王家に生まれたその日から、人生は約束されていた。
早過ぎた父王の死、ダンスニーにもたらされる脅威や、ゴルドーとの対立。それらもすべて、より強き王となるための試練と心得ていた。
マイクロトフは知らなかった。
たった一人の存在を、これほど愛おしむ日が来ようとは。
こんなにも誰かを、全霊で欲する自分が居ようとは───
縺れるように寝台に転げてくちづけた後、マイクロトフは暫くの間、何ひとつ考えられなかった。
思いがけず差し出された手を逃すまいとする焦りと高揚、濡れ髪を敷布に散らす想い人の美しさへの感嘆、そして身のうちを駆け上がる情欲の率直に戸惑って、ただ戦慄きながら腕に閉じ込めた青年の唇を貪るばかりだった。
隙間なく圧し掛かる重みに喘ぎ、微かに開いたカミューの唇。絡ませた舌の狭間から零れ出る吐息が乱れて弾み、どちらのものとも分からぬ呻きを醸し出す。
白い首筋の脈動を伝ったくちづけが、緩んだローブの袷から覗いた鎖骨へと下りると、解放された唇が切なげにマイクロトフを呼んだ。片手を伸ばして、敷布に投げ出された青年の手を取り、握り締めながら瞳を合わせて呟く。
「……おまえに会えて良かった」
さだめられた道を迷わず進むのも強さなら、敢えて別の道を選ぶのもまた強さである。
カミューと出会わねば、新たな世界は幕開かなかった。
己の心に真っ直ぐに向き合い、その直情に従う愚かしさも素晴らしさも、何ひとつ知らぬまま王座に昇り、生涯をまっとうしていた筈だ。
彼という存在が、これからの自身の行く手を護る、マイクロトフはそう信じて疑わなかった。
この先、昼に夜に思うだろう。
互いが同じ時代に生まれ出でた偶然、そして互いを引き合わせてくれた運命に感謝する。
今はまだまだ未熟でも、カミューにとっても大いなる支えとなり得るよう、己を磨き続けるのだ、と。
抗いとも愉悦ともつかぬ身悶えによって乱れたローブの裾から零れ出た白磁の足に触れると、カミューは切ない息を弾ませた。布ごとゆっくりと肌を弄れば、しなやかな背が微かに浮いた。
琥珀の瞳はきつく閉ざされ、もはやマイクロトフを見詰め返そうとはしない。寧ろ視線から逃れんばかりに、カミューは片頬を敷布に押し当てていた。それを羞恥、葛藤と取ったマイクロトフは、想い人に兆した快楽を育てることに没頭していくのだった。
開いた布の中に埋もれる人の艶やかな体躯。それが性分であるのか、言葉では想いを分けようとはしないカミューだけれど、躊躇いがちに震える熱がマイクロトフを安堵させる。今、このとき、互いが同じ高みを求めようとしているのだと実感させてくれるのだ。
掌に包むだけでは満足出来ず、いつしか唇を寄せていた。途端に身を竦ませるカミューの腿をいっそう割り開き、押さえ込み、陶酔の溜め息の中に導き入れる。
「やめ……、そんな───」
反射のように洩らして、カミューは下肢に蠢く黒髪に指を埋めた。掴まれた足を戦慄かせ、愛撫から身を捩ろうとする試みも、マイクロトフにとっては甘い挑発にしかならない。やがて伝い始める陥落の雫を舐め取るに至って、カミューの抗いは潰えた。己の髪を掻き毟って素直に満悦を訴える青年を、マイクロトフは心から愛しく思った。
「……っ、く……」
押し入った途端、くぐもった呻きが洩れた。
マイクロトフは動きを止め、僅かに身を屈めて、うつ伏せた青年の横顔を窺う。けれどそんな些細な所作すらカミューには苦痛となるようで、敷布を噛み締める唇からは色が失われていた。
「すまない……苦しいか?」
二度目とあって、多少の勝手は掴んだつもりだ。少しでも楽に己を迎えて貰おうと、砕身を払って想い人の身体を溶かそうと努めたマイクロトフだった。
けれど、こうして息を殺して苦悶を遣り過ごそうと努めるカミューを見れば、同性で身を繋げる行為の不自然を改めて思い知らされる。互いに不慣れな交情は、愛を伝え合う儀式というより、愉悦と痛苦の戦いでしかない。
身のうちを侵食した熱に馴染もうと浅い息を吐く青年の濡れた瞳が、束の間の彷徨いの後、僅かに背後を仰ごうと試みる。届かぬ眼差しで皇子を思い、カミューは震える唇に笑みを象った。
「平気、だよ……ダンスニーでぐっさりやられたときに比べれば……ずっと楽───」
そんなことと比べるな、とやや脱力しながら、マイクロトフは緩やかに動き始めた。
カミューは思う。
寧ろ、耐え難い苦痛であった方が良かった。こんなふうに気遣って欲しくない。欲望の赴くまま、残忍な征服者として振舞ってくれれば、彼が宿す血への憎悪を呼び覚ますことも出来るのに。
抱いてはならない筈の躊躇いを胸の奥に落とした男。兆した感情への惜別を込めて伸ばした手を、無邪気な歓喜で握り返したマイクロトフ。
手荒な愛撫に裸体を取り出され、熱を帯び、息を弾ませながら、心だけが冷え切っていた。
逞しい背を抱き返す己の腕が、多くの嘘を抱えているから。
愛を囁く低い声に、同じ言葉を返せないから。
熱く見詰める瞳の輝きを奪うのは己なのだと、自らに言い聞かさねばならなかったから───
憑かれたように侵略の手を進める皇子には、そんな機微を察する余裕はなかったろうが、それでもカミューは偽りの露見を恐れて、男の眼差しから顔を反らし続けねばならなかった。やがて皇子が、身を竦ませるカミューに気付いて、探る指先に慎重を孕むようになった後は、遣る瀬無さは増す一方だった。
不器用に、けれど熱心に快楽を堀り当てようとするマイクロトフは、感情に衝き動かされる一人の男でしかない。そこにマチルダを統べるものたる権威はなく、あるのは一途な情愛だけだ。
屈強な体躯に流れる血は、故郷を侵した敵から受け継いだもの。いずれ再び故国の脅威となり得る異国の王、だからその血を残さず絶つ───慟哭の中で見出した決意に縋って今日まで生きてきた。
カミューにとってマチルダ王は、表と裏の顔を使い分ける冷酷な侵略者であり、その息子も同様であらねばならなかった。こんなにも真っ直ぐに己を見詰め、世の理も忘れて求愛し、それが一時の気迷いではないと感じさせるような男であってはならなかった。
この想いがある限り、たとえ王座についたとしても、彼がグラスランドの脅威となる日は来ないだろう。けれど、摂理に反した想いに永遠など望めようか───醒めた理性が囁く一方で、抱き締める腕の強さに心が疼く。温かな視線に決意が揺らぐ。
せめて誠実な瞳から逃れたい一心で、背後からの行為を促す姿勢を取ったカミューに、初めはマイクロトフも戸惑いを覚えたようだった。
しかしそれも刹那のうちで、彼はカミューの腰を抱え上げた。多少なりとも受け入れるのに楽な手法を望んだ、とでも考えたのかもしれない。
より屈従を感じさせるような、あられもない姿態を、敢えて求めたカミューの意図をマイクロトフは悟れない。
迷いを捩じ伏せんとする狂おしい足掻き、苦悩を映した顔を見られたくない、その一念で敷布に這ったカミューの心を、マイクロトフは知り得ない。
身は深く繋がりながら、二人の間には遠い距離があった。決して埋めることの出来ぬ、何処までも果てしない、血色の距離が。
「あっ……」
頂点に触れるべく、慎重に動いていたマイクロトフが、微かな喘ぎに気付いて瞬く。次には、しかと掴んだ腰の奥深く、見出した弱み目掛けて熱情を突き入れた。
ずり上がったカミューは、投げ出した指先に敷布を絡め、痛み混じりの快感に身を委ねた。未だ半端に纏わりついたままのローブが、汗を吸い、色を増して、透き通る肌を際立たせている。
マイクロトフが肩に───過日ダンスニーが貫いた左の肩口にくちづけると、不可解な悦楽がカミューを襲った。
従者の若者によって丹念に回復魔法を施されたそこに、負傷の影は窺えない。火照る肌の上、よくよく目を凝らせば、僅かに色を増しているように感じられる程度の痕跡が留まるのみである。
けれどそれは、二人を結ぶ絆の証とでも主張するかのような、何とも言えぬ疼きをカミューにもたらす。知らず声を殺すために、布を噛み締めずにはいられなくなるほどに。
耳朶を柔らかく唇で挟みながらマイクロトフが呼ぶ。
「カミュー」
再び蘇った熱を、背後から回した手で宥めながら囁く。
「……声が聞きたい」
───同じ想いを滲ませた声を。
閨の中、己だけが聞くことを許された優しい響きを。
「マイクロトフ」
唾液に濡れそぼった布を吐き出し、カミューは応えた。
「マイクロトフ……」
眦を焼いた涙の意味は、もはや自身でも分からない。
狂おしげに呼ばれた名に、かろうじて残していた自制を失して、マイクロトフが雄の本能に立ち返ろうとしていることにも気付かなかった。
激しくなる律動、軋む寝台。心の均等の喪失を知って台頭し始める身のうちの「烈火」を抑えながら、カミューは望んだ狂乱へと転げ落ちる。
「わたしはおまえを───」
何と告げようとしたのか、それすらカミューには分からなかった。
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