最後の王・55


赤騎士団・事実上の最高指揮官に導かれたのは、いつもの西棟ではなく、巨大な広場を構えた中央棟の最上階にある見晴し台だった。
吹き荒ぶ風が長い上着の裾をはためかせる。柔らかな薄茶の髪が乱舞して目許を覆った。
「この季節になると風が強くてね。ここに昇って来る酔狂な人間は稀だ」
棟の縁にまで進んだ副長が振り返りながら苦笑する。誘われたように歩み寄り、カミューは静かに男を見詰めた。
「分かったのですね、お願いした件が」
すると副長は微かに眉を顰め、懐へ手を忍ばせた。差し出されたのは例の紙片だ。幾度も開閉が繰り返されたのか、皺だらけになったそれをゆっくりと伸ばす青年に、彼は低く言った。
「あまり良い結果を知らせられないのが残念だよ、カミュー殿」
記された四つの名のうち、既に一つは「死亡」として消されていたが、更に二名に線が引かれている。食い入るように凝視する紙面が激しく揺れた。
「このお二人も……?」
「故人だった。二人とも五年前、ほぼ同時期に騎士団を辞しているが、偶然にも死亡時までもが近かったよ。こちらは故郷の村で家業を継いでいたが、家に夜盗が押し入ってね。争った後、これを取り押さえたものの、そのときの負傷が膿んで治らなかったらしい。もう一人は前皇王陛下の死に殉じた。自宅で、短刀で首を突いて……家人が発見したときには手の施しようがなかったそうだ」
「殉死───」
眩暈を覚えて必死に四肢を叱咤する。そんな様子を痛ましげに見守る副長の眼差しは温かく、いっそうの痛みを煽った。
彼は違えている。悲痛な嘆きを、会えぬまま恩人に逝かれた哀しみと考えている。
だが、そうではない。
これは、身のうちに滾る恨みをぶつける相手、自らの手で葬ると誓った対象が、なすすべもなく零れ落ちていったことへの失意なのだ。自らの代わりに天が裁いた、そう諦めるには憎悪は根深く、遅すぎた己への怒りばかりが募る。
微かに息を荒げた青年に気付いて、騎士は覗き込むようにして言った。
「いずれも自宅は分かる。家人を訪ねる気があるなら、地図を書こう」
喚き出しそうな身をありったけの自制で抑え、カミューは首を振る。
「……いいえ、もう……良いのです」
殺すと決めた敵であったけれど、家人にまで類を及ぼすつもりはなかった。それでは村人を皆殺しにした彼らと同じになってしまう。
絶やすべきは皇王家の血のみ、今後グラスランドの脅威となり得る支配者の血だけと己に律してきたのだから。
「ほんのいっとき、行き縋っただけのわたしのことなど、御家族に話されてはおられないでしょう。お訪ねしたところで意味はありません」
副長は瞬き、そうか、と呟く。それから励ますように薄い肩に手を乗せて続けた。
「気落ちさせてしまってすまないね。だが……最後の一人が残っている。彼とは会えるよ」
「えっ?」
弾かれたように顔を上げると、男は消されていない唯一の名を指した。
「彼は今も騎士団に在籍している」
「……どういうことです? 辞されたのではなかったのですか?」
赤騎士団副長は、何処から説くかを思案するように視線を彷徨わせ、それから真っ直ぐにカミューを凝視した。
「名と所属が変わったのだよ、カミュー殿。彼は少々複雑な経歴を持っていてね、整理しながら聞いて欲しい」
同意を示すと、男は俯き加減で腕を組んだ。
「君が会ったという五年前、彼は赤騎士団の第八部隊長だった」
「赤騎士団の?」
「そうだ。だが、更にその前は白騎士団員だったのだよ」

 

当時の赤騎士団への配置替えは本人の希望でね───そんなふうに詳細は続く。
白・赤・青、いずれに所属するかは当人の持つ才能によって決まるのが常だ。稀に希望が通るときもあるが、この騎士の場合がそれに当たった。地理に詳しく、各地の抜け道にも通じていた。それが情報収集能力をいっそう充実させたい赤騎士団の希望と合致したのである。
移動当時、ちょうど赤騎士団の第八隊長が私事都合で退団を決めていた。だから、序列で最高位にある白騎士団で第九隊長を勤めていた男を空席に迎え入れるのに問題はなかったのだった。

 

ただ、と副長は表情を曇らせた。
「かつて一度でも部下と呼んだ者、まして君の恩人を、こう思うのは心苦しいのだが……あまり好ましい人物ではなくてね」
「……え?」
「上昇志向が強いというのか、自ら転属を希望しながら、赤騎士団に馴染もうとしなかった。配下の騎士からもあまり良く思われていなかったようで、幾度か愚痴が聞こえてきたよ」
「…………」
「合わないと本人も感じたのだろう。再び移動を望んで、結局は白騎士団に戻った。今は第二隊長にまで昇格している。転属は、名鑑上では現所属を辞して、改めて別の団に入ったと記されるのだ。丁度それと前後して、彼は妻帯した。細君の実家に婿養子に入ったために姓が変わり、その名で新たに登録されたから、一見したところでは退団と見えたのだろう」
「騎士団に……居る……」
自失気味に呟いて、カミューは紙面を握った。
「今でも……いらっしゃるのですね」
「もう一つ。こちらもやや複雑な報告だが、君に調査を依頼された白騎士たちが居ただろう? 青騎士を殿下の暗殺犯に仕立てあげようとした一件で、傍に控えていた中に彼も居たようだ」
「何ですって?」
愕然と目を瞠る青年に副長は軽く首を振る。
「必ずしも謀略に加担しているという訳ではないだろうが、一応分かったこととして伝えておくよ」
それから温かみを増した瞳がカミューを窺った。
「どうするね? 何なら、わたしから彼に面談を申し込んでも良いが」
「───ありがとうございます」
カミューは小さく言って笑む。
「ですが……今のわたしの立場上、白騎士隊長でおられる方にお会いするには、機を見た方が良いかと」
「……そうか。では、いつでも言ってくれたまえ」
はい、と頷く青年の、未だ沈んだ面差しを慮るように一瞥してから、男は視線を空へと向けた。茜色の雲が流れて行くのを暫し見詰め、ふと切り出す。
「既に聞き飽きたやもしれぬが……」
「はい?」
「騎士になるつもりはないかね、カミュー殿」
カミューは目を見開いた。既に幾度も皇子たちから「マチルダに留まれ」と懇願されてきたものの、「騎士に」とこうまで直接的に望まれたのは初めてだったからだ。
言葉を失っていると、男は穏やかに目を細めた。
「先ほど殿下が言われたように、我がマチルダは王と騎士団長が両輪となって支えてきた国家だ。政治と武力とが正しく噛み合ってこそ、国の安寧は保たれる」
見晴し台を囲う高い石縁にゆったりと身を預け、遠く眼下に広がる街並みを眺め遣っての言が続く。
「四年の間、王が無かった。欠落を埋めるべく、責務の多くをグランマイヤー殿が負ってこられた。ゴルドーの謀略といった内紛は置いても、表向き国は動いている。皇王不在の現状に慣れたからだ」
そこでひとたび間が空いた。続いた声音は真摯に溢れていた。
「殿下が王に立たれても、宰相職や議会に委ねた権限を一度に取り戻されるのは難しかろう。御立場に慣れ、歴代の皇王同様に政務を執られるようになるまでには、王が空位だった歳月と同じほどの時を要するのではないかとわたしは見ている」
そうして瞳を巡らせて、真正面からカミューを見る。
「皇王不在の歳月……即ち、例えば四年。四年もすれば、殿下は全権を掌握し直し、名実共に見事な王となられよう。だが、その治世には揺らがぬ強き支えが要る。両輪のいま一片、騎士の長となるべき存在が。カミュー殿、君にそれを望むのは愚かだろうか?」
あまりに突飛な申し出に呆然とした。譫言のような呟きが洩れる。
「マイクロトフの隣に立て、と……そう仰せですか? わたしに、マチルダ騎士として……?」
「全騎士を束ねる団長として、……だ。君は若い。けれど、剣技や才覚、騎士たちを跪かせる威風と輝きが君にはある。人を導くだけの力がある。そして何より」
赤騎士団副長はやや語調を緩めた。
「───殿下が君を必要としておられる」
「それは……」
ツキリ、と胸を疼かせてカミューは目を伏せる。男は再び視線を街へと戻した。
「一年前、グリンヒルに同行した部下から魔剣の非道を聞いた。皇王家の宝、国を建てた剣……王となるべき者を祝福し、選ばれぬものには災禍を施す、裁量を司る剣。何ゆえに殿下が支配されたのか、我々にも理解出来なかった。あの方は誰よりも王に相応しき心を持っておられた筈なのに───そう誰もが悩んだものだ」
副長は弱い息を零した。脳裏に過る日々が言葉を途切らせたのである。
「たとえダンスニーを意のままに操れずとも、王になれぬ訳ではない。そうした王は何人もおられた。しかし、残虐を目の当たりにしてしまった騎士の恐怖は生半ではなかった。そんな彼らの反応に、殿下は悔恨と自責を募らせて……ダンスニーの支配に敗れた記憶は、皇王位に向かわれる道に黒き染みとして残ったのだ」
でも、と男の瞳が柔らかく笑む。
「それも失われた。正直、あの剣の支配下に堕ちた持ち手を呼び戻せる人間がいようとは思ってもみなかったよ。剣の「怒り」を封じて持ち手の眠れる心に触れる───それは、両者に深い絆なくして叶う筈もない奇跡なのだから」
「…………」
「どれほど望もうと、他の誰にも果たせなかった。為し得たのは、君が殿下にとって特別である証だよ、カミュー殿。どうか、そのさだめに殉じて貰えまいか。わたしが言うのも何だが、正しく機能した騎士団は一生を捧ぐに足る組織だ。礼節を尊び、正義と信念の許に剣を取る。平安の護り人として全霊を尽くす……騎士とはそうした存在だ。君に、我らの剣の主人となって欲しい。共にマイクロトフ様の治世を見守って欲しいのだよ」
いつまでも無言である青年に苦笑して、副長は風を味わうかのように目を閉じた。
「……少々性急過ぎたか。ただ、伝えずにはいられなかった。我らがどれほど君に感謝しているか……どれほど敬意を抱いているか。ゆっくりとで構わぬ、考えてみて欲しい。異邦の人間が騎士になるにはマチルダ出自の身許引受人が要る。わたしはそれに立候補しよう」
「…………」
「───さて。そろそろ宴も始まる頃だ。行こうか」
カミューは弱く首を振った。
「色々と一度に伺ったので混乱して……。少し風に当たって、落ち着きたいと思います」
「そうか……では、先に行っているよ。わたしも殿下の初査察の御感想を聞き逃したくないからね。宴の場は、赤・青、どちらかの騎士に聞けば分かるだろう」
赤騎士団副長は今一度にっこり笑んだ後、そう言い残して歩き出す。
カミューは束の間、身じろぎもせぬままそれを見送っていたが、男の姿が視界から消えるや否や、崩れるように膝を折った。
皇子のときもそうだった。真っ直ぐで迷いのない信頼は、耐え難い苦痛をもたらす。
かつてあれほど呪ったマチルダ騎士。けれど今は、すべての騎士を憎むなど到底不可能だった。カミューは知ってしまったのだ。今し方、男が語った騎士たちを。故郷の村を滅ぼした騎士とは別なる、誇り高き集団を。
温かな絆に結ばれた強き男たち、信念のために身を投げ出す姿は、部外者から見ても眩しいほどだ───けれど。
決してその輪に連なることは出来ない。身のうちに流れる憎しみが在る限り、彼らと共に迎える未来はないのだ。
たった一人残った騎士、愛しい「家族」の誰かを斬った男。
そしてそれを命じた皇王の血を受け継ぐ最後の男。
二人を殺せばすべてが終わる。復讐と未来は共存しない。最初から分かっていたことだ。
「共に」と言ってくれる誠実を幾つも裏切る報いがこの痛みか。あの日、燃え落ちる村で覚えたそれにも劣らぬ苦悶。カミューは胸を押さえ、唇を噛んで葛藤を捩じ伏せた。
果たさねば救われない。
墓に眠る人々の前に立てない。
これは、独り生き延びた己が負ったさだめなのだ。迷ってはならない───そんなことは許されない。
石の縁に縋るようにして、かろうじて身を起こしたところへ呼ぶ声があった。
「カミュー様、宜しいでしょうか?」
何時の間に来たのか、赤騎士が二人、棟へ戻る扉の前に立っている。まるで上位階者に拝しているかの如く丁重に、傍にも寄らずに待つ姿を見るうちに、荒れ狂っていたカミューの思考は冷えた。
「構いません、何でしょう」
初めて二人は歩き出し、僅かに距離を残したところで足を止めた。一人がおずおずと捧げ持ったのは書状と思しき包みだった。
「……これは?」
「お預かりしておりました。実は……査察に出立なさった日の午後、カミュー様を訪ねてきた者がおりまして」
「わたしを?」
怪訝を隠さず復唱すると、騎士らは困ったように顔を見合わす。
「はい。御留守だというのは承知していたようで、この文をお渡しするよう頼まれました」
書状には表書きも差出人の名も記されていない。カミューは形良い眉を寄せた。
「ロックアックスに知り合いは居ないのですが……」
騎士はますます恐縮して頭を垂れた。
「申し訳ございません。問うてはみましたが、最後まで名乗ろうとしなかったのです。「古い知り合い」と繰り返すばかりで」
「尾行して所在の確認が取れれば良かったのですが、何しろ人手が足りなかったものですから、城門番を放り出して行く訳にも……」
交互に釈明しながら、申し訳なさを募らせているようだ。カミューは小さく笑んで首を振った。
「気遣っていただいて、わたしの方こそ申し訳ありません」
ガサガサと書状の包みを外すカミューを、騎士らは立ち去ろうとせぬまま見守っている。手を止め、疑問を浮かべると、二人は背を正した。
「必要とあらば、手の空いているものを掻き集めて参ります。どうぞ御命じください、カミュー様」
「……果たし状を貰う覚えもないのですが」
失笑気味に返して、書面を開いて。
琥珀の瞳が見開かれた。
「カミュー様?」
心配そうに問う声にも応えられない。カミューは呆然と書状に見入り、幾度も瞬いた。
「お願いがあるのですが……」
「何なりと御申し付けを!」
「マイクロトフ……殿下に伝えてください。慰労の宴は辞させていただく、と」
「は?」
「これから街に下ります。夜には戻る、と……そう伝えてください」
言い差すなり、カミューは騎士たちの脇を早足で抜けた。
「ええと……カミュー様? カミュー様!」
追い掛ける声より早く扉を過ぎて、石段を小走りに駆け下りる。握り締めた書状の中には、苦悩に裂かれた心に温かく忍び入る大きな影が潜んでいた。
「ゲオルグ殿───」
我知らず呟く声は、救いを求めるかの如く掠れた。

 

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下っ端たちの地味な努力に比べ、
親衛隊長親玉のアプローチは直球だった……。

さて、漸く新キャラ参入です。
がしかし、
「オッス!」とは言わないと思われます(笑)

↑……いやこれ、日記未読の方には
意味不明ですね、すんません。

 

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