最後の王・20


青騎士団の位階者執務室には、既に副長と数人の騎士隊長が集い、皇子らの訪いを待っていた。
「すまない、遅くなった」
言いながら入室したマイクロトフを見るなり、一同から感嘆の息が洩れる。今現在、青騎士団の要職に就いているものの多くは前皇王の皇太子時代を知らない。けれど大柄な身に荘厳な衣を着けたマイクロトフを通して、マチルダの隆盛を護った偉大なる王の若き日を見たような気がしたのだった。
そして、彼の背後に続いた青年に視線が及ぶと、これまた騎士たちは息を飲んだ。
質素な私服に身を包んでいるが、憂いを含んだ俯き顔は無骨な男たちの目にも美しく、ゆったりとした歩調が優雅この上もなかったからだ。青年の陰った表情が、実は朝食を急かされて胃もたれしていたからだ、などとは一同の与り知らぬ事情である。
最後に入室を果たした従者が彼らを破顔させた。皇子の付属物といった感がある若者の不在は、青騎士たちには何がなし落ち着かないものだったのだ。
早速、三名を揃って上座に戴く席が設けられた。カミューとフリード・Yは、ひとたび辞して末席に回ろうとしたが、促され、結局皇子を挟むかたちで着席した。
待ち詫びたように副長が切り出す。
「フリード殿、本復したようで何よりだ。状況は耳にしたかね?」
「はい。若輩者ながら、わたくしフリード・ヤマモト、皆様の御邪魔にならぬよう、精一杯つとめさせていただきますので、以後宜しくお願い申し上げます」
懇切丁寧に言上して一礼する。苦笑しつつ、騎士隊長らが倣った。
「先ずは御報告を。カミュー殿、やりましたぞ。一画が顔を覗かせました」

 

青騎士団内で起きた二つの事故。
一つ目は模擬刀の不調だった。柄から抜けた刃が皇子を襲った事件。
剣技の訓練時には特別の場合を除いて模擬刀が使用される。中でも、皇子の鍛錬相手に選ばれた騎士が使う品は、万一もあってはならぬという理由から、特に刀身から鋭利を失わせてあった。他の剣と一緒に保管されるため、一目でそうと分かるように鞘に装飾をつけている。
肝心な保管場所であるが、これは各騎士団が保持する倉庫だ。ただ、模擬刀という安価な品というのもあって、然程厳重な管理下に置かれている訳ではない。幾つかの数値を合わせば開くという鍵を使っているため、その数値さえ探り出せば、騎士の誰もが可能といった塩梅だ。
まして早朝訓練において、剣合わせと呼ばれる対戦は、その日の都合次第で省略もあり得る。従って、実際にいつ擦り替えが行われたかもさだかではない。ここで探索の糸は切れてしまう。
カミューが注目したのは二度目の事故だった。
擦り替えられた真剣で皇子に斬りつけてしまったのは第七部隊に所属する騎士であった。彼は言い渡されたつとめにたいそう感激し、前夜は早々に休むほどの気の入れようだったという。
倉庫から無作為に模擬刀を選び、鍛錬場まで向かう間での擦り替えが可能か。
普通に考えれば否である。事故後の詮議でも、そのあたりは厳しい追求が為されたが、簡易牢に留置された騎士は多くを語らず、繰り返し詫びるばかりだった。
騎士にとって不幸だったのは、気が逸って誰よりも早く鍛錬場に向かおうとしていた点だ。同行者、即ち彼の不始末ではないと証明出来るものがいなかった。
しかし同時に、彼が皇子を害する理由も出ない。結局、「服が破れただけだから」というマイクロトフの取り成しによって疑わしきは罰せず、のはこびに至ったのだった。
騎士は今も兵舎の一室から出ようとしない。同室の仲間が食事を運んで世話を焼いているから、かろうじて生きているといった状態だ。
つとめの放棄に第七隊長は困り果てたが、部下の心痛を思えば無理を強いることも出来ず、位階者で相談した結果、無給休暇として特別の措置を取っている。カミューは、この騎士の口を割らせるのが「敵」を暴く最速の道と考えたのだった。

 

 

「あの者に、おまえはマイクロトフ様を狙う敵に利用されただけなのだ、そう告げましたところ、いきなり泣き出しましてな」
直接上官である第七隊長が鎮痛な面持ちで言う。
「独りで苦しんでいたのでしょう、しかし漸く重い口を開き始めました。まだ全貌とは言える段階ではないが、ともかく前進です」

 

 

その朝、鍛錬場へ向かう廊下で白騎士隊長と行き合った。相手は最高位団、慣習通り礼を取って通り過ぎようとしたのだが、仕草がぞんざいだときつく詰られた。
そんなつもりは毛頭なかったので、慌てて詫びたが、相手はおさまらず、そのまま白騎士団長執務室まで引っ張っていかれたというのである。
しきたりでは、騎士団の最高指導者の部屋に入室する際に佩刀を許されるのは位階者だけだ。混乱しているうちに模擬刀を奪われ、執務室に押し込められ、ゴルドーと対面した。
ゴルドーに何と言われたのか、その点については騎士は語らなかった。が、顔つきから、酷い侮蔑だったのだろうと第七隊長は推察する。叱責そのものはそう長いものではなかった。程無く騎士は解放され、鍛錬にも間に合った。
その一幕が何を意味するのか、当人におおよその察しがついたのは、いつもと同じ模擬刀だとばかり思っていた剣が皇子の衣服を裂いたときだった───

 

 

「……汚い真似をする」
誰かが吐き捨てるように言う。無意識のように広がる首肯が、一同の心を代弁していた。
「しかし、何故です? ならば彼はゴルドーの悪意を知っていたことになります。そんな重大なことを、どうして打ち明けてくださらなかったのでしょう?」
フリード・Yが自問気味に呟く。第七隊長が申し訳なさそうに答えた。
「それが……そこへ来ると貝のように口を閉ざすのだ。ここまで真相を明らかにしているのだから、今更隠さんでも良いと思うのだが」
そこへカミューが静かに口を挟んだ。
「簡易牢に入れられていた、と仰いましたね。面会は可能なのですか?」
「え? ええ、はい。可能ですが」
騎士隊長は瞬きながら返す。
「面会者の名は控えますか?」
「いいえ。簡易牢の場合は、そこまでは……」
ふむ、と小首を傾げてカミューは嘆息した。
「扱いが厳重な普通の牢に留置なさった方が良かったかもしれませんね。おそらく面会に訪れたゴルドー配下の人物がいた筈です」
ざわ、と周囲がざわめいた。カミューは男たちを一望しながら続けた。
「マイクロトフ───いえ、殿下に忠節を捧げていながら、謀殺の実行者に仕立て上げられた。蟄居するほどの苦悩と悔恨を抱きながら、今まで沈黙を守り続けた。考え易い理由は一つです」
琥珀にきつい光が過る。
「家族や恋人など、その騎士に近しい人間の保護を講じるべきかと。口を割らぬよう、脅されているのだと思います」
騎士たちは息を殺して白い貌を凝視した。確かに最も考え易く、すんなりと腑に落ちる意見だった。
「……ゴルドーの悪意を我らも知った。だからせめて己の忠節に恥じるところはないと、それだけは打ち明ける気になったのか……」
厳つい顔をくしゃりと歪めた第七隊長が独言を洩らす。そこでマイクロトフが毅然と命じた。
「直ちに関係者を青騎士団の庇護下に置くのだ。おれがおまえたちと行動を共にするようになったのは、既に白騎士団員の耳にも届いているだろう。第七部隊に予定されていたつとめは残りの部隊で調整する、総員をもってこれに当たるのだ、行け!」
「は……拝命致します!」
第七隊長は弾かれたように立ち上がり、背を正して宣誓した。そしてそのまま一同に拝礼し、飛び出して行った。
残された位階者らは暫し呆然とマイクロトフに見入っていた。注視に気付くなり、はっとして、狼狽えながら副長へと頭を下げた。
「す、すまない。勝手な真似を……権限はないのに……」
「ございますとも」
副長は嬉しそうに笑う。
「マイクロトフ様は我々の最高位階者、青騎士団長でおられるのですから。的確な御指示でした、感服致しましたぞ」
「……然様。迫力は満点以上でした。あれで従わぬ騎士はいないでしょう」
第一隊長も頷きながら苦笑している。笑いは次々と騎士たちの間を伝染していった。
一方、皇子の真横で下知を聞いたフリード・Yは驚嘆で戦慄いていた。
こんなマイクロトフは知らなかった。ときに王位継承者らしき威風に包まれる姿は見てきたが、こんな、吹き荒れる熱風のような、迷いのない強靭一色に染まったマイクロトフは初めてだ。
騎士に憧れ続けた少年時代。もし彼が皇太子などではなく、ただのマチルダの民であったなら、そして子供の頃からの夢を実現させたのだとしたら、きっとこんなふうになっていたのではないか───フリード・Yは何とも言えぬ感慨を覚え、今は照れ臭そうに頭を掻いている皇子を見詰める。
その向こう、カミューの横顔が見えた。才知の片鱗を覗かせた彼は、感情らしいものを窺わせず、僅かに俯き加減で、何処とも分からぬ空に視線を当てている。
フリード・Yの胸を怪訝が掠めた。いつもなら、ここで茶々のひとつも入れる青年だ。ただ位階者の前だからと遠慮しているふうでもない。
彼は何事か、深い思案に陥っているようだった。これまで端正とばかり映っていた横顔に仄かな陰りが感じられる。堪らず、身を乗り出さずにはいられなかった。
「カミュー殿? どうかなさいましたか?」
え、と虚を突かれた面持ちを上げたカミューが、ふわりとフリード・Yに目を移す。そのときには、ちらついていた──と思われた──苦渋めいたものは霧散していて、見慣れた綺麗な笑みがあるばかりだった。
「どうもしないよ、次の手を考えていただけさ」
そう言われてしまえば、成程と思わざるを得ない。彼は常に先へ先へと視野を広げる人物だと理解しているからだ。
そうしてフリード・Yは過った怪訝を捨て去ることに成功したが、マイクロトフは違った。彼もまた、間髪入れずの揶揄が飛んで来ないのを物足りなく感じていたのだ。
一を言えば幾倍にも増して逆襲してくる青年。何も言わなくても、何やかやと心地好い攻撃をし掛けてくるカミュー。だから無言は、不首尾をはたらいたのではないかとの不安を誘うのである。
雄々しき厳命で騎士たちを感動に震わせた皇子。だが彼は、カミューに対してだけは対等な友人関係を築きたいと願う、一人の男に過ぎなかったのだった。
つと、副長が切り出した。
「ところで、マイクロトフ様。本日のロックアックス巡回には第一部隊が随従申し上げます」
第一隊長が軽く会釈する。それに応えて、マイクロトフは大仰に息を吸い込んだ。
「人員は?」
カミューが問うと、これには第一隊長が口を開いた。
「我が部隊より、三十名ほど抜粋しました。あまり仰々し過ぎず、しかし青騎士団長の披露目としては、そこそこ勇壮に映る数かと」
どうやらこの男、思考が自らと似ているらしい───カミューは小さく笑みを洩らした。
第一隊長は理解しているのだ。これまであまり衆目の前に出る機会がなかった皇太子。街中を巡り、民の前にマイクロトフという男を押し出す。若年ながら立派に皇太子の責務──青騎士団長としても──を果たしているのだと誇示するのに、これ以上の場があるだろうか。
それからカミューはフリード・Yに目を向けた。唐突な凝視に身を竦ませ、若者は背を正した。
「なっ、何か? わたくしが御供しては障りがあるのでしょうか?」
「いや、違うよ」
苦笑して、やや身を乗り出す。
「フリード・Y、君は紋章を宿しているんだろうね?」
は、とフリード・Yは瞬いた。予想だにしなかった質疑で、すぐには言葉が出ない。
「紋章……と言いますと、カミュー殿の火魔法のような、ですか……?」
今度は騎士たちが目を瞠る。
「カミュー殿は火魔法を使われるのか?」
たちまち上がる声をやんわりと制して、カミューは尚もフリード・Yに言い募った。
「攻撃魔法ではなく、回復魔法だよ。万一のときへの備えに……宿せないのかい?」
暫し呆けた後、従者はおずおずと首を振る。
「そうか……そうですね、わたくしが回復魔法を宿すことが出来れば、殿下も多少は安全に……。申し訳ありません、考えたこともありませんでした。宿せるかどうかも分かりません」
羞恥のあまり、消え入りそうな声だ。弁護とばかりに副長が言った。
「騎士団では魔法の術者自体が少ないのです。街の店に出回る品も武器用の紋章ばかりですし……フリード殿が考え至らなくとも致し方ありません」
「では、少ないながらも術者はいらっしゃるのですね。副長殿、「破魔の紋章」を彼に譲っていただけませんか?」
すると副長は顔を曇らせた。蘇生魔法を司る貴重な紋章だが、今の彼には譲渡の申し出に躊躇する心などない。問題は別にあった。
「それが……青騎士団には「破魔」の持ち合わせがないのです。「水」で宜しければ、喜んで御譲りするのですが」
これは意外だった。武を扱う一団、死に瀕した場合の応急処置的な蘇生魔法は当然用意されていると思ったカミューだ。反射的に騎士らの顔を窺うと、いずれにも憤懣めいたものが浮かんでいた。
「つまり、ですな。「破魔」は何処の店にでも置かれているような代物ではない。そうした貴重な紋章や装備は、すべて白騎士団に集まるよう差配されている訳だ、カミュー殿」
代表するように第一隊長が説く。これにはカミューも唖然としたが、マイクロトフの驚きはそれを上回った。わなわなと拳を震わせて唸る。
「……何という姑息だ。装飾品の収集に飽き足らず、他団の装備まで取り上げているというのか、ゴルドーは!」
「そ、そう激昂なさいませぬよう」
副長が慌てて宥めに掛かる。
「確かに「破魔」はございませんが、何とか補えるようにと、「水」や「風」ならば十分に数を揃えておりますから」
「肝心な術者の手薄は、如何ともし難いものですが」
小声で第一隊長が付け加える。
剣技を第一とする騎士は、如何なる理由か、魔法系の紋章と相性が悪い。魔法の使用可能回数が極端に低かったり、回復魔法に至っては身体が受け付けない場合もある。無論、戦闘集団にとっては不可欠の術であるから、術者の育成には力を注いでいるが、実が伴わないのが現状だった。
「侍従殿に資性があると良いが。巡回の途中にでも紋章師の店に寄られたら如何か」
第一隊長はカミューに提案する。もっとも、と厭味っぽく付け加えるのも忘れなかった。
「回復魔法を使うような事態を許さない、それが我らのつとめと心得る」
「……道理です」
カミューは薄く笑んで頷いた。

 

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「はじめてのおつかい」ならぬ
「はじめての巡回」
そう言えば、お昼御飯を持たせなかったな。
今、気付いた……(笑)

次回は出発前、「馬小屋でドッキリ」(←副題)

 

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