INTERVAL /12


「こんなところに居たのか、探したよ」
張り詰めた糸のような声音で呼び掛けながら、彼女はカミューの隣に並んだ。
草原の小高い丘から見渡す彼方に、今まさに陽が落ちようとしている。吹き荒ぶ風に柔らかな髪を乱し、カミューは低く呟いた。
「……グラスランドの夕陽は紅いな」
それから残照に深みを増した琥珀を伏せる。
「昔はあの色が好きだった。命の力強さを感じる気がした。けれど今は、血色に見える」
理解する、とでも言いたげな首肯。色鮮やかな装飾を纏うのが部族の常なれど、彼女は今、全身を闇色で包んでいる。その眼差しにはカミューと同じ、哀しみと怒りが混濁していた。
「感謝するよ、村の子供を助けてくれて。あの辺りには強い魔物が出るから行かないように、日頃から言い含めてあるんだけれど」
「幼くても、カラヤの民は根っからの戦士だからね。腕試ししたかったんだろう」
微笑んで、カミューは首を振る。
「……以前わたしが受けた厚情には遠く及ばない。あの時にはちゃんと礼を言ったかどうかも覚えていないんだ、ルシア」

 

ゲオルグ・プライムに拾われたばかりの頃、カミューは覚醒したての「烈火の紋章」によって頻繁に高熱を出した。
草原の真っ只中で病人を抱えて難儀していたゲオルグにたまたま行き合い、救いの手を差し伸べたのがカラヤ族の長、彼女───ルシアの父だった。
カミューの体調が落ち着くまでの間、彼は自宅を宿として与える寛容ぶりを見せた。カミューの村がマチルダ騎士の焼き討ちに遭ったと知るや、戦士を集めて報復に乗り出そうとまでした義侠と闘争の人でもあった。
グラスランドは不可思議な地だ。一国家として確立しておらず、幾つもの部族に分かれて、各々の秩序を重んじる。部族同士で相争うことも多く、殺傷沙汰や略奪は茶飯事とも言え、それが他国には野蛮と映る。
しかし、グラスランドという土地を何より尊び、そのためには命をも懸ける民でもある。過去に幾度も他国に攻め入られながら、未だ成果を許さないのは、有事の際の結束の固さにあった。
部族間の争いを一瞬で捨て去り、即座に手を結ぶ切り替えの速さ。それは、グラスランドに生きるものにしか分からぬ、大地への愛着だったかもしれない。
カラヤの村とカミューが暮らした村には一切の交流がなかった。それでもルシアの父が我が事のように激怒したのは、ただひとえに「グラスランドの民」が蹂躙されたからだったのである。
村で唯一の生き残りとなったカミューを、彼はたいそう大事に遇してくれた───そう、後からゲオルグに聞いた。
カラヤで過ごした数日の間、カミューの精神状態はひどく不安定で、ふとした拍子に自失に陥るような有り様だった。そのため、何かと心を砕いてくれる族長に満足に応対することすらままならなかったのだ。
あれから五年余り、久々に足を踏み入れた故郷の地。
ふと思い至って足を向けたカラヤの村近くで、魔物に襲われている子供を助けた。そのまま子供を送り届けたところで、族長の死を知らされた。あと僅か早く戻っていれば、とカミューは心底から悔いていた。

 

「グラスランドの民の誇りに懸けて、虐げられた同朋には手を差し伸べる───それが父の口癖だった。今のわたしの信念でもある。言葉にせずとも、父はおまえの心を理解していた筈だ」
「……それでも、もう一度お会いしたかったよ」
独言気味に言うと、ルシアは微かに笑んだ。
「そうだな、わたしも会って欲しかった。病人みたいだったおまえが立派に立ち直ったのを見たら、父も喜んだだろうに」
まだ少女と呼んでも良い年頃の同朋。喪の色が彼女に厳しい強さを与えている。五年前にも勝気の片鱗を窺わせていたルシアだが、あの頃の無邪気は消え失せ、一族を束ねるものとしての矜持へと変貌を遂げていた。
同じように大切なものを失っても、彼女にはまだ護るものがある。新たなる族長としての責務がルシアを待っている。己の哀しみのみに溺れていられぬ境遇を、ほんの僅かだけカミューは羨んだ。
それにしても、と眉根を寄せる。
病死とは意外だ。朧げにしか覚えていないが、カラヤ族長は戦士の中の戦士といった屈強な体躯を持ち、没するとしたら戦いの過中で、としか想像出来ないような人物だったのに。
亡き族長に関して村人の口は重い。程度の差はあれ、皆、意想外な死に様に戸惑っているのかもしれない───カミューはそんなふうに想像した。
死は常に、等しく人に振り掛かる。マチルダ王が病魔の前に呆気なく沈んだように、どれほど長らえて欲しい人も、死は容赦無く奪い取っていく。
「……儚いね」
知らず零すと、ルシアはきゅっと唇を噛んだ。
「天命なら、な」
含んだ物言いに顔を上げたところで彼女は語調を変えた。
「それより、あの男はどうした? 一緒ではないのか」
あの男、と復唱してからカミューは自嘲の笑みを洩らす。
「ああ……、ゲオルグ殿か。別れたよ」
束の間、師の後ろ姿が脳裏に浮かび、刺すような痛みを覚えるカミューだ。片やルシアも驚いたように目を見開いていた。
「うろ覚えだが……おまえはたいそう慕っているように見えたものだったよ」
恩人なら無理もないだろうけれど───そう付け加えられてカミューは目を細めた。
「今でも慕っているさ、恩人としてばかりではなく、師としても、ね。でも、ここへ来る少し前に見限られた。二度と会わないと言われた」
ますます怪訝は深まったようだ。ルシアは眉を顰めて考え込む。
「……理由を聞いても良いか?」
他人の事情に踏み込むのを憚り、それでも関心が上回ったのだろう、声音はひどく低かった。カミューは微笑み、足元の草を軽く蹴った。
「故郷の村を失い、腑抜けていたわたしに、あの人は剣を教えてくれた。それだけではない、勉学や礼儀作法に至るまで、様々なことを教えてくれた。けれど彼にとってそれは孤児が生き抜くために必要な力だった。復讐に使おうとしているわたしを許せなかったのだろう」
「復讐……?」
見上げるルシアの瞳から敢えて目を逸らし、カミューは頷く。
「わたしは村人の墓前に誓った───死をもって襲撃者たちに罪を贖わせる、と。あのとき四人のマチルダ騎士が逃げ果せた。焼き討ちを命じた王は死んだが、その血を引く息子がいる。かつてわたしは無力だった。村人の亡骸を前に、何ひとつ出来なかった。けれど今は違う」
苛烈の炎を宿した右手を夕陽に掲げ、琥珀色の瞳が不吉に笑んだ。
「剣技を磨いた。物事の表裏を量り、画策を巡らせる技法も得た。今ならば誓いを果たせる。いや……、今しかないんだ」
あと数月もせぬうちに、マチルダの皇太子は王位に就く。ただでさえ近付くのには容易でない相手が、いっそう遠のいてしまう。ゲオルグと共に臨んできた傭兵仕事に区切りがついた今こそが、宿志を実行に移すべき時であった。
「長く一緒に居たからね、離れる理由を正直に伝えるしかなかった。結果を予想していなかった訳ではないが、やはり堪えたよ。あの人の心に背いている自覚はあったから」
「…………」
「けれど、もう引き返せない。最後に族長殿にお会いして、あのときの礼を伝えられたら良かったのだけれど……」
そこでカミューは、食い入るように己を凝視しているルシアに気付いた。それまでとは若干異なる色を漂わせる瞳に不可解を覚え、小首を傾げる。
「ルシア?」
「カミュー、おまえ……」
幾許か躊躇するように唇を震わせ、最後に彼女はきつく眦を決した。
「村の民を殺した連中を始末するためにマチルダに乗り込む……そう言うんだね」
「そうだ」
「聞いた話では、随分と多くの騎士がいるらしいじゃないか。そんな中からたった四人を探し出せると?」
「困難は承知の上だよ」
「騎士はともかく、皇太子といったら、傍に近付くのも難しいだろう。それでもやるのかい?」
場に合わないほどの穏やかな笑顔でカミューは言った。
「でなければ、独り生き延びて今日まできた意味がない。滑稽に思えるかもしれないけれどね、ルシア……彼らへの報復は、わたしの存在理由なんだ」
常に悪夢は胸のうちに在った。
村中に散る遺体、目の前で斬られた少年の涙に汚れた死に顔。傭兵としてデュナン各地を回る間、「マチルダ」と耳にし、彼の国の旗を目にしては、吐き気を伴う嫌悪に苛まれたものだ。
復讐を生きる目的とさだめた彼を、ゲオルグは忌んだ。薄々は察していたかもしれないが、終に口に出して別行動を求めたカミューに背を向けた。
誰よりも心情を知る筈の男がそうなのだ、愚かしいと嘲笑されても已む無し───そう考えていたカミューだったのだが。
「……滑稽だなんて思わない」
くぐもった声でルシアは呟いた。それから再び真っ直ぐにカミューを見詰め、その腕を取る。
「来てくれ、おまえに見せたいものがある」
そうしてカラヤの村へと続く路を下り始める二人の背を、草原の最後の陽が眩しく照らした。

 

 

 

箪笥から取り出した小箱をカミューの膝元へと押し遣りながらルシアは切り出した。
「病死と聞いて、おまえも怪訝に思っただろう。事情を知っているのは一部の人間だけだ。村の皆には余計な心配をさせたくなかったからね」
小箱に納められていたのは一握りの頭髪である。族長の遺髪と推測されるそれは、だがカミューの心を締め付けた。所々どす黒く変色した髪。記憶にある、娘と似た薄い金色だった髪とは及びもつかない、何とも異様な色調である。
「これは……」
知らず声を詰まらせると、向かいに座したルシアは膝上で拳を握り、ゆるゆると説いた。
「半年ほど前のことだ。父は単身でグリンヒル公国に赴いた。知っているだろう、あそこは学術で名高い国だ。グラスランドの民族文化についての書を編纂したいから、と……公主から正式に招かれたんだ。滞在は三月に及んだ。戻ってきたときには、既に父は身体を壊していた。寝込んだまま、それきり本復しなかった」
冷え冷えとしたものが忍び込む。カミューは極彩色の組み紐で括られた髪を手に取った。
「毒殺……されたと?」
「確証はない」
でも、と初めてルシアは瞳に涙を溜めた。
「元気だったんだ。仮にもグラスランドを敵視しているデュナンの地に行くのだから、供を付けろという長老たちの進言を振り切って……自分の身くらい自分で護る、と。グラスランドを知ろうとしている国の丁重な招きだから、こちらも誠意で応じる、そう言って独りで───」
「…………」
「父はまるで疑っていなかった。慣れない土地で体調を崩した程度にしか考えていなかった。でも、どんな薬を飲んでも治らなかったんだ。一度だって病で寝込んだことなどなかったのに」
ぽとり、と涙が落ちる。哀しみよりも怒りが勝るような口調だった。
「そのうちに髪の色まで変わった。毒を盛られたのではないかと誰もが疑い始めた。最期には衰弱し果てて死んだのさ、誇り高きカラヤの族長が……誰よりも勇敢で強い戦士が!」
ルシアは乱暴に頬を拭い、きつくカミューを見据える。
「わたしの族長としての最初の仕事は、真実を突き止めることだ。もし本当に毒を盛ったならば許さない。カラヤの誇りに懸けて敵を討つ。その血に連なるものすべて、残らず滅ぼしてやる」
最後に僅かばかりの笑みが続けた。
「大事な人の無念を晴らそうというおまえの決意を、滑稽だなどと思う筈がない。わたしも同じだ、カミュー」
「ルシア……」
亡き人の遺品を今一度そっと握り締め、それから丁重に箱へと戻す。それを見守った後、カラヤの若き族長は尋ねた。
「それで、どうやって敵に近付くつもりだ?」
カミューは短く溜め息を洩らす。
「何しろ相手の名しか分からないからね、内部に潜り込むのが最良とは思うのだけれど……」
「マチルダ騎士になる気か?」
「……でも、異邦の出自者が騎士団に入るには、マチルダに身元引受人が必要らしいんだ」
それは、計画における最初で最大の難関だった。無論カミューにはマチルダに知己などない。ゲオルグに心当たりがないだろうか、とも考えたが、ただでさえ憤っていた師にはとても問えなかった。
「正面から入れないなら裏口から───と思うが、これが存外難しくてね。時を掛けず、懐に飛び込む方法がないものかと……実は途方に暮れているところさ」
軽く笑って肩を竦めると、ルシアは厳粛に背を正した。
「力になれるかもしれない」
「え?」
困惑して瞬く彼に、残照にも似た強い眼差しが注ぐ。
「父の死の真相を探るため、グリンヒルに数人の戦士を潜ませている。言うべきかどうか迷っていたが、おまえがそのつもりなら話そう。騎士団の御偉方とやらが、刺客を探している」
「刺客……だって?」
誰を殺すつもりだか知らないが、と前置いてルシアは続けた。
「グリンヒルの要人が何人か動いている。どうやら公主ワイズメルの指示らしいな、戦士が声を掛けられて肝を冷やしたと言っていた。つい先日の話だ」
潜入したカラヤの戦士たちは定期的に状況を報告するため村に戻る。その折に、何気なく出た話であった。隠そうとしていても戦い慣れた気配は露見してしまうのか、と戦士は苦笑っていたという。
「マチルダと一切の係累がない、腕の確かな刺客を求めているそうだ。とは言っても、あのあたりに集まるのは武力とは無縁の連中ばかりだからね、難儀しているようだ。どうだい?」
戦慄きが身を駆け上がる。ひとたび息を吐いて、カミューは正面からルシアに瞳を当てた。
「騎士団の上に位置する人物の求めなら、騎士となって潜伏するのと同じ……あるいはそれ以上だ」
「だろう?」
ルシアは不敵に笑い、立ち上がって文机へと向かう。
「おまえに協力するよう、戦士に文を書こう」
「───ルシア」
カミューは低く呼び掛けた。
「何故だい? どうしてそこまでしてくれる?」
すると彼女は振り向きもせず、淡々と返した。
「同じグラスランドを故郷とするものだからだ。村の民の無念のために動く気持ちも分かる。それにおまえは、何年も前に一度会ったきりの父のために祈ってくれた。望みを果たして欲しいと思う」
模糊としていた前途に道が開けたような心地だった。カミューは背を正し、カラヤの新族長に深々と一礼する。
「感謝するよ、ルシア……」
言葉に出来たのはそれだけだった。

 

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赤がマチルダに来るまでの
裏事情その1でした。

その2もあります(笑)
ゲーム時から気になって堪らなかった人物を
せめて名前だけでも登場させたかったので。
昨日、手直ししながらチャットに参加させていただいてたら
彼の名が出て、ドッキリしたですよ……。
その人の名は……ビッチャムv

 

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