最後の王・30


忠実なる従者、そして彼同様に青騎士団より差し向けられた回復魔法の術者に囲まれてマイクロトフは鍛錬場を後にした。議場へと戻る途中で使いの騎士と鉢合わせ、閣議が散会したこと、副長が自室にて待っている旨を伝えられた。
青騎士団は既に恒常任務に入ったという。マイクロトフは他の青騎士らと別れ、フリード・Yひとりを連れて副長の部屋へと向かった。
迎えた顔は気遣わしげであった。カミューの目論見の成功だけでなく、傷ついた同朋を案じていたのは違えようがない。そんな副官に弱く笑んで腰を落ち着ける間に、傍らの従者が勢い込んで報告を開始する。
「御安心ください、命に関るような負傷者はありませんでした。あちらの副長殿が、くれぐれも宜しくとのことです」
「そうか、良かった」
胸を撫で下ろすような表情を見せる合間にも、嬉々とした言が続く。
「赤騎士団は殿下の御為、尽力を惜しまぬと約してくれました。これからは心強い味方です」
感極まって陶然とする若者に青騎士団副長はひっそり目を伏せた。
騎士にとって最高位階者である白騎士団長に背を向けるのは恥ずべき重罪である。ひとたび忠誠の誓いを捧げた以上、どんな下知にも黙して従うのが騎士の美徳とされていた。幾千を数える大所帯の統制を守るには、盲従こそが理想的であると長く信じられてきたのだ。
絶大なる力を持つ皇王が君臨し、同時に騎士団長が人格卑しからぬ人物である時代はそれで良かった。けれど両者が欠ける今、騎士団員は初めて大きな岐路に直面したのだ。
白騎士団長に捧げた忠誠か、騎士としての自由な魂か。
そうして選んだ道に悔いはないが、そこに至るまでの葛藤は筆舌に尽くし難い。自身と同じように若き皇太子のため、騎士団の支配者と対峙すると決めた赤騎士団員の心情を思い、青騎士団副長は瞑目せずにはいられなかったのである。
「それで、カミュー殿は如何なさったのです?」
皇子を引き擦って議場を出て行った青年の不在。これにはマイクロトフが嘆息気味に応じた。
「もう少し話を、と……赤騎士団の副長殿に連れて行かれた。たいそう気に入られたようだ」
ふむ、と副長は訳知り顔で頷く。
入室したときから皇子が妙に浮かない表情をしているのには気付いていた。これ以上望むべくもない結果を前にしての、何処か疲れたような顔。
叶うならば片時も傍から離したくない──と見える──青年の欠落に、何がなしの不満を覚えているのだろうと彼は考えた。年若い上官を限りない情愛で見詰める副官にして、今のマイクロトフの機微は量りかねたようだ。
「それがもう、大変だったんですよ」
不意にフリード・Yが明るく割り込む。
「傭兵を生業になさっておられるし、腕が立つとは思っておりましたけれども、あれほどとは……」
「あれほど?」
怪訝そうに眉を寄せた副長は、次の瞬間、唖然とした。
「カミュー殿はあちらの第一隊長殿と勝負なさったのです」
「な、何と?」
「いやもう、わたくし、息が詰まって……固唾を飲んでいたのはわたくしだけではありませんでしたが」
「……何故また、そんな運びに……」
独言は、フリード・Yには届かなかった。若々しい顔を高揚でいっぱいにして、彼は勝負の模様を反芻していた。
「あれって結局、どちらの勝ちだったんでしょう?」
振られたマイクロトフは腕を組んで考え込む。
「どうだろうな。双方共に最後は剣を止めた、よって引き分けというのが妥当だろうか」
互いの力量を認めたところで対戦の意図は果たされたのだ。結果としての勝敗には意味がないし、実際にどちらが優勢と言い切るのは難しかった。マイクロトフが公正な意見を論じると、副長は漸く我を取り戻したように問うた。
「そ……れで、赤騎士団員側に遺恨は残らなかったのでしょうか?」
「遺恨どころか、感服しきりといった感じでした」
くすくすと笑ってフリード・Yが言う。
「何せ、当の隊長殿が真っ先に膝を折ってカミュー殿に敬意を示しておられましたから。聞いてください、何とカミュー殿の剣の師は、かのゲオルグ・プライム殿だそうですよ」
剣を握るものなら誰でも知る伝説の剣豪の名が、更に副長を愕然とさせた。
「二刀要らず」と呼ばれる男が弟子を取ったという話はついぞ聞かない。しかしカミューが騙る理由もなし、騎士団でも頭抜けた剣腕を持つ赤騎士団・第一隊長を相手に互角の戦いをしたというなら、おそらく事実なのだろう。
容易には跪かせられぬ高き矜持も、抜きん出た才覚の前には進んで平伏する。カミューはそれを証明してみせた訳だ。
あの若さで、この力。まったく、尽く驚嘆すべき青年だ。
赤騎士団の参入は何ものにも替え難い力となる───副長は、またしても異邦の傭兵への賞賛を深めた。
「そうと決まれば、マイクロトフ様。位階者一同の希望として、二つほど申し上げても宜しゅうございましょうか」
無論、と答えてマイクロトフが背を正すと、彼は半身を乗り出した。
「赤騎士団は今なお半数以上もの人員を過酷な任に取られております。我らもこれまでのような影の助力に留まらず、マチルダ騎士の一員として苦境を分かつべきではないかと考えます」
「同じことを考えていた」
重く頷いてマイクロトフは両手を組み合わせる。躊躇した後、苦しげに続けた。
「これもみな、おれが騎士団から距離を取っていたからだな。己にばかりに気を取られ、ゴルドーが如何に騎士団を歪めているかを知ろうとしなかった。もっと早くに気付いていたら、こうも赤騎士団員を苦しめずに済んだかもしれないものを」
副長は絶句した。マイクロトフの自責は、全ての青騎士団員が少なからず感じているものである。心痛は苦しいほど理解出来た。
「マイクロトフ様……わたしも同じです。あちらの副長殿に、荷の一端だけでも委ねて欲しいと幾度か申し上げたことはございます。けれどあの方は、青騎士団を巻き込むまいと固く決めておられた───」
副長は唇を噛み締める。
「新王即位までの歳月如き耐えてみせる、たとえ赤騎士団が疲弊し尽くしても、マイクロトフ様さえ即位なさればマチルダ騎士団は新たなかたちで再生する。そのためにも青騎士団は無傷で残らねばならぬ、と……あの方の決意と誇りの前にあまりにも無力だった己を、今は悔いております」
───若き皇太子さえ即位すれば。
それだけを拠り所にゴルドーの理不尽に立ち向かってきた男たちを思い、三者は暫しの無言に陥る。やがてフリード・Yが控え目に主君に囁いた。
「殿下、赤騎士団の皆様の御心に応えましょう」
「分かっている」
依然、自身が王たる器を満たしていないのではないかといった不安は残る。けれど、彼らがそうまでして捧げてくれた期待には、見合うだけの決意と努力で応じねばならない。マイクロトフは決然と顔を上げた。
「ロックアックス外に派遣されている赤騎士の許へ、青騎士団からも人員を送ろう」
「そうすれば赤騎士団の負担は減り、任も早く終えられますね」
フリード・Yが明るく賛同する傍ら、副長が幾分表情を引き締めて言う。
「ただ……我が団からの人的協力をゴルドーが如何様に取るかは明白です。他団のつとめには干渉しないのが古くよりの慣わし、それを逆手に牽制めいたことを何度か口にしておりましたから」
「承知の上だ」
握り合わせた手を解き、両の膝頭をきつく掴んでマイクロトフは真っ直ぐに副官を見据えた。
「宣戦布告と取られても構わない。全騎士の長に相応しからぬ非道、正すのが未来の王としてのおれの責務だ」
雄々しき宣言に感じ入ったように瞳を揺らし、副長は深く頭を垂れた。
「では、早速そのように計らいましょう」
「赤騎士団の援護に割く人員数に関しては一任する。不甲斐ない話だが、おれにはまだ、つとめに対する騎士の配分というものが掴めていない」
無念そうな皇子を窺う眼差しが柔らかく笑む。
「我々のつとめの調整も図らねばなりませぬな。あちらとも相談した上で、御心に添うよう努めます」
それから彼は語調を変えた。
「今ひとつ。マイクロトフ様、居室をこの西棟に御移しいただけぬものでしょうか」
赤・青、両騎士団が本拠としている城の西棟からマイクロトフの自室がある東棟までは中央棟を挟んでかなりの距離がある。今朝のように、いざ事が起きたときに伝令を走らせるにしろ、どうしても多少の遅延が生じてしまうのだ。
位階者の居住用に与えられた階には幾つか客間が用意されている。ここならば情報伝達も速やかに運ぶし、警護の目も十二分に行き届かせられる。
暮らし慣れた部屋を移ることには齟齬もあろうが、青騎士団長として動くには何かと都合が良いのではないかというのが副長の意見だった。
「異論はない。そうだな、おれだけ別棟に寝起きするのも妙な話だ。すぐにでも移ろう」
「しかしながら、これにも少々問題が。この棟の客間は、マイクロトフ様のお部屋や中央棟の貴賓室に比べますと、やや手狭と言えましょう。浴室の備えはあれど、続きの間がないので……」
これまでのようにフリード・Yやカミューを交えて生活するのは難しいだろう───濁された気掛かりを一蹴したのは当のフリード・Yであった。
「でしたら、わたくしには兵舎に寝起きする場を頂戴出来ませんか?」
え、と驚いてマイクロトフが見詰めるが、副長もまた意外そうに首を捻っている。主君に心酔し、如何なるときも間近に侍してきた若者の意図が理解し難かったのだ。
フリード・Yは唇を綻ばせて皇子に向き直った。
「客間一室に三人というのは確かに無理な気が致します。カミュー殿は殿下の護衛として雇われた方。別室にて生活なさるのは、グランマイヤー様の手前もあって、お困りになると思います。ですから、わたくしが兵舎へ参ります」
「あ、いや、フリード殿。隣合わせの客間ならば用意出来るのだ」
副長が急いで遮ったが、若者はやんわりと首を振った。
「お気遣いありがとうございます。ですが、やはりそうさせていただきます。殿下の従者というだけで特別扱いしていただいて参りましたが、近頃思うようになりました。わたくしももっと騎士の皆様と親しく接したい、と」
皇子の付属物も同然だから、騎士位も持たぬ身が丁重に遇される。客室の一つを与えられ、柔らかで心地好い寝台で眠るよう勧められる───これまでだったら何の疑問も抱かなかったかもしれない。
マイクロトフが騎士団長として歩を進めている今、己も騎士に溶け込み、その生活や心情を共有したかった。それが、騎士団を愛する未来の王に仕えるものには重要な経験になると思われたからだ。
「殿下には大勢の騎士の皆様が付いてくださっています。わたくしも安心して御側を離れられます」
そこで彼は、愛する主君が突き放されたような心許なげな顔をしているのに気付いて、慌てて付け加えた。
「勿論、従者としてのお役目は今まで通りに果たさせていただきます。これを譲る気は、このフリード・ヤマモト、決してありません。ただ、夜の間だけ別室にて休ませていただく、ということで」
「…………」
「別に、お二人の喧嘩が気になって眠れないとか、そういうのでもありませんし───」
「……喧嘩?」
昨夜の顛末を知らない副長が首を捻って自問している。
「わたくしは……」
「フリード」
短く遮ってマイクロトフは微笑んだ。
「おまえは大切な従者だ。だから、おれと同じだけ騎士団を愛おしんで貰えたら、と……ずっと思っていた」
「はい、殿下」
心からの誠実を込めて答える。
「殿下が斯くも御心を寄せられるのが漸く理解出来るようになりました。わたくしの知る騎士の皆様は素晴らしい方々です。古き良きマチルダ騎士団はこうした方々の集まりだったのでしょう。一日も早く、在るべき姿を取り戻せたらと思います」
「フリード……」
実生活の不便は切っ掛けでしかなく、従者自身も青騎士団の一員としての経験を望んでいるのだと悟ったマイクロトフは、温かな満足と喜びでいっぱいになった。
その感慨の中に、小さな炎が揺れている。
従者という第三の目を失っての、カミューとの関係。吉と出るのか、凶と出るのか、それは模糊として読みようがない。
優しい眼差しで慰撫してくれたカミューと、冷徹な傭兵としての彼と、どれほど差異があろうと意味はない。どちらもカミューには違いない───努めて自らに言い聞かせながらも、真実を掴み取れないもどかしさのようなものが残る。
副長が手配していた朝食の膳が届く頃には、つとめに入った青騎士たちの勇壮な声が窓の外に響いていた。

 

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着々とお膳立てが整っております(笑)
果たしてこの気遣い、後に役立つのか。
せめて一回くらいは役立たせたいものです。

 

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