赤騎士団副長の冷静な推察を受けて、若い騎士が空を睨みながら記憶を反芻した。
「次はゴルドーを殺す番だとか言ってましたが……あの人、「自分はゴルドーに雇われた刺客だ」みたいな言い方もしていたんです。何がどうなっているのか、さっぱり分からない」
やれやれ、と小馬鹿にした顔つきで青騎士隊長が説き始めた。
「詰まるところ、こうだろうな。我々すべてが、彼は宰相殿に雇い入れられた殿下の護衛と考えてきたが、実はもう一つ別の契約が結ばれていた。殿下に近付く暗殺者としての、な」
えっ、と若者は両掌を卓に打ち付けて半身を浮かせた。
「……って、グランマイヤー宰相は味方───」
「阿呆。暗殺契約はゴルドー絡みだ。彼を送り込んできた「誰か」が、奴と通じているに違いない。推挙したのは何処のどいつだ?」
これにはフリード・Yが慌てて答えた。
「推薦状はグリンヒルのワイズメル公の名で記されていたようです」
「では、奴だ」
「あ、しかし……カミュー殿は公とは直接面識がないと……グリンヒルの貴族のどなたかを助けた縁で推挙して貰ったと語っておいででしたが」
「……なら、そいつでも良い。ゴルドーに与する輩がグリンヒル内に在る、それで充分だ」
そして青騎士は冷たく吐き捨てる。
「どのみち、彼にとってはどちらも偽りの顔だった。双方を利用して、実にすんなりと城に入り込み、真の目的を遂げるに最良の立場を得た」
「ちょっと待ってください」
フリード・Yが仰天して乗り出した。
「では隊長殿は……信じると仰るのですか? カミュー殿が殿下を───」
「…………」
「わたくしも陛下は無関係でおられると信じています。良からぬ企みの結果、カミュー殿は誤解なさったまま今日に至ったに違いありません。だからきっと、それは弾み……、言葉の綾か何かで……」
息を吸うのも忘れて一気に言い募り、終には立ち上がって、悲痛な様相で叫ぶ。
「そんな筈はないんです! あの方が殿下の命を狙うなんて……だってそうでしょう? もし仮に、百歩譲って、たとえ陛下が命じられた侵攻だろうと、殿下御自身には何の非もないではありませんか! それを……陛下の代わりに復讐の対象にするなんて馬鹿げている、間違っています!」
切々と訴える従者の若者を、男たちは無言で見詰めていたが、どの面持ちも暗く陰ったまま、賛意の声は上がらない。フリード・Yは彼らを見回し、魂を抜かれたふうに首を振った。
「それにカミュー殿は、あんなに真摯に殿下を護って……親しくなさっていて───」
「侍従殿。目を背けるな、受け止めろ」
冷徹な青騎士の言葉にフリード・Yは頬を染めた。
「隊長殿は認められるのですか? あなたは他の皆様よりカミュー殿と御一緒した時間が長いのですから、あの方のはたらきぶりは御存知でしょう? あの方がダンスニーの支配から命懸けで殿下をお救いしたのだって、良く知っておられるではありませんか」
「…………」
「命を狙う相手に、あんなにも尽くせるものですか? あれが全部嘘であったと、簡単に信じてしまえるのですか!」
男は若者をじろりと一瞥し、外方を向いて返した。
「……「簡単に」ではない。わたしは彼に、直属部下の命を救われているのだぞ」
はっとして、フリード・Yは苦悩を漂わせる騎士の横顔に見入る。
査察の道中、北の村へと向かう平原で、同行した第一部隊騎士たちは刺客の攻撃に倒れた。カミューの的確な指示が彼らを助け、更にはダンスニーの魔手からも、二重に護り抜いたのだ。
「だが……理由はどうあれ、行き違いがあるにせよ、殿下を狙うものは阻まねばならない。それが我らの責務だ」
「……その通りだ」
上官である青騎士団副長も沈痛な面持ちで頷いた。
「ここで頭を抱えていても何も始まらぬ、先ずはカミュー殿の身柄を確保せねば」
男たちは一斉に立ち上がった。
「団員に捜索を命じますか? 城外に脱したとなれば、我々だけで探し出すのは困難です」
「然様ですな。事情は伏せたまま、捜索のみ命じましょう」
「しかし……」
言い掛けて一旦言葉を切った赤騎士隊長が、短い逡巡の後、つらそうに続けた。
「警戒の指示を出さぬというのは……意図を知られ、捨て身となるだろう相手に、団員たちはまるで無防備に相対すことになります」
「彼が騎士団員を傷つけると? それは無用な心配だと思うが」
部下の憂いを微笑んで往なした副長は、更に下位騎士へ瞳を当てた。
「捨て置けば、必ずや我々の許へ駆け込むであろう証人を見逃した。その気になれば、どのような手段を取っても口を封じられた筈なのに、彼はそうしなかった」
あ、と若い赤騎士は独言気味に呟き始めた。
「そう……そうなんですよね。あんまり驚いて、ふらふら出て行って、まともに顔を合わせちゃって。あの人には剣に加えて「烈火」もあるし、もう駄目だと思ったのに……」
「天晴れな逃げ足だったな」
騎士が逃げ戻ってこなければ、今なお一同はカミューの真の目的を知らぬままだった。隠し持った殺意に気付かず、皇子を委ね切っていただろう。
そうした意味では若者は功労者である。青騎士隊長がむっつりと称賛したが、当人は耳に入らぬように言い募っていた。
「……使おうとしていたんです、火魔法。おれ、足が竦んで動かなくて……絶対に逃げられなかったのに」
待て、と上官の隊長が遮る。
「と言うことは……彼は一切攻撃せずに、おまえを見逃したのか? 生かしておけば確実に自らが窮地に陥ると分かっていて……?」
「それはおそらく、彼が冷酷に染まり果てていない証だよ」
赤騎士団副長は堅いままだった表情を微かに綻ばせた。
「村を襲ったのはマチルダ騎士でも、彼はすべての騎士を憎んでいる訳ではないのだろう。幾許かであっても、我らに誠意を向けてくれているのだ。それを信じて、部下たちに捜索を命じるぞ」
穏やかな、だが力強い宣言に励まされ、騎士たちは立ち上がる。そんな中、ひとりぽつねんと座したままの皇子に気付いたのはフリード・Yであった。
「殿下?」
赤騎士の報告がグラスランド侵攻を告げていたときには、父王の弁護に気勢を上げていたマイクロトフだが、カミューの次なる標的に話が移った瞬間から沈黙を続けていた。騎士たちも、議論に無中になるあまり、何より大事な存在を失念してしまっていたのである。
取り敢えず、安全な場所に退避させねばならない。
何と言っても相手はカミューなのだ。護衛がフリード・Yだけでは心許ない。彼の水魔法は、残念ながら封印魔法会得に到達しておらず、剣の腕も及びそうにない。おそらく本気で立ち向かえないであろう皇子の警護は手に余る。
今ひとり、第一隊長を付けるかと青騎士団副長が口を開こうとした刹那、掠れた声が呟いた。
「これが……巡り合わせか」
「マイクロトフ様?」
「前にカミューが滅びた村の話をしてくれた。おれは盗賊か何かの非道だとばかり思っていた。あいつの「大切なもの」を奪ったのはマチルダ騎士か。さぞ恨みながら今日まで来たのだろうな」
感情の起伏もなく淡々と語るマイクロトフを見詰める一同には、掛ける言葉が見つからない。
白騎士殺害の現場を目撃した若者を見逃した。村を焼かれ、共に暮らした人々を惨殺されても、すべてのマチルダ騎士を憎もうとしなかった青年。
復讐の対象を当事者のみに絞ったカミューの唯一の例外がマイクロトフなのだ。仇の息子であるというだけで向けられる牙は、フリード・Yが叫んだように、あまりにも不当である。
心を何処かに置き忘れてきたように一点を凝視し続ける皇子。痛ましさを抑えられず、青騎士団副長が呻く。
「お二人が斯様な立場で出逢うなど……さだめならば、何と非情な……」
そこでマイクロトフは瞬いた。開いた唇が言葉を発しようとした刹那、扉が数度叩かれた。咄嗟に走った緊張の中、現れたのは一人の青騎士である。
「失礼致します。ああ、まだこちらにおられたのですね、皇太子殿下」
姿を見せると同時に緊張を納めたので、室内の張り詰めた空気に騎士は気付かない。にこにこと人当たりの良い笑顔でマイクロトフに一礼する。
「もう退出なさってしまわれたかと思いましたが……良かった。今し方、カミュー様にお会いしまして、伝言を仰せつかったのです」
「えっ……?」
新たなる驚きと戸惑いが一同を通り抜ける。
「何でも、大切なお話があるので、東棟の居室───これまで皇太子殿下が使っておられたお部屋ですね、そちらまでいらしていただけないか、とのことです。出来れば二人だけで、とも仰っていました」
唖然としているのを気取られぬよう、真っ先に自制を掻き集めたのは赤騎士団副長だ。
「御苦労。何か変わった様子は見受けられたかね?」
「は? 変わった、と申されますと……?」
心底不思議そうに問い返す騎士に、何気ない口調で言い添える。
「いや、良い。礼拝堂に行っていたと聞くが、戻りが遅いので、少々案じていたのだよ」
ああ、と明るい笑みが零れた。礼を取って騎士が部屋を出て行くや否や、青騎士隊長が唸った。
「弱りましたな、正面から来ましたか」
企みを暴かれた刺客は、体勢を立て直すためにひとたび逃亡を計り、再びの機を待つ───そんな定石を描いていた一同だ。事情を知らぬ騎士を伝言役にして皇子を誘い出されるとは予想外である。
しかも、城内。騒ぎの拡大を防ぎたい彼らには、頭の痛くなる舞台であった。
カミューの思惑を量ろうと試み始めた男たちは、床に響いた靴音にぎくりとした。一斉に集まる視線を気にも止めず、真っ直ぐ扉に向かう皇子。慌てて青騎士団副長が前途に立ちはだかった。
「お待ちください、マイクロトフ様」
「止めるな」
「いいえ! 今はまだ、なりませぬ。我らの手で最善を尽くします、陛下の汚名を雪いでから───」
「……呼んでいるのだ。行かねばならない」
マイクロトフは微笑んだ。その、状況にそぐわぬ不可思議な穏やかさが副長の気勢を削いだ。そろそろと歩み寄る騎士たちを一望して、マイクロトフは続けた。
「おれは何も知らなかった。知らぬまま、今日までカミューに頼り続けてきた。父上は、無力な民の鏖殺を命じるような人間ではない。だが、あいつはそう思っていない」
「ですから、真実を突き止める時間を……」
挟まれた副長の必死の声を、やんわりと退ける。
「おれは信じる。ここで過ごした数日間、カミューにとって、すべてが偽りではなかったと」
一同は、はっと息を詰めた。何ら気負わぬふうであるのに、皇子の周囲を苛烈な覇気が取り巻いていたからだ。
マイクロトフは、目前の副長の肩に手を乗せる。力を込められた訳でもないのに、何故だか騎士は、道を開けねばならない胸中に陥れられた。よろよろと脇に退いた男に、マイクロトフは小さく笑み掛ける。
「殺すために現れた───それでも良い。おれはカミューと巡り合わせてくれたさだめに感謝する。おまえたちは付いて来ないでくれ、一生の頼みだ」
「殿下!」
扉に手を掛け、退室して行こうとする皇子の背に従者が叫んだ。一度だけ振り向いて、マイクロトフは目を細めた。
「もう決めたのだ。何があっても失えない」
「え……?」
「おれはカミューと共に生きる。そのための道を、何としてでも掴み取る」
逞しい後ろ背が完全に視界から消え去るや否や、フリード・Yは騎士たちに詰め寄った。
「行かせてしまわれるのですか、殿下お一人で!」
「……あんな顔で、しかも「命令」ではなく、頼み込まれては痛いが」
青騎士隊長が難しい顔で首を捻る。
「やはり、こればかりは従えない」
「話し合いの余地はまるで残されていないのだろうか。彼は目的を知られ、己の身が危ういと理解している。ひょっとしたら、殿下の説得に応じまいか?」
赤騎士隊長が最後の望みとばかりに提言したが、これには彼の上官がゆるゆると否を示した。
「そうあって欲しいが、手をこまねいて待つ訳にも行かぬ。と言って、下手に踏み込んで、今以上にカミュー殿を追い詰めるのも危険だ。何とか様子を窺える位置に潜り込めたら良いのだが……」
はて、と青騎士団副長が思案する。
「隣室から……では壁は厚く、窓伝いに窺うことも出来ませぬな。フリード殿が使っていた続き部屋なら最適ですが、あの部屋には廊下に通じる扉がない」
「窓から忍び込んだら……気付かれますよね、やっぱり」
若い騎士に青騎士隊長の冷めた視線が注ぐ。だがそこで、フリード・Yに天啓のようにひらめいた事実があった。
「入れます」
「何?」
「あの続き部屋に、気取られずに入る方法があります」
「本当かね?」
色めき立つ男たちにフリード・Yは胸を張る。
「はい! わたくしが皆様を御案内致します」
自信たっぷりに言い切る従者に、詳細は分からぬまま、一同は俄然、奮い立つ。赤騎士団副長が年若い部下に目を向けた。
「おまえは外へ回って、居室が目視出来る位置にて待機、誰も近付けぬように努めるのだ」
「えっ、あの……」
奇しくも重大な転機に立ち合うこととなった若者は、一瞬だけ困惑の気配を見せたが、すぐに眦を決して復唱した。
「前庭にて待機、他者の接近を阻みます」
「副長、わたしも外に回ります」
赤騎士隊長が進み出る。
「味方騎士ならばともかく、相手が白騎士団員だった場合、こやつ一人では押し止めるのに荷が勝ちましょう」
そうか、と即座に副長は頷いた。
赤騎士隊長は同位階者へと歩み寄り、その耳元に沈痛を堪えながら囁いた。
「……争いとなれば、あの部屋の広さからして応戦出来るのは精々一人か二人だ。わたしは一度、剣筋を見られているし、君の方が適任かと思う。こちらも回復魔法札を携えておく」
どれほど心掛けたところで、室内で火魔法を発動されようものなら、内密は破れてしまう。ゴルドーに伏せるのも無論だが、この大事な時期に味方騎士を動揺させる展開は、何としても防がねばならなかった。
もし戦いが避けられなかったときには、窓へとカミューを誘導して、階下に落とす。転落による負傷は回復魔法札で癒し、且つ、その間に取り押さえようという策だった。
意図を読んだ青騎士隊長は表情も変えずに首肯した。
「殿下に恨まれそうな役回りだが、やりましょう」
力強い宣言を受けると同時に、赤騎士たちは、上位階者に礼を取る間も惜しむように飛び出して行った。
残された三名はフリード・Yに注視する。譲れぬ覚悟に溢れた面々に、皇子の従者は強く頷いてみせた。
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