最後の王・29


鍛錬場から運び出されて行く最後の赤騎士を見送って、フリード・Yはほっと息をついた。
皇子に命じられて駆け付けた鍛錬場は多くの負傷者で溢れ、限られた数の魔法を効率良く与えるための努力が為されていた。洛帝山に赴いていたのは第一部隊のみだが、回復の術者や薬箱を片手に飛び回る赤騎士、更には青騎士団から送られてきた人員も入り乱れて、場内はごった返していた。
赤騎士団員とは接触する機会が殆どない。上位階者の顔を見知っている程度で、これまでろくに言葉を交わしたこともなかったが、人波を掻き分けるようにして赤騎士団副長の許へと辿り着いたフリード・Yは、実に丁重な礼をもって迎えられたのだった。
「重篤な方がいらっしゃらなくて何よりでした」
心を込めて言うと、壮年の赤騎士団副長は穏やかに笑んだ。
「助力を感謝する、フリード殿。皇太子殿下のための術を使わせてしまってすまなかった」
「とんでもございません」
急いで首を振って続ける。
「確かにわたくしが水魔法を宿したのは殿下を御護りするためでした。けれど殿下は、御自身と同じだけマチルダ騎士を大切に思っておられます。殿下が行けと命じられました。わたくしも、お手伝いさせていただけて良かったと心から思います」
そうか、と疲れた顔がいっそう綻ぶ。副長は医師の手を必要とせずに済んだ部隊員らを眺め遣った。ひっそりと目を伏せながら小さく呟く。
「殿下が我らを案じてくださったか……」
「副長」
足早に寄ったのは任務の責任者、赤騎士団の第一部隊長である。猛々しい面差しに似合わぬ落ち着いた声で彼は切り出した。
「申し訳ございませぬ、斯様な損害を……」
副長は柔らかく首を振る。
「良い。負傷者こそあれど、此度も何とか死者を出さずに済んだ。我らの勝ちだ」
勝ち、という言葉に困惑して瞬く若者に気付いた副長が軽く息をついて説いた。
「この惨状を見るが良い。我々は無理難題に立ち向かっているのだよ。犠牲を最小限に抑えること、それが我らにとっての勝利と言えるのだ」
「青騎士団に類する身には分からぬかもしれぬがな」
第一隊長の言葉は厭味とは聞こえなかった。部下に多大な痛手を負わせている苦悩だけが険しい顔に溢れている。フリード・Yは躊躇したが、言い出さずにはいられなかった。
「あのう……殿下を通じてゴルドー……様に、もう少し、その……」
「つとめの在り方について考え直せ、と? それは無理な話だ、フリード殿」
何時の間にか集まってきていた赤騎士のうちの一人が一蹴した。回復魔法で傷は塞いだが、貧血気味なのか顔色が悪い。波のように広がる同意の顔に、フリード・Yは背を正した。
「いいえ、無理ではありません。殿下は───」
「何も御存知なくておられる、……だろう? それで十分だ」
疲労困憊といった様子で、別の一人がそれでも笑む。
「四年近くもの間、こうして戦ってきたのだ。あと僅か、耐えられぬ筈がない」
「こうなったら意地ですよね」
最も若いらしい騎士が胸を張ると、男たちは破顔した。
「その通り。マイクロトフ殿下には御心安らかに即位の日を迎えていただければそれで良い」
「───でも、そういう訳にはいかないのです」
唐突な声に身構えた一同が注視した先、鍛錬場の入り口にはマチルダ皇太子と細身の青年が立っていた。最初に歩を踏み出したのはマイクロトフだ。大股で副長の許まで進むと、彼は深刻な表情で口を開いた。
「人的損害は如何なものでしたか」
赤騎士らにとっても、皇子と直に接するのは珍しく、戸惑いが広がっている。だが副長は、即座に拝礼して答えた。
「部隊の七割ほどが負傷を。手当ては施しましたので、実働不可能な騎士は二割程度に留まっております。死者及び今後死に至ると予想される重傷者はおりませぬ」
「七割も……」
マイクロトフは唇を噛んだ。赤騎士団副長は穏健な表情のまま、皇子の従者を一瞥した。
「フリード殿、並びに青騎士団員の回復術を御貸しいただきましたこと、団を代表して御礼申し上げます」
「同じマチルダ騎士、当然だ。礼など必要ない」
ふと、副長が目を細める。確かに直接相対したのは数えるほどだが、皇子の気配にこれまでと異なる何かを感じたのだ。強いて挙げれば威風、だが王族としてのそれとは違う確固たる信念の力が今のマイクロトフを支えている、副長の目にはそう見えた。
「それより如何な意味だろうか、先程のあれは?」
第一隊長がじろりとカミューを舐め付けながら問うた。為人を量る鋭い目がひとしきり自身を検分するのを待って、カミューは軽く肩を竦めた。
「言葉通りです。このままでは皇子は心安らかに即位など出来ない」
ざわ、と動揺が広がっていく。若い赤騎士が首を傾げた。
「……どなたです?」
先輩騎士が呆れ顔で唸る。
「知らんのか。マイクロトフ殿下の御学友、カミュー殿だ。先週末から滞在しておられる」
「おれたち城に居なかったのに、何で御存知なんですか」
「帰城してから数刻経ったろうが。変化には常に敏感であるべきなのだ。特に人の出入りには、な」
ぷっとカミューは吹き出した。
「成程、徹底しておられる。諜報に秀でているというのは看板だけではないようだ。なのに防戦一辺倒に甘んじられるなど、副長殿の忍耐力は理解を越えますね」
ぴく、と第一隊長が眉を上げる。剣呑を増した瞳でマイクロトフを見た。
「畏れながら殿下、御学友殿は何を何処まで御存知なのでしょうか」
いきなり好戦的に出た青年に困惑しつつ答えようとしたマイクロトフだが、彼を制してカミューは逆に問い返した。
「それを知ってどうなさるのです」
「防戦と言われたな。ならば我らが置かれた状況を多少は知っておられるようだ。その上で我らの副長を侮辱されるなら、たとえ殿下の御友人であってもわたしは許さぬ」
騎士がこれ見よがしに鞘を掴むに至って、初めて副長が割り込んだ。
「待て。わたしは彼の話を聞きたい」
そうしてカミューに向き直る。
「忍耐が過ぎると……そう言われるか? 部下を危険に曝しながら動かぬ臆病者と……?」
たちまち憤慨したように赤騎士らの間に敵意が走る。きつい眼差しに囲まれたカミューは、だが柔和に笑んで彼らの怒気を挫いた。
「慎重も美徳の一つでしょう。けれど過ぎれば傷となる。赤騎士の犠牲に最も傷ついているのは、副長殿、あなたではありませんか。理不尽に耐えて欲しいなどと皇子は思っていない。今し方、赤騎士団の窮状を初めて知り、烈火の如く憤っておいでです」
赤騎士らの目がちらと皇子を窺う。憤っている割には前に出て来ないな、とでも言いたげである。
やや取り残されたようだったマイクロトフも、視線を浴びて漸く我を取り戻した。カミューの横に並び立ち、一同へと視線を巡らせて、最後に副長のところで止めた。
「カミューの言う通りだ。おれはこれまで漫然と即位を待つだけで、こうまでゴルドーの力が騎士団を歪めているとは思わなかった。だが、聞いてくれ。今のおれは騎士の一人として考えている。仲間の苦しみを捨て置けない。理不尽を退け、不正を正さねばマチルダ騎士の誇りを失する」
赤騎士がおずおずと発言した。
「我々の口から明言はしかねますが……ですからそれは殿下が御即位してくだされば……」
そして、ゴルドーを放逐してくれれば解決する───飲み込まれた言葉は明らかだ。カミューは挑発的に髪を掻き上げた。
「無事に即位するためにも、あなた方の力が必要なのです」
「……どういう意味でしょう」
「皇子がゴルドーに謀殺されてしまえば、赤騎士団の長い忍従も水の泡、という意味です」
それは打撃に慣れた赤騎士団員にも予期せぬ衝撃であった。

 

 

 

 

ヒソヒソと囁き合っているのは位階者であるらしい。下位の騎士は、この驚くべき事態に輪の後方に下がり、成り行きを見守ることにしたようだ。
やがて副長が押し殺した声で言った。
「殿下の周囲で事故が多発しているのは存じておりました。しかし、よもやそのような卑劣とは……」
第一隊長が苦渋もあらわに言い捨てる。
「忠節など疾うに忘れた。あの方には命を捧ぐ価値がない。けれど、こんな形で再確認するとは辛いことだ」
そして上官を見遣り、彼は気遣うように尋ねた。
「如何致しましょう。すべてを知っては、もはや抑えかねます」
「……そうだな」
副長はマイクロトフとカミューを交互に見詰め、淡く笑った。
「反逆の汚名を課せられるよりも耐える道を選びました。一団が欠ける事態になっては、次に苦難を舐めるのは青騎士団……さすればマチルダの護りは如何なるかと危ぶまれたからです。故に殿下の御即位までは、と───」
そこで彼はきつく目を閉じ、四肢を戦慄かせた。
「部下はみな良くはたらいてくれました。確かにわたしは忍耐が過ぎたようだ。流れた部下の血に伏して詫びたい」
「副長、そんな……」
赤騎士が数名、しゃくり上げるような声を立てている。それらを眺め遣りながらマイクロトフは重く宣言した。
「もうゴルドーの思い通りにはさせない。おれは誇り高きマチルダ騎士団を護りたいのだ。そのためにも、おまえたちの力を貸してくれ」
「我らに出来ますことならば何なりと」
皇子の前に膝を折った副長に倣って、次々と騎士たちは跪いていった。
また一つ、大切な宝が増えた気がして、マイクロトフは深い感動に包まれた。しかしながら浸ってばかりもいられない。まだ厄介な仕事が残っているのだ。ひとたび息をつき、勢いを付けて切り出した。
「以下、ここにいるカミューの意見を仰ぎながら行動して貰えるとありがたい」
案の定と言うべきか、胡乱な目が上がる。不了承の代表は第一隊長であった。
「殿下……カミュー殿が殿下の護衛筆頭であるのは理解致しました。ですが、副長を差し置いて我らに命を下されるというのは、少々納得がいきませぬ」
ああやはり、と心中の声が言葉に出そうだ。マイクロトフは冷や汗を流しそうになりながら続けた。
「青騎士団は既に彼を相談役として認めている」
「そ、そうですとも」
主君の旗色が悪いと見て取るや、それまでおとなしく付き従っていたフリード・Yが乗り出した。
「差し置いて、というのは語弊があります。決して副長殿を蔑ろにする訳ではありません。ただ、カミュー殿の意見通りに動かれる方が、手っ取り早いと言うか、何と申しましょうか……」
「つまり、我が赤騎士団にも彼を参謀として仰げと?」
鋭い追求に若者は縮込まる。
「……そんなところです、はい」
ふむ、と首を傾げた騎士隊長は、立ち上がってカミューに対峙した。相変わらず量るような目で見据えたまま、自剣を揺らす。
「護衛傭兵から参謀か。見合う手腕はお持ちなのでしょうな?」
男の仕草を見守っていたカミューがひっそりと笑った。
「……この道で糧を得るくらいには」
「ならば手合わせを願いたい。剣を見れば才覚もおのずと知れよう」
「ま、待て!」
意表を衝いた成り行きに仰天したマイクロトフが慌てて止めに掛かったが、当のカミューがやんわりと往なす。
「当然の権利だよ。相手に同等の力を認められなければ共闘など成り立たない」
「しかし、カミュー……」
「いいんだ、皇子様。少し待っていてくれ」
両者の遣り取りに赤騎士たちは呆気に取られている。流石に、この砕けた関係までは耳に届いていなかったようだ。青年の無礼ぶりにいっそう不快を強めた面持ちで、第一隊長は周囲の騎士に場を空けるよう視線で命じた。
大きな円形に陣取るかたちを取った一同は、何とも困惑して皇子と自団副長を窺っている。当の皇子は顔色を失っているし、片や副長は温厚そうな顔を殆ど変えずに超然と輪の中央に進む二人を見守っていた。
フリード・Yがマイクロトフの袖を引いた。
「止めてください、殿下」
「無理を言うな」
「でも殿下……幾ら傭兵として過ごしてこられたと言っても、カミュー殿は殿下とお一つしか違わないんですよ?」
「いや……、だがおれも隊長級と何とか渡り合えるし……」
それは皇子相手という無意識の礼と遠慮がはたらく所為もあるだろう───フリード・Yはすんでのところで不遜な言葉を飲み込んだ。
それに比べて、あの赤騎士隊長はカミューに対する敵意に満ちている、とも言えなかった。すぐ側にいる彼の上官を意識したからだ。けれどすぐに思い直して、更にぐいぐい皇子を揺すった。
「鍛錬用の模擬刀とは違います、お二人の武器は真剣ですよ!」
「……あ」
マイクロトフは初めて気付いた事実に呆然とした。派兵先から戻ってそのままの赤騎士、そして切れ味の良い愛剣を手にしたカミュー。険しかった顔が、今度は途方に暮れて歪む。
自失したような主君への催促を諦め、フリード・Yは赤騎士団副長に向き直った。
「どうぞ止めてください。カミュー殿は決して頭ごなしに赤騎士団員をどうこうしようとなさる方ではありません。あなたから命じていただければ隊長殿も───」
「フリード殿」
壮年の騎士は目を細めて唇を綻ばせた。
「この場にはロックアックスに残る赤騎士団の位階者が揃っている。見せておいた方が良かろう」
ぽかんとする若者をよそに、彼は中央で対峙し合った二人に再び目を戻す。得も言われぬ緊張が鍛錬場に充満していた。
すらりと剣を抜いた第一隊長が醒めた眼差しでカミューを射る。
「……騎士の作法は御存知か?」
「付け焼き刀程度には学びました」
同様に抜き放った細身の刃を眼前に翳して輝きを確かめながらカミューは応じる。ふと、悪戯っぽく付け加えた。
「何とかという書にありましたね。蹴りも殴打もなし。そのくらいは覚えています」
ふむ、と頷いた騎士隊長がひとたび勢い良く剣を振り、それから刃先を相手の胸元へ突き付けた。見届けた後、カミューはゆっくりと下段の構えに入る。
形良い唇は変わらず笑みを象っていたが、そこから感情が失われたのをマイクロトフは悟った。必死になって和解を図っていたフリード・Yもまた、はっとしたように身を竦ませる。今はすっかりカミューに傾倒している若者だが、己が最初に抱いた印象を思い出したのだ。
皇子と戯れ合っているカミューからは完全に消えていたもの。欠片の慈悲もなく敵を屠る冷酷、薄い笑みに潜む昏い満悦。供物の上に鎌を振り翳す死の神にも似た、静かで優美な細身の青年───
表皮ひとつで笑んでいたカミューがふわりと眼差しを緩めた。
「ひとつ申し上げても?」
無言のまま男が承諾を示すと、琥珀に不吉の色が増した。
「殺すおつもりでどうぞ。でなければ、あなたの目的は果たせないでしょう」
すっと騎士隊長の表情が強張る。だが、次に見せたのは満足げな笑顔だった。心持ち手首を下げて、更に片手も柄に掛ける。本気の構えに入った二人に、囲む一同は息を殺した。
両者共ひたと動かぬまま、ゆっくりと刻が流れる。若い赤騎士が小声で独言気味に呟いた。
「……何で隊長は仕掛けないんだ、あんなに隙だらけなのに」
カミューはそう称されても不思議のない姿だった。対する騎士のように力の入った構えではなく、だらりと下げた剣先にも緊張がない。抜刀したまま一息入れている、そんなふうに見える体勢だ。
副長が若い部下をちらと一瞥して苦笑する。
「そう見えるなら、まだまだ鍛錬が足りぬな」
え、と騎士は眉を顰めたが、まったく同じことを考えていたフリード・Yも、一緒に叱られたかのように小さくなった。
赤騎士団・第一部隊長のこめかみに一筋の汗が伝う。彼は恐ろしい葛藤のただなかに在った。
相手は隙を曝しているようでいて、その実、こちらの出方を鋭く窺っている。己の視線に合わせて着々と四肢の緊張の配分を調整しているのだ。自身も卓越した剣士である男には、背丈ばかり伸びた子供のような相手が微妙に重心をずらしながら剣戟に備えているのが手に取るように分かった。
かと言って、不用意に打って出る愚も犯さない。こちらがそうであるように、カミューも既に相対しているものの力量を見極めたらしい。万全の構えを取った相手に敢えて先手を取らぬだけの慎重をはたらかせている。
時折、完全に防御の力を抜いているのが第一隊長には感じられた。誘い込もうとしているのだ。体格では圧倒的に騎士隊長が勝る。自然、カミューの方が間合いは狭い。己の利する距離まで誘い入れて瞬時に仕留めようと目論む様は、蛇が鎌首をもたげたまま制止している状態を思わせた。
誰よりも焦れているのはマイクロトフであった。
こうした駆け引きめいた剣術には馴染みがなく、だが耐え難い緊迫感だけは人並み以上に感じている。この頃になると、己がカミューを案じているのか、それとも赤騎士を案じているのか、思考も混濁し果てていた。
───ただ。
やはり見たくない。こんな感情を捨て去ったカミューは。
いざというときには手を貸す、そう言って優しく心を温めてくれた青年を忘れさせるような冷えた琥珀は。
ごくりと喉を鳴らしてマイクロトフは拳を握り締めた。
赤騎士隊長は一歩だけ足を右方へ進めた。するとカミューはそうと分からぬ程度に重心を傾けて踏み込みに備える。利き手も僅かに捻って、最も剣を振るい易い角度を保っているようだ。このままでは埒があかぬ、と男は意を決した。
「殺すつもりで」と言われたが、流石に無理な話だ。自国の皇太子が対等に口をきくのを許すほど心許した人物。しかも、戦い慣れているらしいのは認めるが、一回りは年下と見える相手である。慎重に力加減を量りながら、彼は最初の一閃を放った。
すかさず攻撃の間合いに滑り込もうとするカミューを十分に意識して、途中で角度を変えて斬り下ろしてみる。間髪入れず身を翻して剣戟から逃れた青年は、体勢を入れ替える猶予を稼ぐために自剣を軽く攻撃に触れ合わせ、騎士隊長の勢いを削いだ。そのまま距離を取って地を踏み締める後から、長めの上着がゆっくりと下りてくる。
華美でない、寧ろ落ち着いた色味の布を細い体躯に纏わり付かせて続け様の攻撃を次々と掻い潜っていく青年は、剣を手にした舞姫を思わせた。力に溢れた騎士の剣とは明らかに異なる柔らかな技。いつしか見守る一同の目に驚嘆が滲み始める。
騎士隊長が未だ本気ではないと分かっていても、目を奪われずにはいられない。男は赤騎士団の筆頭隊長であり、今出している力でも存分に敵を打ち果たすだけの実力者だ。その攻撃を鮮やかに躱す青年の身の軽やかさ、反射の鋭さに圧倒される。
「凄い……」
呆然とフリード・Yが呟いた。
手練れとは思っていたが、よもやここまでとは。畏敬に近い感動が込み上げてきて、知らず四肢が震える。
幾度目かの剣を飛び退って避けたカミューは、乱れた髪を掻き上げて瞳を煌めかせた。
「殺すつもりで来ていただかないと、わたしも本気を見せて差し上げられないのですが」
「……成程」
間合いの外から不敵な笑みを返した男が、短く言い終えるや否や、一気に距離を詰めて上段から凄まじい一撃を振り落とした。隙を突くでもない、正攻法な騎士の一閃。力で敵を捩じ伏せる重い剣だった。
カミューは刃に左手を添えて、この重厚な攻撃を受け止めた。それでも男の力に押され、僅かに体勢が揺らぐ。
「カミュー!」
無意識に叫んだマイクロトフの視線の先で青年の肢体が沈んだ。はっと一斉に乗り出す騎士たちは、続いてカミューが僅かに折れた膝のままふわりと回転して騎士の剣を跳ね上げ、その勢いのまま今度は男の懐へと剣先を放つのを目撃した。
初めて攻撃に転じたカミューを、騎士隊長は辛くも躱した。宙に舞った剣を引き下ろして刃先を受け止めた彼は、相手の得物を落とさせようと、止めた刃を力任せに振り払おうとした。だが、そのとき既にカミューは体勢を変えており、男の払った剣は彼を直撃しそうになっていた。
「……!」
第一隊長は渾身の力で剣を止めた。しかし体重を乗せたそれは僅かな差で停止し切らず、布を裂く鈍い音が静まり返った鍛錬場に響く。
「カミュー殿!」
フリード・Yの悲痛な叫び。騎士らも知らず足を踏み出す。凍り付くような刹那を経て、赤騎士隊長が低く言った。
「……見事だ、カミュー殿」
白い剣先が男の精悍な顔の間近に在った。その頬には糸のように細い傷が刻まれている。
一方、騎士の剣はカミューの上着の裾を裂いていた。最後に深く身体を沈めた青年は、払いの剣を潜り抜けて下段からの一閃を返していたのだ。騎士の剣先は彼の残像として空を舞う上着のみを斬ったのだった。
崩れ落ちる体躯を地に付いた左手一本で支えていたカミューは、騎士隊長の逞しい腕で引き上げられた。やれやれといった顔で破れた上着を摘まむ彼は、マイクロトフやフリード・Yの知る青年に戻っていた。
「剣を止めようとしてくださいましたね?」
カミューが言うと、得物を納めた騎士は厳つい面を綻ばせた。軽く頬に手を当て、うっすらと滲む血を撫で付ける。
「あなたも止めてくださったようだ。実に見事な腕です。どなたかに師事されたのか?」
「殆どは自己流ですが」
前置いて、カミューはにっこりした。
「基礎は「二刀要らず」の名を持つ剣士に仕込まれました」
「……何と。ゲオルグ・プライム殿に?」
その剣士の名は誰もが知っている。放浪する剣豪、「二刀要らずのゲオルグ」───対した敵は必ず一撃で仕留め、次の攻撃を要さぬために与えられた二つ名。驚きは騎士ばかりか、マイクロトフたちにも広がっていった。
もっとも、とカミューは肩を竦める。
「わたしは未熟なので、彼のようにはいきませんが。あなたが遠征直後で疲れておられなければ、更に手数を増やさねばならなかったし、そうなると体力的にわたしの方が不利だったでしょう。何とか互角に戦えて良かった」
謙遜を、と第一隊長は苦笑を呑んだ。確かに回復魔法では体力的な疲弊は癒せない。だが困憊し切っていた訳ではないのだ。先刻の一幕で、少なくとも他の敵なら完膚なきまでに討ち果たしたであろう自負がある。
「でも……」
完全に沈静の気配を醸していたカミューだが、不意に闘争の余韻が台頭したかの如き不穏な覇気を走らせた。
「大概の相手には二撃目は要らない。それがわたしの剣です」
成程、と騎士は笑って片膝を折った。鞘に納めた剣を両手で捧げ持ち、深く頭を垂れる。仲間の赤騎士たちは息を詰めた。
右手に敬意、左手に恭順。そうして捧げた剣は上位者への忠誠の証だ。騎士が何よりも重んじる誠意の儀式の姿勢を取った男に倣うように、一同は一斉に背を正して礼を払った。
「騎士の作法を学んだと仰せだったが、ならば意味はお分かりかと」
歩み寄った赤騎士団副長が穏やかに笑み、同じ姿勢を取ろうとする。即座に止めてカミューは言った。
「あなた方が忠誠を捧げる相手は皇子です」
「ええ、常に我らはそうしている」
カミューは膝を折ろうとする副長の傍らを足早に擦り抜けて、マイクロトフらが待つ方へと踏み出した。
「ならばそれで十分です。そのようなものを頂戴する身ではありません」
ぴしゃりと跳ね退けられた副長と第一隊長は困ったように顔を見合わせ、それから踵を返した青年の背に慌てて問うた。
「お待ちを。我らは今後、如何様に動けば宜しいのか」
あ、とカミューは歩を止めた。ごそごそと服を探って一枚の紙切れを取り出し、両者の許へ戻って優雅に差し出す。先程、青騎士団副長から得た紙片だった。
「先ずは、この者たちに付いていただけますか? 騎士団内での交友関係、それに……金銭の流れがあれば、それも念入りに。最良なのは弱みを握ることです。「敵」は多くの手足を持っていますが、そこに重石をつけてしまえば、身動き取れなくなるでしょうから」
第一隊長が吹き出した。
「……優しげな姿をなさっていながら、怖い御方だ」
「慣れてください」
にこ、と笑んだ青年は、そのまま赤騎士らの輪にもひとしきり視線を巡らせる。峻烈な剣技と端正な容貌に魅了された男たちが、つられたように照れ笑いを返していた。
「───ああ、そうか……。だから諜報に秀でた赤騎士団が欲しい、と……。カミュー殿は本当に凄いですねえ」
感服しきりのフリード・Yの横、マイクロトフは黙したまま青年と騎士らの和やかな光景を凝視していた。
今、はっきりと分かったのだ。カミューと騎士隊長を隔てる差異が。
騎士の剣は護るための剣。主君を、そして民を害するものの魔手から救うための剣である。
けれどカミューは違う。
誰かを護る訳でなく、自らを護るためですらない。彼の剣は、殺すための力なのだ。
確実に存在する巧みな剣腕への賛美とは裏腹に、重く冷えた澱みがマイクロトフの胸を伝い落ちていった。

 

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ちと補足など。
我が家の赤1隊長は、最初は赤を
好ましく思ってなかったっつー設定なのですが……
サイトではそんな気配などナッシング、
オフ本でもあっっという間に信奉者に転向しているので、
今回、戦わせてみました。
やっぱり、あっっという間に転向しましたが(笑)
赤騎士団員の赤スキー習性は強かった……。

 

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