最後の王・46


珍しく夜更かしをしたものの、やはり身体が慣れているのか、マイクロトフの目覚めは早かった。
身繕いをするうちに隣室の従者も起き出したようで、何やら騒々しい物音が上がり始める。やがて控え目に扉が鳴り、顔を覗かせた若者がにっこりした。
最後に部屋から出てきたカミューを交えて簡単な朝食を取った後、騎士らが陣を張る村の南西端へと向かったが、そこで一同は驚愕に目を瞠ることになった。
朝まだき、柔らかな陽が心地好く注ぐ大地に、大勢の騎士が横たわっている。服や顔を泥塗れにし、精魂尽き果てて倒れたといった様相だ。慌ててフリード・Yが駆け寄ってみたところ、だが彼らは不思議と満足気な顔つきで、ぐっすりと眠り込んでいるだけであった。
呆気に取られる皇子の横でカミューがポソと言った。
「……何とも形容し難い光景だな」
死屍累々とでも呼ばれそうな男たちの姿は、実に輝かしい誇らしさに包まれているのだ。これが心を一つにしてつとめに臨んだ充実感の為せるわざか、そう考えるカミューの胸に、何処か羨望に近しい感情が疼く。
過去に剣の師ゲオルグと共に傭兵として幾つもの戦いに立った。けれどそれは武力を磨くため、試すための場であり、あるいはもっと即物的に糧を得るための手段でしかなかった。
ゲオルグが長期の契約に応じることは皆無だった。もともと一所に留まる性情を持ち合わせぬ上に、彼には戦いにおける美学というものがあり、己が全霊を尽くすに足る理想や価値を求めていたからである。
大戦も影を潜める昨今、そうそう求めに見合う戦場はない。結果、小悪党の成敗だの、要人や隊商の警護だのといった短期契約が傭兵仕事の主流となる。ゲオルグは、そんな仕事の中から許容出来るものを受けていたのだった。
師の選んだ仕事に不満を感じたことはなかったが、同時に充足感や達成感も覚えなかった。その点についてはゲオルグも同様で、通りすがりの旅人を魔物から助けるときなどの方が、よほど高揚を覚えるようであった。
他の傭兵に対して「戦友」や「仲間」といった意識が芽生えた記憶もない。そうしたものは、おそらくゲオルグが望むような戦場でしか見出せぬものなのだろうと思っていたのだ───マチルダ騎士を知るまでは。
主君のため、そして民のため、如何なるつとめにも献身的に励む男たち。味方を気遣い、支え合いながら同じ未来を見詰める姿は、斯くも美しく見えるものか。
戦場で命の遣り取りをしているうちに芽生える絆に似た、温かで力強い関係。それが崇高なる組織に身を捧げたものに許される美酒なのか。
そんなカミューの感慨も知らず、フリード・Yがしきりに眉を寄せている。
「皆様、風邪など召されねば良いのですが……」
「一応、温まるための配慮はしたみたいだけれどね」
騎士らの間には焚火の跡が点々としていた。明け方になって燃え尽きたのだろう、中には未だ細い煙を上げているものもある。その先の人だかりが井戸掘りの現場であるらしい。カミューは軽く皇子を見遣って前進を促した。
やがて人波の外側に居た騎士が、歩み寄る彼らに気付いて一斉に向き直る。
「おはようございます、殿下。ゆっくりとお休みになられましたか?」
「野営地ゆえ、碌な備えもありませんが……朝のお茶でも如何ですか?」
昨夜カミューに示唆された通りの対応ぶりである。マイクロトフは苦笑し、首を振った。
「構わないでくれ。おれの方こそ作業の力になれず、すまなく思っているのだから」
その会話を聞いて皇子の訪いを知った騎士らが輪を解く。現れたのは身の丈ほどの幅もありそうな大穴だ。縁に足を掛けて内部を覗き込んでいた青騎士隊長が軽く会釈した。
「如何です、部下の尽力の成果を御覧になっては?」
そう呼び掛ける横では、穴の中へと吊り下げられた綱を引く騎士らが息を弾ませている。縁を崩さぬように慎重に内部を窺うと、既に相当な深さになった穴の最奥で一人が作業を続けていた。その一方で、綱付きの手桶が宙を舞う。山盛りの泥土で満たされたそれを数人の騎士で引き上げているのだ。
マイクロトフらが見守る中、穴の外に出された手桶は数人の騎士の手を経由して荷車へと向かう。その間に、別の騎士が次の手桶を穴に垂らしていた。
「泥土入りのバケツというのは存外厄介な代物ですな。穴がここまで深くなると、引き上げるにも容易ではない。向こうに寝ている連中は、晴れて交代に漕ぎ着けたものたちです」
「掘り出した土はどうしているのだ?」
荷車に盛られた泥土を見ながらマイクロトフが問うと、騎士隊長は彼方を見遣った。
「ここらに山を作るのも何なので、ある程度\めてから近くの森に撒きに行っています」
穴の近くには巨大な松明が幾つも設えられていた。昼日中であっても、深い穴の底は暗くて作業し難かろう。それを深夜に強行するには相当の無理があった筈だ。マイクロトフは穴を覗きながら眉を顰めた。
「大丈夫なのか、その───」
「ああ、「中」も交代制ですので御心配なく」
そこで騎士隊長は小さく笑った。
「いやもう、これぞ人海戦術ですな。それよりこの大量の焚火、昨夜は街道の村あたりで「戦が始まった」と噂になったのではないかと案じられます」
確かに彼の言うように、夜目に鮮やかな篝火火は遠くの村からも目視出来ただろう。一同は苦笑を禁じ得なかった。
「だいぶ土も泥濘んできていますし、何とか水が出そうだ。初めての割には首尾良く進んだ方でしょう」
青騎士隊長の言葉に、だがマイクロトフは失意もあらわに嘆息する。
「よもや一晩でここまで進むとは思わなかった。こうなると水の出を見届けたいものだ」
「無理を仰る。辺境になるほど魔物は多く、道中の障害は増すものです。そろそろ出立せねば、日の在るうちに目的の村に辿り着けなくなる」
騎士隊長はぴしりと言った。諦め切れず、マイクロトフは首を捻る。
「供をしてくれる騎士の休息は───」
「御懸念には及びません、わたしを含め五名は仮眠を取りました」
ならば、とマイクロトフは真っ直ぐに騎士隊長を凝視した。
「見届けてくれないか?」
「は?」
「おまえが残って、おれの代わりに水が出るのを見届けてくれないか」
口にすると、それは実に妙案であると思われた。信頼する人間に、達成の瞬間の目撃者となって貰う。立ち会えぬ己の代わりに、騎士らと喜びを分かち合って欲しかった。
けれど、騎士は呆れ顔で唸る。
「団長……わたしは副長から御身の警護を第一に命じられているのですぞ」
「他に四人もの騎士が付いてくれるのだろう? カミューがいる。フリードもいる。十分ではないか」
「そういう問題ではなくて、ですな……」
渋い顔をする男を見詰めていたカミューが吹き出した。
「彼にとってこのつとめは母上の村参りと同等以上の重きを為すのです。我々は出立しますから、隊長殿は水の出を見届けられて、それから後を追っていらしては如何でしょう。仰るように、掘り出された土の泥濘み方を見ても、次の村で合流出来るのではないかと」
供廻りの主格とも言うべき青年に促されては同意するしかない。騎士隊長は苦笑い、皇子の随行にあたる騎士の一人と手短に経路の確認をし合った後、マイクロトフに向き直った。
「仰せに従います。水の出を見届けた後は、伝令の赤騎士にでもなったつもりで後を追わせていただきましょう」
マイクロトフは歓喜して頷いたが、その一言でフリード・Yが首を傾げた。
「赤騎士と言えば、昨日ロックアックスから御一緒した方々の姿が見えないようですが……」
すると騎士隊長が、ああ、と頷いた。
「彼らは夜明け前にミューズに発った」
「ミューズ?」
「我々と入れ違いで、アナベル代表からの使者がロックアックス入りしたらしい。夜中に早馬が来た」
ミューズ市国は、南下を目論むハイランドと国境を接しているため、北部領土は常に緊張状態にある。対ハイランド軍事同盟を結ぶマチルダも警戒に助力しており、今も赤騎士団の一部隊が同地に駐留していた。
しかし此度、皇太子の即位という慶事を前に、何かと人手が要るだろうと考えたミューズのアナベル代表が、駐留する騎士をマチルダへ帰そうと考えたのだ。不足する兵力は全土から掻き集めた市国兵で補うという、実に好意的な配慮であった。
戻ってくる赤騎士にも事情を説き、他の仲間と同じように皇子の帰還に合わせてロックアックス入りさせるため、あの三人が引き続き伝令の任に就いたという訳だである
「そうだったのですか……夜明け前に……」
「各地に散っていた仲間が集まるのだからな、赤騎士には堪らぬ僥倖だ。喜び勇んで発って行った」
「ミューズからの使者とはフィッチャー殿だろうか。行き違いになってしまって残念だ、アナベル殿に心からの謝辞を伝えたかった」
マイクロトフの呟きに、騎士隊長が穏やかに頷いた。
「即位式典でロックアックスにいらした際、御本人に直接述べられたら宜しい。ミューズは大切な同盟国、あちらもそう考えての厚情でしょうから」
さて、と彼は馬を繋いだ天幕のあたりに目を向けた。
「水や携行食を御所望の際は部下に申し付けてください。道中、どうぞ御無事で」
「待ってくれ」
「まだ何か?」
「穴に入って土を掘ってみては駄目か?」
予期された申し出だ、とでも言いたげに騎士隊長は冷ややかに皇子を睨んだ。
「城でも申し上げましたな。自団長を泥塗れにするのは青騎士団の信条に悖ります。流石にそれは却下させていただきたい」
では、とマイクロトフはにっこりした。
「せめて手桶を引き上げる作業をさせてくれ。ここまで来て何もせずに立ち去るのは心残りだ」
やれやれ、と肩を竦める騎士隊長から気の毒そうに目を逸らしたカミューは、フリード・Yと密かに苦笑を交わし合ったのだった。

 

 

 

 

 

当初の予定から騎士隊長を欠いた一行は、心地好い風に吹かれながら北を目指した。
昨日の行程とは異なり、我武者羅に急ぐ道ではない。余程の遅滞が生じなければ日暮れまでに目的地に到達出来るという見立ても手伝って、和やかな雰囲気が一行を包んでいた。
前方に見える山の岩が削り出されてロックアックスの街並を作ったのだとか、足元を走る川が北方の農村地帯の主な水源なのだとか───あるいは、赤騎士団は国内でも屈指の牧場から独自に馬を入手するルートを持っていて、そこから得る馬は他騎士団の所有するそれとは比較にならない優れた種であるとか、更に速度を出すために騎手は最小限に装備を落とす、等々。随行の青騎士たちは皇子の尽きぬ興味を満たすべく、案内役を懸命に勤めた。
一方で、隊長が語ったように、魔物も数多く出現した。
一度などは、旅人らしき男の危機に遭遇し、昨日の実戦で自信を深めたマイクロトフは率先してこれを救った。
日が高くなった頃、一行は馬を下りて小休止に入った。持ち寄った布を地に敷いての簡単な昼食。皇太子──若しくは騎士団長──と食を囲む栄誉にあやかった騎士たちは感激しきりといった様相で、それがまた何とも照れ臭い心地をマイクロトフにもたらした。
午後になって、騎士らの講釈が途切れた。行く手を阻む魔物の襲来も一段落ついたようだ。早足で前進を続ける中、ふとマイクロトフは昨夜の追想に陥った。
静かな夜だった。
少し離れたところでは大勢の青騎士たちが夜を徹しての作業に励んでいたというのに、カミューと二人並んで歩いた小道は、そんな現実から忘れ去られたが如く、何処までも穏やかな静寂に満ちていた。
何故あんな話を持ち出したのか、マイクロトフ自身、未だに悩めるところだ。父王の死後、王家の血を繋がねばならない身なのだと痛感させられた一件に関しては、親しい従者にさえ心情を語ったことはなかったというのに。
父母の関係に理想を置いた恋愛感などというものにしても、マイクロトフの中では漠然とした輪郭があっただけだ。決して現実のものとはなり得ぬ願望を、恋に恋する少女のように膨らませる滑稽は、誰よりも弁えていたつもりだったのに。
淡く吹き抜ける夜風に夢を見た。
傍らに寄り添う青年の存在に、ひっそりと守ってきた葛藤が溢れ出た。
ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。心の中に燻り続ける疑問や、辛うじて不満まで行き着かずに留まる諦念の苦さを。
そして、教えて欲しかったのかもしれない。近頃胸に棲み付いた情感の理由を。
青年の微笑みを目にすると心は温もりで満ちる。いつまでも見ていたい心地に駆られる。
けれど、その笑みに違いがあるのも感じられるようになった。誰もが目にする艶やかな微笑みは、実は表情を作っているだけであるらしいとか、相手を蔑んでいるときには殊更冷たい笑顔を見せるとか、一番心情に近いであろう笑みは呆れたときに見せるものであるとか───だから、彼の苦笑を見るときが最も安心出来るのだ、とか。
青年が空虚の影を見せれば、胸の奥が刺し込むように疼く。己の知らぬ彼を突き付けられているようで、堪らないもどかしさを覚える。
揶揄いに狼狽し、叱責に悄然として。
彼の言葉ひとつに振り回されながら、そんなふうに感情に正直になれる自分が新鮮で──泰然と在るべき身には不似合いであったろうが──初めて己を一人の人間として意識するようになった。
この仕事が終わったら故郷へ帰ると語った青年。無論、引き止める道理などない。
けれど、あの哀しげな眼差しで死に絶えた村に一人立つカミューを思うと、分を弁えぬ願望が兆す。痛みを分け持ってやれまいか、せめて墓標の前に佇む彼を見守ってやれまいか。
否、もっと利己的な願いだ。離れたくない。
姿は見えず、声すら届かない、いつまた会えるか分からぬ彼方へと行かせたくないのだ。
カミューの心に一切の躊躇を抱かせられない我が身が恨めしい。いっそ腕の中に閉じ込めて、故郷への未練を薄めることが出来たなら。

 

「遅れているぞ、マイクロトフ」
はっとマイクロトフは顔を上げた。気付けば一行の最後尾、三馬身ほど離されている。直前を走るカミューが馬上で振り返り、眉根を寄せていた。
「どうした? 疲れたかい?」
「あ、いや……そうではない」
二人の会話を耳にしたのか、先を行く青騎士らが馬を止
める。
「お疲れですか、殿下? 休息致しましょうか」
「大丈夫だ、少し考え事をしていただけだ。遅れてすまない」
マイクロトフは慌てて首を振ったが、騎士は心配そうな顔のままだ。
「殿下の馬には、もう少し水を与えた方が良いかもしれませんね」
昼の休憩時、たっぷりと水を飲んでいた黒馬を見遣りながら一人が言う。皇子の愛馬は大柄な上に、遠駆けにも慣れていないためか、他のどの馬よりも水分を要するらしかったのだ。
「しかし、手持ちの水にあまり余裕は……」
別の一人が困惑げに言い指したところでフリード・Yが声を上げた。
「待ってください、あそこに人が見えます」
従者の指す方向に一同が目を凝らすと、確かに少し行った先に人の集まりが見える。遅めの昼食を取る隊商か、火を焚く煙も上がっていた。
「お願いして、余分があるようだったら、水を分けていただいては如何でしょう」
「そうだな、そうしよう」
フリード・Yの進言に従って、騎士らは進む方向を僅かに変えた。馬の疲労が遅れの原因でないと知るマイクロトフとしては、何やら申し訳なさを禁じ得なかったが、マチルダを行き来する隊商と接するのも経験の一つかと考え直して後を追い始めた。
「背負う荷物が重いと馬も難儀するね」
ふわりと横に並んだカミューが揶揄する。しかし、声を掛けられる直前の己の思案を蘇らせてしまったマイクロトフには応じる余裕もなかった。
いったい何を考えていたのだろう。抱き締めて己の許に留め置きたいなどと、それではまるで───
混乱する思考を遮るように明るい声が滑り込んだ。
「団長、先に行って話を通しておきます」
四人の騎士は自馬に鞭を入れ、速度を上げた。
カミューは、見る間に開く距離に茫と見入る皇子を暫し観察していた。
「……本当にどうしたんだい? 心ここに在らず、といった感じだね。今なら魔物に裂かれても気付かなさそうだ」
それでも無言を通す男に肩を竦め、彼は前方へと視線を戻した。
「にしても、隊商か。街道から随分と外れているが、こんなところにも……」
不意に険しくなった表情で、カミューは幾度か瞬いた。変化を察したマイクロトフが眼差しを追ってみると、さながら騎士を出迎えるかのように、相手が次々と立ち上がっていくのが朧に見えた。
琥珀の瞳が鋭く細められると同時に、澄んだ声が轟き渡る。
「待て、戻るんだ!」
隊商と思われた集団とマイクロトフらのほぼ中間、制止を聞き止めた騎士らの馬が踏鞴を踏む。その刹那、集団の中から閃光が迸り、それは騎士らを一時になぎ倒した。
「なっ……「切り裂き」!?」
フリード・Yが絶叫する。攻撃と回復、双方を司る風魔法の中でも最も危険で残忍な攻撃魔法。一瞬で青騎士を地に沈めた光の旋風が、なおも勢いを保ったまま接近してくる。
カミューは咄嗟に懐から出した布をマイクロトフに被せるように投げ付けた。赤騎士団員から貰った「真紅のマント」、魔防に優れた防具であった。
突然視界を紅で覆われた皇子が狼狽えてもがくのに一瞥もくれず、続いて右手を高々と掲げる。切り裂きの風が、今まさに三人を飲み込もうとする一瞬で発動した火魔法は、文字通り炎の壁となって脅威を四散させた。
「な、な、何が……」
間近で起きた爆発に狂乱する馬を必死に宥めながらフリード・Yは唇を震わせた。立ち込める白煙の先では騎士と馬が倒れ、更に先には、こちらへと歩み寄ってくる一団が見える。
「……紋章を宿したか、それとも札か」
カミューが独言気味に淡々と呟く。漸く「真紅のマント」の覆いから顔を出したマイクロトフは、部下たちの無惨な姿に目を剥いた。
「ど、どういうことだ。あの連中は……」
「数は少し減ったみたいだが、あれは前に礼拝堂の前で会った奴らだよ」
「何だと?」
「わたしは遠目が利くんだ。迂闊だった、確認してから行かせるべきだった」
倒れた騎士らに注がれた瞳は痛ましげな色を湛えている。カミューは馬を巡らせながら厳しくフリード・Yを呼んだ。
「フリード・Y、使用可能な回復魔法の内訳は?」
「は、はい。全体魔法は二度、単体魔法ならば五度、発動させられます」
先日、赤騎士の治療にあたった時の記憶を拾って急いで答えると、カミューは満足げに首肯した。
「それだけあれば、人馬ともに何とか救える筈だ。わたしとマイクロトフで道を開くから、君は彼らのところまで一気に駆け抜けろ」
「しかし、カミュー殿……」
敵は両手に余る数だ。フリード・Yは皇子の身を案じて反射的に首を振り掛けたが、当のマイクロトフがそれを許さなかった。
「おまえの荷袋の中には傷薬もあっただろう。何としても彼らを死なせるな」
命じる「主君」の強い声。そこにある王者の尊厳に打ち据えられたようにフリード・Yは唇を噛んだ。十数名もの包囲の輪から独り抜け出すには、並ならぬ俊敏が要される。もはや迷ってなどいられない。皇子と傭兵の武運を信じて、己に為すべきを果たすしかないのだ。
「心配無用だ、フリード・Y。紋章か札か、いずれにしても、連中の攻撃魔法は打ち止めだ」
「どうして分かるのです?」
青ざめた若者に笑むばかりの青年に代わって、マイクロトフが説いた。
「攻撃魔法は接近戦には不向きだ。なのに彼らはおれたちに近付こうとしている。もう使える魔法がないからだろう」
それを聞いて、フリード・Yにも幾許かの安堵が生じた。武器のみの戦いなら、たとえ数には劣っても、皇子と傭兵が無頼漢に屈する恐れなどないと信じられたからだ。
ただ、ほんの少しだけ、初めて人間相手に本気で剣を振るうことになるマイクロトフの心を案じはしたが。
「一つだけ忘れるな、フリード・Y。最後の単体魔法は必ず残しておくんだ───君の、護るべき主人のために」
甘やかにも聞こえる口調で言いながらカミューが下馬する。細身の白刃を解き放った青年の隣に、愛馬から身を躍らせた皇子が並び立った。
こんなときであるというのに、フリード・Yには、刺客が洩らしたマチルダの聖人の在りし日が時を経て蘇ったかのように思えた。

 

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草原育ちの赤の視力は5.0
……なんて萌え話(なのか?)をしたこともあったなー。

ところで、この回を書いた後に
ゲームをプレイしてみたら、
「切り裂き」ってば、ぐーるぐる回ってますがな(笑)
どーも、ネクロードが使う攻撃をイメージしてました。
ヤツを倒すと「切り裂きの札×4」が貰えたもんだから……。
ま、細っかいコトは見えないフリで宜しくです。

 

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