最後の王・53


結果的に、村で一夜を過ごしたのは正解だったようだ。
翌朝、騎士たちの待つ陣へと戻った二人は、昨日よりも数を増した隊列に迎えられた。夜間のうちに、ミューズから帰還してきた赤騎士団の第五部隊が合流していたのである。
既に天幕も撤収されており、出立の準備は整っていた。開けた地に整列した騎士の間から進み出た第五隊長が皇子に拝礼するうち、更に井戸掘りに当たっていた騎士たちまでもが到着した。
一気に膨れ上がった人員に驚きつつ、両者を労い、それからマイクロトフは感嘆混じりに呟いた。
「それにしても、井戸も完成するとは……」
「いえ……殿下、それが……」
一人の赤騎士がおずおずと口を開く。最初に井戸掘りを任ぜられた小隊の指揮官であった。
「我らも完成させるまで留まるつもりでおりました。しかし、村長殿をはじめ、村の男たちに「後は任せて殿下と合流せよ」と進言されまして、それで……つとめを投げ出すようで躊躇われたのですが……」
言い難そうに口篭る男を庇うように青騎士隊長が言い添えた。
「もともと自分たちで井戸を掘るつもりだったと言っておりましたからな。騎士ばかりに働かせては、との思いがあったのでしょう。何にせよ、民が助力を申し出るというのは悪い話ではない」
「然様ですな」
合流したばかりの赤騎士隊長もにっこりする。
「それは即ち、民の誠意に他なりません。見ているだけではなく力になりたい───彼らがそう感じてくれたのなら、これほど嬉しいことはありません」
そうだな、とマイクロトフが明るく応じると、小隊長はほっとしたように一礼した。
「掘削は我らの手で終えました。村人が井戸の内側を固め始めたところまで見届けて参りましたが」
言いながら、大事そうに懐に納めていた小瓶を取り出す。澄んだ水が硝子の内に揺れていた。
「……井戸の水か」
「はい、殿下」
僅か数日前に青騎士隊長が差し出したものは泥水にしか見えなかった。けれど今、見詰めるそれは清々しい透明で、十分に飲用に耐える品と認められる。
「人の力とは偉大なものだ」
「信念の為せるわざですな」
青騎士隊長が明るく応じ、次いで背を正した。
「さて団長、そろそろ御命令を」
「命令?」
戸惑いがちに首を傾げる皇子に男は笑む。
「あなたはここに集った騎士の総指揮官でおられる。ロックアックス帰還の号令を掛けていただかねば」
騎士たちの誠実な眼差しが注視していた。マイクロトフはゆっくりと頷き、息を吐いて総勢を一望する。程無く、深く豊かな声が雄々しく宣言した。
「これよりロックアックスに向けて出立する。総員、騎乗!」
騎士たちは弾かれたように、少し離れたところに並んでいる馬へと向かい始めた。倣って歩き出したマイクロトフの横、カミューが一人の赤騎士に声を掛けられたのを見計らうかのように、近寄った青騎士隊長が小声で囁いた。
「少々お伺いしても?」
「何だ?」
「我らが幕僚長殿のあの上着、初めて見ますが……もしや団長がお与えになった品ですか」
すらりとした青年が纏う漆黒の上着は目を引く。気付かれるのも道理だな、と思いながらマイクロトフは頷いたが、途端に騎士の表情が曇った。
「何か問題があったか?」
「ええ、かなり」
やれやれと言わんばかりに首を振る。
「昨夜、彼に救われた部下が相談していました。侍従殿の奮闘虚しく、使用に耐えぬ無惨を呈している上着の替わりを贈ろうと。聞きつけた他のものまで資金援助を申し出て、色はどうの、形はどうのと夜通し談義を重ねた挙げ句、購入係まで決めていたのですが……赤騎士ばかりか団長にまで先んじられるとは、まったく不敏な連中だ」
笑って良いものか迷いながら、唐突にカミューが洩らした不穏な一言を思い出す。
「……おまえは、「衣服を贈るのは下心に拠るもの」という説を聞いたことがあるか?」
「贈る品が服に限らず、今はもう、誰も彼もが下心丸出しですな」
ぎくりとしたマイクロトフは慌てて男の視線を追った。見遣った先では、カミューと若い赤騎士が何事か話し込んでいる。若者の眼差しには熱が篭り、並ならぬ傾倒を語るようだった。
青騎士隊長は軽く首を振った。
「先ずは騎士団に留まる気にさせるのが肝要、故に進物・口説きは大いに結構。ですが、団長は青騎士団に属される御方なのですから、部下連中の勧誘行動に向ける士気を挫かれては困ります」
「む、難しいな……」
深々と考え込んでしまった皇子を一瞥し、男は苦笑を浮かべる。
「優れた人材を確保するのは容易ではない───そういうことです。という訳で、どうぞしっかりと彼を捕まえておいていただきたい」
何気ない一言に狼狽させられ、マイクロトフは微かに頬を染めた。その場に足を止めて、馬を目指す騎士隊長を見送る。
皇子が待っているのに気付いたのか、若い赤騎士も一礼を残してカミューから離れた。そうして再び隣に並んだ青年に、マイクロトフは低く問うた。
「何を話していたのだ?」
カミューは瞬き、小首を傾げる。それから思い至ったふうに吹き出した。
「妬かなくて良いよ、皇子様。年下の男は趣味じゃない」
「……おれも年下の男だが」
「老け顔だからね、たまに年下なのを忘れるよ」
「カミュー……」
肩を竦めてカミューは続けた。
「この上着に合いそうだから、是非とも例のマントを付けてくれ……そう言われた」
「もっともだ。どうして使わない?」
マイクロトフは瞬いて、眉を寄せる。それを見込んで選んだ品なのに、カミューは未だに「真紅のマント」を仕舞い込んだままなのだ。
答えを促すように続く凝視に、青年はひっそりと目を伏せて歩調を速めた。僅かに皇子から距離を取ったところで、密やかな呟きが洩れていた。
「……彼らの誠意に見合う人間ではないから、さ」

 

 

 

 

 



街道の村は、最初に訪問した村よりも僅かながらロックアックス寄りに位置しているため、それほど激しく馬を飛ばした気もせぬまま、日暮れ前には山肌に築かれた街並みが目視出来るようになった。
早めの到着が叶った要因の一つに、魔物の襲撃を受けなかったことが挙げられる。勇壮な騎馬隊に怖じたのか、行く手に立ち塞がる魔物は皆無だった。
今ひとつの理由は、やはり騎士たちの意気が高かったことだろう。赤騎士団員は古巣に戻る喜びに逸るばかりだった。片や青騎士団員は、彼らに遅れを取るまいと精一杯に努め、そうして騎馬隊の速度は増す一方だったのだ。
昼食のために割いた短い休息を除いて駆け続けた一団は、程なく街門へと差し掛かった。数騎を両騎士団副長宛の先触れとして送った後は、疾走の間に多少乱れた隊列を整えながら並足で進んだ。
先頭を駆るのは皇太子マイクロトフ、その両翼にはカミューと、場の最高位階者である青騎士隊長が位置している。次列に従者フリード・Yと二人の赤騎士隊長が、更に後方を赤・青両騎士が並んで続く。この行進を見た街人の誰もが驚きに目を瞠り、その場に立ち尽くした。
歴史を紐解いても、所属の異なる騎士が一団となって街を進むことなど皆無に等しかった。未だハイランドとの小競り合いが続いていた頃より、騎士団は色彩ごとに分かれて行動するのが常であったのだ。
内着の色は指揮系統の別を意味し、同時に序列の差を示す。騎士団訓戒などは知らずとも、それはマチルダの民であるならば感覚的に身に付いた常識だった。
定着した慣習を覆す行進。だが、それは不可思議な調和となって人々の目に映る。馬を並べるどの騎士たちも明るい表情をしているからだ。
もともとこれは通常任務の帰還、過ぎる粛然を皇子は望まなかった。赤騎士の中には長く街を離れていたものも多い。隊列の中に家族や恋人を見つけた街人の喜びに応える程度は構わないだろう、というのが彼の意向だった。
騎士たちは寛容な差配に慎んで従った。街路の端から掛かる声に手を振り、それが若い乙女であれば、即座に周囲の騎士が冷やかす───そんな和やかな帰還ぶりが、人々には実に微笑ましく、温かく思えたのである。
やがてカミューが苦笑気味に皇子を一瞥した。
「さっきから何を小難しい顔で悩んでいるんだい?」
いや、と弱く零してマイクロトフは手綱を絞る。
「この数で帰還すれば、幾らゴ……、あの男でも気付くだろうと思ってな」
途中で思い直して名を伏せたのは、街路の両脇に陣取る民衆の耳を恐れたためである。最初の市内巡回のとき同様、彼らは皇子に関する提言──照れ屋なので、仰々しく取り巻かないで欲しい、という──など忘れ果てたような歓声を上げている。故に、そうそう会話まで聞き取れないだろうが、用心は必要だ。王位継承者とその叔父の不仲など、知られないに越したことはない。
「余程の馬鹿であっても気付くでしょうな」
見下し果てた言い様で青騎士隊長が同意した。
「団長の御不在も知られていると考えられた方が宜しいかと」
皇子の太い眉がますます寄った。
「となれば、考える時間は在った訳だ。下手をすると、その場で赤騎士に次のつとめを命じかねない」
「……でもそれは、おまえが何とかするんだろう? 前に、豪語していたじゃないか」
首を傾げながらカミューが言うと、マイクロトフは厳しい面持ちで彼を見る。
「そのつもりだ。これまで何かとはぐらかされ、あしらわれてきた感がある」
「口だけは達者な男ですからな」
「だが……此度は絶対に負けられない。おれがしくじれば、すべてが無駄になってしまう。それで、何と言ってあの男を制すかを考えていたのだが」
深刻な声音が、次には沈んだ。
「おれは弁術が巧くない。ただでさえ怒らせようと話を向けてくるし……頭に血が上ると、それを抑えるだけでいっぱいいっぱいになってしまう」
今度はカミューが神妙な顔で応じる。
「……おまえはあまり考えない方が良いんじゃないか?」
「考えても無駄だ、と言う意味か?」
真面目に問い返した男に笑みながら、青年は肩を竦めた。
「違うよ、査察に出た日に教えただろう? 人には向き不向きがある。「彼」のような男を丸め込むには、それなりの経験と技量が要るものさ。自尊をくすぐり、そう仕向けられていると当人が気付かぬように会話を運ぶ───つまり、政治だ」
「おれが最も苦手とする分野だ」
悄然と唸る皇子の横で、騎士隊長が非礼と取られぬ程度に首肯している。カミューは苦笑し、更に続けた。
「丸め込むのが無理なら、捩じ伏せれば良い。おまえの武器は信念と勢いだ。あれこれ考えるより、その力を信じれば良いんだよ」
最愛の青年による穏やかな指摘は、マイクロトフにとって何にも勝る檄である。ちらついていた深刻そうな気配は何処へやら、たちまち表情に精悍が蘇り、正された背が体躯の雄大を増した。
「そうだな、おれには譲れぬ信念がある。それで負ける筈はない」
「そうだよ。人の意見をものともせずに望みを押し通すのは得意だろう?」
「……っ、カミュー!」
何かと疎い部分もあるマイクロトフだが、やんわりと小声で付け加えられた一節が昨夜の一幕を暗示していると、何故だかすぐに分かってしまった。狼狽え、頬に血を集めて声を荒げた彼を、青騎士隊長ばかりか背後の騎士たちも怪訝そうに凝視する。
「なっ……何を言い出すのだ。あれは決して、そんなつもりでは───」
「……「あれ」?」
ポツと洩れた青騎士隊長の復唱が、熱した思考に冷水を浴びせた。あわあわと口篭り、マイクロトフは重々しく咳払いすることで辛うじて己を取り戻す。暫し済まし顔を続けたカミューも、やがて肩を震わせ始めた。
「成程ね、あの男がおまえを挑発する気持ちが分かる気がする。これも苦手分野かもしれないけれど、腹芸ももう少し磨いた方が良さそうだな、皇子様」
「…………」
後列で一部始終を聞いていた従者フリード・Yは、青年に弄ばれている主人を気の毒に思いつつも、何処か緊張感のない笑いが浮かぶのを止められなかった。
最後の方の遣り取りは、おそらく一国の皇太子が騎士を引き連れて王城を目指す途中で交わされる会話としては、不具合に当たる類のものだろう。親友同士の軽口というよりも、痴話喧嘩とでも称した方が相応しそうな戯れ合い。
やれやれと苦笑う青騎士隊長、必死に神妙を保とうとしている赤騎士隊長。会話までは聞き取れないながらも、前列の楽しげな様子に同調してしまうのか、いっそう朗らかな面持ちで馬を進める配下の騎士たち───それを見守る沿道の民の笑顔。
長きマチルダの歴史の中でも、こんな光景は珍しかった筈だとフリード・Yは思う。
権威や格式といった、何より重んじられてきたものが微妙に変質している。決して失われてしまった訳ではないのに、心地好い温みのようなものが感じられるようになった。
騎士団は変革のときを迎えているのだ。
マイクロトフの許、新たな色を添えて、腐敗した一支配者の軛から解き放たれようとしている。騎士団創設の父、聖人アルダが目指したであろう真の姿、マチルダの正しき庇護者がここに在るのだ。
フリード・Yはゆったりと馬を進める細身の青年の背を見詰めた。
気負ったふうでもなく、のんびりと会話に応じながら、それでも護衛のつとめを忘れず、周囲に注意を払っている美しい傭兵。
彼が現れなかったら、今の皇子はなかっただろう。心中でどれほど望んでも、ゴルドーに立ち向かうなど叶わず、ただ息を潜めて即位の日を待つばかりだったに違いない。
それを怯懦とは思わない。けれど、似合わないのは確かである。
自らを抑えて振舞うよりも、心のままに笑い、憤り、悩む皇子の方がずっとずっと好ましい。フリード・Yは、そう心底から認めるようになっていた。
一人の男の真なる姿を引き出した青年に畏敬混じりの目を当てていた若者は、だから不意に険しく空を振り仰いだ白い顔にぎくりとした。
鋭く手綱が引かれ、先頭の栗毛の馬が脚を止める。気付いた皇子も倣い、カミューのすぐ後ろを進んでいた赤騎士隊長が慌てて手を挙げて後方の騎士らへと停止を命じた。
「どうした?」
緊張を漂わせて問うた皇子にも応えず、カミューは沿道のやや上方、並ぶ建物を窺っている。視線を追いながら青騎士隊長が自剣の鞘を握った。
「……敵か」
今度は潜めた声音で呼び掛けたマイクロトフは、予想に反して青年が警戒らしきものを浮かべていなかったため、不可解を覚えた。
「カミュー?」
すると彼は、いや、と弱く瞬いて独言気味に呟く。
「見られている───誰かがわたしを見ている」
これには一同も困惑した。何と応じたものか躊躇するうちに、真っ先に緊張を解いたマイクロトフが破顔した。
「それは見るだろう、おまえは綺麗だから」
む、と詰まったような息を洩らしたのは赤騎士隊長の一人だ。不思議そうに一瞥してからマイクロトフは言い募った。
「今に始まったことではなかろう、人に見られるのなど慣れているだろうに」
「男相手に「綺麗」なんて言葉を使うな」
むっつりと逆襲しながら、しかしカミューは上の空といった面持ちで、なおも建物の窓を検分している。
どの窓からも多くの顔が覗いていた。どういった経路で噂が伝わるのか、騎士が帰還してきたことは街中に知れ渡っているらしい。ここへきて、漸く一同もカミューの言うそれが単なる民衆の視線でないと悟った。
「殿下にではなく、カミュー殿に注視を払っているものが居るということですか。お調べして参りましょうか」
赤騎士隊長が丁重に言うが、カミューは複雑そうに眉を寄せたまま首を振った。心を残すように窓から視線を外して、申し出た騎士に笑み掛ける。
「いいえ……気の所為でしょう。少し過敏になっていたようです」
「宜しいのか?」
青騎士隊長が窺うような眼差しで問うのにも、彼はにっこりした。
「ええ。行軍を止めてしまって申し訳ありませんでした」
言いながら馬の横腹を軽く蹴って前進を再開する。
マイクロトフは騎士隊長と顔を見合わせたが、後に続くより他なかった。青年が見ていたあたりを改めて仰ぎ、手を振って親愛を示す民に軽く会釈してから、再び馬を進め始める。追いつくなり、マイクロトフは青年に向かって低く囁いた。
「本当に良かったのか」
うん、と小さく頷いてカミューは自嘲を浮かべた。
「……あの人が居る筈はないんだ」
自らに言い聞かせるような一言はあまりに弱く、皇子の耳には届かなかった。

 

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前回更新分ですが……
疑問を頂戴したので、念のため。

最後まではってません。
ちゃんと頑張って(←)中断しました。


こんなことを気にされるプリンスって……(笑)

確かに、我が家の芸風からいったら
止まらんのが普通ですが。

 

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