる心積もりであると知らない。と言うことは、ひとたび王位に就いたが最後、今まで以上に手を出し難い相手であるという認識が残ったままでしょう。彼が志を違えぬ限り、即位までの間に、殿下の言われた「次」がある」
そこで彼は声を潜めた。相変わらず顔つきは平然としたものだが、眼差しには鋭い光が宿っていた。
「優れた護衛は、優れた暗殺者にも成り替われます。今までのゴルドーの企てなど比ではない。これより我らは、こちらの手のうちを知り尽くした刺客に立ち向かわねばならなくなってしまった訳です」

 

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徐々に締めへと向かいます。
整理整頓が続き、
非常に忍耐を要されるかと……(涙)

次回は、弱気と強気をウロウロするプリンス。

 

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