「赤騎士団にとって、今ほど苦しい時代は過去になかったに相違ありません」
青騎士団副長は、議場の長卓に置いた手を震わせて、そんなふうに切り出した。
マイクロトフが従者を走らせたように、彼も配下の青騎士で回復の術を持つものを既に鍛錬場へと向かわせていた。それを知ったマイクロトフは深い感動を覚えたが、同時に疑念も禁じ得なかった。
部屋でカミューが洩らした一言。教えられるまま書類に目を通してみると、成程、赤騎士団の任務は他団に比べて過酷を極めている。国内の魔物討伐、徴税、他国への軍事支援など、一見したところでは城を温める暇もなく各地を飛び回っているようだ。
此度の任は洛帝山への出兵。もともと魔物の巣窟であったこの山は、今も人間と覇権を争うかの如く、多くの魔物が出没する。貴重な鉱山資源を失えぬマチルダとしては、武力を送ってこれと戦わねばならない。だが、その任に当てられるのも殆どが赤騎士団らしい。書類には彼らの損害が連綿と綴られ、マイクロトフの胸を衝いた。
確かに青騎士団も警邏や査察は行っている。しかし、書類を見た限り、団に課せられたつとめの範囲、頻度や遂行にまつわる困難の差は歴然としている。
何故こうも赤騎士団に過酷な任務が集中しているのか。
席に着くなり切り出したところ、憤慨する事態が待っていたのだった。
「ゴルドーが白騎士団長に就任した際、大幅な人事移動があったのは御存知ですな? あのとき、赤騎士団の位階者すべてが白騎士団への移動を断りました」
「……それは知っている」
家柄、富や利を目当てに最高位騎士団に招かれた彼らは現所属の維持を望んだ。移動を強制出来るほどの正論を持たぬゴルドーは、已む無くこれを認めたが、決して快く許した訳ではなかったのだ。
以後、赤騎士団は度々出兵を命じられるようになった。白騎士団長じきじきの命では拒むことも叶わない。彼らは常に人員の半数以上を城から出している。部隊こそ入れ替わっても、始終ロックアックス外での任に就いているのである。
しかも、その命令内容もひどいものだ。
隣国グリンヒルに根城を構えた百名を越える大盗賊群に対し、三十騎を送れ。
北西の山脈に落盤事故が起きた、一部隊で処置を為せ。
税の納付が遅れる村がある、すぐさま行って恫喝してくるように───
どれもこれも、嫌がらせとしか言いようのない命令である。憤慨も顕わに一人が吐き捨てた。
「此度も近年では稀に見る魔物の大発生だったとか。それを、たった一部隊で制圧してくるよう命じられたのです」
「しかし、それで死人を出さないのだから、それはそれで、たいしたものだが」
第一隊長がぽろりと洩らし、周囲の騎士隊長らの控え目な非難に肩を竦めた。カミューが身を乗り出す。
「何故そこまで白騎士団長が? 派兵の人員については各騎士団に決定権があるのでしょう?」
すると一同は目を瞠った。カミューは首を傾げた。
「……そのように書物にあったと思いますが」
ああ、と副長が相好を緩める。
「いえ……覚えておられるとは思わなかったものですから。然様、本来なら白騎士団長は任を与えるだけで、人員や装備といった委細は各騎士団に一任されるのが普通です。しかし、ゴルドーは赤騎士団に対しては詳細にそれを明言する。敵対するものの規模や戦力を把握した上での指示ではなく、適当に───有り体に言えば、赤騎士団が困難な状況に陥れば良し、とばかりに命じているのです」
「勿論、あちらの副長殿とて抗議しようとなさる。が、命令だと言われれば最後には引き下がるしかない」
面白くもなさそうに背凭れに身を投げ出した第一隊長が続けた。
「赤騎士団にはたまたま引き抜きの候補……つまり、ゴルドーを拒んだ位階者が多く、結果的に怨みを一身に背負っているようなもの。到底、余所事と捨て置けない。よって、こうして回復術者を送る等して、我々もささやかながら助力に努めている訳です」
刹那、激しい音が鳴り響いた。マイクロトフが両拳を卓に打ち付けたのだ。彼は憤怒のあまり青ざめて低く呻いた。
「おれは……おれは何も知らず、そんな……」
色彩こそ違えど、騎士が辛酸を舐めているのをまるで知らなかった。長い間、騎士団そのものに距離を取っていたのは事実だが、あまりに無知だった己に羞恥が募り、耐え難い悔恨に身を刺されるようだ。
マイクロトフが髪を掻き毟る様を横目で一瞥し、カミューは第一隊長に目を向けた。
「死者が出ていない、とは? それだけ無理な任を与えられ続けているのに?」
男はにやりと笑んだ。
「それが赤騎士団の恐ろしいところ……と言うか、見事なところでしょうな。下の連中は白騎士団に移らなかった位階者の判断を絶対的に支持している。困難に落とされたがために結束は強くなる一方で、毎度多数の怪我人は抱えるものの、死者は常に最小限に抑えられています」
副長が後を引き取った。
「それもすべて卓越した能力の賜物でしょう。彼らは三騎士団中で最高の騎馬技術を持ち、情報収集においては我らなど足元にも及びません。加えて副長殿以下、騎士らの団結……それが赤騎士団を護ってきた力です」
ふと、琥珀に光が宿る。
「騎馬技術に……情報収集、ですか」
───情報収集。
「一年前、皇子のグリンヒル訪問に同行したのは赤騎士団でしたね」
フリード・Yがはっとする。カミューが知っていたとは思わなかったからだ。そのとき起きた悲惨な事件を蘇らせるのではないかと無意識に窺った主君は、だが平静だった。これまでなら必ずや慙愧に浸り込んでいた筈のマイクロトフは既になく、今はただ議論の行方を見守ろうとする真摯だけが厳つい顔に浮かんでいた。
副長は重く頷いて応じた。
「ええ、あれは正式な外交訪問。宰相グランマイヤー殿が同行なさっておいででしたからな」
そうして微かに苦笑する。
「正直、我が青騎士団は無骨者揃いです。外交面で表に立つのは少々……」
「成程、必ずしもゴルドーの嫌がらせという訳でもなかったのですね」
笑み返したが、そこでマイクロトフが低く言葉を挟んだ。
「それに、青騎士団より魔法の術者が多い。おれにとっては幸いした」
たちまち曇る一同の顔が皇子の殺戮事件を過らせているのを告げる。感傷を待たず、第一隊長がすかさず声を張った。
「カミュー殿、いっそ彼らも我々の側に引き込んだら如何だろう。お分かりだろうが、ゴルドーを快く思っていない点では実に信頼出来る集団だ」
「わたしも考えていたところです」
「情報」の二字が脳裏に点滅している。カミューは卓上に置いた手を握り合わせた。
「赤騎士団はゴルドーの皇子謀殺の意志をまるで把握していないのでしょうか?」
ふむ、と第一隊長は腕を組んだ。
「諜報に長けた連中だが、それどころではないのが実情ではないだろうか。自団を護るために死力を尽くしている状況下に、そこまでの余裕があるとは思えない」
そこで副長が苦しげに言った。
「わたしはあちらの副長と交流があるのですが……今は耐え、マイクロトフ様が御即位なさるのを待つと決められたようで」
「待遇に愚痴は零しておられませんか」
カミューが問うと、彼は深い溜め息をついた。
「言っても詮なきを口にする人物ではありません。寧ろ、影から助力することで我々までもが赤騎士団の二の舞になるのではと案じてくださり、この件については関与するなと幾度も示唆されておりまして……」
だから尚更、彼らだけを「敵」の矢面に立たせていることへの申し訳なさが募るのだ───そう言って副長は頭を垂れる。
カミューは暫し思案に暮れた後、ゆるりとマイクロトフを見た。
「どうだろう、マイクロトフ」
「どう、とは?」
「赤騎士団が欲しいな」
え、と一同は目を丸くして青年を凝視する。目前の菓子でも望むような調子で語られたそれは、騎士団の指揮系統そのものを崩しかねない要求だ。
「ええと、カミュー殿……欲しい、とは……」
一人の騎士隊長がおずおず問うと、カミューは華やいだ笑みで男らを一望した。
「ああ……、深い意味はありません。彼らの全面協力を得たいだけです」
「全面協力か。とは言っても、今の状態は……カミュー殿の指示で動けというのと同義だな」
第一隊長は首を傾げた。
「いっそ宰相殿の代理として、臨時の赤騎士団長に就任なさったら如何か」
「まさか。たかだか雇われ護衛の身で、そのような地位など「仮に」であっても不相応です」
カミューは苦笑を浮かべ、控え目な発言の割には無作法に、横の皇子の腕を親指で突いた。
「どのみち彼を無事に皇王位に就けたい点で一致しているのです。手を結ぶのを拒む理由はないでしょう」
そうだな、とマイクロトフは戦慄きながら強く頷いた。
「知った以上、おれも後戻りは出来ない。おれは非力で、ただ即位を待つばかりだった。そのために彼らが負わされた荷を何も知らずにいた。だが、もう許さない。騎士団はマチルダのためにあり、彼らを護るのが王家に生まれたおれのつとめだ」
彼は真っ直ぐに隣の青年へと視線を当てた。
「カミュー、赤騎士団をゴルドーの支配下から解放するぞ。おまえに全権を与えよう」
「嫌だよ、そんな大袈裟な」
「必要なら、騎士位も授ける方向で考える」
「いらないよ、そんなもの」
美貌の傭兵ははんなりと笑んで、上目遣いに皇子を見た。
「でもまあ……副長以下が結束しているのは幸いだ。取り敢えず、そこから口説いてみよう」
そう言って細める瞳がやけに艶めかしく、知らずマイクロトフは硬直する。国を傾ける美女の誘惑、といった伝説を思わせるような、それは妖しい魅惑であったのだ。
皇子の混乱をよそに、末位騎士隊長が小さく言った。
「カミュー殿……しかし赤騎士団は一筋縄では行きませんぞ。位階者らは誰もが副長殿を崇拝しています。故に、現在の和を乱す闖入者への応対は想像がつきましょう」
「和を乱す、とは心外です」
カミューはにっこりした。
「防衛の布陣は、兵力が勝れば返り討ちの布陣ともなるのです。一騎士団で築いた和を、こちら側にも広げていただきましょう」
さて、と優雅に腰を上げる。マイクロトフの腕を掴んで、離席を促した。
「長く防戦に勤しんできた一団だ。攻撃に転じるにはそれなりの発火剤がないとね。マイクロトフ、手伝ってくれ」
「お、おれか?」
「赤騎士団副長はどちらでしょう」
「まだフリード殿は戻りませんし、おそらく鍛錬場かと……。カミュー殿、お待ちを。今ひとつ懸案があるのです」
今にも退室しようとする二人を慌てて制し、副長も立ち上がった。カミューの方を呼び止めたのは、皇子が引き擦られる格好だったからだ。足を止め、二人は並んで副長に向き直った。
「例の、ゴルドーに利用された騎士の件です。マイクロトフ様の御命令通り、近しいものにはすべて警護をつけました。それを知らせましたところ、どうやら安心したらしく……幾つか名を出しましたぞ」
彼は小さな紙面を差し出した。
不当な言い掛かりをつけて白騎士団長執務室に連行し、その間に鍛錬用の剣を真剣に擦り替えた───その一連の流れに関与したと思われる人物。連行した白騎士、更に執務室に同席していた数名の騎士の名が紙面に記されている。
「全員という訳ではありませんが、所属が異なりますゆえ、それが精一杯であるようです。ただ、今後どう計らえば良いか、苦慮しております。詮議しようにも、ゴルドーの庇護下にあっては手出し出来ません」
一通り目を通してカミューは小首を傾げる。
「これは頂戴しても?」
「ええ、控えは取ってあります」
頷いた彼は服の隠しにそれを納めた。
「……諜報に長けた赤騎士団、か。やはり何としても手に入れましょう」
独言のように呟くと、一同に軽く礼を取り、再び皇子の腕を掴んで扉を開けた。あれよあれよと騎士らが見守る中、青騎士団長マイクロトフは連れ去られていった。
閉じた扉がパタンと小さく鳴いた途端、第一隊長が低く言う。
「……すっかり尻に敷かれておいでだ」
「もう少し他の言いようはないのか」
副長は睨んだが、その瞳には紛れもない同意の笑いが揺れている。堪え切れぬといった調子で一人が吹き出した後は、どうにも止まらなかった。
敬慕に値する言動で騎士団長として受け入れられたマイクロトフだが、あの青年の前では形無しだ。当人が引き回されるのを楽しんでいる気配さえ見えるのだから始末が悪い。
知謀と信念、カミューとマイクロトフの美徳は実に調和が取れている。が、力関係ではカミューが一歩先を行っているようだ。尻に敷かれる、正にそんな表現が浮かんでくる。マチルダの皇太子には何とも気の毒なことであるが。
「ですが、副長。カミュー殿が赤騎士団の中枢に食い込むのにはわたしも賛成です」
ふと、第一隊長が表情を引き締めた。
「彼は赤騎士団の発火剤に成り得る人物だ。あの才覚に赤騎士団の結束が与えられれば、空恐ろしい集団になるでしょう」
「そうだな」
副長は深く同感を示し、赤騎士団の同位階者を思う痛ましげな瞳を空に投げた。
「我らを窮地に巻き込むまいと、あの方は忍従の道を選ばれた。だが、マイクロトフ様の仰せの通りだ。赤騎士団のみに重荷を背負わせ、悪戯に時を待つなど……愚かな過ちであった」
青騎士隊長らは沈痛を湛えた眼差しで上官を見詰めている。
「忠誠の誓いに縛られ、大切なものから目を背けていた。それで良い筈がない。カミュー殿は我らに、まことの騎士が取るべき道を教えてくれた」
「外から来た目には、膿が良く見えましょうな」
「然様、膿は除かねばならぬ。我らは未来のマチルダ皇王を戴いているのだ。何としても御護りし、かつての誇り高き騎士団を再建せねば」
決意も新たに拳を握る青騎士団副長に、一同は感じ入ったように一礼する。
「……いやはや。まったく傭われ護衛なんぞにしておくには惜しい人材だ。ゴルドーを放逐した暁には、大枚はたいてでも騎士団に───願わくば、我が青騎士団に留め置くべきですな、副長」
冗談とばかりも言えぬ口調で、そう第一隊長が締めた。
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