最後の王・32


別行動となった皇子や従者の姿を求めて青騎士団の位階者執務室を目指していたカミューは、途中、青騎士隊長の一人に呼び止められ、その後の顛末を知った。
青騎士団の当面の予定は白紙に戻され、以後は赤騎士団との連携を計るかたちでつとめが調整されるという。詳細については、午後にでも両騎士団にて合議する方向で、青騎士団副長は希望しているようだ。
マイクロトフと副長は宰相グランマイヤーの許へ向かった。赤騎士団に命ぜられたつとめに青騎士団が助力する、それはこれまでの三騎士団の在り方を逸脱した行動だ。今のところおとなしく様子見に徹しているゴルドーを刺激しかねない。故に、一応は赤騎士団長の名を持つグランマイヤーにも現状を報告しておく必要を感じたのだろう。
二人の後を追うべきか一瞬だけ迷ったが、カミューはそのまま皇子の自室へと足を向けた。グランマイヤーに申し述べたい儀はないし、何より今は皇子らと顔を合わせたくなかったからだ。
僅かずつではあるけれど、事態は着実に望むかたちへと進んでいる。が、予期せぬ壁が立ち塞がろうとしていた。
周囲からの無上の信頼はカミューにとって絶対に勝ち得ねばならない要素の一つであった。けれどそれを果たしつつある今、重い枷を課せられたような苦さが付き纏っている。
特にマイクロトフは───あの男の眼差しに触れていると頑なな決意が揺れる。真っ直ぐな親愛に、欺瞞で塗り固めた扉が溶け落ちそうになる。
マチルダ皇王家最後の血を引くあの男を、憎からず思い始めている───

 

そこでカミューは立ち止まった。皇子の部屋へと続く廊下に数人の青騎士がいる。何やら個々に荷を抱えて歩いて来るところだった。
「お戻りになられたのですね、カミュー様」
一人が足を速め、カミューの目前で丁寧に一礼する。騎士の手にはマイクロトフのものと思しき衣類が束ねられていた。
「どうかしたのかい?」
はあ、と騎士は微笑んだ。
「一言で申し上げると、部屋替え、でしょうか。マイクロトフ様は本日より青騎士団所有の客間をお使いになられます」
「客間を?」
「はい。ええと……棟が違いますと、情報伝達等、色々と不便もありますし、それに」
騎士はふと周囲を窺うように素早く視線を投げ、声を潜めて言い募った。
「お聞き及びでしょうか? これより我々は赤騎士団と共同でつとめに臨むことになりました。出兵中の赤騎士団員を一刻も速くロックアックスへと戻すため、通常訓練は全て中止してこれに当たります。ですから……」
「ああ……成程ね」
納得してカミューは頷いた。
皇子の居室には、張り番、窓下の警備のための騎士が置かれている。担当しているのは青騎士団員だが、皇子が西棟に寝起きすれば、この人員は必要なくなる。もともと赤・青騎士団が拠点としている棟だから警備は万全、一人でも多くを戦力として接ぎ込みたい彼らとしては一石二鳥という訳だ。
もっとも、両騎士団の中にゴルドーへの内通者が居れば話は変わってくるが、その可能性も考慮しての決断だろう。あるいは護衛としてのカミューの力量を信じたのかもしれない。そこに行き着くと、またしても心は陰鬱に包まれた。
騎士たちを見送って、カミューは再び歩き出した。荷出しのためか、開け放たれたままの扉からフリード・Yの明るい声が響いている。
「文机は残しておいてください。キャビネットの酒類は残らず運んで───」
「これはどうする、フリード殿?」
「あ、そこは……殿下が言われますに、カミュー殿の「巣」なので……」
ぎくりとして、カミューは部屋に駆け込んだ。呼ばれたように現れた青年に驚いて、騎士たちは一瞬固まった。真っ先に我を取り戻したフリード・Yが苦笑する。
「丁度良かった。カミュー殿、部屋を移ることになったのです」
そのまま積まれた書を眺め遣って続けた。
「これはどうしましょう? この部屋にはいつでも入れますが、運んだ方が宜しいでしょうか?」
分類を崩したくないというカミューの希望を覚えていて、敢えて触れようとはせずに指示を仰いでいるのだ。主人に似た生真面目さにほっとしながらカミューは答えた。
「大事な文書もあるし、無人の部屋に放置しておく訳にはいかないだろうね。少し待ってくれるかい? 出来るだけ書庫に戻せるようにするよ」
───必要な情報を残らず記憶に刻み付けたら。
そんな心の声に気付こう筈もない従者は、膨大な書を読破した青年への畏敬を込めてにっこりした。
「それでは、騒々しいのは御容赦ください。すぐに終わります。殿下は身の回りの品が少なくておいでですから」
だろうな、とカミューは心中で同意した。王族らしからぬ質実な暮らしぶりで窺える。マイクロトフという男は、およそ物品に執着を持たぬ人間なのだろう。
この部屋で唯一目を引くと言えば、酒の品揃えくらいのものだ。カミューが訪れる以前は、従者を相手に寝酒を嗜んでいたのだろうか。それとも、ひとり杯を傾けながら魔剣がもたらした悪夢を反芻していたのか。
カミューは書の山の中に腰を落として、目当ての冊子を選り分けた。先程の赤騎士団副長との会話から、一つ思い至ったことがある。彼は何気なく口にしたのだろうが、それはカミューが今まで考慮していなかった可能性だったのだ。
休暇取得記録。全騎士団員のものであるから、冊子の数は複数に及ぶ。だが、時期さえ絞ってしまえば難しい作業ではない。程無くカミューは望む全てを書面から拾い上げようと努めた。
軽い自失の狭間に、青騎士と従者の遣り取りが滑り込む。
「では、カミュー殿の荷は後で改めて運びに来るとして……これで最後かな」
「すみません、わたくしの荷物まで運んでいただいてしまって」
「なに、これから同室になる誼だ。早く慣れると良いな、フリード殿」
「確か六人部屋でしたよね、楽しみです」
カミューは──遣り取りに驚きを隠せなかったものの──手にした冊子を目立たぬように書の山の奥に差し入れてから立ち上がった。表情に浮かぶ疑問を認めたフリード・Yが、すぐに言った。
「ああ……申し訳ありません、言い忘れました。新しい部屋には続き部屋がありません。ですから、わたくしは兵舎に部屋を頂戴したのです。従者のつとめはこれまで通り果たすつもりなので、その面でカミュー殿に負担をお掛けすることはないと思いますが……どうか殿下をお願い致します」
あまりにも唐突な事態の変化。何と言葉を挟んだものかと思案している間に、若者は丁寧に頭を下げていた。
「客間にはカミュー殿の寝台もあります。信頼の置ける騎士の方々が、気詰まりを感じさせぬ程度の室外警備を敷いてくださるそうですから、カミュー殿も床でお休みになったりなさらず、ちゃんと睡眠をお取りください」
フリード・Yのものらしい大きな荷袋を持った青騎士が笑みながら補足した。
「カミュー殿は、今や我らにとって欠かせぬ存在。どうぞ御自愛くださいますよう」
「……分かった、御忠告に従うよ」
既に決定事項である以上、何の異論を挟めようか。
少々騒がしい従者を最初は疎ましく思ったカミューである。けれど、皇子の親愛、そして彼が抱えた傷に引き擦られそうになっている自覚があるだけに、今はその欠落を恨みたい心地だった。
騎士が一礼して出て行くのと入れ替えに、開け放たれたままだった扉が数度鳴った。現れた人物を見て、同様に退室しようとしていたフリード・Yがぴたりと歩を止める。入室の許可を求めて扉脇に立ち尽くす長躯、それはカミューと剣を交えた赤騎士隊長であった。
「失礼、こちらだと伺ったので」
低い声には敵意めいた色など皆無なのに、何故かフリード・Yは身の竦むような心境に陥った。慌てて抱えた荷を床に下ろして深々と礼を取る。よもや先程の蒸し返しという訳ではあるまいが、いざとなったら間に立つのも辞さぬ覚悟だ。そんな必死の決意を察したのか、赤騎士隊長は仄かに苦笑った。
「たいした用ではない、すぐに消える」
静かな眼差しをカミューに注ぎ、騎士はゆっくりと入室する。
「こちらを納めて貰えまいか、カミュー殿」
差し出した品を見るなり、フリード・Yが感嘆の息を洩らした。艶やかな紅に輝くすべらかな布地。真新しいそれは「真紅のマント」と呼ばれる防具品の一つであった。
「さっき上着を裂いてしまったからな、代わりと言っては何だが」
そうして腕の中に落とし込まれた緋色の布をしげしげと見詰め、カミューは困惑したように眉を寄せた。すっぱりと切れ目の入った上着の裾を片手で摘まんで呟く。
「……「真紅のマント」を代用にいただくほどの服ではありません」
「では、赤騎士団の好意として受け取ってくれ。此度の出兵中に入手した品だ」
「でしたら尚更いただけません」
大きな被害と引き換えに手にしたもの。例えその中のほんの一部であろうと、譲り受ける謂れはないと首を振ったカミューだが、赤騎士隊長はきつい顔を綻ばせる。
「部下の総意だ、カミュー殿。わたしが果たせなければ、赤騎士団・第一部隊騎士が次々とあなたの許を訪れよう。さて、何人目で受け取っていただけるだろうか?」
冗談なのか本気なのか、判別するのが難しい言いようであった。フリード・Yは暫し目を丸くしていたが、赤騎士に退く気がないと認め、小声でカミューに囁いた。
「折角の御好意ですし、受け取られては如何です?」
依然として躊躇は勝ったが、若者にまで勧められては固辞する理由が見つからない。カミューは両手に布を捧げ持った格好で、男に丁寧に会釈する。
「では……頂戴致します。他の方々にも宜しくお伝えください」
「承知した」
その瞬間、何処かほっとしたような騎士隊長の顔を見て、フリード・Yは思った。
先程の冗談めいた言は、ひょっとしたら真実だったのではないか。今ひとつ愛想に欠ける騎士隊長が不首尾に終わった場合、本当に配下の騎士らがカミューに品を受け取らせるまで尽力する運びになっていたのではないか、と。
そこまで来ると、厳めしい騎士隊長への畏れは消え、不思議な親近感に包まれるフリード・Yだった。
「それにしても、どうして「真紅のマント」なのです?」
何気なく問うと、男は神妙な面持ちで応じる。
「他に赤い品が見当たらなかったからだ」
真摯な口調と、返答の妙が噛み合わず、若者は思い切り首を捻った。様相を横目で一瞥し、赤騎士隊長も自嘲の笑みを浮かべた。
「部下の希望を代弁すれば、その色を身に付けて貰いたかった、といったあたりか。わたしとしては、赤騎士団の団衣を受け取っていただきたいところだが……それも尚早、取り敢えず賛同してみた」
彼は真っ直ぐにカミューを凝視して続ける。
「優れた資質に敬意を抱くのは騎士のならい、負担に思われたらお詫びする」
カミューはまたしても言葉に詰まった。やむなく無言のまま拝礼を返すと、騎士は一旦退出の素振りを見せたが、振り返ってフリード・Yへと視線を戻した。
「そう、今さっきグリンヒルより使者が着いたぞ。君も行った方が良いのではないか?」
従者は怪訝げに首を傾げた。
「式典の最終的な打ち合わせは済んだ筈なのですが……」
「では、御婚儀関連かもしれんな。使者殿は御婦人らしいから」
そこまで黙して遣り取りを聞いていたカミューだが、流せない一節に勢い込んで声を挟んだ。
「ま……待ってくれ、婚儀って?」
束の間きょとんとしたフリード・Yだが、微笑んで答えた。
「勿論、殿下の御婚儀です。即位の後、殿下はグリンヒル公女様と結婚なさるんです」
それから困惑気味に付け加える。
「……あれ? 御存知ありませんでしたか?」
「聞いていないよ、初耳だ」
呆気に取られた面持ちで赤騎士隊長と顔を見合わせたフリード・Yは、やがて申し訳なさそうに肩を竦めた。
「すみません、てっきり殿下かグランマイヤー様からお聞きだとばかり……。ええと、まず殿下の即位式典、民を前にしての新皇王即位宣言が行われます。その後、改めて聖堂内にて公女テレーズ様との婚姻の儀、披露目のパレード……当日の流れはこんな感じになりますか」
あっさりと言われ、カミューはますます不可解に襲われた。
一国の主が妃を娶る。噂一色に染まっても不思議のない慶事だというのに、これまで一度として耳に入らなかったのは何故なのか。
カミューが疑問を挟むと、これには赤騎士隊長が躊躇しつつ答えた。
「やはり、四年もの空位を経て皇王が立たれるという方にマチルダにとっての重要性が傾いているのと、あとは……御本人を前に、声を大にして祝辞を述べるのが憚られる、といあたりで察していただいたら良かろう」
「すると、この婚姻は皇子にとって望まぬ儀だと?」
「うーん……そこは難しいですねえ」
フリード・Yが深々と考え込む。
「実際、わたくしも殿下がどうお考えなのか、直接伺ったことがないのです。着々と話が進んだのを考えれば、厭われているとも思えないのですが……」
結婚について、話題にするのをマイクロトフは固く禁じたという。
最初は無骨な男にありがちな照れかとも思ったフリード・Yだが、一度うっかり公女の話を持ち出したときに主人が見せた厳しい拒絶の様子に冷や汗をかいた。以降、両者の間で婚姻に関する遣り取りは一切交わされていない。
「潔癖な殿下のこと、あからさまな政略結婚を快く思われていない可能性はあるな」
赤騎士団長の言葉にカミューは幾度か瞬いた。
「政略結婚……なのですか?」
すると男は困ったように笑った。
「世の王族で、政略結婚と無縁な人間がどれほどあろうか。その点、殿下の御父上は然程裕福でもない地方貴族の令嬢を想われて妃となさった稀有な御方。そうした父を持たれるだけに、周囲が勧める妃を快諾しかねる御心は理解出来ぬでもない」
「でも、テレーズ様は御人柄、才覚ともに優れ、比類なき淑女と謳われる御方ですよ?」
幾分不満そうにフリード・Yが異を唱えたが、冷ややかな一蹴を浴びる。
「では、君ならどうだ? 確かに、御婚約が成立したのは一年前だが、最初に話が持ち掛けられたのは先王の喪が明けた、正にその日なのだぞ。相手がどうあれ、嬉々として受ける気になるか?」
「それは……でも……」
「グリンヒルには将来的に国家を支えるだけの主産業がない。学術都市として栄える公都も、内情は火の車だ。豊かな隣国の恒久的な支援を何としても得たい。そして我が国は、サウスウィンドウ方面への通商のためグリンヒルに支払っている莫大な通行税を撤廃したい。思惑が明白過ぎて、いっそ見事としか言いようがない」
フリード・Yは次第に紅潮し、憤慨したように騎士隊長に詰め寄った。
「それではまるで、グランマイヤー様が国家の利益のためだけに殿下に望まぬ結婚を強いたようではありませんか! あんまりです、グランマイヤー様はいつだって殿下の御心を尊重して───」
興奮で鼻息を荒くして、今にも掴み掛からん様相である。男は慌てて両手を挙げた。
「いや、宰相殿を非難した訳では……」
「そう仰っているも同じですっ!」
「……フリード・Y」
やむなくカミューが宥めに回った。
「宰相とは、国利を第一に考えねばならない政治の要だ。でも……決して無理強いした訳ではないと思うよ。本心から望まぬ結婚なら、マイクロトフは断った筈だ」
───そして、グランマイヤーは愛する皇太子の意思を尊重しただろう。あの宰相はそういう人物だ。
漠然とではあるが、カミューは理解した。
これまで周囲で一度として皇子の婚姻の話題が取り沙汰されなかったのは、今、騎士隊長が語ったような経緯があったからなのだ。
どういった心情からマイクロトフが隣国の公女との結婚を受け入れたかは分からないが、王族として当然のことと言ってしまえばそれまでである。ただ、何がなしかの遠慮が働いて、人々は声高に祝福を叫ばないのだろう。
気まずさを打ち払うように、赤騎士隊長が調子を変えて明るく言った。
「ともあれ、グリンヒル公女が素晴らしい姫君なのは事実だからな。今は政治的要因が大きかろうと、いずれ真実の情も育まれよう。わたしとて、臣下として殿下のお幸せを願っている」
歩み寄りの姿勢を感じたフリード・Yは、「絶対にそうなりますとも」と幾度も頷いていた。カミューは、そんな両者から静かに視線を外す。
「結婚、か……」
遠く、南方グリンヒルの地を望むかのように窓の外に投げられた琥珀の瞳は複雑な感慨に染まっていた。

 

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さあ大変、
プリンスは結婚間近でありました。
が、全然嫉妬していない赤の方がもっと大変。

 

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