宰相、そして騎士団位階者らが次々と退出して行き、室内には皇子と従者、二人の副長と第一隊長らが残るのみとなった。
当初の予想を上回る重大な決定が為された閣議だったというのに、まるで疲労感を覚えていない自身らに気付く。それは、各々の胸に炎が宿っていたから───すべてはこれからなのだと、口にせぬまま、誰もが己を叱咤していたからである。
それにしても、と赤騎士隊長が窓の外を振り仰いだ。
「すっかり日暮れてしまいましたな。カミュー殿も戻られた頃なのでは?」
すると、青騎士隊長がマイクロトフに向けて皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「皇王制の廃止を伝えられた彼がどんな見解を述べるか、些か興味がありますな」
マイクロトフは嘆息しながら首を振る。
「あいつのことだ、「新体制移行の際の問題点を列挙せよ」だの、「王位に就くまで護るという契約だが、当人が王位を退けた場合の報酬はどうなるのか」くらいは言いそうだ」
「……日頃の遣り取りが偲ばれますな」
吹き出したのは青騎士隊長ばかりではない。残る面々も微笑ましげに唇を綻ばせていた。
やがて赤騎士団副長が笑みを納めて表情を引き締める。
「しかし……、これでいよいよカミュー殿が不可欠な存在となって参りました。新たな体制を築くには、「外」の目を持つ人物が必要です。長く騎士団に居た我らには映らぬものを彼は見通してくれましょう」
「仰せの通りですな」
青騎士団副長も腕を組んで深々と頷く。ちらとマイクロトフを窺って首を傾げる。
「実際のところ、如何なものでしょう?」
「何がだ?」
「カミュー殿に入団をお勧めになられたのでは? 感触は如何です?」
いや、とマイクロトフは頭を掻く。
「まだそこまでは……」
「それでしたら、昨日わたしが」
皇子の呟きに重ねるように言いながら、さらりと片手を挙げたのは赤騎士団副長だ。一同の、呆気に取られた視線が集まった。
「身元引請人候補として名乗りを上げました。あのときとは少々事情は変じたが……将来的には騎士団の上に立って欲しいとも伝えておきましたぞ」
「お、お早いですな、副長……」
日頃から慎重派の代表とも考えられてきた自団指揮官の行動に、赤騎士隊長は驚きを隠さなかった。壮年の騎士は苦笑する。
「一度にあれこれと急いてしまい、当惑させてしまったようだがな。もともと我が赤騎士団は、機動力を駆使した奇襲や波状攻撃を信条としていたのだ。わたしも原点に立ち返ってみた」
やれやれ、と青騎士隊長が肩を竦める。そんな様子を横目で見遣りながら青騎士団副長は密やかに笑んだ。
仕立てを依頼したばかりの二色の騎士装束。団員のそれとは意匠の違うあの衣が纏われる日が来るかもしれない。マイクロトフ、そしてカミュー。二人並んで騎士団の頂きに立ち、未来を指し示す日が。
皇子のことだ、そこまで深く考えての依頼ではなかっただろう。けれど、心の何処かでそれを望んでいる。単に揃いの騎士装束ではなく、青騎士団長衣に似た品を用意するあたりに皇子の心情が零れている、そう副長には思われた。
「カミュー殿なら、正規の入団試験の手続きを踏まずとも、一足飛びに正騎士に叙位させられますな。誰もが納得して祝すでしょう」
心から言うと、赤騎士団副長が穏やかに目を細めた。
「傭兵として実戦経験は豊富でも、あれは言ってみれば個人技優先の世界。指揮官としての経験が加われば、既に充分騎士隊長級の器を満たしておりましょう」
自団副長の意見を聞いて、赤騎士隊長が同位階者に揶揄混じりの視線を送った。
「退位なさった後、殿下が青騎士団に残ると仰せなら……カミュー殿は我らに譲ってくれまいか。団員一同、誠意をもって迎え入れる」
「均等、ですか……。まあ、確かにわたしも、彼は赤騎士団向きかと思いますが」
首を捻って青騎士は返す。そのうちに、耐えかねたふうに肩を震わせた。
「揃いも揃って、先走り過ぎです。いずれにせよ、当人の意志もさだまらぬうちから外野が騒ぎ立てても無意味でしょう。という訳で……、殿下。いよいよ本気で勧誘活動を開始なさっていただきたい」
「分かっている」
笑みながら一同の遣り取りを聞いていたマイクロトフが背を正す。
「この先の傭兵契約は入っていないと言っていた。一度グラスランドに帰る、とも言っていたが……いずれ必ず騎士団に迎えよう。躊躇ったところで、説き伏せてみせる」
「頑張ってください、殿下。必要とあらば、微力ながらフリード・ヤマモト、応援に馳せ参じます」
「……二人揃って言い負かされぬよう、影ながら祈ります」
従者が気張りながら訴える傍ら、青騎士隊長が小声で呟いていた。
皇王制廃止という重い決断を、カミューの騎士団招聘という心弾む展望が覆い尽くし、総勢の顔が一様に明るくなる。それを崩したのは、唐突に開いた扉の立てた鈍く激しい響きであった。
入室の許可も求めず飛び込んできたのが自部隊所属の騎士であると見取るなり、赤騎士隊長は目を剥いた。椅子を鳴らして立ち上がると、身を屈めて息を荒げる部下に歩み寄って、仔猫を摘まみ上げるように襟首を掴んで引き上げた。
「こら! 殿下の御前だぞ、礼節を忘れたか!」
厳しく一喝したものの、ぜいぜいと喘ぐばかりで声も出ない若者に眉を寄せる。同様に怪訝を隠さず、赤騎士団副長が乗り出した。彼の視線が長卓を一瞥するのに逸早く気付いたフリード・Yが、水差しとグラスを手にして走った。
差し出された水を咽せながら呑み干した若い騎士は、軽く頭を下げてフリード・Yに感謝を伝える。戦慄く手で戻されたコップに今一度水を注ぐべきかをフリード・Yが思案した刹那、騎士は乾いた声を絞り出した。
「す、……ません、おれ……報告……なきゃ、と……」
途切れ途切れの口調に顔をしかめた青騎士隊長が、自身の横の空き椅子を引く。座れ、と促されたのには気付いた若者だが、椅子の背に両手を乗せるにとどめ、更に両肩で幾度か大きく息をついた。
「カミュー殿が、白騎士に───」
「何っ?」
即座に一同の顔色が変わる。一斉に腰を浮かせた位階者らを見て、赤騎士は髪を掻き毟った。
「ち……違う、逆だ。カミュー殿が白騎士を、……殺しました」
一瞬前とは異なる驚愕が男たちの顔を舐め尽くす。どう取ったら良いのか分からず、目を瞠るしかない一同を、次の一言が更なる衝撃へと突き落とした。
「それだけじゃない、あの人……あの人は、殿下の命も狙ってます」
「何、だと……?」
硬直した皇子が立てた椅子の軋みが、室内に物悲しく染み渡った。
それが嘘偽りでないことは、紅潮して息を切らす若者の悲愴な顔つきからも明白だった。真っ先に我に返った赤騎士隊長が、部下の両腕を掴んで自身へと向き直らせる。
「何があった! カミュー殿が殿下の御命を? 何かの間違いではないのか!」
「……おれ」
若い赤騎士は今にも崩折れそうな四肢を叱咤して、真っ直ぐに屹立した。
「おれも間違いだと思いたかった。でも……」
苦しげな面持ちで見守っていた赤騎士団副長が静かに言う。
「落ち着け、ゆっくりと順を追って話すが良い」
心を温めるような声音に若者の震えが僅かばかり収束するのが窺えた。唇を噛んだ赤騎士隊長は、同位階者が用意した空席へと力任せに部下を座らせたのだった。
日暮れ前、任を解かれた若者は、兵舎を目指す庭道の先で傭兵の青年を見付けた。
城にはこれだけ多くの人間がいるのに、不思議と顔を合わす機会に恵まれて、何度か個人的に言葉を交わした。
自部隊長との手合わせで見せた剣腕も然ることながら、若者は青年を取り巻く気配といったものに無性に惹かれた。騎士団位階者と対等に渡り合える剣腕と才覚を持つ一方で、自らに対して気安い調子で応じてくれるカミュー。もっと親しくなれたら、と常に思っていた。
カミューの足は西の森へと続く門に向かっているようだった。前に会ったとき、門の先にある墓地に関心を示していたのを思い出し、若者は勇んだ。騎士としては若輩の身だが、案内役なら勤められそうだと考えたからである。
どう声を掛けたものかと思案して、距離を取ったまま後を追ううち、カミューは門に着いた。
既に張り番は居なかった。そろそろつとめを終える刻限ではあったが、こういうときばかり時間厳守な白騎士団員が腹立たしい。若者は門を潜ったカミューを追い掛けて、自らも森へと踏み入った。
森の小路を進み始めてからの足取りは相当に速かったらしく、初っ端から彼を見失った。けれど路は一本筋、いずれカミューが、何かに興味を引かれて足を止めれば追い付くだろうと、若者は歩いて森を進んだ。「走って追うのは何か変だぞ」と妙な気を回した結果、思いがけない事態に行き合ったとは、とんだ運命の悪戯である。追いついていたならば、また別の展開が用意されていただろうものを。
カミューが目指していたのは、森の最奥にある騎士の墓地ではなかった。小路が開けて小さな広場となった場所で対峙する青年と白騎士を目にした若者は、咄嗟に近くの大木に身を隠した。そうして計らずも、目にしたくない、耳にしたくなかった一部始終を見聞きしてしまったのである。
事情は良く分からなかったが、二人の会話を繋いで浮かび上がったのは、これまで信じてきた諸々を覆すような衝撃。
武勇と慈愛で広く名を馳せた前皇王が、「他国を侵さず」の理念を捨てて、グラスランド侵攻を企てた。武力を持たぬ女子供も見逃さぬよう、命を発した。
そうして、カミューが暮らしたグラスランドの村をマチルダ騎士は焼き払った。カミューひとりを残して、皆殺しにした。
すべてを失い、傭兵として技量を磨きながら機を窺ってきた青年。彼は、「皇子の護衛」でも「騎士団の良き味方」でもなく、復讐者であったのだ。
「父上が……?」
マイクロトフが自失気味に呟いた。見開かれた瞳に亡き父王を描いて、次には激しく首を振った。
「父上がグラスランド侵攻を命じただと? 馬鹿な、そんな筈はない!」
場で最も年長である青騎士団副長も厳しい顔で頷いた。
「無論です。斯様な記録はないし、聞いたこともない」
「秘密裏に、と……言ってました」
申し訳なさそうに赤騎士は項垂れる。
「これまでの信条を曲げることに異を唱えるものも多いだろうから、侵攻経路を確保して後戻り出来ない状態にするまで、事は秘密裏に進めるのだと……」
「それこそ陰謀ではないのか? 亡き陛下の御名が使われただけとしか考えられない」
「カミュー殿も……「本当に王の命令だったのか」と確かめたんです。奴は、署名と皇王印を見たと答えてました」
そこまで呆然と聞いていたフリード・Yが、はっと息を呑んだ。張り詰めた緊迫の中では注意を引かざるを得ない反応だった。
「如何したかね?」
「いえ……その、ちょっと思い出したのですが……」
フリード・Yはもぐもぐと口篭り、それから思い切ったように顔を上げた。
「殿下の護衛に就かれて少しした頃……カミュー殿は騎士団関連の書物を集めて、読み耽っておいででしたよね。そのとき、尋ねられたことがあったのです。騎士が他国に送られる際の決定について……です」
彼は不意に身を竦ませた。
「わたくし、「皇王陛下の御裁可なく、他国に騎士は赴かない」と申し上げた気が……」
それはつまり、グラスランド侵攻が王の命令だったと裏付けるも同然の一言だ。もしやそれもカミューの確信を煽る要因となったのでは、そう思うと途方に暮れるしかないフリード・Yだった。
そんな従者の自責を一蹴したのは青騎士隊長である。虫を払い除けるように手を振って、面白くもなさそうに言い切った。
「気にするな、それは事実だ。問題はもっと深い」
そうだな、と赤騎士隊長が同意する。卓に両肘をついて手を握り合わせ、口元を押し当てながら低く続けた。
「……問題は、彼がそう信じてしまっているということだ」
「おれも、亡くなった陛下がそんな命令を下したとは思えないけど、あの人の村が全滅して、それが騎士の仕業だったのは事実みたいなんです。赤ん坊まで殺したなんて、酷すぎる。村で二十人、逃げた騎士は四人と言ったかな……、これで全員故人になったらしいけど、死んだ騎士団員に同情出来ないのは初めてです」
そのとき、長く沈黙を守っていた赤騎士団副長が視線を落としながら若者に問うた。
「死んだのは白騎士と言ったな」
「はい、第二隊長です」
「白騎士団、第二隊長───」
独言のように洩らした男が、握り締めた拳を卓上で震わせる。一同は気遣わしげに眉を顰めた。
「副長……?」
「そうか、あれは……グラスランドに赴いた騎士、その生き残り……」
「如何なさいました?」
心配そうに覗き込む青騎士団副長に促されるが如く、痛恨の面持ちが皇子へと向かう。
「初めて殿下より対・ゴルドーの助力を求めていただいた日、わたしがカミュー殿を部屋に招いたのを覚えておられましょうか」
「覚えている。第一隊長と剣を交えた日だったな」
「あの日わたしは、騎士団を辞した人物の現所在を知る手立てを問われました。どうしても再会を果たしたい騎士がいる、と……。何処ぞで知己となったものと旧交を温めたいのだろうと、赤騎士団の総力を挙げて捜索に協力する旨、約しました。探す元騎士は四人。結果、三人までは故人でしたが、最後の一人は婚姻により姓を違えて騎士団に在籍していたのです」
赤騎士隊長が愕然とした。
「副長! まさか……」
「そうだ。白騎士団の第二隊長……彼の報復相手を探し出してしまったようだ。わたしは昨日、それを伝えた。そして、彼は行動に出た───」
知らぬとは言え、騎士殺害に加担する役割を担ってしまったかたちだ。男の苦渋を、周囲は懸命に和らげようと試みた。
「それは不可効力というもの、決してあなたが死なせた訳ではございませぬぞ」
「それに、真に非武装の民を鏖殺したならば、騎士団訓戒にも抵触します。第二隊長は然かるべき処罰を受ける存在だったのですから」
「……でも、隊長。もしそれが命令に基づく行動なら、処罰には───」
「たわけ! それは一先ず置いておけ!」
後半の、自団騎士同士の遣り取りを瞬きながら見詰めていた赤騎士団副長は、弱い自嘲を浮かべた。
「確かに騎士団員の殺害に関与した感は拭えぬ。けれど、それ以上に悔やまれるのは、この手で彼の背を押してしまったことだ」
向き直った男たちは、普段は温厚な騎士の表情が極めて堅くなっているのに息を呑む。彼は、若い部下を見遣りながら、この上もなく低く言い募った。
「標的がさだまらなければ、報復に出るなど叶わなかったのだ。だが、彼は踏み出してしまった。しかも、見られた。描いていたであろう「計画」に齟齬を来した」
つまり、と重苦しい声が息を殺す一同に降り注ぐ。
「つまり彼には……事を急がねばならない必要が生じてしまったのだよ」
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