INTERVAL /11


マイクロトフが湯殿から戻ったとき、カミューは窓辺に立って外を見下ろしていた。
宿屋の門脇に数人の騎士がいる。この村はロックアックスに近く、刺客に襲われた現実も相俟ってか、青騎士隊長が置いた警護であるらしい。
髪から滴る雫を拭きながら歩み寄ったマイクロトフは、濃紺のローブを纏った肢体を背後から抱き締めた。
「休んでいて良かったのだぞ、そのために先に湯を使わせたのに」
するとカミューはむっつりと応じた。
「……牛の肝臓とやらが胸につかえて眠れない」
「血を増やすためだ、仕方がなかろう?」
「これ以上やいのやいのと気遣われたくないし、薬だと思って食べたけれど……良薬は口に苦いものだと痛感したよ。金輪際、怪我はしたくないな」
確かに、とマイクロトフは心中で同意した。カミューは傭兵として過ごしてきたにしては創傷の少ない青年なのだ。
それは剣技や反射の巧みに拠るものだっただろう。どんな傷があっても彼の魅力が損なわれることはないが、この先、二度と痛苦を負って欲しくないというのがマイクロトフの心情であった。
抱き締める腕に力を込め、柔らかな濡れ髪に鼻先を埋めて。仄かに薫る花のような体臭もろとも、皇子は存分に想い人の温もりを堪能した。
「胸がつかえている、と言っているのに……」
ささやかな抗議を受けて拘束を緩める代わりに、月が照らす白い首筋に唇を寄せる。途端にカミューは顔をしかめた。
「言っておくが、却下だぞ。おまえの傍に居れば、嫌でも騎士の目に触れる。よろめく姿を見られるのは御免だよ」
「……やはりきついのか?」
間髪入れず、振り向きもせぬままカミューは皇子に肘鉄を見舞った。
「真面目に聞くな。何ならその身で試してみるか?」
「じ……、辞退する……」
「いい加減に離れたらどうだ。下の騎士たちが角度を変えて見上げたら丸見えだぞ」
噎せ込んだ皇子は、それでも腕を外す素振りを見せない。カミューもまた、敢えて振り払おうとは試みなかった。
束の間の沈黙の後、ポツと切り出す。
「……同じ騎士でも色々な人間がいるんだな」
「これだけの数だからな。中には道を過つものもいるが、殆どの騎士は叙位されたときの誓いそのままに、正義と誇りを信条としてつとめに励んでいる」
そうだね、と小さく返してカミューは黙した。
分からなかったのだ。
たかが一人の傭兵に心底からの気遣いを施すのも騎士ならば、女子供を無慈悲に斬り殺したのも騎士である。同じ訓戒の許に在りながら、この差異は何なのだろう、と。
答えは一つ、君命だったからだ。だから彼らは殺戮を行った。
けれど、今のカミューが知る騎士たちが同じ行為を躊躇なく実行に移せるとは、どうしても思えない。してみると、前皇王の命を受けた白騎士団長は、余程残忍な騎士ばかりを集めたようだ。揚々と「戦果」を誇っていた声が脳裏に響き、カミューは嫌悪で身を震わせる。気付いた男がいたわるように問うた。
「寒いか?」
再び熱を持ち始めた腕にたじろぎ、カミューは肩越しに返す。
「平気だ。それより本当に離れてくれ、気になるじゃないか」
「気になる……とは、護衛の目が、か?」
言うなりマイクロトフは、片手を伸ばしてカーテンを引いた。得意満面といった面持ちでカミューを向き直らせ、唇を寄せる。
「これで良いだろう?」
男の逞しい胸を押し遣りながらカミューは言った。
「良くない。人の話を聞いていないのか、おまえは。却下と言ったじゃないか」
「何処までが却下か、詳細は説かれていないが」
眦を緩めてマイクロトフが逆襲する。言葉に詰まった青年を真っ直ぐに見据えて続けた。
「よろめく恐れがなければ良いのだろう?」
「……上げ足を取るな、少しばかり火傷でもしてみるか?」
「見えて騒がれるようなところでなければ、存分に」
笑みを象った唇が、更に続く筈だった抗議を甘く覆う。慈しみの触れ合いが火の点くようなそれとなるまで、ほんの一瞬であった。
技巧のない、ただ我武者羅なばかりのくちづけは、しかしカミューの官能に触れる。押し退けようとした手は止まり、逆に皇子の衣服を掴み締めた。ひとたび離れた唇の間になまめいた吐息が溢れ、すぐにそれは再度の接触に吸い取られた。
荒い息遣いが高まる男の熱を伝え、その抑えた響きによってカミューも惑乱の網に転げるような錯覚を覚える。くちづけが首筋を伝う頃には、意識よりも先に体躯が抗いを放棄していた。
勘弁してくれ、馬の旅なのに───胸中で最後の理性が呟いている。
案じられるのも癪であるが、確かに男を受け入れる行為は楽とは言えないのだ。斯くも「万全」と豪語した後では、心配性の従者に回復魔法を請うことも出来ない。
体躯に掛かる負担を認めているらしいのに、と恨みがましい眼差しを皇子に向けながら、だが何にも増して忌ま忌ましいのは、彼を撥ね除けられない自らであった。
いずれ殺す男だからと情人を演じる気になった。
仇の息子が己の肉体に溺れる様は滑稽に映るだろうとさえ思った。
なのに、引き擦られる。
何ら心を交えぬ筈の抱擁が、何時の間にか四肢を支配する。熱を孕んだ指先が、愛撫に応えて男の背に爪を立てていく───

 

「触れるだけだ」
耳朶に囁く皇子の声は、自制の困難を物語るかの如く苦しげだった。
「ただ、こうしておまえが傍に居るのを確かめたいだけだ」
もどかしげに弄る掌が夜着の中に滑り込むに至って、カミューは間近のカーテンを引き絞り、崩れそうになる膝を叱咤した。
「禁欲的な男だと思っていたのに……」
呻き混じりの息が呟く。
護衛に就いた最初の夜、「片時も離れない」という契約の許に引き込んだ浴室で、頑なに背を向けていたマイクロトフ。裸体を直視せぬよう努めていた男と今の彼とは、まるで別人のようである。
それを聞いて、マイクロトフも苦笑を浮かべた。
「自分でもそう思っていた。人は変わるものだな、……おまえが変えた」
身を屈め、はだけた胸元に覗いた薄紅を啄み、そうして男は言葉を途切らせた。無骨な指が快楽を探り当て、柔らかな刺激を開始する。
うねりのように体躯を突き上げる愉悦に思考を揺らされつつ、カミューは己の身体を支配するマチルダの皇太子を見下ろした。
長い間求め望んだ「伴侶」を手にした喜びに酔い痴れる男。
彼には偽りなど見抜けない。
何故なら、彼は偽らざる人間だから。常に己に正直であり続けようと努める男だから。
ふと出会った視線に、浮遊し掛けた意識が引き戻される。皇子の夜色の瞳は深い情愛に濡れていた。
「好きだ、カミュー」
幾度となく繰り返された愛の言葉。
うん、と小さく頷いてカミューは顔を伏せた。短いいらえを受けて輝く皇子の笑顔から逃れるために。

 

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スキモノの基本言い訳。
「おまえが魅力的だからいけないんだよ〜ん」
貴様も装備していたか、プリンス。

 

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