最後の王・47


あと僅かの距離を置いたところで刺客たちは一斉に足を止めた。獲物を弄ぶ外道の本性も隠さず、にやつきながら、個々に持った武器を揺らす。
「いやはや、またお目に掛かれて光栄ですよ、マイクロトフ皇子様」
首領格が、前回とは打って変わった自信をちらつかせながらカミューにも目を向けた。
「火魔法使い殿も御一緒とは。これで、あのときの借りを返せるってもんだ。あんときゃ焦って逃げちまったが、考えてみりゃ造作もなかったぜ、こうやって近づいちまえば、攻撃魔法なんざ恐れる必要はねえ、ってな」
倒れた青騎士たちを巻き添えにしかねず、「烈火」で接近を阻むことは躊躇われた。そしてそれ以上に、如何なる敵であっても、その力を直接人に向けようとは思わない。カミューは男たちの並びを慎重に測りながら唇を上げる。
「多少は頭を働かせることにした訳か。こんなところで行き合うとはね、案外と雇い主に忠実なんだな」
すると首領格は忌ま忌ましげに乱杙歯を剥き出した。
「残りの金は前金の三倍だぜ? 何人かは諦めて逃げたが、生憎とおれたちは諦めが悪くてな。とは言っても、どうしたものかとマチルダ中をうろついていたが……とんだ奇遇だ。これも聖マティスと聖アルダのお導き……と、ここらじゃ言うんだろうかねえ」
けたけたと賛同する笑いが起きる。
ゴルドーめ───カミューは内心の憤りを殺そうと努めた。
最初は彼が、釘を刺したにも拘らず、またしても暗殺を試みたのかと思った。だが、聞いてみれば何ということもない、ただの行き違いだ。
雇った刺客も御し切れぬ無能ぶりには、まったくもって腹が立つ。その結果、誠実につとめを果たしていた騎士たちが傷を負ったことには、更に不可解なまでの怒りが沸いた。
「……まだ旅の半ばだからね、馬を傷つけられるのは困るな」
口元だけで笑みながら半歩踏み出した青年に、マイクロトフがはっとする。刺客たちは大仰に首を振りながら言い放った。
「そんな心配しなくて良いぜ。これからおれたちが大事に乗ってやるからよ」
「わたしの馬はともかく、皇子様の馬は気性が荒い。それは無理な相談だろうね」
伏し目がちに言うや否や、カミューは男たちの上方へ向けて火魔法を炸裂させた。マイクロトフがフリード・Yに怒鳴る。
「行け、左の囲みを突破しろ!」
マイクロトフもまた、カミューに劣らず念入りに敵の包囲を観察していた。飛び道具を持たず、且つ、最も動作の鈍そうな男が集まる一画を看破していて、すかさず指示を出したのだ。
フリード・Yは即座に鞭を入れた。中には独り騎乗したままの彼に警戒していたものも居たかもしれないが、男たちは頭上の火の粉に気を取られ、呆気なく若者の突破を許した。
続いてマイクロトフは、剣の鞘で愛馬の尻を打った。闘争から遠ざけるためである。彼にはカミューの考えが手に取るように感じられていたのだ。
ちらと見遣れば、青年も同じように馬を逃がしていた。これで心置きなく戦える、そんな満悦が端正な顔に浮かび上がっていた。
「カミュー、一つ言っておく。殺すな」
青年は男たちに対峙したまま、瞳だけを皇子に向けた。
「何だって?」
「捕縛して詮議に掛けるのだ」
おそらくゴルドーの名は出まい。それを期待する訳ではなかった。
己の剣で命を摘む行為を怖じたのでもない。好んで人を斬る気にはなれないが、そうせねばならないときもあると、剣を握った日から覚悟もしてきた。
ただ、相手がどんな悪漢であっても、死をもって断罪するより生きて罪を償わせたいと、このときマイクロトフはそう考えたのだ。
「数が多い。それに、捕まえたところで連行するのに一苦労だぞ」
片や、この場で一味の口を塞いでおきたいカミューは、そんなふうに反論した。けれど珍しく理路整然とした意見に異を封じられた。
「フリードが騎士を回復すれば連行の人手は足る。無理は言わない、逃げるものは追わなくて良い。向かってくる敵のみ、可能な限り戦力だけを奪うよう心掛けてくれ」
「……甘い男だ」
詰るつもりで吐いた言葉は、しかしカミュー自身の耳にも笑い含みに聞こえた。
知らず皇子の一本気な信念に引き擦られそうになる心を振り払うように放った一撃が、最初の敵の利き腕に鮮やかな血飛沫を舞わせた。一方マイクロトフも、躍り掛かった刺客の小刀を力任せの剣で打ち払い、遠くへ弾き飛ばす。
二人はそのまま敵の包囲網を抜け、立ち位置を入れ替えた。騎士らの回復に向かったフリード・Yを背後に護るためである。
彼らには、敵の数など無意味だった。己がどの相手を制するかを確認し合う必要もなかった。
マイクロトフが攻撃を仕掛ければ、ごく自然にカミューは援護の構えを取った。死角を補い、隙を突こうとする敵を退け、好機と見れば前に出る。
片やマイクロトフは──残念ながら人間相手の実戦経験が乏しかったので──そこまでの配慮ははたらかないが、卓越した剛腕で、向かい来る敵を次々と捩じ伏せていった。
それは不可思議な感覚だった。ずっと昔から肩を並べて戦ってきたかのような、満ち足りた調和。
カミューはマイクロトフの駆け引きのない真っ直ぐな剣に、そしてマイクロトフはカミューの砥ぎ澄まされた技巧に心からの賞賛を覚えた。一人、また一人と敵が戦意を失うたびに、誇らしさに似た感慨が沸き上がった。
───ああ、これだ。
マイクロトフは叫びたくなるような心地に襲われていた。
おそらく今、これまでで最もカミューの魂の近くにいる。
剣戟の合間に見交わす瞳には、何よりも欲しかった光が宿っている。
信頼という名の、何ものにも替え難い尊き輝きが。

 

 

 

 

転げ落ちるように馬から下りたフリード・Yは、鞍に括った荷袋を解き、両腕に抱えて駆けに駆けた。
騎士と馬が折り重なるように倒れている。非情の疾風に切り裂かれた傷は見るも無惨なものだったが、かろうじて総勢が息をしているのに励まされ、若者は眦を決した。
付かず離れず進んでいたのが幸いして、人馬はそれほど散っていない。フリード・Yは負傷した騎士を、傷に障らぬよう細心の注意を払いながら一所に集め始めた。引き擦るたびに地面に血跡が伝ったが、もう少しの辛抱ですから、と心で詫びながら一心につとめた。
何とか全体魔法の効用範囲内に四人を\め、直ちに回復魔法を施す。一応の応急処置になったのを見届けてから、馬に単体魔法を掛けて回った。
それから騎士の許へと戻って、傷の具合を確かめ、迷いながら再度の詠唱を行った。
カミューは単体魔法を一つ残せと言ったが、戦いの中では何が起きるか分からない。出来れば皇子と傭兵、二人を癒せるように全体魔法を残しておきたかった。けれど騎士たちの負傷は素人目にも重く、一度きりの回復魔法では到底足りなかったのだ。
これで残すは「優しさの雫」一つのみ。二人が共に傷を負えば、片方しか癒せない。騎士らの傍に膝を折ったまま、祈るように戦いを仰いだフリード・Yであったが。
───そこには目を瞠るような光景が繰り広げられていた。数では圧倒的に有利だった筈の敵が、明らかな劣勢に転じている。命を奪わぬように加減されているのか、戦いが長引く様相こそ窺えるが、危惧はまるで浮かばなかった。
群青の騎士装束を風に翻す皇子の堂々とした力強い構え、しなやかな青年の俊敏な身のこなし。
互いを相手に委ね切ったような、それは美しい対だった。
フリード・Yは己の頬に走る涙に長いこと気付かなかった。騎士の剣ならば鍛錬で幾度となく見てきた。闘志や技術に圧倒されて感嘆の息をついたのも一度や二度ではない。
だが、こんな情感は覚えたことがない。
こんなふうに、張り裂けんばかりの痛みを伴う思いは知らなかった───溢れる賛美が止めようもなく、涙となって零れ落ちる、そんな感動は。
古きマチルダの民はこれを見たのだ。
猛々しいまでに輝く信念を抱いた指導者マティスと、彼を支える半身アルダ。その対なる姿が、人々にハイランドに立ち向かわせる力を与えた。二人が掲げる剣が、この地に未来を拓いたのだ。
滴る熱が視界を濁し、フリード・Yに現実を忘れさせた。だから彼は、闘争の輪から抜け出して己を目指して走る敵の存在に気付くのが遅れた。
「気をつけろ、フリード・Y!」
青年の切迫した叫びが耳に届くのと、涙を拭った目が得体の知れぬ武器の接近を捉えたのは殆ど同時だった。

 

 

 

 

戦い始めて幾らも経たないうちに刺客たちは不利を悟った。
数に任せて倒せるだろうとの目論見は、獲物の剣腕によってあっさりと打ち砕かれたのだ。二十人弱もいた仲間が、既に戦えるものは半分以下に減っている。皇子と青年は殺さぬように努めながら、それでも遥かに刺客たちの武力を上回っているのである。
これではまずい、と主格は思った。
このままでは残金を得るどころか、縄に掛けられてしまう。ロックアックスに連行されれば終わりだ。皇子殺しを持ち掛けた人物は、口を割る前に自分たちを始末しようとするだろう。碌な裁判も受けないうちに、闇から闇へ葬られるのがオチだ。
となれば、逃げるしかない。だが、「仕事」を終えての残金に未練たらしく思いを残す刺客たちにとって、空手で逃げ出すのは業腹に過ぎた。
皇子も青年も馬を放ってしまっている。金目のものを持っていそうなのは戦線を離脱した従者らしき男だけだ。
主格は仲間の一人に素早く目で合図した。予め、万一のときの打ち合わせを取ってある一味の連携はマイクロトフらの虚を衝いた。
一斉に襲い掛かった攻撃を二人が受け止める瞬時をぬって、合図された男が走り出す。逸早く気付いたカミューが後を追おうとするが、その背に別の一人の剣が迫った。振り上げた剣で防いだマイクロトフが、そのまま残りの刺客たちの前に立ちはだかった。
「カミュー!」
「分かっている!」
悲痛な声に、カミューは短く返して駆けた。
こうした敵の狙いは分かっている。逃げを打つときには金品を奪う、それが無頼の常道だ。
回復に専念していたフリード・Yには戦いの準備が整っていない。片や騎士は、治療をしたといっても、意識も体力も覚束ない状態だろう。そんな仲間を四人も抱えて、実戦慣れしていないフリード・Yが満足に戦える筈もない。
目の前を走る男が腕を振り上げるのが見えた刹那、カミューは叫んだ。
「気をつけろ、フリード・Y!」
だが、遅かった。
鎖状の武器が空を切り、次いでフリード・Y目掛けて急降下した。鎖の先端についた刃が若者を掠め、その脇に置かれていた荷袋に突き刺さる。
男は間髪入れずに鎖を引いた。見慣れぬ武器の間合いを嫌って停止したカミューの頭上、釣り上げられた魚のように大きな荷袋が宙を舞い、マイクロトフを振り切って追って来ていた主格の腕にすっぽりと納まった。
一度は足を止めたカミューだが、迷わずフリード・Yの許へ走った。奪われた荷よりも、右腕を押さえて苦悶する若者の方を重んじつつ、走るついでに間に立つ敵を一閃して無力化するのも忘れなかった。
従者らを案じる心はマイクロトフも同じであった。相対していた刺客を捨て置き、素早く地を駆って主格の前へと回り込み、仲間を護るように剣を構え直した。
「大丈夫か、フリード・Y!」
傷ついた腕を検めながら問う青年に、フリード・Yは些かの驚きを覚えていた。常に沈着なカミューが、自分などのためにこんな気遣わしげな声を出そうとは。
柔らかな喜びが、けれど冷えた恐怖に変わるのはすぐだった。
「荷、荷袋が───」
「構うな、傷が先だ」
「いいえ……いいえ!」
支えるカミューの腕から必死に身を乗り出し、若者は狂おしく叫んだ。
「中にダンスニーが……殿下、ダンスニーが!」
屹立していた広い背がびくりと強張る。時同じくして主格が荷袋から取り出した棒状の包みにマイクロトフは蒼白になった。
「……それに触れるな」
だが男は頓着せずに荷袋を漁り続けている。
「こいつは剣か。おっと、何だ、良いもん持ってるじゃねえか」
続いて摘まみ上げたのは「天雷」の札だ。皇子に危機が迫ったときの最後の手段として青騎士団副長がフリード・Yに持たせた品だった。
「雷と火じゃ、どっちが強いかねえ」
男は挑発的にカミューを睨めつけている。
思いがけない展開に出方を窺いながらも、カミューの瞳は激しく戦慄くマイクロトフの四肢を捉えていた。
血縁者の墓前に参るため、正装の用意をしてきた。皇王位を継ぐものとして、マイクロトフの正装とは大剣ダンスニーを佩刀することなのだと聞いた。
かつては父が、そして多くの王族たちが受け継いできた始祖の剣。呪詛を併せ持つ魔性の刃、けれど決して失えぬ王家の宝が、敵対する相手の懐に在るという焦燥は如何ばかりのものか。
マイクロトフは低い呻きを洩らした。
「他のものは全てやっても構わない。剣だけは返せ」
へえ、と主格は破顔した。皇子の必死の形相に優位を感じたのか、はたまた背後に追いついてきた仲間に気が大きくなったのか、男は包みを解きながら嘲笑じみた声を上げた。
「そいつはますます返せねえな。確かに御立派な剣らしい、高値で売れそうだぜ」
荷袋と札を隣の仲間に渡し、これ見よがしにダンスニーを撫で回してみせる。ところが、不意に顔を険しくして、男は腕を伸ばして剣を遠ざけようとした。

『誰もが触れるのを避ける。剣に拒まれている気がするのだそうだ』

前にマイクロトフが語った一節を思い出してカミューは眉を顰めた。主格はダンスニーに徒ならぬ何かを感じている。嫌悪とも畏怖とも説明のつかない異様を覚えて怯んでいるのだ。
「……っ、何だ、この感じ……?」
自問のように呟いた主格に隙が生じた。
弾かれたように地を蹴り、マイクロトフが飛び付く。懸命に差し伸べた手でダンスニーの鞘を掴もうとしたが、一瞬早く主格が身を退いたために指先は束に触れた。
それはほんの偶然に過ぎなかったのだ───敵の手から宝剣をもぎ取ろうと試みた皇子が、目測を誤ったまま握り込んだ掌に力を込めたのは。
そして、奪われまいと避けた男の動きによって、刀身が鞘から解放されたのは。
見守るカミューとフリード・Yが息を飲む暇もなかった。夕映えに煌めいた白刃は、緩やかな弧を描いて振り下ろされた。肩口から腹部までをざっくりと割られた主格が声もなく崩れ落ちる。
居並ぶ刺客たちは、表情を失った皇子が主格の体躯を蹴ってダンスニーを抜き取る様を凍りついたように凝視するばかりだ。
「ああ」
掠れ果てた声でフリード・Yが呻く。
「殿下、ああ……」
一年前の惨劇が繰り返される。よもや此度の旅でダンスニーが抜かれるとは思ってもみなかった。
青騎士団副長から「天雷」の札を渡されたときもそうだ。「眠りの風」の方が良いのではないか、などとは過りもしなかった。
魔剣を解き放ってしまった今、後に待つのは殺戮のみだ。もう止めようがない。今、目に映っている刺客たちを斬り伏せた次には、その殺意は味方であるものにまで及ぶのだ。
何としても救えと命じたのも忘れ、皇子は青騎士たちに剣を向ける。幼い頃から仕えてきた従者、今は欠くべからざる存在となった青年にも、魔性の力が容赦なく降り注ぐ。
そうして生けるもの絶えた地から次なる供物を求めてマイクロトフは彷徨うのだ。力尽きて倒れるまで、愛すべき民の命を摘み続ける屍の王として君臨する───

 

二人目の刺客の腕が、持っていた荷袋ごと空に飛んだ。
苦痛の絶叫は、続いて深々と腹に突き刺さった剣によって永遠に絶ち切られた。
そこへ来て漸く我を取り戻したように男たちは武器を構えたが、完全に腰が退けていた。皇子を倒すというよりは、襲い来る攻撃から何とか身を守ろうとする本能だけであるようだった。
従者を支えた手を外し、ゆらりとカミューが立ち上がる。感情を映さぬ琥珀が上段に剣を構えるマイクロトフの背を凝視していた。
「……話には聞いていたけれど」
静かに唇を引く。
「まったくもって不愉快な剣だな」
「カミュー殿?」
青年が剣を握り直すのを目の当たりにして、フリード・Yは喘いだ。
「ど、どうなさると……?」
「あの馬鹿を止めるのさ」
ぎょっとして取り縋ろうとした手は青年に届かず空を掴んだ。
「ダンスニーを手にした殿下は、もはや殿下ではありません。剣腕も体力も、尋常ではなくなってしまうのです!」
「それも聞いたよ。でも───」
一陣の突風が吹き抜けていった。
「……したから」
「えっ?」
聞き取れずに乗り出すフリード・Yは、ほんの僅かに振り向いた白い貌に穏やかな笑みを見た。
「約束したんだ」

 

───もしものときは、わたしが止める。
あの夜、皇子にそう告げた。
彼は手を握りながら返した。おまえに出会えて良かった、と。
今となっては遠い昔のことのようだとカミューは思った。
望まぬままに殺戮を重ねる男を、これ以上は見たくない。たとえ束の間、真なる意思に反しようとも、止めるのが己のつとめだと考えた。
勢い良く血糊を振り払いながら敵に歩み寄ろうとしている皇子、距離を保ちながらの後退を強いられるままの刺客たち。
両者の間を慎重に測りながら、カミューは右手を翳す。細い肢体を、真紅の闘気が埋め尽くそうとしていた。

 

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次回はプリンスVs傭兵。
赤、受難の巻。

 

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