INTERVAL /4


『親愛なるヨシノ殿』
書き出しはいつも同じだ。穏やかで温かな少女の黒い瞳を思いながら彼は続けた。
『その後、お変わりなくお過ごしでしょうか。わたくしは元気です。正直に申しますと、昨日まで体調を崩しておりましたが、今はすっかり回復致しました』

 

自室へと退いた後、フリード・Yは机に付いて用箋を引っ張り出した。
病み上がりだの何だのと、半分は案じてくれたのかもしれないが、残り半分は心置きなく言い争うのに邪魔だからと追い立てられたに等しい。
初めての市内警邏同行で気は昂ぶったままだ。しかも隣室で不穏な争いが始まろうという今、呑気に眠れよう筈もない。そこで扉越しを気にしながらも、慕わしき人へと久々の文をしたためることにしたのだった。

 

『マイクロトフ様の御即位まで一月を切りました。何かと多忙な毎日を送っております。外出等の機会も増えるので、わたくしだけでは手が足りぬだろうとグランマイヤー様が今ひとりマイクロトフ様に護衛を付けられました』

 

ふと、首を傾げる。
ヨシノはマチルダ皇太子の置かれた現状を知らない。近親者たる男の醜い殺意など、遠く離れた彼女には一片も洩らしていないのだ。なのに、ここで「護衛」は不適切だろう。急いで「侍従」と書き直した。

 

『わたくしはこれまで愚かな思い込みをしておりました。新しい侍従はカミュー殿と言って、グラスランド出身でおられます。彼の地は多くの部族が相争い、デュナンの隊商を襲って生計を立てているような野蛮きわまりない民が暮らすところと考えていたのです。しかし、カミュー殿は実に優美かつ柔和な方で(ここだけの話、多少の裏表はあるのですが)、とても聡明でいらっしゃいます。武にも優れ、その剣捌きは高位騎士にも比肩するのではないかと思われるほどです』

 

そう書いたところで、どうしても剣先に刺さった林檎が過ってしまい、失笑を噛むのに苦労した。

 

『カミュー殿は、たった数日でマイクロトフ様の全幅の信頼を受けられるようになりました。お二人の親密はたいへん微笑ましく、今も隣室で口喧嘩をなさっておいでです』

 

これは「親密」の具体例には些か不穏当かもしれない。
けれど聡いヨシノはこれまで幾度もフリード・Yの微妙な言い回しを的確に理解してくれたし、「喧嘩をするほど仲が良い」との言葉もある。
何と言っても、壁一枚隔てて聞こえてくる微かな声音を完全に無視するのは難しい。カミューの巧みな弁術の前に口篭る皇子が目に浮かぶようだった。

 

『わたくしは物心ついた頃からマイクロトフ様に御仕えして参りました。第一の信を置かれる従者と自負しておりました。わたくしが長い時間を掛けて築き上げてきたものを、カミュー殿は僅か数日で手に入れられたのです。だからと言ってヨシノ殿、わたくしは自分でも不思議なほど妬ましさを感じておりません』

 

フリード・Yは己の心と真っ直ぐに向き合い、言葉に嘘がないのを確かめた。

 

『カミュー殿と出会われてから、マイクロトフ様は変わられました。ずっとお立場の重さに押し潰されてきた御心が目覚められたかのように、わたくしの目には映ります。今のマイクロトフ様は、これまでの幾倍も生き生きと日を過ごされ、そんな御姿を拝見するたびにカミュー殿の存在の大きさを痛感します』

 

そこで彼は長いこと筆を止めた。隣から荒い声が聞こえなくなったのだ。ひとまず舌論は終結を見たらしい。
文面が先へと進みかねたのは、それに気を取られたばかりではなく、これから綴らんとする内容への羞恥を克服するための猶予でもあった。

 

『ヨシノ殿、一昨年の先王法要時、初めてグランマイヤー様に紹介していただいたときから、わたくしはヨシノ殿を一生の方と決めております。貴女もそう仰ってくださいましたね。お互いを何も知らないうちからあのような気持ちを抱いたことが、ずっと不思議でたまりませんでした。マイクロトフ様は良くわたくしを揶揄って「それが運命というものだ」などと言われますが、かたちに少々の違いはあれど、マイクロトフ様にとってのカミュー殿も、そうした運命的な相手なのではないかとわたくしには思えます。カミュー殿の契約期間は御即位までという話ですが、叶うならばマチルダに留まって、末までもマイクロトフ様の御力になってくださることを希望してやみません』

 

フリード・Yは数枚に及んだ文面を読み返し、更に筆を取った。

 

『実は以前から、正式に婚約を申し込んではどうかと両親に勧められておりました。従者の身で、今そのような話を進めるのは不遜ではないかと案じられたのですが、マイクロトフ様は快く勧めてくださいますし、わたくしも心に正直になって良いのではと思うようになりました。ヨシノ殿、どうか将来の約束をしていただけないでしょうか。御即位ならびに御婚儀が済めばお休みをいただけるでしょう。ラダトへ赴きますので、お答えをいただければ幸いです』

 

カタ、と机上に置いた筆が軽やかな音を立てた。遠い東の国にいる少女を思うと胸が温かくなる。
マチルダでは成人になって初めて婚姻が認められる。一方、ラダトでは十六歳がその年齢だ。
だから二つ違いのフリード・Yとヨシノは、来年同時に婚姻資格を得る。この偶然も運命というものなのだろうか、と若者は気恥ずかしい心地で考えた。
主君の婚儀の後ならば、従者の婚約も順序的に正当だろう。ずっと皇子第一だった身だが、今は穏やかな気持ちで想い人へと心が向かう。
マイクロトフに最も近い位置も、カミューになら譲り渡せそうな気がした。決して卑下の心からではなく、皇子の隣に並ぶのに相応しいのはあの青年に思えるのだ。
───よもや、数日しか知らぬ相手に大切な主君を委ねても良いと思う日が来ようとは。
そう苦笑したところでフリード・Yは竦み上がった。隣室からけたたましい炸裂音が聞こえてきたのだ。
硝子が砕けたように聞こえた。言い争いは決着したとばかり思っていたのに、実は延々と続いていて、終に物の投げ合いにまで発展してしまったのだろうか。
一国の皇太子としては由々しき行為だが、今のマイクロトフには有り得ない話ではない。彼はカミューの前では王位継承者の顔を捨てる。ただの一人の男となって、笑んだり膨れたりしてみせる。
フリード・Yは足音を忍ばせて戸口へと進んだ。ぴったりと扉に耳を押し当てたが、激しい物音は一度きりで、再び隣室は静まり返っている。
待てよ、と彼は首を傾げた。窓だかグラスだかを壊したのは皇子と決め付けていたが、よくよく考えてみるとカミューも不穏の気を漂わせるときがある。にっこり笑いながら腹のうちに憤懣を溜め込んで、一気に爆発させないとも言い切れない青年だ。
優美な姿を見慣れているだけに、真なる怒りに染まったカミューを見るのは是非とも遠慮したい。様子を覗こうかと扉の握りに掛けた手を引き、すごすごと机に戻った。
喧嘩ではないかもしれない。物を落としただけ、きっとそうに違いない。
落ち着いた物腰で振舞うように心掛けているものの、皇子には若干、粗忽──カミューは「大雑把」と評していた──のきらいがある。繊細な扱いを要す羽筆はしょっちゅう折っているし、インク瓶やグラスを倒す姿も幾度か見てきた。
そうだ、その調子で何かを壊してしまったのだろう。
フリード・Yは納得に努めた。有り体に言えば、もしそれが争いだった場合、とてもではないが仲裁する自信がなかったのである。
彼は再び筆を取り上げた。

 

『今、我がマチルダの皇太子殿下は大きな転機を迎えておられます。滞りなき御即位、そして末永い治世を一臣下として祈っております。そして同時に、乳兄弟として、マイクロトフ様の御心に自由と平安あれかしと心から願ってやみません。次にお会いする日を心よりお待ち申し上げております。ロックアックスにて、真心をこめて───フリード・ヤマモト』

 

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従者君のラブレタ〜には
重要事項がさらりと潜んでおりました。

次回より、そろりそろりと赤騎士団参戦。
赤の事情もちらほらと……。

 

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