最後の王・26


いつ果てるとも分からぬ戦いだった。
強大なるハイランド王国の属州として、圧政と理不尽な搾取に苦しめられてきたデュナン北方の一領。今は聖人として民の尊崇を受けるマティスは、だが始めはハイランドに便宜的に任ぜられた名のみの領主に過ぎなかった。
長くこの地に棲まい、住民らの\め役として頼られてきた家柄。洛帝山の鉱脈も、もとはマティスの家の持ち物だ。掘り出される資源のあらかたを献上させられていたが、代わりに領主として一応の厚遇を約束された旧家であった。
マティスは歴代の当主とは異なり、ハイランドの支配を忌むだけの矜持があり、この一領への愛着もあった。民の怨嗟に突き上げられるようにして蜂起を宣言したとき、彼はまだ若く、解放という大いなる理想に全てを捧げる情熱があった。
しかし、もともと一国家として確立した地ではなかった弊害が、開戦直後から彼に重く圧し掛かった。
\まった軍がある訳でなく、人々は不慣れな手に思い思いの武器を握り、我武者羅にハイランド兵に向かって行くばかり。これではとても勝てない。やがて蜂起の芽は摘まれ、更に過酷な支配に屈さねばならなくなるのは必至だ。正に暗澹たる懸念を抱えた始まりだった。
それを救ったのが親友アルダである。彼は一領から比較的腕の立つものを集め、組織を形成した。寄せ集めの集団に即席の訓練を施して系統だった動きを教え込み、頼れる一団として主人へと差し出したのだ。
そしてマティスがこれを率いてハイランド兵と戦う間に、今度は民衆に援護部隊としての役割を教示した。兵糧の移送、後方からの弓矢による攻撃など、最前線に戦う主人に不可欠の支援体制を整えたのである。
これによって当初の圧倒的な劣勢は上向いたが、それでもハイランドとの軍事力の差は、なお歴然としていた。そんな中で指導者マティスは一騎当千にも値する剣士で、だから仲間の誰よりも多くのハイランド兵を斬らねばならなかった。
覚悟した道である。どれほどの血に塗れようとも、一領に暮らす民の未来を勝ち取る、それが一団の先頭に立つものの責務と自らを鼓舞し続けた。眼前に広がる血色を見据え、敵兵の悲鳴を飲み込み、マティスは進み続けた。
強靭な決意が疲弊し始めたのはいつからだったか、彼自身にも分からない。
ある日、ふと過った思い。領内に圧政を敷いた真なる敵は遠くハイランドの王宮にあり、自身らが斬っているのは単なる尖兵、敵国力をもってすれば幾らでも補充の利く駒であり、しかし同じ血を持つ人間であると。
自身らがそうであるように、彼らにも待つ人がいる。戦場で対峙すれば命取りともなり得る葛藤が、マティスの胸の最奥に棲み付いたのだ。
転機は唐突に訪れた。
その日マティスの率いる一団はハイランド前衛部隊に勝利したが、投降した指揮官の処遇を巡って意見が割れた。
速やかなる処刑を進言する部下、涙ながらに助命を懇願する指揮官。
剣を交えている間には葛藤している暇がない。だが、ひとたび一人の人間として向き合ってしまった以上、冷徹を貫くのは難しかった。
捕虜など得るべきではなかった───心底からマティスは思った。この男一人を殺して終わる戦いではない。けれど軍属である以上、生きて帰せば再び味方の命を脅かすであろう存在。
これまで幾多の敵を屠った英雄が、たった一つの命に迷いを生じた瞬間であり、その刹那がすべてだった。
命乞いに終始していた敵が、突如として豹変した。傍らの側近に体当たりし、奪った刃でマティスに向かってきたのだ。
指導者を護らんと、一人の兵が盾となって命を落とした。ハイランドの部隊指揮官は即座に取り押さえられ、激昂したマティスの剣の露となった。
投降を装って反乱軍の中枢に潜入し、隙を見て指導者を暗殺する任だったのか、それとも自軍に勝利をもたらすための咄嗟の決死だったのか。
真実は闇の中だ。ともあれ、事件は大いなる悔恨となってマティスを苛んだ。
自身が揺らいだために仲間を死なせた。指揮官としてあるまじき過ちを犯した。高潔ぶって敵に慈悲を覚えた結果がこれか。自分を庇って死んだ仲間にも、無事を願う家族がいたのに。
マティスにとって最大の悲運は親友アルダの不在だった。彼はそのとき別働隊を率いて東の戦線に居た。
もし、痛みすら分け持ってくれる友が傍に在れば事情は変わったかもしれない。けれど、独り抱え込んだ苦悶が歩を踏み出させるのに時間は掛からなかった。
力が欲しい。
一切の迷いなく敵を打ち砕くだけの力が。
解放を掴むその日まで、二度と過たぬ非情の力が───

 

その夜遅く、彼は味方に戦線を託して馬を走らせた。
目指したのは、反乱兵の武器鋳造を担う一派の拠点である。洛帝山の鉱夫から成る集団だが、長だけは古くから鍛冶を営んできた家の人間だった。
鍛冶職人として無類の才を持つ老人は、魔道にも相当の心得があった。これを聞き及んでいたマティスは、家宝だった封印球を差し出し、剣をひとふり打つよう命じたのだ。
老鍛冶師は技術と知識を総動員して解放の指導者に見事な剣を鍛え上げた。大剣ダンスニー、「怒りの紋章」を宿した魔剣であった。

 

 

「そんな馬鹿な」
カミューは呆然と呟いた。
「不可能だ、あの紋章は剣には宿せない筈だよ」
微かに頷き、マイクロトフは投げ出されたままの大剣を見遣る。
「これは王家に伝わる話で、確たる記録がない。あるいは種は異なるかもしれないが、ダンスニーには間違いなく紋章が宿っている。普通の鍛冶職人の手では外せぬ……つまり、理から逸脱した使い方をされた紋章が」
通常、「怒りの紋章」を体躯に宿すと、激情に衝かれて本来持つ以上の武力を発揮出来る。ダンスニーを握った際に生じる冷酷な力とは若干の差異はあるが、常軌を逸した攻撃力を発揮するという効力では一括りかもしれない。
どういう技かは不明だが、肉体に宿すべき紋章を武器に納めた歪みが、多少の変質となって現れているのではないかとマイクロトフは考えている。
「ともかく、マティスは力を手に入れたのだ。鞘には剣の「怒り」を抑える封印の術が施されているという。ダンスニーを抜き放った瞬間から、彼は剣にすべてを委ね、敵を排除するだけの木偶となった───望んだ通り、葛藤や憐憫といった感情を失って」
ひっそりとした笑みが浮かんだ。
「迷いなく民を導き、ハイランドの支配を絶ち切るために生涯を捧げた英雄……王家の始祖、聖人マティス。それが今、マチルダに残る伝説だ。だが、おれたち子孫は知っている。彼が一人の人間に過ぎず、決して苦悩と無縁ではなかったと」

 

 

剣はマティスに圧倒的な力をもたらした。もともと卓越した剣腕が、情を失することで更なる苛烈を極めたのだ。根本的な戦力に劣る反乱軍側にとって、この指導者の覚醒は歓迎すべきものとなる筈だった。
しかし恐るべき齟齬もあった。ひとたび剣を抜いたマティスはあらゆる感情と思考力を失う。よって、剣を引く期さえ判断出来なくなったのである。
これについては、老鍛冶職人から予め意見が為されていた。必ず近くに催眠魔法のような、一時的に動きを止める術を操る人間を置け、と。鎮めの役割を果たす鞘に剣を納めるための手段である。
マティスは忠実に教えを守ったが、問題はそれだけではなかった。剣に捉われた彼からは、敵味方の識別能力までもが欠落した。およそ視界に入ったが最後、今まで隣にいた同志すら見分けられず、攻撃対象と認識してしまうのである。
これを知ったマティスの衝撃は如何ばかりだったか。人の則を超えた力を手に入れんと欲した己の無謀に戦いたに違いない。
それでも剣の力なくして戦局の均衡は保たれず、いつしか味方にも恐れの眼差しで見詰められるようになりながら、なおも彼は剣を振るい続けた。
そんな苦悩を哀れんだのか、天が一つだけ救いの道を残していた。
剣に支配されて自我を抑え込まれた男には味方の声など耳に入ろう筈もなかった。けれどたった一人、親友アルダのそれだけは彼に届いた。怒れるままに鏖殺を遂行しようとするダンスニーの呪詛を超えて、マティスの心に響いたのである。
指導者の変貌は、アルダのいる戦線にも伝わっていた。案じて様子を見に来た彼が目にしたのは、無用の殺生を望まぬかつての友ではなかった。
冷めた瞳で殺戮を重ねる男───彼は一軍を率いる勇猛果敢な剣士でありながら、誰よりも命を慈しむ男だったのに。
戦意を失って逃亡を計る敵を追う男を呼ぶアルダの叫びが、剣の戒めを掻い潜り、そして浸透した。
虚ろだった思考に光が走り、やがて意思は魔剣の力を捩じ伏せた。思考が蘇り、体躯が自由を取り戻した。
マティスはダンスニーの呪縛を抑え、逆に己の支配下に置くことに成功したのである。

 

 

「マティスには譲れぬ思いがあった。アルダは半身にも等しい掛け替えのない友だった。彼に恥じる生き様であってはならない、誇れる己でなくてはならない……彼が呼ぶなら如何なる苦境の中からでも応えねばならない。そんな絶対の思いが、マティスの真なる力を引き出したのだろう」
「…………」
「以来、ダンスニーは彼を主と認めた。支配の代わりに恩恵を与えた。それほど重い剣なのに、彼は全く負担を覚えなかったという。まるで「怒りの紋章」が体躯に移ったかのように、彼の攻撃力は倍増したが、決して理性を失わなかった。他のどんな剣よりも手に馴染み、望むままの加減に応えたそうだ」

 

戦の後期、飛来した毒矢によって友と並んで斃れるその日まで。
大剣ダンスニーは主人の信念を見守り続けた。
恐るべき魔性は置いても、剣は指導者の形見の品。彼の遺児、初代マチルダ王がこれを宝として遇したのは自然の流れだったろう。
ハイランドの属州から一独立国家へ。情勢が完全に納まるには更に時を要した。王や皇太子が始祖の剣を借り受けて戦場へと向かい、剣はマティスに与えたのと同じ恩恵を彼らにもたらした。
だが、剣の魔性は決して消え失せた訳でなかったのだ。
それはやがて悲劇となって王家を震撼とさせたのである。

 

「七代皇王の在位中のことだ。皇太子が───これがあまり評判の宜しくない人物でな、立場を弁えず遊興に耽る質だったらしい。その頃には国内も落ち着いてきていて、ダンスニーは宝物として大切に安置されていたが……ある日、彼が剣を持ち出し、戯れ半分に抜いたのだ」

 

剣は即座に牙を剥いた。王家を加護してきた過去を忘れ、性来に立ち戻ったかのように。
皇太子は何一つ考える暇もなく、殺戮を欲す獣と化した。宝剣を披露するため集めていた取り巻きの家臣や侍女を片端から斬り捨て、それでも止まらず、最後には己の首に刃を入れて無惨な死を遂げたのだ。
かろうじて逃げ延びた人物の証言は、王家に遺されたマティスの逸話そのままだった。抜くと同時に自我を失い、冷酷な殺人者となり果てる───かつて始祖が苦悩した剣の呪詛は、失われたのではなく、持ち主の器量を量りながら長らえていたのだった。

 

「器量を量る、って……剣が?」
カミューは眉を寄せて問うた。
「そうだ。そのとき剣を鞘に納めたのは、騒ぎを聞き付けて飛んできた第二皇子だった。抜き身のダンスニーに触れても支配されず、次代の王となった。その後も何度か似たような事件があった。幸い、周囲の人間の手で取り押さえられたり、魔法で眠らされて、大事には至らなかったがな」
「…………」
「中には剣に触れてもまるで影響を受けぬ王族もいた。彼らは高潔な人格者で、そのいずれもが後に王位に就いた。だから結論付いた───ダンスニーは、王、そして王となるべきものには祝福を与える。が、器に満たぬものには災禍となる剣なのだ、と」
シン、と圧し掛かるような静寂が下りる。カミューはじんわりと滲む寒気を覚えた。
二百年も前から伝わる逸話だ。すべてを鵜呑みにすることは出来まい。しかしながら、否定の材料もなかった。紋章の神秘は量り難いものであるし、現実に認知されている以上の力を発揮しても不思議はない。
マイクロトフは疲れたように続けた。
「やがて王家の人間はダンスニーに触れなくなった。無理もない、下手をすると不適格者の烙印を押されかねないのだから」
「……何故、王家の者だけが影響を受けるんだろう?」
握った大剣からは忌まわしき支配の圧力など感じなかった。気配の察知には無比なる自信を持つカミューだ。そろそろと手を伸ばして敷布に沈んだダンスニーの柄に触れてみたが、やはり何事も起きない。その様子を見守っていた男が低く言う。
「正しくは「始祖の直系血族者」だ。何処まで真実か分からないが、剣に紋章を定着させる際にマティスの血が使われたという。ダンスニーは、末裔に流れる始祖の血の波動を読み取るのではないか、と……グリンヒルの紋章学の権威たちはそんなふうに考えていた」
学者といった人種は何かと分析を重んじる。マイクロトフにしてみれば、学問としての探究に吝かではないが、この場合、理屈など意味を為さない。剣の支配が単なる伝承では有り得ぬことを我が身で実証してしまった。それ以上に確かなものはない。
ふと、闇色の眼差しに懐かしさが過った。
「何代もの皇王が宝物庫に眠らせておいた剣を、おれの父が皇太子時分に引っ張り出したのだ。ごく普通に、愛用の剣として持ち歩き、必要なときに抜いて振るった。過去の逸話など、まるで頓着せずに」

 

亡父は勇猛な武人で、向こう見ずすれすれのおおらかさも持ち合わせていた。家臣が恐れて止めるのを、不敵な笑みで一蹴した。王として不適格者なら早いうちに分かった方が国のためだ、それが彼の言い分だった。
当時、既に直系のみがかろうじて残ったマチルダ王家、父は唯一の王位継承者だった。彼が不適格なら、もう王になる人間はいない。
にも拘らず、彼はダンスニーを手にした。迷いもなく、恐れもなく───そして、祝福を与えられた。

 

「ダンスニーに関する戒めは物心付いた頃から叩き込まれていた。だが、何時の間にか警戒が薄らいでいた。父上に出来るなら、おれにも出来ると思い上がっていたのだ。父上は言っておられた。己のすべてを捧げる覚悟なく抜いてはならない剣だ、と。マチルダのため、己を捧ぐ覚悟なら十分に在る、と……」
だが、とマイクロトフは戦慄く両手を凝視する。
「───おれは不適格者だ。王たる器ではないのだ。始祖の最後の血を引く身でありながら、魔剣の呪縛さえ越えられぬ無力な男だ」
「マイクロトフ……」
「誰もが言う。父を越える王となれ、心豊かな強き王、聖人の血に恥じぬ王になれ、と。だが、どれほど期待されても応える自信がない。未だダンスニーを振るえぬおれが、どうして彼らの望みに適おうか」
大剣ダンスニーは王家の宝という以上に、マイクロトフにとっては父の形見的な意味合いが強かった。大剣を携えた父の姿を幼い頃から映してきた彼の目には、ダンスニーの持ち主は父以外の誰でもなかったからだ。
受け継いだ剣をマチルダの民のために振るえないなら、すべてを継承したとは言えない気がする。そればかりか、いつまで経っても父に並べぬ自身への忸怩たる思いに苛まれ、即位の日を待ちながら、同時に恐れ戦いてきたのだ。
長い沈黙の果てに、壊れたように震える両手にしなやかな手が手が重なった。はっとマイクロトフが顔を上げると、白い貌は感情を窺わせぬ無表情で、だがじっと彼を見詰めていた。
「……たかだか一度失敗ったくらいで、そうまで悲観しなくても良いんじゃないか? 始祖殿だって最初は剣に屈していたんだろう? それと同じで、一年前は駄目でも、今なら可能かもしれない。要は、意思の力の問題なのだろう?」
「だが、カミュー……」
父の遺言が過る。王として国を護っていく覚悟なら、あのときにも在った筈なのだ。これ以上、どう強く意思を持てば良いというのか。
「周囲の人間を思い出してみろ、マイクロトフ。皆がおまえを王にと望んでいる。おまえは彼らより剣の判断とやらを重んじるのかい?」
「…………」
押し黙ってしまった男にカミューは嘆息しつつ続けた。
「そのうち、試してみたらいい」
「何だと?」
「抜いてみればいい。剣の支配を越えることが自信になるなら、試す価値はあるんじゃないか? 恐れてばかりじゃ先に進まないよ」
それは幾度も考えた。だが、もし狂化してしまったら───そう思うと、竦んで踏み出せなかった。
実は、あれから分かったことだが、マイクロトフは催眠魔法の効用を受け難い体質であるらしいのだ。四、五度試みて一度成功するか否かといった確率。一年前の事件時には余程の強運が味方したようだ。
魔法に頼れぬとなると、事情は変わってくる。なまじ剣腕に優れるだけに、得物を落とすまでには相当の困難が立ちはだかるだろう。その間に広がる被害を想像しただけで肝が冷える。
苦しげに事情を説いたマイクロトフを静かな琥珀が見守っていた。やがてカミューは小さく言った。
「止めるよ」
「カミュー?」
「もしものときは……わたしがおまえを止めてやる」
でも、と彼は苦笑する。
「始祖殿と親友みたいな訳にはいかないだろうな。手負いの獣じみた男が相手では、こちらも加減は効かないからね、死なない程度の怪我は覚悟して貰わないと」
「カミュー……」
「思い悩むな。おまえには否応なしに王座が待っている。ならばその中で最善を尽くすべきだ」
マイクロトフは暫し目前の青年を凝視した。
同情、まして親愛といった優しげな情感は見受けられない。どちらかと言えば厳しい、突き放すような眼差しがそこには在った。
けれど。
もしものときは───その一言が深々と胸を衝く。
最も苦しいときに手を差し伸べる、カミューはそう約した。特に荘厳な調子もなく、常とまったく変わらぬ軽い声音でありながら、重荷の一枷を引き受けると宣言してくれたのである。
実際のところ、そんな日が来るかどうかは分からない。カミューは生涯傍に居てくれる人間ではない。それでも、ずっと心につかえていた痛みを包み込まれるような、そんな温みをマイクロトフは覚えた。
ゆるゆると体躯を傾け、躊躇いがちにカミューの肩に額を当ててみる。拒絶はなかった。骨ばった薄い肩には、寧ろ脆ささえ感じるのに、こんなにも深い安堵を与えられるのは何故なのか。
「……重いよ、皇子様」
言葉尻こそきつかったが、続いてマイクロトフの背を叩いた手は温かく、宥めるような調子であった。
「少しだけ。少しだけこのままでいてくれ」
「わたしに乳母の真似事までさせる気かい? 困った奴だな」
不満げに言った後、カミューは両肩で大きく息を吐き、そのまま黙した。
マイクロトフの片手は未だカミューの手中にあった。それを解いて逆に彼の手を握り込み、強く力を込める。そうすることでしか、溢れる感情を青年に示せなかった。
「カミュー……おまえと出会えて良かった」
押し殺したように呟く。
「本当に、良かった」

 

たとえ一時の交流であっても。
今、このとき感じる安らぎは生涯胸に残るだろう。
あと僅かで触れ合うほど近付いた互いの鼓動。皇子は初めて、始祖が親友に寄せていた信頼というものの優しさを理解した気がした。

 

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ちょっとだけ!
ちょっとだけ青赤っぽくなってきてません?!
気の所為?
気の所為か、やっぱ……。

 

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