INTERVAL /6


ロックアックス城で見る幾度目かの夕暮れ。
窓の外に広がる朱色の空が、遠い記憶に重なった。



お聞き、カミュー。
世のすべては大地の精霊が賜物。この村は水が豊かで作物も良く取れる。決して裕福ではないけれど、飢えているものはいないし、憎み合うものもない。皆が笑って明日を迎えられるよう、精霊が祝福してくれているのさ。
人や獣、草や木も、毎日を精一杯に生きている。そしていつか役目を終えたら、土に還って精霊のふところに抱かれるんだ。次の命を与えて貰う日まで、静かに疲れを癒すんだよ。
『母さんも? 母さんもそうやって休んでいるの?』
───そうだね。最期の瞬間までおまえを案じていたあの人だもの、きっと精霊に慈しまれているに違いない。



皺枯れた指で柔らかな薄茶の髪を梳いた老婆が、目前の小さな盛土に野花を添えた。教えられたように祈りの姿勢を取り、少年は顔も知らぬ母に思いを馳せた。
狩りに出ていた村の男が、草原で行き倒れた女を見つけたのは、七年前の冬のことだ。
いったいどれほど彷徨っていたのか、衰弱し果てた女は、村に招き入れて程なく命を落とした。
驚いたことに、女は懐に赤子を隠していた。渾身の庇護に包まれていたためか、窶れ果てた母ほど健康状態は悪くなく、村長の妻が抱き上げるなり弱い泣き声が上がった。
産後間もない村の女が呼ばれると、赤子は泣き止み、無心に乳を吸った。やがて腹が満たされたのか、村では見ない琥珀色の大きな瞳が、覗き込む村人たちを見返して笑みに染まった。
母親の死も知らずに幸福そうに微笑む赤子。瀕死の女は会話らしい会話が出来る状態ではなかったから、どんな事情があったのか、父親の所在さえ村人は知り得なかった。
けれど、彼らにとって赤子は大地の精霊がもたらした賜物であった。母と共に地に還っても不思議はなかった子が、こうして生き延びたのは、大いなる力が護ったからだと信じた。
その日から村が赤子の故郷となった。村人のすべてが父となり、母となった。
「カミュー」という名は実母が遺した唯一の形見。村人たちは彼をそう呼び、家族として遇してくれた───

 

 

 



「何が見えるんです?」
ふと背後から掛かった声に、カミューは現実へと引き戻された。振り返ると一人の若い赤騎士が、彼が立つ窓の外を興味深げに窺っている。
「綺麗な夕陽だと思っていただけだよ」
へえ、と相槌を打って若者は微笑んだ。
「西棟の最上階からなら、もっと良く見えますよ。良ければ案内しますけど」
幾つか年下に見える赤騎士。今朝、闘技場で見掛けた顔だとカミューは気付いた。
「第一部隊の人だね?」
若者は驚いたように目を瞠る。慌てて左右に視線を走らせ、間違いなく自らを指しているのだと悟るなり、不可解を顔中に浮かべた。そんな反応に笑みながらカミューは言った。
「帰還した部隊の中に居ただろう?」
「確かに居ましたが……」
「あの場に居た三割から四割くらいは見分けられるよ。記憶力には自信があるんだ」」
そう───自信がある。
顔や名の二十や三十、一瞬で脳裏に刻み付けるくらいには。
心中で自虐気味に付け加えるカミューに気付かず、若者は呆れたように笑った。
「凄いな。副長や隊長が頼りにする訳だ」

 

不意に、切ない既視感がカミューを襲った。
村に二つ違いの少年がいた。その頃、世話になっていた家の子で、実の兄のように慕ってくれる少年だった。
あの日も、一緒に行きたいと言い張った。けれどカミューは許さなかった。自らとて、一人で狩りに出るのは初めてなのだ。腕にはそこそこ自信があるが、強い魔物でも現れたらとても守り切れないから、と。
少年はがっかりして、それでも健気に笑んでみせた。「夕飯は兎鍋がいい」などと背に呼び掛けていた声───それが今生の別れとなった。

 

「カミュー殿? どうかしましたか?」
案ずるように問われてはっとする。記憶の中の少年が目の前の騎士に重なり、そして溶けていった。
「いや……昔の知り合いを思い出したんだ。何だか似ている気がして」
「カミュー殿の知り合いと? それは光栄だな」
まんざら追従でもない口調で呟き、若い騎士はにっこりした。
「どんな人か聞いても良いですか?」
「弟みたいな子さ。いつもわたしの後を追い掛けてきた」
ますます若者は笑みを深める。
「確かグラスランドの御出身とお聞きしましたが……今もそちらに?」
「───死んだよ」
感情の失せた言葉が洩れるなり、赤騎士もまた表情を失った。視線を逸らし、悔い果てたように彼は言った。
「あ……すみません。おれ、無神経なことを……」
「いいさ、こちらこそ死んだ人間に似ているなんて……悪かったよ」
消沈する若者の姿に、幼馴染みを苛めたような錯覚を覚え、カミューは苦笑し、首を振る。
「人は死んだら大地の精霊の許へ還る。次の命を貰う日まで、精霊の懐で憩うんだ」
「グラスランドの信仰ですか?」
「……どうだろう。わたしが育った村ではそう言い伝えられていた」
若い騎士は暫く遠慮がちに沈黙していたが、やがておずおずと切り出した。
「グラスランドを恋しく思われますか?」
「どうして?」
「おれは生まれも育ちもロックアックスだから良く分からないんですが……やっぱり、離れているとそう思うのかな、と」
それから彼は差し出がましかったかと案じたらしく、慌てて言い募った。
「と言うのも、みんな言っているんです。このままカミュー殿がロックアックスに留まり、騎士になってくれたら良いのに、って。所属が赤騎士団なら更に嬉しい、とか」
「……そう言えば、赤いマントを頂戴したね。ありがとう」
「我が部隊、ひいては赤騎士団一同の精一杯の勧誘行動と考えていただければ幸いです」
カミューは吹き出し、真剣な面持ちの騎士を見詰めた。
「分からないな。わたしは君と幾らも変わらない若造だし、素性も知れぬ傭兵に過ぎないのに、皆、わたしに何を求めているのだろう」
うーん、と若者は考え込んだ。残念ながら適当な言葉が浮かばぬようで、彼は首を捻った。
「隊長はあなたと剣を交えて何かを感じた。おれたちも同じものを感じたんです。多分、青騎士がマイクロトフ殿下に感じているのと同じような、抗い難い力を」
「……難しいね」
騎士は嘆息する。
「すみません、巧く言えなくて。理屈じゃないんだと思います。おれたちの気持ちが負担になるなら、申し訳ないけれど……」
「───負担だよ」
若者に聞こえぬよう、喉の奥でカミューはひっそりと呟いた。

 

堪らないほど負担だ。
自分を大切な存在と満座の中で言い切った馬鹿正直な皇子も、好意を隠さぬ騎士たちも。先へ進もうとする身を絡め取る、誠実で温かな信頼のすべてが。
このまま足を止めて、すべてを忘れて生き直したいと過らせそうになる己の弱さが、唾棄したいほど呪わしい。

 

話を続けたいのか、別れ難い様子の騎士に見送られ、カミューはのろのろと歩き出した。

 

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初登場時から読み手様に
「こやつはミゲリン」と断定されていた赤騎士君(笑)
今回は赤との年齢差が縮まっておりますが、
天然ストーカ〜ぶりは健在っぽいです。

にしても、授乳される赤って……
何だか書いてて無駄にドキドキした(笑)

 

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