INTERVAL /9


剣が抜かれてしまった、そう思った次には真っ白の深遠に落ちていた。
柄を掴む右手から遠い声が囁いた。
敵を斬れ、立ちはだかるものを排除せよ。信念のため情を捨て、心も持たず突き進め。
マイクロトフは命じられるまま剣を振るった。相手が人であることも、意識からは零れ落ちていた。屠った敵が上げる絶叫や、飛び散る血飛沫も感情を揺さぶりはしない。
かつて王家の始祖がそうしたように、マイクロトフは対峙した存在を消すためだけに動いたのだ。
───最初の認識は熱。
それがこの世界で言う「火」であると思考が追い付くには時間が要った。
あるいはそれが己の身を包んでも、焼け焦げ、死に絶えるまで逃れようという意識がはたらかなかったかもしれない。
次の認識は強敵。
追い詰めた男たち以外にも敵対の意思を持つものがいた。火を操るもの。挑戦的に見詰める瞳、他の敵とは異なり、怯む気配を見せぬ強者。
幾度か攻撃を交わされて、それが稀なる剣士と悟った。
一度は懐を裂こうとした剣を、けれど何故だか敵は止めた。反撃にと放った拳が相手の鳩尾を抉ったときには、不可解な不快が兆した。
斬り合いながら、一歩も退かず、なのに敵には殺気がない。真っ直ぐな琥珀の眼差しが、胸の奥深くに爪を立てる。
やがて襲った攻撃で流れた血はダンスニーの新たな覚醒を呼んだ。初めて覚える乱れた感覚を振り払うように敵を仕留めた───つもりだった。
だが相手は、深手を負いながら反撃まで見せた。
殺すのが惜しまれるほど見事な敵。そんな感嘆が第三の認識、そして第四が異変だった。
刺した敵に手首を掴まれ、剣が戻らない。
何事かが語り掛けられている。マイクロトフには意味を為さぬ音の羅列。しかし、声音に潜む温みだけは感じられるようになった。
最後にマイクロトフは、自身の視界で唯一つ鮮やかに認識出来る大剣が紅に覆われていくのを見た。
鞘とも見紛う色彩の変調、それは彼の内に封じられていた一節を呼び醒ましたのだ。

『鞘を得なさい。剣の呪詛に勝てぬのなら、狂気を納める鞘が要る。剣に囚われた心ごと、あなたを受け止め得る存在を』

マティスにアルダが居たように。
そう諭してくれたのは誰であったか。
寛容で慈悲深かった老師だ───名はゲンカク。
ずっとずっと得たかった。
師が語った、己にとっての無比なる人、心ごと我が身すべてを委ねられる相手。
その人が現れたと思った。
美しく怜悧な、才知に溢れた傭兵。
辛辣で容赦なく、微笑みながら心をすべてを見せぬ青年。
皮肉と揶揄が得意で、王位継承者ではない己自身を暴いてくれる、あれは───
生涯共に在りたいと望んだ彼の人は。

 

───カミュー。
カミューだ。
ダンスニーが貫いているのは、己の手が傷つけたのは、欲しいと願った唯一の人なのだ。
白濁した世界から意識が浮かび上がり、一気に感情が押し寄せた。四肢を縛る魔剣の戒めが急速に緩み、置き去りにされていた「声」が次々と届いた。

 

そうだ、護るために剣を取った。
王族である前に、一人の騎士でありたかった。
そして何より人として、たった一つを得たいと願う、おれは小さく弱い男だ。
戻って来いと言ったのか。
こんなおれに、おまえは戻れと言ってくれるのか。
力に支配されて自らを見失い、怒れるままに剣を振るい、おまえに血を流させたおれに。
課せられた責務よりも、今まさに感情を重んじようとしている愚かな男に。
それでもおまえは笑ってくれるか。
笑って詰って、全てを赦してくれるのか───

 

そうしてカミューはマイクロトフの望みのままに微笑んだ。
「手が掛かる」だの「馬鹿」だのといった、馴染みの叱責も交えながら。

 

← BEFORE             NEXT →


 

TOPへ戻る / 寛容の間に戻る