最後の王・38


西棟の客間は、暮れ行く陽を浴びて目眩く輝いていた。
続き部屋がないとは聞いていたが、これはこれで立派な造りの一室である。数日寝起きした皇子の部屋よりも装飾に勝り、こうした設えが常であるのか、同じ寝台が二つ並べられていて、窓際の方の足元にカミューの荷と書物とが\めて置いてあった。
据え付けのキャビネットには皇子の少ない持参品である酒瓶が鎮座している。衣服も既に箪笥に納められたようだ。
整然とした室内で、突如カミューは置き去りにされたような心許なさを覚えた。それが、何時の間にか傍に居るのに慣れ切ってしまった皇子の不在によるものとも知らず、カミューは寝台に身を投げ、当てもなく広い天井に視線を彷徨わせた。
見知らぬ地にひとり踏み込むのは初めてではない。己の容姿や物言いが他者の心を溶かすのを彼は知っている。
かつてそれは、村の人々との間に優しい関係を作るために精霊が与えてくれた賜物であった。他者を欺く武器として駆使するようになったカミューを見れば、おそらく彼らは嘆いただろう。

 

『ここは良い村だ。でも、おまえには相応しくないかもしれないな』
いつであったか、村長がそう言った。どうしてかと首を傾げるカミューの頭を手荒く撫でながら、彼は淡々と説いた。
『おまえは村の誰とも違う。目や髪の色じゃない、けれど何かが違うのだ。おまえは賢い。身のこなしも軽いし、弓やナイフの扱いも同じ年頃の連中とはまるで違う。きっと何かを成し遂げるために精霊が遣わした、選ばれた人間なのだ。こんな小さな村で終わらせるのは惜しい』
カミューには村長の言葉の意味が良く分からなかった。ただ、自分はこの村を護る戦士になる、と言い張った記憶がある。幼い心には、逸れものである身を強調されたように思えたのかもしれない。
村長は、そうか、と笑んでいた。そして数えるように指を折り、身を屈めてカミューの瞳を覗き込んだ。
『もう少し身体が出来上がったら剣をやる。たかだかこんな家の宝だが、軽くて切れ味の良い剣だ。器量を持つ奴に譲りたいと思っていた。だから、おまえに贈る。村の強き守護者となれ、カミュー』
剣が譲られたのは、十四になる少し前だった。自在に扱うには未だ体格的に無理があったけれど、剣は手に良く馴染んだ。
初めて屠った敵は、自分よりも小さな子供たちを襲おうとしていた草原の魔物だった。カミューは「弟」と「妹」を護るため、果敢にこれに立ち向かった。
それまで手にした何れの剣よりも素早く走る細身の剣。ユーライア───古えの、庇護の女神と聞く名を打たれた剣が手に在る意味をそのとき悟った。
地を耕し、風と戯れ、食うに必要なだけの命を摘む。何処にでもある平凡な、けれど穏やかで優しい村。そんな村に暮らす、血縁ひとつない自分を家族同然に慈しんでくれる人々。
彼らを護るために己は生かされたのだ。草原の土と還った母とは異なるさだめを、グラスランドの精霊はもたらしてくれたのだ。
だから戦う。彼らを脅かすもの、憩わせぬものを退ける。
いつか、この母なる大地に還るそのときまで───

 

 

 

密やかに叩かれる扉に気付いて、カミューは目を開けた。そんなつもりはなかったのに、いつしか眠ってしまっていたらしい。浅い眠りに頭は重かったが、小刻みに鳴る扉に急かされ、身を起こす。
はい、と応じながら開けた扉の向こうに居たのは青騎士団副長だった。ところが彼は、顔を合わすなり目を瞠った。場所を空けるようにカミューが身を退くなり、室内に滑り込んで問い立てる。
「い……、如何なさった?」
「え?」
いやその、と口篭る男の視線を追ったカミューは、初めて己の頬を濡らした涙を知った。カミューも呆然としたが、副長の驚きはそれ以上である。
「ゴルドーと一悶着あったとか。何ぞ不快でもはたらかれましたか」
「いいえ……いいえ」
慌てて顔を擦り、弱く笑った。
「うたた寝してしまいました。夢でも見ていたようです」
とても幸せな───もう二度と帰らぬ夢を。
深く追求するのも躊躇われたらしい副長は、けれど案じる眼差しで重ねて問うた。
「大丈夫ですか? お疲れなのでは……」
「とんでもない。それより、恥ずかしいところをお見せしてしまいました。内緒にしていただけるとありがたいのですが」
冗談めかして言ったカミューに、男は笑んだ。
「特にマイクロトフ様には……、ですな。案じられて、それはもう大騒ぎをなさりそうだ」
赤騎士団副長の執務室で今後について相談を重ねていた彼は、報告に訪れた騎士によって皇子とゴルドーの対決を聞いた。赤騎士団における、まるで矢の如き速さの情報伝達に感嘆しつつ、懸念を生じた。
ゴルドーも、式典当日の警備任命を未だ下さぬ宰相に焦れている。よもや国内外の要人が見守る中での暗殺遂行は考え難いが、このまま皇子が即位すれば彼は終わりだ。
さんざん非礼を尽くした身で白騎士団長位に留まれるとは自身でも思っていないだろう。となれば、もはや失うものはないとばかりに荒業に出る可能性も捨て切れない。だからこそ、何としても皇子の間近を味方で固めたいという宰相の心は、副長の心でもあるのだ。
「……と言っても、そうした差配は白騎士団長に一任されるのが慣例です。あのゴルドーを同意させるだけの妙案がなく、グランマイヤー殿もどうしたものかと頭を痛めておられる御様子で」
説きながら椅子へと移った青騎士団副長は、そうして大きな溜め息をついた。
「害意あるもので式典中のマイクロトフ様を囲まれたら、と思うと胸が冷えます。カミュー殿、何ぞ良い知恵は浮かびませんか」
「そうですね……」
向かい合って座したカミューは首を捻った。
「騎士団の成り立ちや作法は一通り覚えたつもりですが、所詮は付け焼き刃ですし、ゴルドーの為人も一見しただけですし……。尊大な権勢欲に溢れた人物だというのは十分に分かりましたが」
そこでカミューは声を潜めた。
「ああ……、利用するならそこかな」
「と言いますと?」
「あの男が謀略を巡らせているのは、それによって得る利のためです。皇子を屠っても、相打ちになっては意味がない。だから己の安全には敏感になっている筈……」
カミューは身を乗り出し、囁くように続けた。
「そっと耳打ちすればいい。あなたの命を狙うものがいる、と。捨て身でないゴルドーには聞き流せないでしょう。周囲に腕の立つ側近を置いて自らを護ろうとする筈です。そちらに力が傾けば、皇子への害意は弱くなる」
無言のまま聞き入る副長に、もっとも、と複雑そうに付け加える。
「それでは皇子の周りを信頼出来る騎士で固めるという状況には遠く及びませんが。申し訳ありません、お力になれず……」
副長は驚いて大きく首を振った。
「とんでもない。いや、感心していたのです。こう言っては何ですが、カミュー殿の年頃は、騎士ならば叙位されて数年の平騎士。なのにこうして話していると、何時の間にかあなたの歳を失念してしまう。まるで熟練の軍師を前にしている気がする……」
カミューはくすりと笑みを零した。
「前に皇子に「老練な策謀家みたいなことを口にするな」と文句を言われました」
「それは褒め言葉でしょう、カミュー殿」
苦笑しながら首を振り、副長は立ち上がる素振りを見せた。
「お寛ぎのところ、失礼しました。後程グランマイヤー様に申し伝えてみましょう」
「ああ、お待ちを。その宰相殿のことですが……」
倣って立ち上がったカミューは、真剣な眼差しで騎士を見詰めた。
「護衛は付けておられますか?」
「えっ?」
「……いないのですね。是非とも付けて差し上げてください。これまでゴルドーが宰相殿に手出ししなかったのは、あの方の喪失と利とを量りに掛けていたからでしょう。皇王不在の今、宰相までもが失われれば、あるいは慣例を廃して皇子を即位させようという動きが出たかもしれない。ましてゴルドーの最終目的は皇子を亡きものにしてマチルダを手中に納めること……、そうそう名のある人間を消し続ける訳にはいかなかったからだと思います」
「…………」
「ですが、追い詰められて成り振り構わなくなったゴルドーが宰相殿に手を伸ばさないとは限らない。護って差し上げてください」
副長は蒼白になって頷いた。震える声で返す。
「至急、そのように取り計らいましょう。では、わたしはこれにて───」
「失礼致します、カミュー殿は御在室でしょうか」
副長の言葉に重ねるように、扉の外で新たな声が呼んだ。顔を見合わせた二人が扉口まで進むと、外に待っていた青騎士はひどく顔を強張らせていた。
「何事だ」
副長の問いに騎士は囁きの声音で答えた。
「それが……白騎士団長からの使者が。カミュー殿を夕食に招待する、と」
「わたし?」
「はい。副長の御命令通り、使者は廊下の手前で待たせておきましたが」
寝台の位置や家具のありかなど、ゴルドー配下の騎士に室内の様子を知られぬよう下された命令だった。忠実に遵守した張り番騎士だが、思いも寄らぬ伝言に戸惑いは隠せなかった。
「何でも、先程非礼をはたらいてしまった詫びだとか……、如何致しましょう」
副長と騎士は眉を顰めてカミューを見守った。が、深刻な眼差しに映ったのは朗らかな笑みであった。
「では、御招待に応じましょう」
「カミュー殿?」
「ゴルドー様の暮らしぶりを拝見して来ます」
そんな、と副長は狼狽えた声を上げた。
「やめた方が良いのでは……。いいえ、どうかお断りください」
「危険だと思われますか?」
柔らかく瞳が細められる。
「わたしはゴルドーにとって何の価値もない、ただの皇子の「学友」です。でも、わたしには違う。策を練るには、相手の懐に飛び込んでその人物を知る───それ以上に効果的な手段を知りません。それに……」
最後にカミューは美しいけれど不穏な微笑みを昇らせた。
「上手くいったら、先程の件も何とかなるかもしれませんし」
え、と副長は瞬いたが、それ以上は口にせず、カミューは張り番騎士へと向き直った。
「行きます。使者は廊下の先ですね?」
「は、はい……」
良いのか、と言いたげに騎士は上官を一瞥したが、副長にも止めようがなかった。そうして彼らは、「敵」の許へと赴く青年をなすすべもなく送り出したのだった。

 

 

 

 

やたら勿体つけた白騎士の案内で中央棟の階段を昇る。
途中までは見慣れた白い石壁の、皇王と騎士団の長が本拠と為すに相応しい重厚な拵えであったそれが、階を重ねるごとに様相を変じていく。
厳しい騎士の像に代わって、高価な壷や異国風のランプ、柔らかな女体の彫像などが視界にちらつくようになり、終にここが白騎士団長の居室がある階だと教えられたときにはその華美が鼻につくほどになっていた。
差こそあれ、質実を信条としてきたと聞く代々の白騎士団長が、こうした品の収集に血道を上げるとは考え難い。身辺を不必要に飾り立てるゴルドーの、何処か満たされぬ空虚が感じられるようだった。
行き着いた扉は二人の白騎士で厳重に護られている。更に一階上の執務室にもこれと同様の警備が敷かれているのだと語る案内人は──その隣にある、主人のいない王の間については言及しなかった──白騎士団長の力の誇示と、どうやら遠回しの牽制をしているらしい。
迎えた白騎士らはカミューの腰の剣をちらと見たが、特に何も言おうとはしなかった。慇懃に礼を取ると、滑稽なほど粛々とした仕草で扉を開け放つ。迎えたのは、ゴルドーという人間を一瞬で理解させる居住まいだ。
飾り立てていくうちに、調和という言葉に忘れられたような室内。一つ一つの調度品は実に見事なのに、どれもが主張し合うあまりに、目を覆いたくなるけばけばしさである。権威と財で塗り固められた空っぽの地位───現皇太子とはまるで正反対の男が、これまた大層な数の皿を並べた卓でカミューを待っていた。
予め命じられていたのか、白騎士らはそのまま外に出て扉を締めた。施錠の音こそしなかったけれど、カミューは朽ち行こうとする豪華な檻に押し込まれたような心地であった。
少し前に顔を合わせたときとは打って変わった気配がゴルドーを包んでいる。皇子にやり込められて退散した男とは思えぬ、自信に溢れたほくそ笑みが、品格の感じられない口元に昇った。
マチルダの白騎士団長は、豊満な体躯を椅子から起こした。殊更にゆっくりと豪奢な織りの絨毯を踏み締めて、一歩、また一歩とカミューへと歩み寄る。
「───おまえだ」
手が届くほどに近付いたとき、男は低く呟いた。舐めるように長々とカミューを検分した後、ぎらりと目を輝かせた。
「おまえがそうなのだろう?」
太い指が、青年の細い顎を捉えて仰向かせる。確かめるように軽く揺らし、ゴルドーは満悦を浮かべた。
「ワイズメルが寄越した……おまえが最後の刺客だな?」
カミューはするりとゴルドーの指先から逃れた。数歩退き、暫し男を凝視して、最後に丁寧にマチルダ式の礼を払った。
「改めて御挨拶申し上げます。我が名はカミュー、任務遂行まで宜しく御見知り置きください───ゴルドー様」

 

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ちょいとガボーンな自己紹介……かも(笑)

 

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