最後の王・31


赤騎士団副長の執務机は予想に反して整然としていた。
現在カミューの手元にある任務記録書に拠れば、尋常ならざる量の書類を抱えていても不思議はない人物だ。
してみると彼は、並外れた事務処理能力を持つ指揮官であるらしい。勧められた椅子に腰を落としながら、カミューは慎重に事実を胸に納めた。
慣れた手付きで茶の支度を整えると、副長は机の引き出しから小さな紙包みを取り出した。カミューの向かいに座るなり、カップに注いだ茶に包みの中身を滑らせる。怪訝げに見詰めるカミューに笑んでから穏やかに言った。
「とある香草を粉末化したものだよ。眠気覚ましの効用がある」
束の間ぽかんとしたカミューは、すぐに苦笑した。
「……分かりますか」
それには答えず、副長は探るように身を乗り出す。
「毒見した方が良いかね?」
暫し男に見入った後、カミューは小さく首を振った。
温かな茶には微かな刺激臭がある。含んでみると、それはいっそう顕著になった。薄荷に似た風味が広がり、冷風が鼻孔から抜けるようであった。一口、二口と飲み込んで、カミューは満足の溜め息を洩らした。
「これは効きますね」
「机仕事を片付けるときの必需品だよ」
副長は温厚そうな顔を綻ばせて背凭れに身を委ねた。
静かな眼差しでありながら、恐ろしいほど念を入れて吟味しているのが窺われ、だがあまり不快に感じぬことにカミューは僅かな戸惑いを覚える。雄々しき指揮官というよりは、包み込む懐の深さを持つ父親とでも称した方が良さそうな人物。赤騎士団は、彼を盛り立てながら長く平静を保ってきたのだろう。
「殿下から引き離すような真似をしてすまなかった。寝不足気味に見えたのでね」
いいえ、とカミューは柔らかに感謝を浮かべる。
実際、徹夜に夜更かしと続いて、今朝の目覚めは散々であった。続いた騒動で辛うじて覚醒は果たしたが、気を緩めると欠伸が出そうな身に、眠気覚ましの茶はありがたい気遣いだ。
それに、公然と皇子から離れられたのも幸いだった。
彼が赤騎士との戦いを快く感じていなかったのをカミューは察していた。あの場で殺し合いが起こるとは流石に思わなかっただろうが、また例の心配性がぶり返したか、沈鬱な色をちらつかせていたのは確かである。
下手に顔を合わせていると、また昨夜の繰り返しになりかねない。ああした遣り取りは酷く疲れる。真っ直ぐな双眸に、己の偽りが暴かれそうな危機感を煽られるのだ。
だからこの冷却はありがたい。胸のうちを曝さぬための防具を装備し直す猶予として、赤騎士団副長の招待は実に都合が良かった。
「殿下の一つ年上と言われたか?」
戦いが始まる前、フリード・Yがやいのやいのと喚いていたのは耳に届いていた。男もそれを聞き止めたのだろう、とカミューははんなりと頷いた。
「多少、生まれ月が早いようですが」
「すると……今は十九か」
副長は深々と考え込み、次には感嘆の息を洩らした。
「その若さで、見事なものだ。相当な戦歴を持っているのだね」
独言めいた述懐である。不用意に言葉を挟めば墓穴を掘りかねない、そう弁えたカミューは無言を通した。話題を変えるため、軽い浮遊にでも陥っているような面持ちの副長に呼び掛ける。
「一つ、お詫びしておかねばりません。赤騎士団が苦境にあるとも知らず、わたしは先日、彼らに荷物運びなどさせてしまいました」
騎士団の情報を得るために皇子の部屋に運び入れた大量の書の類。赤騎士らは快く手伝いを申し出てくれたが、彼らの現状を知った今は手を煩わせたことに気が咎める。丁重に陳謝した途端、赤騎士団副長は思案げに眉を顰めた。暫し躊躇した後、ポツと言う。
「いや、詫びられてしまうと……あれはわたしの指示だったのでね」
「え?」
気まずさを隠さず、男は苦笑った。
「すまんな、カミュー殿。これも性分なのだ。城に見知らぬ存在、しかも殿下の間近に、とあっては為人を確かめずにいられない。機会があれば、と……予め部下に言い含めてあったのだよ」
カミューは目を瞠り、それから吹き出した。
諜報を得手とする赤騎士団、その指揮官に相応しき注意深さだ。先程も鍛錬場で、出征していた筈の赤騎士がカミューの身上を承知していたが、彼らは常にそうして周囲に気を配っているのだろう。
「それで、わたしはどう評価されたのでしょう?」
副長はしれっと答えた。
「知識習得に熱心で、異邦の出自にも拘らず、不思議とマチルダ式の礼節を身に付けた人物だ、と」
「見様見真似なのですが」
「……その作法が実に優雅で、見惚れずにはいられなかったそうだ」
何故またそんな他愛もない報告まで───とカミューは瞬いたが、これが騎士団ごとの気風の違いというものなのだと思い至った。
赤騎士団は常時臨戦体制にある。その緊張感は計り知れず、何処かで力を抜かねば持たないのだろう、と。
それにしても、やはり得難い一団である。知将型の穏健な副長と攻撃的な筆頭隊長。絶妙の均衡だ。青騎士団もこれに似ているが、僅かに異なるのは、ひたすら人の好さそうな青騎士団副長に比べて、こちらは警戒が鋭いといったあたりか。
下手な振舞いは危険であると認識を改めながらカミューは背を正した。
「取り敢えず許容されたなら幸いです。良い機会ですので、幾つかお話を伺えますでしょうか?」
「殿下の御前ではまずい話かね?」
ええ、と頷く。流石に察しが早い。
「亡き御父君を思い出させるような話題は避けた方が良いかと思いまして」
副長は同意を示して表情を硬くした。深々と椅子に凭れ、促すようにカミューを見詰める。
「先王は御立派な方だったと伺っています。あなたもそう思われますか?」
すると男は思いを馳せているのか、灰色の目を細めた。
「紛う方なき最高の皇王でおられた。慈悲深く、それでいて雄々しく……あの方を頂点に戴くマチルダを誇りに思ったものだよ」
言いながら、自ら入れた茶で喉を潤す。再び語り出した声音は、史学者のそれに近かった。
「指導者の真価は争乱のときにこそ発揮され易いものだ。表向きは平安が保たれている今、名君と称されるのは端で思う以上に偉大なことだよ」
「表向き、……と仰しゃいますと?」
グランマイヤー宰相も騎士たちも「時は平時」と言う。近年宿敵ハイランドとの間に衝突が起きたとも聞かない。カミューの疑問に副長は静かに続けた。
「二百年の昔、強大なハイランドを如何にして退けたか。そこに答えがある」
彼はちらと壁を見遣った。デュナン湖を中心にして近隣諸国を記した地図が吊られている。
「北東の森林地帯を越えた先に在る長大な懸崖……それが現在のハイランドとの国境線だ。だが、二百年前、あの地は豁然とした平野で、渓谷には大きく頑丈な橋が掛かっていた」

 

それは属州から吸い上げた物資をハイランド本国へと運ぶ唯一の経路であった。また、蜂起した民を制圧するための兵が送られてくる路でもあった。
解放戦争後期、領内に駐屯していたハイランド兵を抑えた後は、この橋を落とすことが絶対の勝利条件となった。
これを失えばハイランドの属州統治は事実上不可能になる。渓谷は深く、とてもではないが一度に大量の兵士を送り込めない。避けて迂回すれば、遥か北に位置するハルモニア神聖国、あるいはミューズまで足を伸ばさねばならず、これまた兵の消耗は生半ではない。
要するに、谷を挟んで両国を結ぶ橋の存在如何が戦争終結の鍵となった訳だ。

 

「苦難の末、我らの祖先は橋を落とした。聖マティスらが没した戦いだったという。以後、ハイランド側から兵は入らなくなり、領内に残った敵兵がすべて投降したところで戦いは終結した。後に、北東地帯には大々的に植林が行われたのだよ。たとえハイランドが渓谷を迂回しても、容易に領内に侵入出来ぬように……それが今在る森林だ」
赤騎士団副長は古き民を称えるかのように手にしたカップを目前に掲げた。
「だがね、ハイランドも完全に支配を諦めた訳ではない。やがてそれは方向を違えて始まった」
「方向を?」
「……ミューズだよ」
再び静かな目が地図を窺う。平地でハイランドとの国境を分けるミューズ市国のあたりに視線は注がれていた。
「ハイランドはデュナン湖周辺一帯を手中に納めたい。多少順序が変わろうと、然程の違いがあろう筈もない。過酷な谷越えや大規模な迂回をせずとも攻め入れる地を次の標的に選んだのだ」

 

幸い、以前から築かれていた国境の壁が一斉進撃こそ許さなかったが、ミューズが危地に落ちたのは明らかだった。そこで、誕生したばかりのマチルダ騎士団、最初の出兵が行われたのだ。
解放戦争時、ハイランド牽制のためにミューズに軍事示威行動を起こすよう求めた聖アルダの書状は、そのまま後の軍事同盟締結を約すに等しいものであり、後継者らは彼の遺志を遵守したのである。
二国の軍事力を敵に回したハイランドは政策に一考を入れねばならなくなった。結果、長い歳月の果てに小康に納まったというのが現状だった。

 

「とは言っても、ミューズ北方では小競り合いも珍しくない。今も、我が赤騎士団の一部隊が彼の地に駐屯している最中だよ」
案ずる眼差しで言い、副長は微かな溜め息を洩らした。
「マチルダ内は今のところ平穏だ。けれどデュナン地方を広く見れば、そうは言えぬ。陛下はそうした事実を熟知しておいでだった。自国の安寧だけではなく、同盟国すべてに平和が訪れるよう願っておられた」
黙して聞き入っていたカミューの琥珀に熱が灯る。膝上に置いた手が震えるのを抑えながら低く問うた。
「同盟国すべての平和、ですか……。では、それ以外の国には?」
「どういう意味かね?」
呼気を殺し、殊更抑揚のない口調で重ねる。
「先王は領土拡大の意思はお持ちではなかったのでしょうか?」
口にした途端、胸に小さな痛みが跳ねた。一瞬ではあったが、マイクロトフの顔が過ったのだ。
話題にしているのは彼の実父、彼と同じ騎士装束をかつて纏った人物である。そんな感傷を抱いた自身を嫌悪する間に、だが副長はきっぱりと言い切った。
「わたしは陛下が御存命だった頃から副長職を勤めているが、そのような出兵は一度として行われなかったよ、カミュー殿。過去も同様だ。支配される苦しみを舐めた我が国が、どうして他国に同じ苦しみを与えられようか。攻められれば果敢に立つ、けれど攻め入らぬ───それがマチルダの不文律だ」
確固たる宣言だ。ここで追求を重ねれば訝しまれる。そう判断したカミューは即座に次に進んだ。
「ずっと気になっていたのです。先王の御代、白騎士団長との関係は円満だったのですよね? ゴルドーは先王崩御の後に位階を極めたと聞きましたが……前の白騎士団長は退位なさったのですか?」
それを聞くなり初めて副長は深刻な面持ちとなり、両手を握り合わせて口惜しげに答えた。
「出奔なさったのだよ」
「出奔……ですって?」
これは予想外だ。死した皇王に殉じて騎士の名を返上したものも少なくないという話だったが、正式な除籍ではなく出奔とは、全騎士団を与る身には少々意外で軽率な行動である。
「団長はたいそう陛下を尊崇しておられた。陛下の信も厚く、両者は理想的な関係だった。あまりにも突然の死に耐えられなかったのだろうというのが当時の見方だ。彼は剣と騎士のエンブレム、更にゴルドーを新団長に据える任命書を残してマチルダから消えたのだよ」
「副長殿、それは……」
不自然ではないか、との響きを認めたらしく、男はいっそう眉根を寄せた。
「あながちそうとも言えぬのだ。今では化かされたような心地だが、あの頃のゴルドーは武勇に優れている上に、控え目な、誰もが認める立派な騎士だった。しかも血違いとは言え、王族の一員……全騎士の長に納まるに自然な人物だったのだから」
これまた意外な情報だ。そう言えば、前に白騎士団から降格した青騎士隊長が口にしていた。「以前はいざ知らず、今のゴルドーは」───あれはそうした意味を含んでいたらしい。
「前団長がゴルドーの野望を見抜けなかったとしても不思議はない。寧ろ、後を託す文書を残したところからも、ゴルドーへの信頼があったのだろう」
そこで副長は冷めた茶を干した。記憶を紐解くように視線を泳がせ、とつとつと語り接ぐ。
「皇王陛下の御葬儀準備で手は塞がっていた。捜索開始が遅れては、どうにもならなかった。彼は独り身だったし、深く付き合う親族も少なかった。そんな訳で、暫くして捜索も打ち切られたのだ。陛下に対する四ヶ月の服喪が終わり、ゴルドーが白騎士団長に就任した。それからは……君も知っての通りだ。前団長が留まっておいでであったら、殿下の御身に謀略など寄らなかったであろうに」
言葉が途切れると重い静寂が漂った。
新たな事実───前白騎士団長の出奔。
人ひとり消えても、街は変わらず時を送る。喪失を痛む心も、より過酷な現実の前には色褪せる。赤騎士団副長の声には、既に過去となった人物への懐古の気配があった。
「最後に……先王は健勝な御方だったとか。急な病とは何だったのでしょう?」
すると男は一瞬だけ目を瞠り、次に優しい笑みを浮かべた。
「成程、殿下の御前では不適切だな。暗殺の可能性を問うているのかね」
「ゴルドーは皇子を謀殺しようとしています。ならば父王も手に掛けたと考えられなくもありません」
明言すると、弱い嘆息が零れた。
「確かに……ある夜、陛下はワインを召され、そのまま臥せられた。毒物が投与されたのではないかと、城に激震が走ったよ。わたしも色々と薬草を集めているのでね、詮議に掛けられたものだ」
だが、と調子が変わる。
「出なかった。最も怪しいと睨まれたワインにも毒物を混入した形跡は認められなかったのだ」
「確かですか?」
「城の侍医長の見解だから、間違いはないだろう」
代々侍医を勤める家の出で、信頼も厚く、老いたりとは言え、数人いる侍医の中でも際立って優れた才を誇る人物だった。そんな男が主君の異変を見過ごす筈もない。副長の言葉には、カミューも納得するより他なかった。
「マイクロトフは……皇子は、父王の死に目に遭えなかったのでしたよね……」
再び、ちくりと胸が痛んだ。
肉親の死を見届けるのが果たして幸せなのか、カミューにも分からない。
ただ、久々に戻った故郷の街が服喪に染まり、冷え切った骸に迎えられた男の胸中は察せられる。遠い日に、村の残骸を前にしたときの己の悲痛を呼び起こせば、その心境は近いだろう。
間に合わなかった───何一つ出来なかった。涙も枯れ果て、罅割れた心に暗く灯ったのは無力な自身への怒り。
マイクロトフは王への道が用意されていたが故に、悲憤を飲み込み、歩を踏み出した。けれどカミューには己を責め立てながら剣の腕を磨く以外の道はなかったのだ。
青年の沈黙をどう取ったのか、副長はさらりと調子を一変させた。
「殿下はお変わりになられた。気の置けぬ友が出来たからだろうな」
「え……?」
「周囲の殆どが年長者で、それがこぞって傅く。凡庸な人間なら、威を振り翳す暴君に成長するか、あるいは萎縮して小さく\まる。けれどマイクロトフ様は、御父上の御人柄もあろうが、実に伸びやかに育たれた」
カミューがなおも無言を通していると、この頃ではすっかり馴染みになった眼差しが彼を見詰めた。
「その存在ひとつで最も望ましき姿に近付ける……君は殿下にとって得難い友であるようだ」
「何故、望ましい姿と言い切れるのです?」
微かな苛立ちが胸に煮えた。機微を悟られぬよう、努めて微笑んで問うと、男は我が子を誇るかのように眦を緩めた。
「国の父となられる御方だ、瞳の輝きで分かる。不幸にもいっとき御自身を見失っておいでのようだったが……今は昔の殿下そのままだ。漸く、あるべきところに落ち着かれたのだな。今の殿下なら、如何なる苦難にも敢然と立ち向かわれよう」
表情こそにこやかだが、含みのある物言いである。瞬時に思考を巡らせたカミューは、それがダンスニーの一件を指しているらしいと理解した。
マイクロトフが剣に支配されて残忍な殺戮に手を染めたとき、同行していたのは赤騎士団員だ。その場に居たかは不明だが、その凄惨は副長も承知するところだろう。青騎士のように皇子と近しく接していなくても、彼が大いなる自責と無力に苛まれていたのは理解の範疇かもしれない。
それでも信じている。単に未来の王だからというだけでなく、マイクロトフの中に尊い何かを見出して、騎士たちは進んで跪こうとしている。
鬱々としたものが込み上げ、カミューは離席を決意した。優美に腰を上げ、華やいだ礼を取る。
「長々と失礼致しました。お話を聞かせていただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、話せて良かった。君がマチルダへ来てくれたことを心からありがたく思うよ」
強張った笑みが唇に張り付く。そのまま踵を返そうとすると、副長もまた立ち上がり、数歩進み出て言った。
「ああ、カミュー殿。良ければ、こちらに朝食を───」
いいえ、と小さく首を振る。気を取り直して朗らかを装い、肩を竦めながらにっこりした。
「朝はどうにも入らなくて……昼以降の御招待でしたら、喜んでお受けするのですが」
副長は刹那、呆気に取られたように瞬いたが、すぐに破顔した。
「では、今後はそのように計らわせていただこう」
そのまま扉の取っ手に手を掛けたカミューだが、ふと肩越しに振り返った。
「そうだ、もう一つお伺いしたいのですが……」
「何だね?」
ゆっくりと息を吸い込んだ後、真っ直ぐに赤騎士に向き直った白い貌には、内なる期待を匂わせる一切がなかった。
「騎士団を辞された方が現在どうなさっておられるか、知る手立てはありますか?」
怪訝そうに首を傾ける男を見詰めて柔らかに続けた。
「実は、以前お世話になった騎士が数人いらっしゃるのです。雇われ、留まっている間に是非お会いしたかったのですが……分かるのは御名前だけで、所属すらさだかではありません」
副長が黙したまま続きを促す。
「皇子がゴルドーと戦うと決めたとき、敵に与みするものを割り出せないものかと、全騎士団員の名鑑をお借りしました。ついでに、その方々の所属が分かれば、お訪ね出来るのではないかと……」
でも、とカミューは無念そうに目を伏せた。
「既に退団なさったらしいのです。折角こうしてマチルダに滞在する機会を得たというのに、お会い出来ないのは残念で……」
ふむ、と副長は腕を組んだ。窺うように眇めた目でカミューを一瞥する。
「所属が分からぬとは、私服でも着ていたのかな?」
曖昧に頷くと、彼は更に考え込んだ。
「どれくらい前の話だろう?」
「五年前になります」
「何処で会ったのかね?」
「……グラスランド」
たちまち副長は不可解を浮かべた。
「彼の地に騎士を送ったという話は聞かぬが……確かかな?」
はい、と頷いた次には琥珀が鋭く煌めいた。
「皆様、マチルダ騎士と……そのように名乗っておいででしたから。任務記録書を見れば瞭然かとも考えましたが、記されていません」
「すると、個人的な旅の最中か何かだったのか……」
マチルダは移民も多く受け入れている。西方グラスランドを経て、遠くゼクセンといったあたりを出自とする騎士も中には居た。そうしたものたちが\まって里帰りするときもあるため、副長はそれ以上の追求を必要と感じなかった。
カミューは切々と言い募った。
「あの頃のわたしは剣も未熟な、非力な子供でした。己の恥を曝すことになるので、詳しくはお話し出来ませんが、その方々に、とても……───言葉には尽くせぬほどの借りを負っているのです。お返しせねば、我が誇りに悖ります」
慎重で注意深い副長にして、カミューが幼い頃に窮地を救われたとしか取れぬ言いようだった。意を決したように首肯した男は、笑みながらカミューを凝視した。
「この街に知己のない身では、人探しも儘ならぬだろう。会いたい人物の名を寄越したまえ、我々の手で調べて差し上げよう」
カミューは困惑げに小首を傾げてみせた。
「しかし、四人もいらっしゃるのです。赤騎士団は人員不足なのですし、甘える訳には……」
だが騎士は鷹揚に目を細める。
「先程戻った第一部隊員だがね、実働不可能と称される怪我人の多くは「剣を手にして通常のつとめを果たせぬ者」であって、枕も上がらぬ重傷者ではない。多少時間は貰わねばならぬだろうが、人探しくらいは十分に勤め上げるとも。君には大いなる働きを為して貰っているのだ、それくらい助力せねば、こちらこそ騎士の誇りに悖るというもの」
「…………」
カミューはひっそりと俯き、服の隠しから紙片を取り出した。歩み寄って副長に手渡すと、深く一礼する。
「感謝致します。御無理のない範囲で、宜しくお願い致します」
「心得た」
紙片が男の手に移った瞬間に、抱えた荷の幾割かは軽減された。この上もなく順調な成り行きは、カミューに小さな勝利感をもたらす筈であった。
けれど、それは何故か苦かった。
紙片に記された人名を拾う誠実な瞳が、皇子の温かな眼差しを髣髴とさせ、胸苦しさを呼び覚ます。
絶大なる信頼の重みから逃れるように、カミューは素早く礼を払って執務室を後にした。

 

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ここらあたりで話のベースが
浮かんできたのではないかと。
次回、赤騎士団員のらぶアタック開始
……なのか??

 

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