ロックアックスに次ぐマチルダ第二の規模を誇る集落、街道の村。
隣国ミューズとロックアックスを結ぶ街道沿いに築かれた其処は通商の活気にも溢れた村だが、この数日ばかりは普段と異なる様相を見せていた。
村の北部に多くの天幕が設えらた様は、戦時下の陣地にも見紛うほどだ。先刻放った先触れが着いたのか、幕間から慌ただしく飛び出す人影が遠目にも見て取れる。
朝から続いた疾走が緩み、並足まで速度が落ちるのを待ちかねたように、マチルダ各地でのつとめを終えた騎士たちが列を組んで皇太子の一行を出迎えた。
「お待ち申し上げておりました」
進み出たのは、集結した赤・青両騎士団員の中での最高位階者である。馬から下りた皇子の前で膝を折り、赤騎士団・第三隊長と名乗った男は深々と頭を垂れた。
「一同、課せられたつとめを終えたことを御報告申し上げます」
「尽力を心より慰労する」
マイクロトフは穏やかに目を細めて、整列した一同を眺め遣る。
これほど多くの騎士が一堂に会したのを見るのは久々だ。しかもそれは、一騎士団員のみで構成された集団ではなく、二つの色彩が入り混じった隊列である。そんな彼らが、既に所属を越えた親愛を結んでいるのは明らかで、見詰めるどの顔にも明るい高揚が昇っていた。
赤騎士は皇子の背後に立つ青騎士隊長にも丁寧に礼を取る。
「青騎士団の助力に感謝すると共に、我ら赤騎士団員、貴団と心を揃えてつとめを果たす所存です」
青騎士隊長は不敵に笑んだ。
「長く貴団ばかりを苦難に曝してきた。感謝し、詫びねばならないのは寧ろ我らだ。青騎士団を代表して、貴君らの奮迅に必ずや応えると誓う」
それから居並ぶ面々を一望して嘆息する。
「……それにしても良く集まったものだ」
合わせて一騎士団の三、四部隊ほどの数になるだろうか。うち、三割ほどは助力に出た青騎士団員だが、例の井戸掘り小隊やミューズから帰還する部隊は未だ合流していない。近隣でのつとめに臨んでいたものだけでこれなのだから、赤騎士団が人員不足だったのも道理である。
ゴルドーの不当に改めて怒りを募らせるのはマイクロトフも同じだった。歩を進め、声高に宣言する。
「遅きに過ぎたが、これより先はおれが何としてもゴルドーの横暴を押し止める。我が剣と誇りに懸けて歪みを正す」
それを聞いて嬉しそうに表情を綻ばせた赤騎士隊長が、ふと皇子の腰元に目を向け、微かに息を飲む。暫しの躊躇の後、彼はおずおずと口を開いた。
「殿下……その……」
何と問うたものか迷っているらしい男の視線の意味を悟ったマイクロトフは小さく笑んだ。
「ああ……、確か一年前グリンヒルに同行してくれたのはおまえの部隊だったか。あの折には迷惑を掛けてしまった。だがもう、次はない」
佩いた剣の柄色が変わったことに他の騎士らも気付いた。皇子が持つのは模造の品ではなく、皇王家の宝刀ダンスニーである。
赤騎士団内では、実際にその現場を目撃する機会がなかった青騎士団など及びもつかぬほど、魔剣の脅威が浸透していたようだ。途端にざわめく一同に事情を説いたのは皇子の若き従者であった。
ゴルドーの手のものに襲撃を受けたこと、一度は皇子がダンスニーに支配され、あわやというところまで追い詰められたこと───それを阻むために皇子に対峙した傭兵の、身を呈した戦いに言及が及ぶと、驚嘆混じりの感動が隊列の間を掛け抜けていった。
騎士らは伝令の口から、任ぜられたばかりの護衛の青年が知謀・剣技ともに秀でた人物であると聞いていた。実際に目にして、その端正で優しげな姿に驚きもした。けれど、よもやあの魔剣を手にした皇子を押し止める人間が存在しようとは、誰一人として思っていなかったのである。
「カミュー……殿」
赤騎士隊長が慎重に切り出す。
カミューは、こうした遣り取りの際には常にそうしてきたように、ひっそりと皇子の背後に控えていた。従者フリード・Yの熱弁が自らに及んだときにも、やや伏せた目を上げようともしなかった。
邂逅の初めから気になって堪らない人物でありながら、だから初対面の騎士たちには、どうにも話を向けるのに躊躇が勝っていたらしい。
漸く巡ってきた機会を逃さぬとばかりに為された呼び掛けに、先に反応したのはマイクロトフの方だった。ちらと肩越しに青年を振り返り、緩やかに広げた腕で細身の体躯を間近に引き寄せる。
「初めてのものも多かったな。カミューだ。話は聞いているかもしれんが、おれの護衛……いや、今は何と説明したものか───」
「団長を主君と仰ぐ赤・青両騎士団の幕僚長、とでも紹介されては?」
まんざら冗談でもない調子で青騎士隊長が言えば、その後方から配下の青騎士が、
「我々の命の恩人でもあらせられます」
そう補足して眩しげな眼差しを青年に送る。フリード・Yが嬉しそうに笑みながら続いた。
「もっと端的に申し上げますならば、カミュー殿は、殿下にとっての聖アルダでいらっしゃいます」
端的、且つ、これ以上ない明瞭な説明であった。
マチルダ王家の始祖を支え続けた親友、そして現在のマチルダ騎士団の基盤を創り上げた人物。ある意味、騎士には聖マティス以上に心惹かれる名だ。それまでの何処か興味深げな眼差しに敬意の色が滲み、そんな中で赤騎士隊長が呻き混じりに問う。
「そ、れで……カミュー殿、お身体の方は───ここまでの旅は御負担ではなかったのでしょうか」
初めてカミューは顔を上げて苦笑した。
「余るほど回復魔法を掛けて貰いましたし、のんびり睡眠も取りました。このままロックアックスへも向かえます」
柔和な笑顔の裏に潜んだ本音を察した青騎士隊長が軽く吹き出す。
「……遠慮はいらない、「四の五のと、やかましく案ずるな」とはっきり言われては如何か」
それから一同へと肩を竦めてみせた。
「今朝方、村を出てからここまで質疑の連続だったからな。そろそろ御不快を生じておいでだ」
「不快などということは───」
即座に言い差す青年を、だが男はやんわりと制す。
「諦められよ、カミュー殿。命を救われた我が部下を含め、騎士にはあなたを案じる理由がある」
皇子の護衛として随従した青騎士たちは、大剣ダンスニーのもたらす禍について多くを知っていた訳ではない。だが、「切り裂き」による負傷を回復魔法で癒された後、朦朧とする意識の中で彼らは見たのだ。自国の皇子、今は自身らが剣を捧げる騎士団長が、欠片の慈悲もなく敵を打ち果たしていく惨状を。
これが話に聞く魔剣の呪いかと暗澹に苛まれ、次には恐怖すら抱いた。
ひとたび抜き放たれた大剣は、敵味方の区別を主人に忘れさせるという。若いながらに騎士隊長にも匹敵する剣腕を持つ皇太子マイクロトフ。かろうじて傷を塞いだばかりの騎士らには、皇子を止めるすべなど到底なかった。
失血による眩暈に襲われながら見守る先で繰り広げられた事態───魔性の呪詛に敢然と立ち向かい、自らを傷つけながらも皇子を支配から取り戻したカミュー。それまでの知謀にも増して、青年の戦う姿は騎士らの心を揺さぶったのだった。
意識が戻って丸一日を過ごしたとは言え、半日以上にも及ぶ馬での旅にカミューが耐えられるか。それは、出立前に誰もが過らせた懸念である。皇子と並んで屋敷の門前に現れた青年が普段と同じ笑みを浮かべても、軽やかに馬を走らせる姿を目にしても、騎士たちは問わずにはいられなかった───大丈夫か、と。
道中、くどいほど為された問い掛けは無骨な男たちの心からの誠意。それが分かるだけに、カミューも逐一丁寧に応じてきたが、ここへきての繰り返しは堪らない。顔に出さずとも、騎士隊長にはそんな青年の心情が見えたのだった。
「それはさて置き、団長。ここで一夜の休息を取られるよう、お勧め申し上げる」
彼はマイクロトフに向き直った。
「今から出立したのでは、ロックアックス入りは早くて深夜。せっかくこれだけの騎士が集結しているのだから、街人の目に「皇太子の帰還」を焼き付けぬという手はない」
「ああ……、それは良いですね。わたしも賛同致します」
赤騎士隊長も笑いながら頷く。上位階者の提案の奥底に、やはり病み上がりの青年への気遣いがあると感じての呼応であった。マイクロトフは即座に同意した。
「どのみち帰還の予定は明日だったからな、そうしよう」
「でしたら、これより直ちに宿の手配をして参ります」
赤騎士隊長が配下の騎士に視線で命じるのを見て、慌てて言い添えた。
「いや、その必要はない。天幕の空きにでも───」
「殿下」
フリード・Yが間近の青年に憚るようにこっそりと耳打ちする。
「わたくしたちはともかく、カミュー殿は宿の寝台で休まれた方が良いのでは?」
あ、とマイクロトフは眉根を寄せた。ちらと窺う視線ひとつで両者の遣り取りを把握したカミューは、力なく笑ったのだった。
「いいよ、もう。何事も皇子様の仰せに従いましょう」
宿の準備が整うまで幾許かの時が要るため、前回同様、マイクロトフは村の散策を勧められた。
フリード・Yはそのまま天幕陣に留まった。皇子が魔剣を支配下に置いた顛末について、なおいっそうの説明を求める騎士たちに請われたためである。
当のフリード・Yも話したくて堪らない様子だったし、マイクロトフとしては、その希望を退けてまで随従させる理由を持たなかった。そんな訳で、彼はカミューひとりを伴って、教えられた宿屋を目指して往来を進んでいた。
先の村とは違って完全なる私服姿であるためか、一見しただけでは自国の皇太子とは気付かぬようで、行き合う人々に浮かぶのは見掛けぬ旅人への親愛めいた表情ばかりだ。小さな息を洩らすのを聞き止めたカミューが顔を向ける。
「堅苦しいおまえであっても、周囲の丁重には気疲れするものかい?」
「そういう訳ではないのだが……」
言葉を濁したが、カミューは笑みながら言い募った。
「まあね、わたしも、どれだけ「万全です」と言ったところで、まるで聞いて貰えなかったからな。おまえの気持ちも多少は察するよ」
そこでマイクロトフは憮然と顔をしかめた。
「……おまえも辛抱強く応対していたと思うぞ。おれには脅しを掛けておきながら」
昨日昼に墓参を終えて屋敷に戻り、客人用の寝室の扉を開けたとき、カミューは出掛けたときと同じように寝台に埋まっていた。しかも、着替えの途中で力尽きたとしか思えない姿で、だ。それを見るなり、マイクロトフの胸には何とも不可解な、温かな自責が沸いた。
魔剣の支配から解き放ってくれた恩人、欠け替えのない唯一となった青年。
負傷による失血も取り戻していないカミューに過酷を強いた、それが自責。そして、そんな身体を押してまで己の想いに応えてくれたことを思えば、温かな至福が広がった。
目覚めるなりカミューに与えた気遣いは、騎士たちのそれと大差なく、しかし性的な意味合いまでもが含まれていたため、たいそうな怒りを買ったものだ。
マイクロトフは騎士たちのように優しく微笑んでは貰えなかった。冷ややかな目で一瞥され、挙げ句、「これ以上口にしたら」と右手を掲げるという穏やかならぬ脅しも浴びた。
カミューの言動は交情を経たという甘やかさなど微塵もなく、だからその冷淡が照れに拠るものなのだと悟るまで、マイクロトフは肝を冷やし続けねばならなかった。
その後、意識が戻ったと聞き付けて、フリード・Yや青騎士が一斉に見舞いに訪れた。
皇子に負けず劣らず案じていた反動か、喜びによって振舞われた回復魔法がカミューの不調を一掃した。下肢に残る痛み混じりの異物感、襟を立てねば隠せなかった首筋の鬱血も、綺麗に消え去った。
皇子と交わした熱の痕跡を失った今、それを掘り起こすような問い掛けは苦痛でしかない。マイクロトフの言う通り、もう少し辛抱強さに欠けていたら、癇癪の一つも起こしそうなカミューだったのである。
「……今夜の食事も獣の内臓だったら、わたしは空きっ腹を抱えて寝る」
ポソリと零れた呟きに、知らずマイクロトフは苦笑した。
昨夜の食事は、貧血に良いとされる鳥獣の内臓肉だったのだ。これが口に合わず、しかし用意してくれた村の料理人が目を輝かせて見守っていたため、カミューは引き攣りながらの夕食を余儀なくされた。
「傷は回復魔法で癒える。だが、失った血は食事で取り戻すしかない。昨日の食事はフリードの手配だったようだが、宿を取りに行った赤騎士の様子からいくと、今夜も危なそうだな。諦めろ、カミュー」
やれやれ、とカミューは溜め息をつき、それを機に暫しの沈黙が続いた。
間もなく夜を迎えようとする村。道具屋や交易商といった往来沿いに並ぶ店も、そろそろ仕舞いの準備を始めている。賑わいが終息していく様を眺め遣る漆黒の瞳は穏やかであった。
「街道の村はマチルダ第二の集落だって? もう少しゆっくり出来ると良かった……そう思っているんじゃないか?」
そんな問いに、マイクロトフは軽く首を振った。
「またいずれ訪れる機会もある」
「それはそうかもしれないけれど……」
こうして気ままに闊歩するのを許されるのは即位前の今だけだろう───言外となった青年の意見は明らかだ。マイクロトフは微かに笑んだ。
「……そうだな。では、自由を満喫するとしよう」
言い残して歩みの速度を上げる。虚を衝かれたカミューが立ち止まって見守る先、皇子が足を向けたのは一件の服飾店だった。
屋外に陳列した品を取り込んでいる初老の店主に何事か呼び掛け、次いでカミューを振り返る。店主は慌てて店内に駆け込んでいった。
「……何だい? 買い物をするのか?」
歩み寄ったカミューが訝しげに首を傾げていると、両手に数枚の布を抱えた店主が戻ってきた。彼は満面の笑みを浮かべながら息巻くように言った。
「真紅に合わせますならば、やはり白か黒……、白も宜しゅうございますが、こちら様は肌の御色が白くておいでですから、黒はいっそう映えるかと思われます」
地方の生まれであるのか、やや訛りの強い早口で捲し立てられ、狼狽える間に皇子が軽く頷いた。
「寸法は合いそうか?」
「はい、それはもう。どうぞ羽織ってみてくださいませ」
揉み手で応じる店主から闇色の布を受け取って広げ、マイクロトフは立ち尽くす青年を覆う。
それは騎士装束に似た形の、丈の長い上着であった。老人は無意識らしい感嘆の息を吐く。良くお似合いでいらっしゃる、といった呟き声は商い用の世辞には聞こえなかった。
「この上に、防具品の「真紅のマント」を付けると派手か?」
「とんでもない、映えて見事でしょう」
そこまできて、漸くカミューは皇子が上着を買い与えようとしているのだと気付いた。上着を肩から落とそうとするのを、マイクロトフは手振りで止めた。
「貰おう。このまま着て行くから、包まなくて構わない」
「ちょっと待て、わたしは───」
「幾らだ、店主殿?」
慌てて割り込もうとする青年を遮って問うたが、老人は笑って首を振った。
「どうぞお持ちください。皇太子様にお贈りするには憚りが勝れど、うちの店では最高の品にございます」
村の外に大勢の騎士が駐屯しているのは住人も知っている。この店主は、突然現れた人物が自国の皇子であるのにも気付いていたらしい。
丁寧な申し出に、しかしマイクロトフは断固として首を振る。
「そういう訳にはいかない、代金は払う」
「皇太子様から御代金を頂戴するなど、滅相もない」
「いいや、駄目だ」
強い口調に、やや店主が怯む。マイクロトフは真っ直ぐに老人を見詰めた。
「友に贈る品なのだ、貰い物という訳にはいかない」
は、と老人は瞬いた。困惑したままの青年を見遣り、それからゆるゆると表情を綻ばせた。
「御友人……、然様でございましたか」
皇太子と対等に会話しているとあってか、カミューの素性については色々と想像を巡らせていたようだ。その中でも「友人」とは、最も温かな心持になる言葉であったらしい。
老人は慣れた手付きで上着に縫い止めてある商札を取り、マイクロトフへと向けた。代金が支払われる間、漆黒の上着に包まれたカミューは無言で立ち尽くすしかなかった。
やがて再び往来を歩き始めた途端、小さな溜め息が洩れる。聞き咎めてマイクロトフは苦笑した。
「赤騎士隊長の二番煎じだが……おれもおまえの上着を酷い有り様にしてしまったからな」
マイクロトフと戦った際に裂き疵だらけになった衣服。前の村でフリード・Yが懸命に繕ったものの、あまり巧くいっているとは言えなかった。
「いっそおまえが騎士装束を受け取ってくれれば、事は簡単に済むのだが。その上着もなかなか良いぞ、専門家が言うのだから、マントにも合う筈だ」
「そうは言うけれどね、……本気で愛人にでもなった気がする」
「何だ、それは」
顔をしかめる男の横で、カミューは神妙な口調で続けた。
「男が異性に衣服を贈るのは、それを脱がせる下心に拠るものだと聞いたことがある」
言われてみれば、カミューには既に以前、ローブを贈っていたな、などと微かに頬を赤らめるマイクロトフだ。動揺を見透かされぬよう、努めて淡々と問うてみる。
「贈る相手が異性でない場合はどうなのだ?」
「……微妙だな」
そこでマイクロトフは堪らず吹き出した。
抱き合うことで変質するかと思われた関係。けれど、杞憂に過ぎなかった。カミューとの間に流れる空気は以前と変わらず、それでいて心地好い温みが増している。
マイクロトフは青年との距離を狭めて、上着の布ごと彼の手を取った。それなら傍目にも、良い歳をした男ふたりが手を繋いでいるとは見えないだろうと目論んで。
思惑を察して見上げる琥珀の険しさ。宥めるように笑み掛けながら低く囁く。
「恋する男に何を言っても無駄だぞ、カミュー」
「……馬鹿らしくて何も言う気にならないさ」
呆れ果てた口調で一蹴しながらも、青年の手は皇子のそれを握り返していた。
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